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詩篇より生まれし暴虐の空⑧

      *


 奇妙な光景だ。

 歩くぼくらの背後には、白の女王タイガーリリーを中心とした一〇〇〇もの白の騎士団(スノーナイツ)が一糸乱れぬ行軍で続き、ぼくらの前には三月兎がピョコピョコと跳ねている。

 三月兎はまっすぐには進まず、草むらを見つけては文字通り道草を食い、概ね一方向を目指してはいるけれど、ジグザグに跳ねて進む。

 三月兎の跳ねる方角が微妙に変化するたびに、白の騎士団の進軍方向も微妙に変わるものだから、ろくに進みやしない。


「……これ、辿り着くの?」


 隣のレイクスに問いかけると、レイクスが肩をすくめた。


「さあ? でもチェシャ猫は意地悪な言い回しばかりだけど嘘は吐かない。だから三月兎は赤の城ヴェーレンまでの道のりを知っているはずだよ」


 ニヤニヤ顔の巨大な猫を思い出して、ぼくは苦笑いをした。

 今思い出せば、チェシャ猫の言うとおりだ。レイクスについてきたことで、ぼくは怖い目にばかり遭っている。


「問題はぼくらの言葉が、三月兎に通じているかどうかだね」

「あ~ん、そればっかりは自信ない」


 ぼくらは数日前、この三月兎に「赤の城ヴェーレンまで案内して」と頼んだ。三月兎が微妙に方向を変えながらも、ほぼ同一方向に進み始めたのはその時からだ。

 その割には、トランプ兵やジャブジャブ鳥の襲撃が少ないのが気になっている。レイクスと二人で行動していたときは、日に三度は出くわしたものだが。

 居城に近づけば近づくほど、敵からの襲撃が減っているのはどういうわけか。


 静かなブナ林の道。風は穏やかに流れ、いつ頃からか春から夏を飛ばして秋の風情へと変化していた。不思議なことは、ここでは不思議でもなんでもない。

 ぼくらは三月兎に続いて、だだっ広い林をジグザグに行軍する。

 黒衣の少女は上空七メートルの位置に漂い、手をかざして前方を眺めている。何かあれば真っ先にキティが反応するはずだ。


 だけど、その極小さな異変に最初に反応したのは、先頭を行く三月兎だった。

 食料となる草もない場所で突然立ち止まり、耳を立てて後ろ足で立ち上がったんだ。しきりに鼻を動かし、赤い目でジッと一方向を見つめている。

 レイクスがとっさに叫んだ。


「全軍停止! 行軍を止めて!」


 一〇〇〇もの騎士団となれば、自動車なみにすぐには止まれない。先頭が止まっても後方は命令が伝達されるまで動き続け、三月兎のような小さな動物は踏みつぶされかねない。

 しかし。


「全軍停止!」


 槍騎士(ランサー)隊が叫び、一秒後に剣士(ソードマン)隊が伝達し、さらにその三秒後にはすべての部隊が足を止めた。

 白の騎士団はそんじゃそこらの集団とは練度が違う。

 夕刻。空は赤く。

 キティに反応はない。だけど、白の騎士の誰かが呟いた。


「なあ、焦げ臭くないか?」


 槍騎士隊の隊長らしき騎士が、兜を脱いで三月兎の眺める方角へと視線をやった。


「私は何も感じぬが……、――おいッ、他に何か感じ取った者はいないかッ!!」


 どよめきが広がる。けれど名乗り出る者はいない。

 ぼくらの直上は青の空なのに、眺める方角は赤い空――。

 ぼくは脳内で黒衣の少女に語りかける。


 キティ、嗅覚センサーはある?

 ――申し訳ありません、マイ・マスター。視覚と聴覚以外のセンサーは構成中です。

 先行して様子を見ることはできる?


 黒衣の少女がぼくの視覚の中央へと舞い降りて、片膝を付いた。


 ――いいえ、いいえ。リンク元より七メートル以上の距離は取れません。


 その姿が消えたり遠くに離れたりして見えるのは、あくまでもぼくの網膜情報の中だけでの話ということか。

 黒衣の少女が長い髪を揺らしてうなずく。

 しばらく待っていると、馬の蹄の音が聞こえてきた。最前列の槍騎士隊が割れて、白馬に乗ったタイガーリリーが姿を見せる。


「どうかいたしましたか? レイクス、ギイチ様」

「リリー、あの空、どう思う?」


 レイクスが進行方向の空を指さした。白の女王は遠景に瞳を細めて、色素の薄い唇をわずかに開けた。


「ここからではなんとも言えませんね。ただの夕焼けかもしれませんし、……そうではないかもしれません」


 そうではないかもしれない。つまりあの空は、ぼくらが数日前に山岳地帯で見た、ジャヴァウォックの吐く炎の色を示している。

 吐き気を催すあの光景……。今からぼくらは、あの光景を作りだした多頭竜ジャヴァウォックと戦いに行くんだ……。

 気を抜くと震えてしまいそうになる。

 白馬の首筋を片手で撫でて、タイガーリリーが長い髪を風に流した。


「わたくしが見てきましょう」

「へ? ダ、ダメだよ! リリーは騎士団のお姫さんなんだろっ!? 危険だよ!」


 ぼくが大慌てで抗議すると、リリーは柔らかな微笑みを浮かべた。


「あら、光栄です。心配していただけるのですね。けれど平気ですわ、ギイチ様。ジャヴァウォックの滑空中の最高速度を除けば、この子は不思議の国(ワンダーランド)で最も速いユニコーンですから。瞬間加速であれば、かの多頭竜とて簡単には追いつけません」


 え、ユニコーン?

 戸惑った瞬間、白馬がいななき前足を持ち上げた。その瞬間、白馬の背から二枚の翼が広がり、頭部からは角が出現した。


「うわっ!? つ、翼をたたんでいたのか!」

「もっとも、瞬間加速ではバンダースナッチのほうが上ですが。まあ、あの獣は空を飛ぶことができませんし、最高速度では追いつかれませんから心配はないでしょう」

「お願いね、リリー」

「お任せください、レイクス」


 ぼくは、ぼーっと突っ立っている白の騎士団の槍騎士に抗議する。


「ちょっと、お姫さん放っといていいの!? 他にユニコーン乗りは!? あれだけ騎馬(カヴァルリー)隊がいるなら、一人くらいはいるだろ!?」


 槍騎士たちは相談をするように互いの顔を確認してから、一人が代表して口を開いた。


「ユニコーン自体が稀少生物ですので、空の騎士は姫の他に騎士団にはいません。それに、どうせ言ったって聞きやしませんよ。うちの姫は“虎”ですから」

「それ、名前のことだろっ? 武器だって持ってないんだよ!」

「武器? 虎に武器は必要ありません。我ら白の騎士団という鋭い牙があるのですから」

「ああもう、言葉遊びなんてしてる場合じゃ――」


 羽ばたく白のユニコーンの背で、タイガーリリーが白の騎士団を凛々しくふり返った。


「騎士団に告げるっ!! わたくしが戻るまでの間、ここにいる我が友アリス・レイクスと、異邦の騎士ナオシマギイチ様の命に従い、赤の城ヴェーレンを目指し進軍せよっ!! 日暮れには戻るっ!!」


 空間にびりびりと響く声。青い血管がうっすらと見えるほど白い肌の、か細い身体から出た声とは思えない声量だ。さっきまでのタイガーリリーとは別人にすら思える。


「待って、リリ――っ」

「ハァ!」


 伸ばされたぼくの手が空を切り、一瞬のうちにタイガーリリーとユニコーンは数十メートルもの高さへと舞い上がる。

 その数秒後には遙か空の彼方、米粒ほどの大きさへと変化していた。

 デタラメだ……まるでバットでかっ飛ばされたボールのような勢いで……。


「ね? だから虎だと申し上げたでしょう? 同じ猛獣でも、バンダースナッチとは違ってタイガーリリーは誰にも飼い慣らすことなどできないのですよ。言っても無駄です」


 ぼくは槍騎士の言葉にも返事ができないほど、唖然としていた。

 結局ぼくらは三月兎を先頭に行軍を再開し、その日はブナ林の中でキャンプをすることとなった。日が落ちても、タイガーリリーは戻ってきていない。

 レイクスは心配そうに、ずっと闇夜を見上げている。数名単位でたき火を囲む白の騎士団には、悲観的な雰囲気は一切ないけれど。だけど事実、彼女は帰ってきていない。


 ぼくは頭を抱え込む。

 言わんこっちゃない。みんな危機感が足りないんだ。どうする? リリーが戻らないとなれば騎士団の士気は激減する。

 各部隊の隊長と話し合った方がいいのではないだろうか。


「話し合う……か……」


 ふと、ほんの一ヶ月前の自分からは考えられない意見だと気づき、ぼくは額に手を当てて少し笑った。

 ぼくの隣に出現した黒衣の少女が、瞼を開くなり静かに囁く。


 ――マイ・マスター、タイガーリリーが……ゼロ秒後に戻ります。

「へ?」


 そう呟いた瞬間には、タイガーリリーを乗せた白のユニコーンはぼくの身体に強い風をぶつけながら、その四肢で大地を引っ掻いていた。

 濛々とした砂煙が晴れると、そこには出発時と変わらない姿の白の女王がいた。


「リリー! よかった、無事……で……?」


 いいや、表情が違う。彼女の顔には困惑がありありと浮かんでいた。

 タイガーリリーはユニコーンから飛び降りるなり、ぼくやレイクスに背中を向けて、数名の騎士たちに命じた。


「各部隊の隊長をこの場に招集してください。少し遅くなってしまいましたが、これから軍議を始めます。それと全軍に通達。大至急、たき火は調理用の最低限を残してすべて消してください。ここは多頭竜の狩場かもしれません。――急いで!」

「リリー……?」


 レイクスの戸惑った声に、タイガーリリーが白髪を揺らしてふり返る。


「レイクス、そしてギイチ様。お二人にも是非、軍議へのご参加をお願いいたします」


 数分後、タイガーリリーの困惑は、ぼくやレイクスはもちろん、騎士隊長たちにも伝染していた。


 彼女の報告をまとめると、こうだ。

 赤い空となっていた一帯の大地には、トランプ兵の残骸、それも千体近くと予想される数が散乱していた。種別はスペード、クローバー、ハートばかりで、そのいずれも力による破壊はもちろん、パーツごとの形状すら保っていなかった。

 おそらくこれは、高熱にさらされたものと予測される。ダイヤ兵だけが見当たらなかったのは、蒸発したからだ。ダイヤモンドは酸素のあるところでは、一千度を超えた時点で燃えて二酸化炭素になり蒸発する。

 抵抗軍(レジスタンス)がもしも無事だったなら、彼らの仕業という可能性もあっただろうけれど、残念ながらそれはない。

 となると、一〇〇〇規模のトランプ兵を熱によって皆殺しにできる存在が、多頭竜以外に考えられるだろうか。


「同士討ち?」


 赤の女王アリス・リデルと多頭竜ジャヴァウォックとの関係が、何か変化したとしか考えられない。だとするなら、敵の数が減っている今がチャンスだ。

 剣士隊の隊長が、生真面目な表情で足元の三月兎に話しかけた。


「三月兎殿。赤の城までは、あとどれくらいかかるのでありましょうか?」


 人語の問いに三月兎がこたえられるはずもなく、鼻をひくひく動かしているだけだ。けれどこたえは予想外に、タイガーリリーの口から滑り出てきた。


「先ほどの戦地上空から、緑の山を一つ越えたところに赤の城が見えていましたから、行軍速度でおよそ半日といったところです。ここから先は三月兎さんの案内も必要ないでしょう」


 タイガーリリーが三月兎を両手で抱え上げ、その背中をそっと撫でた。


「ここまでの道案内、ありがとうございました。ここでお別れです。あなたのその小さな身体では、戦場では生き残れないでしょう」


 まるで言葉が通じていることを確信しているかのように語りかけ、鼻先にキスをする。そうしてゆっくりと三月兎をその場に下ろし、お尻を指先で軽く突いた。


「さあ、あなたの森へお帰り」


 三月兎がピョンと跳ねてから一度こちらをふり返り、ブナ林を少し進んだ。またふり返っては少し進みを繰り返している。

 故郷の森からこんなところにまで連れ出して放り出すのは気の毒に思うけれど、ジャヴァウォックとの戦場に連れて行くわけにもいかない。あるいは山岳地帯での抵抗軍キャンプ地の惨状を見ていなければ、もう少し呑気に構えていられたかもしれないけれど。

 その姿が完全に視界から消えてから、タイガーリリーはあらためてぼくらに向き直る。


「決戦は明日の深夜。ここが多頭竜の縄張りだとするならば日中の行軍は危険です。今夜のうちに緑の山の麓まで移動し、そこに身を潜めて明日の日中をすべて休息にあて、日暮れとともに赤の城ヴェーレンへ奇襲をかけます」


 タイガーリリーの視線が各部隊の隊長たちへと順番に向けられる。


「槍騎士隊は最前線最前列にて魚鱗陣形を取り突撃、とにかくトランプ兵の陣に穴を開けてください。そこに主力の剣士隊が偃月陣形でなだれ込み、トランプ兵の軍団を左右に分断する形で突破します。遠距離射撃(アーチャー)隊はジャヴァウォック戦に備え矢を温存して後方待機。多頭竜が出現次第、全力で鱗に守られていない翼のみを狙い、大地へ墜とすこと」


 各部隊の隊長がうなずく。


「足の速い騎馬(カヴァルリー)隊は独自判断での遊撃と、他隊の護衛をお願いします。もしもバンダースナッチが出現した場合には、戦力的にかなり厳しいでしょうが、対処をお任せします」


 テキパキと指示をするタイガーリリーは、お姫さまというよりは将軍に近い。


「レイクスはわたくしとともにユニコーンの背に乗り、アリス・リデルが出陣するまで待機。主であるリデルさえ倒せれば、忠実な騎獣であるバンダースナッチの動きは鈍るでしょう。そこを叩きます」

「わかった。リデルはわたしがなんとかしてみる」


 レイクスの言葉にタイガーリリーは笑顔でうなずいて、ぼくに視線をめぐらせた。


「ギイチ様は剣士隊の中央に身を置きサポートを。ジャヴァウォックが出現するまでは、決して一人では前に出ないように気をつけてください。わかっていると思いますが、抵抗軍が壊滅した今、あなたが戦いの鍵です。わたくしたちの目的は、あくまでも多頭竜の討伐。あなたを多頭竜の元へと辿り着かせるために、ここにいる全員が生命を懸けます」

「う、うん」


 震えそうになる足に手を置いて、ぼくは辛うじてうなずいた。


「戦地で何が起こったのかは不明ですが、およそ三〇〇〇と考えられていたヴェーレンの戦力のうち、三分の一が壊滅したのは好機には違いありません。明日の夜、決戦に挑みます。ここまでで、どなたか異論はありますか?」

「ないわ」


 レイクスが首を左右に振ると、各隊長たちも一斉にうなずいた。

 その後、なぜか全員の視線がぼくへと注がれた。


「……へ? な、何?」


 戸惑うぼくを見やって、レイクスが額に縦皺を刻んだ。


「ギイチは異論あるの? ないの?」

「い、いや。もちろん……ないケド……」


 なんでぼくなんかに、そんな大事なことを尋ねるんだ。そんなことを考えた瞬間、レイクスとリリーの抗議の声が重なった。


「ならそう言いなよ」

「ではそう仰ってください。すべてはあなた次第なのですから、もっと自信を持って」

「は、はい。ごめんなさい」


 またしても二人の声が重なる。


「無意味に謝らない!」

「無意味に謝らないでください」


 正直驚いた。ぼくがこんな大切な判断を任せられるなんて。教室にいた頃は、誰かに話しかけられることさえ珍しかった、直島義一が。

 各隊の隊長やタイガーリリーが動き出す中、レイクスが人差し指でぼくの額を突いた。


「いてっ」

「な~にハトマメな顔してんのよ? バッカね。みんながわたしたちの意見を聞きたくなるのは当然でしょ?」


 レイクスが片手でガッツポーズをして、得意気に笑う。


「だってこの世界、不思議の国(ワンダーランド)の主役はわたし、アリス・レイクスだよ。それで、ギイチはアリスが自ら選んだ最高の騎士なんだから。ま、主人公補正はないし、すぐに死にかけるし、臆病者だし、コミュニケーションはヘタだし、だいぶ頼りないけどね」


 返す言葉もない。


「……ぐう……ぼ、ぼくだって傷つくんだぞう……」

「でも、お茶会でわたしや帽子屋やヤマネさんを逃がすために、一人でバンダースナッチに立ち向かおうとしたときは――」


 月を背負っていたレイクスが言葉を切って、少し視線を斜めに上げたあと、片手で頭を掻いてぼくに背中を向けた。表情が見えない。

 レイクスの首がクイっと傾く。


「う~ん。あのときだけは格好よかっ……た?」


 あ、そこはやっぱり疑問系なんだ。



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