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第41話 「迷いの森」06

「あーあ、まさかお部屋ごと燃やされちゃうと思わなかった!」


 カスタードクリームのような色の髪を揺らす少女未満の女児は、遠くから『白紙の魔道書』とおまけのふたりを眺めていた。その表情は不服そうなわけでもなく、実に楽しそうだ。

 しかしその目に宿るのは無邪気故の暴虐。

 そう、あの妙な森を作り上げた張本人だった。リボンのカチューシャで飾った頭にエプロンドレスという姿は愛らしい人形そのものだというのに。


「おう、ここにいたかリリィ」


 ひらひらと手を振り、何も無い空間から突然現れた緑がかった黒髪の男――ショーンはへらりと笑う。

 リリィと呼ばれた女児がショーンを見つけると嬉しそうに駆けよった。そしてショーンのみぞおちに突っ込む勢いで飛びかかる。


「おふっ」

「うん! さっきまで遊んでたんだ! ほら、ショーンが言ってた、おっきい赤い髪の『白紙』!」


 きゃいきゃいと楽しそうに笑い――

「おかあさんヤギをパンチでやっつけた」

「おまけのニンゲンをいろんな子たちでおいまわした」

「子どものヤギをいっぱいおどらせた」

「おもちゃお部屋ごと火で燃やされちゃった」

――など無邪気に話す。


 その様子にショーンはにたにたといやらし笑みを浮かべる。


「リリィ、楽しかったか?」


 子どもへの何気ない問いかけであるがそれは文言だけである。その言葉の裏にあるものはあまりにも悪意があふれている。

 リリィは目を細め、笑う。


「うん、とっても楽しかった! こんどは一緒に遊びたいな!」


 リリィの返事に満足げな顔をしたショーンは、彼女を抱き上げて肩車をする。まるで親子のようなやりとりをしながら、その場を去っていった。





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「ワインの代わり、助かった」

「いえいえ。随分良いワインだったみたいですから、換えになる物があって良かったです」


 街の小さな酒屋で、クラウディオは無事ワインを手に入れた。代金を払うパベーダがしおしおの萎びレタスにまたなっていた様子であったことは見なかったことにする。

 とぼとぼと財布をしまうパベーダにほんの少し申し訳ない気分になったが、こちらも雇い主が用意したワインを駄目にされたのだ。彼女の面目上、これは仕方のないことなのだ、としかいえない。


「これで月乃に叱られないで済むな」


 ホッとしていると、パベーダが顔を青くしてガタガタと震えだした。何事かと思って彼を見れば、口元を押さえ「ツキノって、まさか月乃司書……?」と声を漏らしていた。


「俺の上司だ。顔見知りなのか?」


 そう問うた途端、パベーダはぶるんぶるんと頬肉が飛んでいくのではないかと思うくらい勢いよく首を横に振った。

 そして何やら「『魔道書』で月乃司書の部下……?」「もしかして今朝皆が見てた回覧の?」とブツブツ呟いている。

 様子のおかしさにクラウディオが声をかけると信じられないものを見るかのような視線を、パベーダは向けてきた。


「あ、あの……数年前に突然『図書館』に乗り込んで来て、精鋭司書の中隊をけちょんけちょんにしたっていう『蒐集の魔女』……?」


 パベーダの言葉にクラウディオは思わず額に手をやった。もともと彼女を世の常識的範疇ではかるのは間違いではあるとは思っている。

 月乃にあったことのないパベーダが吹き込まれたこの話がすべて本当とは限らないが、事実は混じっているだろう。

 それを加味して思った。


――何をやっているんだ、あいつは……


 図書館の中隊相手に交戦したのはおそらく間違いない。そんなことをしたなら目の敵にする者は出てくるだろう。

 月乃のトンデモエピソードに眉間の皺を伸ばし、クラウディオは溜息をついた。

 パベーダの方はというと真っ青になって自分がしでかしたことを後悔しているらしい。クラウディオはまだ新人であろう彼をいびるつもりはなかった。

 肩をぽん、と叩きなるべく優しく言葉をかける。


「今日のことは俺は何も知らないし、お前も何も見ていない。ワインは俺がうっかり割ってしまった、それだけだ」


 パベーダは一瞬涙ぐみそうになってからなんども首を縦に振った。クラウディオは「図書館」を含めて厄介事はなかったことにしたかった。

 ルリのほうも見て、財布の中から高額紙幣を持たせる。


「食事代は本当に悪かった。これで足りるか?」

「えっ、あ、これ多いですよ?!」


 慌てるルリの横からさらに高額紙幣が一枚差し出される。申し訳なさそうなパベーダからだった。


「オレからも……オレの早とちりで迷惑かけちゃったから……」

「頭突きされた顎も心配だ。何かあったらこいつに言ってくれ。俺は住まいが少し離れているから」


 クラウディオは一応、連絡先をパベーダに渡しておく。メモ紙をそろりそろりと丁重にポケットにしまうパベーダの様子に、月乃の評判の一端を見た気がした。


「ルリさん、パトロールの時に会いにいくから、もし怪我が酷くなったり長引くようだったら言って」

「それと、今日のことは黙っていて欲しい。頼む」

「かまわない、ですけど……」


 ルリは恐ろしい思いこそしたが、顎以外は服が多少汚れただけである。小山のようなふたりからの頼みにを退けるほど、怒りに支配されてもいなかった。

 クラウディオはルリの承諾に肩を降ろす。なにせ査問会を開かれた直後に月乃のいない場所で勝手に能力を使ったのだ。何を言われるか分かったものではない。

 こうしてようやく片がつき、クラウディオは当初の目的通り、正人と定家の家に向かうことができるのだった。







 クラウディオが目的地に到着したのは五時を過ぎた頃だった。

 自分が月乃と住まう家ともまた違った趣の一軒家が、正人と定家の居住らしい。ベルを鳴らせば家の中からバタバタと足音が聞こえた。


「おう、いらっしゃーい。遅かったじゃん」

「途中色々あってな」


 出てきたのは意外なことに定家だった。私服らしいコミカルな表情が描かれたシャツにデニムは休日の寛いだ姿である。

 クラウディオは持ってきたパイをはじめとする焼き物と、買い直したワインを差し出した。


「お、すっげー。うまそうじゃん。さんきゅー」


 ほくほくとバスケットの中身とワインを確認する定家に促されて家に足を踏み入れる。そういえば彼が見当たらない。


「正人の方はどうした?」


 ワインを冷蔵庫に入れた定家が、行儀悪くバスケットの中身をひとつ取り出して口に運ぶ。「ああ」と部屋の外を指さし、口に含んだそれをもぐもぐと頬をいっぱいにしながら肯いた。


「まだ今寝てるよー。寝たのが遅かったからさぁ」

「そうか」


 それだけ言うと特に深く考えるでもなく返事をする。

 目的は果たしたし、家に帰るかと思ったところでクラウディオは定家に肩に腕をまわしてグイ、と引き寄せた。


「ところでクラウディオ」

「……なんだ?」

「お前月乃に何かしたろ?」


 怒っている様子はない。相変わらずの締まりのない笑顔である。そうなるとどういうことだろう、と首を捻ることになった。


「忘れたのか? 俺様だって『魔女』だって言ったろ?」


 と、定家は小指を立ててみせる。

 思い出したのは彼がしていた月乃との指きりの約束だった。


「まーあ? 様子からするとヤバイことではなかったみたいだし良いとして、ちょっとくわしい話し聞かせてももらおうじゃん?」


 定家は帰さぬと言わんばかりにクラウディオを見つめる。


「まあ、話聞かせてよ。酒もツマミもあるんだ。いくらでも語れるぜ?」


 今日と明日の月乃の食事の料理を用意していないことに断ろうとしたが、どうにも逃がす気はないらしい。

 クラウディオは小さく溜息をつき、月乃に連絡を取る。

 クラウディオが月乃に連絡した後、酒盛りに発展することになる。そして起きてきた正人も巻き込んで、ここ一か月や査問会後に何かあった吐かされることとなる。

 おかげで月乃にひん剥かれかけたことがバレかけたのはまた別の話である。




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「壊れた……」

 パベーダは例の「魔道書探知」の魔道具を見ていた。

 コンパスに似たそれは、パベーダの「魔道書」を前にしてぐるぐると激しく針が回転している。

 事前の説明ではすでに支配された名前入りの「魔道書」には左右に振れるが激しく回転はしないとのことだった。

 それがこれである。

 この探知魔道具の針が激しく回転したため、パベーダはクラウディオを野良「魔道書」と判断して行動したのだが――彼が「蒐集の魔女」の部下だと聞いたとき、血の気が引いた。万一のことを考え、代わりのワインを購入していた際、確認をしたらクラウディオに対して激しい反応をしなくなっていた。

 おかしいと思い、自室に帰ってから自分の「魔道書」を使って確認したのだが……

 今度はぐるぐると針が回り始めたものだからパベーダは焦っていた。

 壊れたのか、元からポンコツだったのか……どちらかはわからないが、パベーダは溜息をついた。

 今日起きた事実を胸にしまい、日報を書きしたためるのだった。

週末更新を予定しています。

よろしくお願いします。

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