RUIN After03
昨日の通知の内容で寝不足になった。
今日は土曜日なので少しの寝坊は問題はない。
顔をしっかりと洗い、推しにみっともない姿を見せないよう、身だしなみを整えてリビングに行く。
「おはよう、マミとやらに僕の塾の赤字を補填する覚悟はついたのかい」
ウミは私がプレゼントしたモワメームモワティエの黒ゴス衣装をバッチリ着こなして洒落にならない冗談を言って迎えてくれた。
あれがウミの仕事着だ。
チョコレートソースをたっぷり塗ったパンをハムスターのように小さな口でチビチビと食べながら服にパン粉は落とさないよう、汚さないよう、ウミは実につまらなさそうな顔で呟いた。
私のむっとした表情を見て察したのかバツが悪そうに
「悪かったよ、容疑者かもしれないけど、決まったわけじゃないからね」
と、しゅんと小さくなった。
「そもそも、なんで放火なんてするのかな、ウミ」
「統計的な答えだと、放火は他者の家と自宅が多いらしいよ。憂さ晴らしとか、恨み、ストレスの発散。ストレスなんてみんなたっぷりだろうけど僕はそういうことに快楽を見出すタイプじゃないからわかんない、朱美だったらやっちゃうかい」
思いがけない問いかけ。
自分がそういう行為をするという意識は今までなかった。
「うん、そうだね、私の場合、出来ないと思う」
「遵法精神ってやつ」
「違うよ、もし誰かが傷ついたり帰る家がなくなったりしたら、ひどい気持ちになるんじゃないかな。居場所がないってしんどいことだと思うよ。放火したその先まで考えちゃうから。罪とかじゃなくてさ、相手の立場からしたら帰る場所がなくなるじゃない。それって残酷だと思う」
「なるほど、僕もこの家がなくなると社会性が完全になくなる。そういう合理的な知性もそうだけど、精神の置きどころは大事だね。安心、安定は思考を生み出すために必要なことだ。僕自身はそういうつまんない思考ばかりしかできないけど」
一息ついて、コーヒーを貴婦人のようにウミは飲む。
私は口にするのを忘れていたパンを食べつつサラダチキンも、もりもりと食べる。
「でもまあ、その居場所がイヤな場合は別か」
それが自宅を燃やす事例のことだろうか。
「色々とデータを集めていると放火、僕の塾の火災が放火『だった』場合なんだけど、一般的に失礼な言い方だがブルーカラーとか未成年の比率が高くて、なおかつ喫煙者だと犯人の可能性が跳ね上がるんだよね。だから、あまりいいたくないけど、たまたま君が出会ったマミが少しだけ放火犯の可能性があるんだよ」
タブレットに犯罪研究の国内の論文データを表示して私に渡してきた。
「でもさ、そのマミってさ、ある理由で外れるんだよねえ。だから一般的じゃない理由なら犯人の可能性になるけど、今のところは20%程度だよ。僕の中じゃね」
「どうしてマミはそれだけ確率が低いの」
「シンプルな理由だよ。朱美も気づくさ。その理由はもう見ているはずだ」
それがわかるなら苦労はしない。
猫みたいな顔で私をニマニマとウミは見つめながら幸せそうな顔をしている。
ふと、ぷいっとそっぽを向く。
「しかし、僕の人生はつくづく炎と縁があるね、イヤになっちゃうよ。ほら仕事の開始だ。生徒くんは僕のリハビリに付き合ってくれよ」
ウミは特性の大型VRゴーグルを被り、配信の準備をし始めた。
「民生品くらい小型化したいよねー。生活空間に邪魔だって朱美が個々に持ってきたときいっていたけど、本当にそうだよ」
AIを補助として使いつつ、本物の教師も交えて一人三役も器用に今日もこなしていく姿はやはり人間とは違うものだなあ、と毎度感心する。
「じゃあ、また予備校で」
「いってらっしゃい」
マンションから昔ながらの住宅地を抜け、何十年も前に出来た駅前のガラス張りの複合商業施設のワンビルを超えたとき、森村先生が長い手を振り回して声をかけてきた。趣味の悪い大きなトカゲの描かれた私服のTシャツ姿はまるでそのへんの大学生みたいだ。
「よう、部活も入ってないのに、どこに行くんだ」
「ナンパですかモリソン、予備校だよ。大学の判定も近いからね」
「あれだけいろいろと会ったのに真面目だな。推し活が終わると勉強熱心になるのか」
デリカシーのない人だ。
「そういうことになりますかね。人のプライベートほじくるよりそちらのほうは恋人とかいるんですか」
「これからデートだよ。推し活じゃない健全なやつね。その途中にいまみたいにこうして適当な生徒指導でもしていくのさ、最高にハイってやつだよ。心に火がついたように。じゃあな」
やる気なさげなダウンな声で態度とは正反対の言葉。
少しだけ爬虫類系を思わせる顔で笑って去っていった。
外から見ると都市部に山が唐突に機械で切断された山のような古いビルがある。公民複合施設のアクロスだ。さっきのワンビルより更に古い。表面の木々が新緑で青空に輝いている。
その反対側の正面入口は普通のビルの顔をしている。高層オフィスビルは見える青空を直線に切り取っている。
アクロスの会議室では午前九時から臨時のサンダ塾の受験用のカリキュラムが開始される。終了は夜八時予定。これでも他の予備校よりは「緩い」。
聞いた限りでは夜の十一時までするところがあるそうだ。
私は受講生でもある。レンタルされた会議室に入るとこの前知り合ったニナとエリがいた。向こうが手を降ってきたので軽く挨拶をする。
二人が同じ学校のマミのことを知っているかどうかちょっとだけ考えているうちにアバター姿の「先生」が大型画面に写った。
「どうも、おまたせしました。火事で大変だったけど皆様無事のようですね、では先週の続きから始めますね」
ボイスチェンジャーとアバターを使ったウミの講師としての遠隔予備校の授業が始まった。
今年の春先から始めたウミのこの授業兼事業は本人曰くリハビリらしい。
人間としての経験は少ないが授業より生徒のカウンセリングを楽しんでいる。
それがウミの成長の糧になっている。その評判でサンダ塾の生徒数は微増している。同じようにして遠隔地からリアルな元教師や教職を持っていた人たちも雇っている。人には色々と都合があるので有益な人材をピックアップしたらしい。
「よっ、なんか話したいみたいだし、一緒に昼飯行こうぜ。ちょっとお願いもあるし」
ニナが快活に話しかけてきた。後ろにエリもいる。
「行くってどこに」
「学生の味方の場所」
地元の赤い看板に白抜きの文字のうどんチェーン店で丼とうどんのセットと単品でシェア用のごぼう天を注文しつつ三人で食事をする。
「まあ流石にラーメンはちょっと匂いがね」
と、エリ。今日は制服ではなく私服でガッツリ固めている。趣味全開の白のフリフリ系ワンピースだ。対してニナは私と一緒で学生服のまま。やや狭いテーブル席に三人で食事。
「まあ私の服は気にしないで。慣れているし、汚さないし、ここだと匂いつかないからOK」
エリは汁気を気にするかと思ったが満足げな顔をしている。
「どこも観光客でいっぱいだしね。それに年々高くなっているからニンニクとは程遠いこういうのが私らの味方だよ」
少食のエリに対して私とニナは大盛りである。
「朱美はなんかスポーツでもしてるのか」
「部活は入っていないけど家が古武術だから鍛錬してないとシメられるんだよ。だから毎日肉体づくりだけは続けないとだめなんだよね」
実家は面倒な理由はそれ以外にもあるけど、これは本当のことだ。
傷が残らない形でボコボコにやられてしまう。どうせ近々また私達の家に親族の誰かが抜き打ちで不法侵入してくるだろう。
プライバシーがない。
「私は陸上で、エリはマネージャー。明日は大会あるからさ、なんか先生お得意の勉強のライフハックあったらメモっておいてよ」
サンダ塾の売れ筋ポイントは生徒たちの相談は試験を構造からハックする教えだ。英語の長文読解なら最初の段落の一文目のみを読で構造を把握する、歴史なら教科書の外側の宗教などの視点で教えて把握しやすくする、現代文は逆から読んで結論を把握していく、など時系列や方法を並べる以外の方法で教えてくれる。テストの場合はテストの構造から出題者の思考を考えて消去法で正解を導く方法など受験に特化している。
ーーだけどそれは本当の勉強じゃないよ。と経営者はいっているけど。
「了解。共通授業だけだけどね」
あとあとVTRは塾会員専用動画で視聴はできるがピックアップは別だ。
あらゆる方法でカンニング可能な現代でも実際のテストはオフライン環境で生徒の実力を図るので結局は真面目に勉強しないといけない。
「世の中便利だけど不便だよねえ」
参考書と社外秘という冗談めいた事が書かれたテスト攻略法のプリントを見ながらうどんを啜る。
「こんなコンクリート色の青春におさらばして、さっさと県外行きたいよ」
エリがボソリと呟く。
「ニナもエリと一緒に県外考えているの」
「そう、窒息したくねーし、朱美はどうなんだよ」
「難しいね。ずっとそれ悩んでいる。選択肢のために、いまは勉強しているって感じ」
そう、もうあれから一年。私は高校二年でここからどこに行けばいいのか全然決まっていない。ウミとのこともいつか解決しないといけない。
未来のことを考えると、どんよりとしたマイナスの世界に囚われそうになる。
二人の顔を見る。理由は違ってもその感覚が自分と同じなんだろう、ということがわかった。
だから最初のとき、話しかけたのかもしれない。
「ゲンジツトーヒっていっても、だいたい時間も労力も無駄だから消去法で勉強しているっていうか、これはこれで私達は他の人の道、潰しながらやっていいのかって気持ちになるわ。成績が上がるとその分誰か蹴落としているってことだしね」
ニナはお冷を飲み干してバツが悪い顔でいう。
「健全にカラオケ行ったり、テキトーに遊んだり、ご飯食べて駄弁るのもいいんだけどなんか、それはもう中学校で卒業すべきだったかな、っていま部活しながらその分勉強巻き返しているわけだし、自分たちよりすげーチートみたいなやつってめっちゃいるからここから出る最低レベルプラスアルファくらいは成績もほしいし、お金も節約しているってわけ」
「私もニナも別にショート動画とかへんな作品作ったりするタイプじゃないしね。妹とかは好きでやっているけど。ああいうのはああいうので楽しいんだろうけど」
自分は可愛い猫のキャラクターモノは集めていてもそういうバエるための活動はしていない世界だよ、とエリ。
サンダ塾は新興の塾なので地域でほぼ最安値だ。
「カンニングだったらスマートコンタクトとか体に埋め込む系なんだけどやらないわねえ」
エリは猫のようなイタズラ顔で冗談をいう。
「世間話だと思うけど、とんでもないこといってるね。最近だと受験会場厳しくて妨害電波とかデフォだから結局、意味ないよ」
「オンラインじゃない機器を止めるほどのは無理でしょ」
「健全な女子高生の会話じゃないよ」
「これは完全な世間話だしインプラントなんてキモいしね。これくらい話さないとマジでおかしくなるよ」
雑談を切り上げて、食事を済ませる。
待ちゆく人々は旅行客のほうが地元の人より多く歩き、まるで異国に来たような景色が続く。
アクロスに入ろうと思ったら雑踏の中、あのタバコの甘い香り。
マミを見た気がした。
授業が終わる。
ニナもエリも方向は違う。あの二人は電車で先に帰った。
私は全員が帰ったあと、借りていた教室すべてを点検し、課題のプリントや余分なものを片付け、一応の簡単な清掃もする。
バツン、とビル全体の明かりが消えて赤い非常灯の最低限の明かりだけ灯る。
遠くでサイレンが鳴る。赤いライトが夜のビルの輪郭を薄っすらと照らした。
窓の外はオフィスビルの明かりも消え、墓標のようなビルが並んでいた。
教室として借りていた会議室のセキュリティカードを使って締め、裏口に向かう。暗すぎるので携帯端末のライトも付ける。
「最初から最後まで箱ばっかりだな」
機械の箱のなかで眠っていたウミを思い出した。
携帯端末を開くと近くでボヤ騒ぎ…⋯推定連続不審火事件があったようだ。
即座に場所を調べる。中央区のライブハウスだ。
アクロスを出ると新しいアザが出来たマミがいる。
「たすけてよ、正義の味方さん」
前と違った、泣きそうな声で
「幽霊が火をつけているんだよ、多分、私を殺し損なった、おばけが」
私に助けを求めてきた。