二人のアリス①
圧倒……される。
無数の星を従えた巨大な月を背負い、なおも荘厳。いや、かつては荘厳だった名残が随所に見受けられる。
崩れかけの古城。赤の城ヴェーレンだ。
「ようやく見つけました」
タイガーリリーが強い瞳で古城を睨む。
歳月を重ねた七つの塔には緑の蔦が蔓延り、塔と塔とを結ぶ微細な意匠を凝らした空中通路はヒビ割れている。しかし塔に囲まれて建つ王宮は、侵入者であるぼくらを拒絶するかのように冷たく、そして重々しい。
「城というより、まるで遺跡か廃墟ね」
レイクスが王宮を見上げて呟く。
長年の風雨に外壁はすでに剥がれ落ち、這うように蔓延る蔦が塔も王宮も見境なく呑み込もうとしている。荒れ放題の中庭には大樹がいくつも立っていて、まるで人の営みというものが見えてこない。建てられていたであろう銅像も、今や倒れて草むらのなかだ。
本当にいるのか……?
ぼくの懸念にこたえるように、白の女王タイガーリリーが静かに囁いた。
「先日の偵察の際に、各塔最上階にトランプ兵の見張りを見ました」
落ち着かない白馬の首を白い手で撫で、タイガーリリーは言葉を続けた。
「ヴェーレンの外壁は崩れ、城門はすでに存在していません。ですが、今夜はやけに月が存在を主張しています。隠密行動はここが限界でしょう」
明るすぎる。それはぼくらも思っていたことだ。最後にキャンプを取った緑の山から赤の城までは、わずかな距離ではあるが草原が存在する。
身は隠せない。
「では、予定通り作戦を開始します。ご武運を」
レイクスとぼく、そして隊長たちが同時にうなずく。
翼を収めたユニコーンの上で、リリーがリラックスした笑顔を見せ、一度だけ深くうなずいた。
そうして表情を引き締め、豊かな胸を大きく反らす。
直後、彼女の透き通る声が、草を薙ぐほどの声量で草原を駆け抜けた。
「白の城スノードロップの勇敢なる騎士たちよッ、鬨の声を上げよッ!! 罪深きリデルと多頭竜に、やすらかなる眠りの夜を一時たりとも与えるなッ!! 如何なる悪をも喰い破る誇り高きその牙で、不思議の国に平穏を取り戻せッ!!」
とたんに身体の熱量が上昇する。
タイガーリリーの獰猛なる檄に引きずられ、騎士たちの顔つきが戦う獣のものへと変化してゆく。
「――白の騎士団、突撃ッ!!」
最初に、ぼくらと一緒にいた各隊長たちが雄叫びを上げながら走り出した。
槍騎士の隊長には百の槍騎士隊が続き、剣士の隊長には背後の大集団から抜け出した六百の剣士隊が続き、彼らを護衛するように左右から追い抜いて百の騎馬隊が草原を先行した。二百の遠距離射撃隊は一斉に矢を番え、ゆっくりと進軍する。
集団行動に一切の乱れはない。デタラメに交差して動いたように見えても、自分の部隊を見失うようなマヌケは一人もいなかった。
「ギイチ。わたしが行くまで死ぬんじゃないわよ」
レイクスに肩を拳で叩かれて、ぼくはうなずく。
タイガーリリーが馬上からレイクスに手を差し伸べる。
「レイクスはわたくしの背に、ギイチ様は――」
レイクスがユニコーンに跳び乗るよりも、タイガーリリーの言葉が終わるよりも早く、ぼくの身体は動き出していた。これまでの人生で上げたこともないような大声を腹から出して、ぼくは剣士隊を追って走り出す。
血が、滾る……!
先発の騎馬隊がヴェーレンの城門を超えた瞬間、七つの塔からトランプ兵があふれ出す。一瞬の戸惑いも見せずに、トランプ兵たちは騎馬隊へと襲いかかった。
騎馬隊とトランプ兵の波が正面から衝突し、白と鉄の悲鳴が赤く染まって空を舞った。それをかいくぐり、槍騎士隊の先頭がトランプ兵の壁へと突進する。
死を恐れるものがいないことが、ぼくには恐ろしい。なのに。
次々とぶつかるトランプ兵と騎士団。鉄の音と悲鳴があたりに響いても、騎士団の足は止まらない。身を削りながら王宮を目指し、騎士団の倍以上はいようかというトランプ兵の集団を中央から勢いに任せて穿ってゆく。
先頭を駆けていた騎士が、分厚いトランプ兵たちのラインに当たって弾かれたように吹っ飛ばされ、真っ赤な雫を撒き散らしながら大地に落ちた。だが次の騎士がトランプ兵を槍で貫き踏み越える。その騎士の胸に剣が突き刺さった頃には、また次の騎士が。
動かなくなった幾人もの騎士を跳び越えて、ぼくは走る。
気がつけば、鎧を着ていない身軽なぼくは、多くの騎士を追い抜いて剣士隊の先頭にまで踊り出していた。
だけど、迷いはない。
「キティ! 戦線をこじ開けるッ!!」
黒衣の少女が視界の隅に出現する。
――イエス、マイ・マスター。
言葉も、思うことすらも必要ない。驚くべきことに、この世界での人工知能【悪戯仔猫】はすでに自律した一個の生物だ。
お伽噺の魔女のような黒衣の袖を振って、キティが雨を降らせるように、トランプ兵の先陣へと無数の日本刀を降らせた。鎧の継ぎ目に刃を通されたトランプ兵が、一斉に動きを止める。
「オオオオオォォォォーーーーーーーーーーーー!」
ぼくは大地に突き刺さった一振りを手にとって両手でつかみ、先頭のスペード兵の胸部へと叩きつけた。
轟音と火花が散った直後、スペード兵がパーツに分かれて吹っ飛んでゆく。
黒衣の少女が視界の隅で両腕を振った。
折れ曲がった日本刀を投げ捨てたぼくの掌に、アリス・リデルが使っていたものと同じ大曲刀が転送される。
重量感でよろめきながらも、あわてて両手でつかんで体勢を立て直す。
動きが鈍ったぼくへと、トランプ兵たちが一斉に飛びかかってきた。
「ンのぉ~~~!」
重量級の武器に腕の力だけでは操れず、ぼくは全身をひねり込むようにして下半身からの力を徐々に上半身へと回し、強引に数体のトランプ兵へと振り払う。
「~~~~~ッらァァっ!!」
凄まじい音がして、三体のトランプ兵たちがバラバラになって吹っ飛んだ。両腕の筋肉が軋む。
だけど、戦線はこじ開けた!
「進めッ、進めーーーーッ!!」
白の騎士団の誰かが叫び、ぼくを追い抜いて空いたスペースへと一斉に突撃する。白の騎士たちは犠牲を払いながらも、次々とトランプ兵の防衛ラインを突破してゆく。
「行け行け行け行けぇぇぇーーーーーーーーーーーッ!!」
押してる――!
王宮の入口まで、あと半分。あそこにリデルがいる。
重すぎる大曲刀を捨てて大地に刺さったショートソードを手に取り、騎士の胸部を錆びたロングソードで貫いたクローバー兵へと投げて突き刺す。
命が、消えてゆく。
黒衣の少女が右手を薙ぐ。
ぼくは、絶命しつつある騎士の横を走り抜け様に袖口から日本刀を滑り出させ、指先で鍔を引っかけて柄をつかんだ。
黒衣の少女が左手を薙いだ。
「――ッ!」
全方位からぼくへと襲いかかった五体のトランプ兵たちへと、空中に出現した多数の刃が一斉に突き刺さり、一体残らずその動きを止めた。
「――シッ!」
全身を回転させながら日本刀を振り、刃先で胸部を軽く引っ掻く。
五体のトランプ兵がパーツごとに分かれて足元に崩れ落ちた瞬間、白の騎士たちがそれを踏み越える。
助かった、キティ!
――……。
ぼくを追い抜いた騎士団を護るように、キティは両手を振る。どうやら騎士団を護ることが、ぼくを護ることになると計算したようだ。
黒衣の少女はすでにぼくの言葉にすらこたえず、自らの処理能力を限界まで高め、ただひたすらにその両手を振り続けている。
武器を失った騎士に新たな武器を与え、背後に忍び寄る影に気づかぬ騎士の周囲に剣雨を降らせ、電子の魔女は踊り続ける。
「ハァ、ハァ……」
前方、先行して囲まれた騎馬隊は残り五割。剣士隊の死傷者数も、すでに二〇〇は超えている。突撃を開始してわずか三分でこれだ。
だけど、王宮はもう目前だ。
傷つけることすら難しいダイヤ兵を棍棒で盾ごと吹っ飛ばし、その背後のハート兵の胸部を絶妙のタイミングで転送された三つ叉の槍で貫く。穂先の欠けた三つ叉の槍から手を放し、阿吽の呼吸で、キティが再びぼくの袖口から日本刀を滑り出させた。
「くっ!!」
振り下ろされる錆びたロングソードをかろうじて受け流した瞬間、体勢を崩したスペード兵の胸部へと、紋章の施された白銀の剣が突き刺さる。
「ハッ!!」
隣に視線をやると、剣士隊の隊長がいた。
「ギイチ殿、出すぎだ! あなたは切り札、剣士隊の中央部にいて支援に徹してください!」
気づけば、また最前線に立っていた。重い鎧を装着した騎士よりも身軽な金属糸のパーカー姿のぼくは、どうしても先行しがちとなってしまう。
すでに剣士隊ではなく、先行する騎馬隊や槍騎士隊に近い位置だ。
「ご、ごめん」
王宮入り口までは残り五十メートルといったところだ。けど、七つの塔から無数に湧き続けるトランプ兵の勢いに比べ、進軍速度はあきらかに遅くなっている。
ここで勢いを止めてしまって、突破できるのか?
隊長がスペード兵を蹴ってハート兵を貫き、再び叫んだ。
「協力には感謝する! あなたのおかげで圧倒的不利な状況にもかかわらず、ここまで来られた! だが、ここは我々に任せて下がってください!」
こうしている間にも、次々と剣士隊の数は減っている。騎馬隊は残り三十を切った。
こんなことでジャヴァウォック出現まで遠距離射撃部隊を温存できるのか。
「これは我ら白の城スノードロップと赤の城ヴェーレンとの戦い! あなたが生命を落とす道理はない!」
剣戟のなか、誰かの悲鳴が谺して、戦場に血風が吹き荒れる。
「違う……これじゃ、いつもと一緒じゃないか……」
「え――」
ぼくは日本刀でスペード兵を切り伏せ、そいつのカトラスを隊長の背後に忍び寄っていたハート兵の胸部へと投げつけた。
「邪魔するなよっ!!」
ハートマークは外したけれど、隊長が敵の存在に気づいてふり返り、白銀の剣を正確にハート兵の胸部へと突き刺す。
ぼくは振り下ろされたスペード兵のカトラスを刃で滑らせながら、それを斬る動作へと連動させ、スペード兵の胸部を両断した。
「ギイチ殿!」
背後から忍び寄った攻撃を、すかさず隊長が防いでくれた。一秒と空けずに、キティが槍の雨でトランプ兵を串刺しにする。
敵の圧力が上がっている。
「ぼくが前に立てば、それだけ犠牲が防げる」
いつの間にかトランプ兵に押し戻され、進軍は止まっていた。
「ダメだ下がってくださいッ!! タイガーリリーの命令は絶対ですッ!!」
トランプ兵の数に囲まれて、騎士たちが次々と撃破されている。こんなところで押し問答をしている場合じゃない。キティがいなければ、ぼくらだってもう穴だらけだ。
このままじゃ勝てないどころか王宮までたどり着けない。こんなことをしている間にも、血飛沫とともに犠牲者は増え続けている。
「お早く!」
ぼくは隊長の言葉を無視して、苛立ち紛れに武器を振るう。
「ギイチ殿! わからないのか!? あなたが殺されたら本当に終わりなんです!」
「あああもうううう! 横からごちゃごちゃうるっっさいよッ!! リリーの命令なんて知るもんかッ!! 最初っからぼくは騎士団の人間じゃないッ!!」
突き崩せない盾を持つダイヤ兵から二人して距離を取り、追って来たスペード兵を解体する。
隊長が兜をかなぐり捨てて、ついにキレた。
「ワガママもいい加減にしろよ、少年!」
「ぼくは武器を出すくらいしかできない! ぼく以外の全員が犠牲になって王宮に辿り着けたって、出した武器を扱うやつらがいなくなっちゃ意味がねえだろうが!」
たぶん、人生に於いてこんな口の利き方をしたのは初めてのことだ。戦場の高揚と生命の危機、無数の犠牲が、ぼくの口を軽くした。
「それともなにか? 命令守って全滅することが騎士の誉れか! ご主人様がいなきゃ、自分から動くこともできねーのかよ! カッコ悪いなぁ、騎士ってのは! ちょっとは自分で考えて……自分から行動しろよ…………」
ボロカス言った言葉の大半は、少し前の自分に対してだ。
言われたことしかしない。自分からは動かず、誰かが誘いに来てくれるのを待ってばかりいる。そのくせ自分の悪い部分を省みようとしない。弱さを認めるだけの強さもない。
ぼくだって嫌だよ。こんなタイプと関わるのは。
この隊長は遙かに立派だ。誰一人として逃げ出す者のいない剣士隊を引き連れて、孤立してまでリリーの指示を守り、単独でぼくを助けに来てくれたのだから。
みっともなく八つ当たりなんかして、格好悪いのはぼくだ。
剣雨を降らせ、退路を失って無言で防戦一方となったぼくらの上空を、巨大な影が通過する。




