RUIN After 09
デジタルの世界を初めて意識したとき、それは自分が普段から意識している自分と他の明確な断絶と同じだった。
ある、ない、ゼロとイチで構築された世界は、その連続と言語でデジタルの世界を構築していく。
絶対に交わることのないどこまでも混じり合わないmono同士が隣接して世界を織りなしていく。
それと同じような感覚を私、戸川朱美は他者と自分を幼少期にはっきりと意識した。
初めてウミとあったとき、私はまだ言葉が話せるかどうかも怪しい子供の頃だったけど、初めて彼女を見たとき私は人見知りでもしないのに泣き出した。
子供の頃のことなんて普通は朧気なものだろう。
だけど、ろくに歩けたかどうかわからない私は、ウミを見て自分より愛されるべき存在がこの世に存在すること、自分は彼女以上に愛されないことを本能的に知って泣いたのだと、今、思っている。それを意識したとき世界から私は愛される選択肢にも優先順位があり、私は一番ではない。いきなり大人の世界に放り込まれた気分になって理解できなくて泣き出した。
自分より小さくて可愛い存在がいて、それを自分より大切にしたいと同時に、自分はこのような生き物にはなれない、この生き物は私とはまるで違うものだ。
だから、自分が壁になって守らなくてはいけない。
人生で初めての衝動。
自分の従姉妹を唯一無二の宝石のような輝けるものだと、認識した。
この世界のあらゆる残酷から彼女を守ることが自分のなすべきことだ。
ウミはいま、以上に輝けばいい。
燃え上がる太陽のような熱が自分の中にあることを幼い私は自覚した。
彼女がそれだけ眩しいから、自分は白けてしまう。
ああ、私はウミにはなれない。その程度の存在で彼女と交わらないけど、そばにいることは許されたい。
どこまで行っても交わらない。
もっともそれを言語化出来るのは現在であって、その強烈な思い込みは幻想かもしれないと思うことはある。
朝五時の早めの朝食の、カラフルなジャムを食す死んだ魚のような目をしたウミの顔を見れば、それはそれでよい幻想なのかもしれない、と私は考えた。
当時の輝きとは違うすぐに壊れそうな妖しさを増した黒真珠のような瞳。
「ジロジロ見るな、気持ち悪い」
相変わらずの罵倒が華奢で綺麗な声で耳介を通して快楽信号に変換されて脳に響く。まるで聴く麻薬だ。
「いや、ウミは可愛いなあって」
「それは朱美が僕を愛してくれるからだろ」
野良猫のようなそっけなさでいう。
口説き文句でも真摯な思いで言ったものでも意味合いの深さが違っても構わないが、その言葉は今の私の生きる糧として美味しく食パンをなにもつけずにいただけるものだった。
「コーヒー、ブラックのままだぞ」
「カワイイオカズがあれば何でも美味しくいただけるのです」
「相変わらずよくわからない変態だな」
呆れたような左右非対称の少し困ったような顔をしながらウミは言った。
サンダ塾 進路相談室
「祠堂先生、先日は無断欠席して申し訳ありません」
普段のゴスロリ的装飾はない、普通の制服姿であまり整えられていない髪型で少しやつれた宮地エリは普段より低いテンションで話し出す。
「宮地さん、提出された資料と事件のことは報道で知りました。お疲れ様です」
ウミは祠堂ハルという20代後半の女性のアバターをメインに活用してモニター越しに授業や進路指導をしている。そのアバターは適当に作ったものではなく……実在のモデルの流用。遠隔地のため探りを入れるやつはよほどのやつだけだろう、という名目で、そのままどこかの学校の教師の物を利用している。
実在の学校の教師がモデルなのだから、親しみやすさが既存の予備校のサンプルより人間味があって好印象なガワだろう、という理由から選ばれた。
「不幸な事件だとは思うし、経済的なものはしかたないけど、この予備校を続けることも進路のことの親御さんと相談すべきです。けれど事前に頂いた今期分の授業は受けたほうがいいわ。どれだけ過酷でも知識はあなたを裏切らないし、守る武器にもなるのだから」
「ありがとうございます。祠堂先生」
「まあ、ほら、私みたいに能力が限られている人間でも勉強すればなんとか仕事にありつけるから頑張ることは無駄じゃないわ」
少しだけ宮地エリの顔が明るくなる。
「でも、何か勉強や事件以外で何か悩みがありそうだけど、よかったら聴くだけでも出来るわ」
優しい口調で安心感をもたらす――教会の告解を促す司祭を思わせる口調で祠堂ハルの皮の中から、ウミはそっと優しく親身に話し出す。
普段、友人や学校の教師と違う、生活のジャンルの境界が違うこの先生になら話しても大きなトラブルに繋がらない、所詮遠隔地から話している防音のこの部屋の音は漏れないだろうという事実が宮地エリのストレスを吐き出すスイッチになっている。うっすらと漂うカモミールやラベンダーのリラックス効果を促す植物も部屋の隅のプランターで息を潜めている。それはさらに彼女から自然な言葉を出させるために意図的に配置してある。
「……火事が起きてから、怖いんです」
「怖い?」
「はい、多分、私は何も悪いことはしていないと思いたいんです。一生懸命勉強して今の家からでていけたらな、と思っているのは事実です。でも、それは表っツラでは都会に行きたい、向こうでそういう洒落た生活をしたいなんていうふうにいっていますけど、本当は、家族が嫌だからです。あ、あの、これ、親には言わないでください」
「勿論よ……守秘義務も個人のプライバシーも将来の夢見る生活も生徒のことを一番に尊重しますから」
換気の乾いた空気が宮地エリの普段よりじわりとした汗を乾かす。緊張が少しほぐれる。
「ありがとうございます。父も母も別に悪人や毒親ってわけじゃないんです。多分、他の親と比べてもフツーに優しいですし、私の趣味に口は出さないんです。この予備校に入って上京したいということもうっすら伝わっていると思っているんです。でも……」
少し詰まる。
「続けていいわ、どうぞ」
「はい、ミカとジュン⋯妹や弟は私と違って気性が激しくて……」
宮池は一度、息を呑んで、続けた。
「私、見たんです、妹が、ミカが携帯端末でジュンと一緒に見ている動画で笑っていたのを。最初はアニメとか芸人とか配信かと思ったんだけど違ったんです。ミカと同じ学校の制服を着た女の子に水をかけたり暴行したりする動画で、それは明らかに妹が撮影しているんです。そのイジメられているその子の物を窓から投げ捨てたりして馬鹿みたいに笑うんです。それを注意したら二人に殴られました」
「そのことはご両親に」
「いえるわけないじゃないですか。私のお腹を何度も殴って余計なこというんじゃないって年下二人に脅されているなんて誰にもいえないですよ、もう、どうしたらいいかわからなくて……ニナにも言えないんです。この予備校にいることだって家にいたくないからです。もう帰りたくないんです。悪いことは全部私のせいにされて、いまのホテルの生活も一緒の部屋で息ができなくなるんですよ。親が帰るまでミカやジュンと一緒にいたくないんです」
「私に出来ることはすくないけど名目上、授業を増やします。補講という形で。別に実際に勉強はしなくてもいいからこの部屋や休憩室で自由に過ごしてもらっても大丈夫よ」
「ありがとうございます。でも、本当に怖いのは……私の家に火をつけたのがそのイジメられていた彼女なら……ミカだけにしてくれればいいのに……なんで私の家まで……」
「あなたは妹さんが本当にいじめをしていたと思うの」
「信じたくありません。でも、友人たちのせいか分からないけど、ここ1年ほどずっとおかしいんです。チョット前のミカと人が変わったみたいで、まるで火がついたみたいに親がいないところで私に対して暴力を振るうんです。……全然信用出来ないんです。暴力を振るうこともなかった、可愛かったのに。ミカも怖いし、ジュンも怖い」
塾がなくて家じゃなくてあえてニナと一緒にファーストフードに学生があるいてはいけない時間まで過ごそうとしていた理由か、と祠堂の外郭の中でウミは推測した。
「私は進路相談と受講生のケアも兼ねているわけですけど私があなたの過程を解決する手段は現状では難しいけど命の危険を感じたらすぐに児童相談所に連絡することしかいえない。でもそれはーー」
宮池エリはギュッと歯を食いしばり唇を固く締める。
「今の生活、なくなってしまいますからね。逃げることもできなくなっちゃう。もう、私疲れました」
この内容を迂闊に携帯端末に相談すればAIが即座に児童相談所や警察に通報する。それでは今の生活はより悪化するだけというのを二人は分かっている。
「そう、解決する方法は内側からじゃあ難しいわね。じゃあ私がちょっと外側から壊してあげるからしばらく待っていていてね。ああ、それともし素行が悪いとか学校のレポートで書かれそうならこちらから十分な学習をしていますと学校には連絡しておくわ」
すこしだけ、宮池エリの顔に安堵が戻った。
サンダ塾の講義が終わり、自習時間を大幅に超えて自習室に残るのは宮池エリと伊藤ニナ、戸川朱美。
三人は談笑しつつもニナと朱美はなんとなくエリのストレスが軽減されたような顔を見るもそこに詳しく言及しないだけの気遣いはあった。
夜、駅前までの僅かな距離を三人で歩く。
そんな少しだけ緊張の解けた談笑ハメの前を歩く人物で唐突に終わる。
「あ、姉貴」
宮池エリに似た顔をした思春期特有の尖らせたような表情と人を舐めたような顔をした少女が駅の手前で現れた。
宮池ミカという名は知らなくても朱美はなんとなく居心地の悪くなったエリの気分を読み取った。
「み、ミカ、今帰りなの。遅いじゃない」
やや震える声でエリは言葉を紡ぐ。
「別にどうでもいいだろそんなこと。お前私にダラダラと叱りつける理由があるってのかよ」
姉を完全に小馬鹿にしたというのが伝わる喋り方をしていた。
「おい、やめろよそういう態度は」
ニナが口走る。
「あー見つけたー、あんたがブーシュヤンスターを邪魔するパールースィーかあ。なんか面倒なんで仕事前にさっさと終わらせるね」
間延びした初めて聞く大人の女の声。
夜の店から飛び出したような派手な血のような赤いドレスが似合う、やや浅黒い肌、染め上げた金髪、手には酒のボトルを持っている。
酔っ払いだろうか、と朱美は推測したが、それはすぐに間違いだと後悔した。
血の複雑さを思わせるスタイルの良さと深い顔立ち、体型をそのまま夜に浮かび上がらせる着こなし。
赤く濡れた媚びが漂う濡れた声で、
「じゃあね、燃えて」
夜に慣れた目が、光で麻痺をする
その、手元に、隠れていた酒瓶の先には火。
放物線を描いて、ミカの前に落ちてくる。
「は?」
間抜けた声を上げたミカを思い切って朱美は蹴り飛ばす。
瞬時に炎が舞い上がるーー酒に偽装した火炎瓶だった。
ミカのいた場所は瞬時に燃え上がり呆けた顔をする。
「あらすごい、じゃあね」
あの濡れた声が囁くように聞こえた。
目がチカチカする状態で朱美は火炎瓶を投げた女を探すがもう見当たらない。
消防車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。
面倒なことになったな、と朱美は目の前の割れた瓶と炎を見つめながら、勉強で糖分不足になった脳でのこの襲撃で疲労困憊だった。
パトカーの中ので意識を失った。




