閑話ーagniー
であい橋の下、ぼわっと輝く海。丑三つ刻を超えた眠れない夜。
夜光虫が気候変動か気まぐれか深夜の人口の明かりの減った黒い海に蒼い彩りを加える。
その夜光虫の流れるの水平線の向こうで、ぼわりと不知火が見える。
寒暖差の激しさと気圧のぶつかり合いと気象以上で普段は見難い蜃気楼と同じ理屈で発生した不知火はまるで光の道としてマミの世界に写っていた。
「神様かな」
左右の手を軽く握って親指と人差し指をしっかり立ててフレームを作り、心でシャッターを切る。
カメラはない。
手を握り込んで、苛立ちで足元のコンクリートの破片を蹴り飛ばす。
光の道は崩れて、ゆっくりと戻っていく。
携帯端末を開く。
しかたなく撮りたい画角で一応の写真を端末付属のカメラで撮影して結果を見てため息をついてその場でうずくまる。
「最悪」
マミは汗でベッタリしてきた服が気持ち悪くなってきたな、という感覚と今の自分の不満をまとめて一言で吐き出す。
有線のイヤフォンを繋げ、端末の別のアプリを起動する。
ログインするとぼわっとデジタルの世界でランダムに動く規則性のない現実の炎を模した灯りが映る。チリチリと神を焼くような音が広がり立体的な炎の音が広がる。
そこからFirestaterと文字が広がり、著作権がとうに切れてはいるが野良アプリゆえ製作者の趣味でDoorsのLight My Fireの加工された……デジタルライブラリに存在しない当時のファンが勝手に録音したライブ音源を元に加工した揺れるようなサウンドが炎の映像に合わせて小さな画面から酩酊感を煽っていくデジタルドラッグでもある。
網膜に炎が照らされマミの瞳は赤く光を反射する。
朝と夜、毎日ログインしているそのアプリはコミュニケーションツールでもあった。
小規模なグループ専用のアプリであり、基本システムの脱獄前提で使われる野良ツールであり暗号化された情報を基本回線の裏側でやりとりしており、端末と本人認証のパスキー以外で動作しないものではあるがそのシステム自体にマミにとっては興味はなく、ある場所で拾ってからログインしただけにすぎない。
ヴェンディダードと名付けられた部屋に入る。
そこで彼女はブーシュヤンスターと名付けられていた。
ループしていくデジタルドラッグサウンドの中から加工された声が聞こえる。男か女かもわからない音程が不安定で言語として成り立つかどうかの瀬戸際の音が酩酊状態の脳に書き込まれるように響く。
「ブーシュヤンスター、悪い子よ、今日もまたここで眠るかい」
「はい、みなさまの話は私には理解し難いことばかりでーーもうどこでもいいからゆっくり休みたいです」
従順な信者のように、冷たいコンクリートが柔肌を傷つけるのも構わずその場で正座をして座り込み端末を抱きしめるようにしてポツポツと呟く。
「誰にも見つからない場所でゆっくり休むが良い。特に穏やかな日々に変化はないか」
「はい、とくにありません。神様が私の望みを叶えてくれたから恩返しをしたいと思っています」
「あれはアストー・ウィーザードゥが行っただけだ。私ではない。この場にいるから礼をいいなさい」
炎が揺れる画面の中にいくつもの席がありそのうち幾つがオンライン状態でこの場に召喚されていることがわかる。
アストー・ウィーザードゥの方向から声がする
「いえ、私は失敗ですよ。せっかく事故死するはずだったのに燃えただけ。これでは恥を晒すだけです。追々処理していきますのでブーシュヤンスターが落ち着いて眠れる世界を作りますよ」
「ありがとうございます。アストー・ウィーザードゥ様。私に何かできることはありますか」
「いいや君はただ君が安心して眠れるための障害を私たちに報告してくれるだけでいい。それで世界は少しずつ改善されていくのだから」
「神様、ありがとうございます」
それでも、と言いだそうとしてブーシュヤンスターはマミとしての意識がするりと出てきて心の底に溜まった膿のような感覚が言語化できず気持ち悪くなる。
「神様、今日は疲れたのでここで休ませてもらいます」
「ああ、今はゆっくりおやすみ、私の可愛いブーシュヤンスター」
「おやすみなさい、蛇の神様」
その場で蹲り、マミは瞳を閉じる。
古代の楽器を思わせる不可思議な音がデジタルで加工された原初の鼓動を揺らすサウンドが耳をずっと鳴らし続ける。
いくつもの言語が練り込まれた音が彼女の精神の隙間に浸透していく。
蛇がぬるりと彼女の精神を汚染していった。




