さわぎ
電車が各駅に止まるにつれ、多くの生徒たちが乗り込んで来る。
そのほとんどが一度驚いた表情をして、その後なんでもなかったような表情に戻った。ごまかしたとも言う。
(今までの反応を考えれば優しい方か。男の気配が無かった高嶺の花が、これだもん)
俺は電車が若干混んできた――周りは何故か空いているが――ことで、角に追いやった姉上と、ほぼ正面なのに繋がれている右手を見る。
……何度見ても整った顔と、しっかりと握っている綺麗な手。
「そろそろ着くよ」
そんな事実なんて存在しないかのように落ち着いている姉上。だいぶ慣れたようで。
「だな……まだ離さないの?」
「こっからでしょ」
「……そっすね」
(この姉、ほんとにこのまま登校する気だ)
今はまだ乗っている車両……の隣くらいまでに居る生徒くらいにしかバレていないはず。
仮にここで手を離しても、十分役割はまっとう出来たと思うが――
「いっかい離さない?ほら、手汗とか」
「気にならない」
「……はい」
(姉上はなぜか頑なに離さないし)
――なんと、最初に繋いでから一度も離していない。
何かと理由をつけても先ほどのようにバッサリ切られてしまうのだ。
こうなったらいけるとこまで行ってみよう。何の不安要素も無ければ、繋いでいたいという本音もある。
……『血縁と認識できない』って不安要素があったか。
(姉上を説得できるほどの策は浮かばないし、無理やり振り払うとかもっと無理だし……)
電車の扉が開き、一番最初に降車する。
!!???
驚きとざわつきを混ぜたような音が駅のホームに響いた。家の最寄り駅の喧騒が小鳥のさえずりにすら思えてくる。
「……やば」
「しっかりして、彼氏なんでしょ?」
彼氏ではない。
若干手を引かれながら、味わったことの無い視線の雨を受けつつ改札へ歩く。そこだけ見えない壁があるかのように周りの生徒は一定の距離を保っている。
「……一旦離すから」
「ん」
改札を出る時は、流石に手を離す許可を頂けた。
……久々に掌が空気に触れ、解放感を覚える。そこまで強く握っていないはずだが、手には若干のしびれがあったし、感覚も鈍い。感覚の鈍さは緊張もあるか。
「……」
「……」
(え、何この時間)
改札を出た後すぐに繋ぎ直すのかと思いきや、無言で見つめてくる姉上。形容し難い空気を纏っている。
「えっと、繋がないんですか?」
「…………繋ぎたいの?」
「え?」
「……」
(この人が何をしたいのか全く分からない)
数分前の会話を忘れたわけではないだろう。
こっからが本番みたいなこと言ってたから、繋ぐはずなんだが……何故急に、繋ぎたいかなんて聞くのか。
姉上の意図が分からず逡巡している間、目の前の当人は鞄の肩にかけている部分を両手で握りしめて立っていた。
視線は少し外れている。
「……手を繋ぎませんか?」
考えても分からないので、とりあえず予定通り繋ぐべく、そう言いながら手を差し出す。
「……ん」
姉上は微かに口元を緩め、満足そうにその手をとった。
(合ってたっぽい。なんだったんだ……)
寸劇のようなことをしてしまった。周りからは黄色い声援を多く含んだざわつき。見世物になった気分。
姉上の不可思議な行動の理由は分からないまま、駅を出て高校へと歩き出す。
「そういえばアンタって何組なの?」
「Aだったよ」
「一番手前の教室?」
「そー」
「ふーん……」
「姉さんは?」
「ウチはC」
「へー、二年生は二階だっけ?」
「そ。階段が面倒」
……スカートに気を付けて欲しい。
他愛もない会話をしながら、二人仲良くゆっくりと歩いて数分後、校門に辿り着いた。
(めっちゃ長く感じた)
電車の中でもそうだったが、この人と手を繋いで平静を保つのは難易度が高い。駅からの道中は電車内より人の視線が多かったし。
(……まだ離す気は無さそうだな)
右手は依然として姉上に捕らわれている。校舎内まで繋いだままのつもりだろう。もう反抗する気もない。なるようになるさ。
そういえば、道中話しかけられたり写真を撮られたりすることは一度も無かった。注目度こそ予想以上だったが、生徒たちは視線を向けてキャーキャー言うだけ。
男を連れているからかたまたまなのか、ナンパも起きなかったし。姉上曰く絡まれることはあるらしいので、仲良し登校の効果が出ていたら良いなと思う。継続を説得する材料にしたいし。
(遠目から眺めるのが暗黙の了解になってるとか?)
校舎に入ったところで、ふと不安が浮かぶ。
姉上には親しい友人が居るのだろうか。
男友達が居ないのは確認済みだが、これだけ遠巻きにされていると同性の友人も作りづらいのではと心配になってしまう。
(……でも直接聞きづらい)
『友達いないの?』は、もう喧嘩を売っているだろう。
正しく意図を汲み取ってもらう質問の仕方を考えていると、姉上が立ち止まる。
そういえば、下駄箱の場所違うじゃん。
(離し時が分からなかったけど、離さないわけにはいかなくなったな)
「「……」」
姉上もそれに気づいたのか、会話が途切れる。
「……じゃ、ここで」
「……ん」
一年の下駄箱近くで数秒立ち止まった後、俺から手を離した。緊張から解かれた安堵感と、名残惜しさが同時に襲い掛かる。
「……」
「……えっと、俺はこっちなんで……」
「……うん」
(なんか……罪悪感が)
なんとなく、気落ちしているように見えなくもない。
何も言い出さないまま靴を履き替えに行く姉上を見送った後、自分も内履きに履き替える。そのまま教室に向かおうとすると、
「――ちょっ――春香――」
少し遠くから姉上の名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。振り返ると、友人らしき女子生徒に詰められている姉上が見えた。
そういえば、入学式の日に友達と遊んだって言ってたっけ。今朝も『友人は居る』みたいなことを言ってたし、杞憂だったか。ちょっと安心――
(……不安なのはここからだった)
姉上が隣にいないことで若干減ったが、未だに視線が刺さる。二人で居た時より棘のある視線と値踏みのような視線が多いのは思い過ごしであって欲しい。
その視線を流しつつ、教室の扉を開けた。
……良かった。二十人ほど居る生徒から向けられる視線はそれほど多くない。小雨くらい。
それでも視線は感じるし、ヒソヒソ話しているのも見かける。同じ時間帯に登校してきた生徒には知られているだろうから仕方ない。
(だが干渉はしない、怖いから)
自分の席の位置に感謝しながら腰を下ろす。弁明というのも変だし、聞かれたら『弟です』と答えるだけ。何もなければ大人しく座っていよう。
それにしても……姉上の態度が初日のイメージとかけ離れている気がする。クールではあるけど冷たくはない。さっきも、手を離すのを惜しむような様子だった気がするし。
何年も実質疎遠だった弟と話せるのは嬉しいことかもしれないけど、執着しすぎとも思ってしまうのは少し冷たいだろうか。兄弟が居なかったからよく分からない。
というか、改めて考えてみると腕組みや手繋ぎはやっぱ過剰だっただろう。周りの反応を見るに余計なトラブルを招きかねないし。楽しかったけど。
男避けという目的を除いても、姉上は弟のことを憎からず思っていたのかもしれない。高校生にしては珍しい……珍しいよね?
「灰堂くんや」
「あ、藤野さん。おはよう」
姉と弟の関係を想像しているところに声をかけられる。今日も綺麗な青と黒の髪を携えて、多分お調子者の女の子が机の横に立っていた。
しかし表情は真顔。
「うん、おはよー。――それで、アレは何?」
「アレ?」
「いや、例の綺麗なお姉さんと登校してたじゃん。しかも手を繋いで」
藤野さんのことは道中見かけなかったのに、仲良し登校がなぜか知られていた。見逃したか?
「え、なんで知ってんの」
「ウチの席窓際だから、校門から歩いてきてたの見た」
そう言いながら自分の席を指差す。藤野さんの席がある一番馬度際の席からは、少し離れているが続々と登校している生徒が見受けられる。目立っていたのかたまたま見かけたのか。
(男避けって言ってもいいんだけど、人の目……耳がありすぎるな)
「あー……仲良いんだよね、俺ら」
一応追及されたときのために用意していた言い訳。
「へ?……姉と弟って、仲良かったら手つないで登校するの?」
「少なくともうちはそう」
「……そうなんだ」
それが当然だと言わんばかりの表情で語ったが、若干引かれてる気がする。
「ってのは冗談で、姉さんと登校したらどんな反応になるかなっていう……あー、悪ふざけみたいなもんだよ」
早くも外聞の悪さが発生してしまったため、慌てて言い訳を付け加える。
登校を見ていたなら姉の綺麗さと目立ちようはなんとなく知っているだろうし、何が悪ふざけなのかも理解してくれるだろう。
目の前の少女はなんとなく理解といった表情。
「……ふーん?灰堂くんって、あれだね。変なこと考えるね」
「貴重な体験だった」
「あっそう」
そっけない返事の割に、少しニヤけたその表情は楽しそうだ。一昨日初めて話した時からよく笑う子だと思っていたが、そのときと比べて今の笑顔は少し柔らかく見えた。
無理をしていない、と表現するのが適切かもしれない。
「手まで繋ぐとは、なかなかやり手ですな」
「やるなら徹底的にね、姉さんにも協力いただきました」
「あのお姉さん結構面白い人なんだ」
さも意外だと言わんばかりの表情を見せてくれる。実際は腕組みの代案として提案したんだが、手繋ぎを要請したのは嘘ではない。
「ま、ウチもあんな綺麗なお姉様が居たら毎日でも手を繋ぎたいけど」
「羨ましい?」
「うん、妬ましい」
軽口を叩き合い二人で笑う。藤野さんは親しみ易くて助かる。
とはいえ可愛い女の子、二人きりで話すことに多少の緊張は避けられない。
(三人早く来てくれ~)
願いが届いたのか、丁度のタイミングですぐ後ろの扉が開いて辻さんと拝島さんが入ってきた。
「おっはー」
「おはよ」「おはようございます」
「おはよう」
「……リコ、人見知りもうしなくなったんだ?」
状況を見た辻さんが意外だと言わんばかりの声で問う。
そういやそんなこと言ってた気がする。一昨日話した時も今も、人見知りするようには見えないが……友達が居れば大丈夫なのかな。
(ん?でも今日は一人だったよな)
「う……まぁそれ以上に気になることがあってね」
「気になることですか?」
「そー。……二人は、今日の学校に何か思うところなかった?」
「え、なんかあったっけ」
「いえ……少し騒がしいくらいでしょうか」
欲しかった答えが貰えたからか、藤野さんの声色が一気に明るくなる。
「そう!まさにそれ!」
「授業初日だし、特別おかしなことでもないんじゃない?……リコの様子的にそれが理由で話しかけたんだろうけど」
不思議そうな二人を前に、藤野さんはニヤけながらわざとらしく言葉を溜めた。
「それがさ、灰堂くん、お姉さんと二人で登校してきたんだよ!」
「え!いいなー……ウチも早くお近づきに……」
「仲良しだとは思いますが、それが何故騒ぎに……あ、もしかして、恋人と誤解されたんじゃ?」
大事な部分を隠して繰り広げられる三人の会話。口をはさむタイミングが分からずボーッと眺めていると、藤野さんがこちらを見る。
ニヤニヤした――ニヨニヨした顔がそこにはあった。人見知りはどうした。
「まー多分そうなんだけど、問題はそこじゃなくてさ。……手、つないでたんだよね」
「へ?」「え?」
素っ頓狂な声とは、このことを言うのだろう。
「そのイチャイチャっぷりのせいで、ウチからも恋人に見えたもん」
「ここまで騒ぎになるとは思ってなかったから、ちょっと後悔してるけどね」
注目されるとはうすうす思っていたが、登校中は脚光を浴びながら歩いている気分だった。敵意がちょくちょく混ざっているランウェイだが。
「そりゃあのお姉様ならそうなるでしょ……」
「なぜ手を繋いで登校を?あ、仲良しなのは非常に良いと思うのですが」
呆れ気味の辻さんと、配慮に長けた拝島さん。
「いや、俺も高校生にもなって姉弟が手を繋いで登校は変だと思うよ。あれは姉さんの人気を利用した悪ふざけ」
「……結構怖いもの知らずなんですね、灰堂くんは」
若干驚きといった感じの拝島さん。
「でも、二人で手を繋ぐ悪だくみとか……仲良いんだ?」
「あー、まあね。一般的な姉弟よりは仲良いかも」
(企てたのは俺だし、本来の理由は別だけど)
ここ数日間自分なりに兄弟っぽく振る舞ってみたが、姉上はどう思っているのだろうか。仲良くなれていたら安心なんだが。
そして辻さんとはやはり距離を感じる。今の会話だって、若干目線をよこしながらだったし。藤野さんのように人見知りというなら分かるが、この子たちの会話からするとどうもそんな気質はなさそうに見える。
嫌われている、というなら泣ける。まだ二日目だし、相当悪いことをしてしまったのかも。なんかやったっけ……。
「……じゃあね」
「あ、教えてくれてありがと!じゃ、今日からよろしくー」
「また話しましょうね」
「あ、うん」
そう言って会話を切り上げ、三人は彼女らの席がある教室の左側に歩いていった。
(まだ時間があるし、てっきりこのまま雑談でもするのかと思ったけど)
すみっこで大人しくする予定だった身としては、ありがたいことなのだが……ちょっと寂寥感。嫌われたわけではないことを祈ろう。
去り際になんとなく申し訳なさを感じたのが、勘違いじゃ無ければ多分大丈夫。
(仲良しの女子グループに割って入るのも気が引けたし)
納得できるだけの言い訳を思い浮かべてから、スマホで昨日の『せるため』のプレイ動画を見返す。
(……ここ、一人二人確キル獲って離脱するのが理想だったけど対応遅れて一人ダウンさせてから逃げる羽目になった。戦況把握鈍ったかなぁ……速度上昇積んで近接ロマンを求めてたのが一番の原因か)
ぼんやりと情景を浮かべながら眺めていると、続々と残りのクラスメイト達が登校してきた。
「おはよ、灰堂くん」
「雨宮さん、おはよう」
「今日から授業だね、ちょっと不安」
目の前の机にカバンを置きながらそう零す少女。口ではそう言いながらも不安そうな様子はあまり見て取れないので、ちょっとした話題作りな気がした。
「中学の復習からだろうし、ゆっくりやってけば良いんじゃない?」
「そうだよね。あ、リコたちのとこ行ってくるね」
そして彼女も、教室の左側に溶け込んでいった。
……四人揃うとさらに絵になるな。チラチラ見てる男子も少なくない。バレるぞ……チラッ。
自分の席で時間を過ごしていると、チャイムと同時に我らが篠田先生が教室に入ってきた。
「皆さん、HRを始めますよ」
ハキハキとした明るい声は、これからの高校生活が良いものになると告げているような気がした。




