6話 婚約者の“推し”が気になるので
ある日の午後。廊下を走る足音が、妙に慌ただしかった。
「み、ミレイユ様……!」
侍女がノックも忘れかけた勢いで扉の前に立つ。
「どうなさいましたの?」
いつも冷静な侍女の頬が、わずかに青い。
「た、ただいま……その……」
言葉が続かない。
(嫌な予感しかしませんわね)
「落ち着いてちょうだい」
「……第三王子殿下が、ご来訪でございます」
(.......ん?聞き間違いよね。もう一度確認しましょう。ええ、確認は大事)
「……どなたが?」
「だ、第三王子殿下にございます」
侍女の声が裏返る。
(キキマチガイジャナカッタ.....)
ミレイユの手から、持っていた本がすべり落ちた。
「なぜ……?」
「そ、それが、突然お越しになられまして……護衛も最小限で……すぐにお目通りをと……」
侍女の指先が小さく震えている。屋敷全体が軽い騒然状態なのだろう。
(なぜ突然.....!?)
レオニード・エルヴァイン。第三王子でありセシリアの婚約者。第二王子のノアとは打って異なり、飄々とした自由人。さらに、魔法がある世界では珍しく剣術に秀でている人物。
主人公が嫌がらせを受けている場面に偶然出くわす。令嬢同時のいざこざに興味のないレオニードは気にせず通り過ぎようとするが、主人公は拳に纏った魔法を地面に叩きつけ、令嬢たちを一蹴する。
そんな大胆かつ豪胆な主人公に興味を持ち、惹かれあっていく。婚約者のセシリアに自分の思いを伝え、セシリアの後押しもあり、主人公と結ばれることになる。
(嫌がらせをしていた令嬢については......割愛させていただきますわ......)
第三王子のルートに関してはミレイユ自身の存在感が薄い。薄いにも関わらず、婚約者と結ばれるという運命を破った第三王子に感化されたノアが、ミレイユの今までの行いを明るみに出し、貴族としての立場を追われることになる。
(追放される側の立場になると、このルートはほんの少しばかり同情心が湧きますわね.....)
ゲーム内では第三王子と直接関わる機会などほとんどなかった。それに、このタイミングで来る理由が全く分からない。分からないのが一番怖い。
「……お通しして」
「よ、よろしいのですか?」
「断れる相手ではないでしょう」
侍女はこくこくと頷き、去っていく。
扉が閉まった瞬間。
「……いったい何用ですの……」
◆
身支度を整え、応接の間へ出向く。
小さく呟き、深呼吸する。一回、二回。
(淑女。淑女。とにかく破滅フラグは笑顔で迎え撃つものですわ)
応接間へ向かう。扉の前で、先ほどの侍女がまだ落ち着かない様子で立っていた。
「殿下は……その……」
「何か問題が?」
「い、いえ……とても……自由にお寛ぎで……」
自由。不穏な単語。扉が開く。そこには――
足を組み、窓辺から庭を眺める青年。
護衛も控えめ、空気が軽い。そして振り返り、笑みを浮かべる。
距離が、近い。
(近い近い近いですわ!?)
「初めまして、ミレイユ嬢」
軽く片手を上げる。
「突然悪いな。驚いたか?」
「……ええ、少々」
(少々どころではございませんわ!)
背後の侍女が、未だに緊張で固まっているのが視界の端に映る。
レオニードはそれに気づき、くすりと笑った。
「そんなに構えるな。今日は視察でも査問でもない」
(“今日は”って何ですの)
「俺はレオニード。一応名乗っておく」
第三王子。ノアとは真逆の圧。とにかく軽い印象だが、目元がよく似ている。
侍女がそっと退出し、扉が閉まる。
「本日はどのようなご用件でしょう?」
声がわずかに硬くなる。室内の緊張が一段階上がった。
「婚約者が世話になっているらしい」
(婚約者というと.....セシリア……?)
一瞬で理解する。
「最近、あいつが君の話ばかりしていてな」
机に肘をつき、楽しげに。
「“ミレイユ様は素敵”“お優しい”“凛としていて――”」
(なんだか恥ずかしいですわね...)
「……光栄です」
なんとか形を保つ。
「気になってな。どんな魔女だ?」
「魔女ではございません」
(なんですの、魔女って....)
「庭を燃やしかけたと」
「燃え“かけた”だけです!」
反射で大きい声で答えてしまった。
アルフォンスが目を細める。
「炎柱三本――」
「それは嘘すぎますわ!?」
(クラウス……覚えていなさい……)
「怒らないのか?」
「怒る理由がございません」
(あるけど、我慢してるんですのよ.....?レオニード様?)
と、怒りを抑えていると――
「婚約者が他の女を慕っていると言われても?」
空気がぴたりと止まる。
(いきなりですわね.....)
ゆっくり微笑む。
「慕っていただけるのは光栄です。ですが、わたくしもセシリアを尊敬しているだけです」
レオニードが一歩近づく。
(相変わらず近いですわね)
「怖くないのか?」
「何がですの?」
「俺」
視線が真っ直ぐ。逃げられない。
「それは.....殿方にこれだけ近づかれれば怖さを感じない令嬢の方が少ないのでは?」
本音が落ちた。沈黙、そして大きな笑い声。
「お前は正直でいいな!」
くるりと背を向ける。
「安心した。婚約者の目は本物らしい」
さらりと言う。去り際、立ち止まる。
「ノアとは、どこまで進んでる?」
「……はい?」
血の気が引く。
「冗談だ、ではな」
冗談に聞こえない。
嵐のように去っていき、扉が閉まる。
数秒後――
先ほどの侍女が、壁にもたれかかっているのが見えた。
「……だ、大丈夫でございましたか……?」
声が震えている。ミレイユはゆっくり息を吐いた。
「……わたくしにも分かりません」
本音だった。攻略対象の三人目。
しかも最も予測不能。
屋敷の空気が、まだ少しだけ揺れている。
炎より厄介なものが、確実に近づいていた。




