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第15話:アルス理論

 カイトが雪山で火花を散らし、灼熱の鉄と格闘していたその頃、王国の中枢――魔導戦略研究所の一角では、それとは対極にある「冷たい実験」が繰り返されていた。白磁の床。魔導灯の青白い光が、塵ひとつない室内を照らしている。中央に立つのは、眼鏡の奥に理知的な光を湛えた少年、三つ子の次男・アルス。彼が師事したのは、王国の軍事顧問にして『鉄の計算機』と謳われる魔導戦術師、ゼノスであった。




「アルス君。次のシミュレーションだ。相手は重装歩兵三名。魔力出力は平均値を三〇%上回る設定だ。……時間は?」




「一四秒。それ以上は、リソースの無駄です」




 アルスは感情を排した声で答え、手元の魔導書を展開した。彼の周囲には、カイトのような黄金のオーラは微塵も存在しない。代わりに、緻密な数式と幾何学模様が描かれた半透明の魔導パネルが幾重にも浮かび上がっていた。




開始チェック・イン




 ゼノスの合図とともに、三人の重装兵がアルスへ向かって踏み込んだ。大気を揺らす咆哮。重量級のメイスがアルスの頭上から振り下ろされる。普通であれば、回避するか、強固な防御障壁を展開する場面だ。だが、アルスは動かなかった。わずかに首を傾け、数ミリ単位の差異でメイスの軌道を逸らす。




「座標誤差、〇・一。重心の移動から、次の一撃は左四五度からの薙ぎ払い」




 アルスの呟きと同時に、メイスの風圧が彼の髪を揺らす。しかし、その体にはかすり傷一つ付かない。彼は敵の筋肉の収縮、瞳孔の開き、魔力の流れをすべて「データ」として読み取っていた。プロレスラーが「受ける」ことで観客を沸かせるなら、アルスはその対極――「当たらぬ」ことで勝機を確定させる。




「不要な損傷ダメージは、勝利への純度を下げるノイズに過ぎない」




 アルスが指先で空中の数式を弾いた。一瞬。重装兵の足元の魔力供給が遮断され、一人がバランスを崩す。その連鎖反応を利用し、アルスは最小限の魔力で作られた「氷の楔」を、鎧の継ぎ目――わずか数センチの隙間へと打ち込んだ。ドサリ、と重い音が響き、三人の兵士が同時に膝をつく。計時計の針は、一二・八秒を指していた。




「……一・二秒、予定より早かったですね。相手の連携に、感情による乱れ(エラー)が生じたのが原因です」




 アルスは満足することなく、淡々と結果を分析し、手元の手帳に数値を記録していく。師であるゼノスは、その光景を眺めながら複雑な笑みを浮かべた。


「完璧だ。だが、アルス君。君の戦いには、この国の人々が求める『勇姿』がない。君が戦う姿を見ても、民衆は歓声を上げる隙すら見つけられないだろう。……君は、観客をどう考えている?」




 アルスは動きを止め、冷徹な視線を師に向けた。


「観客……。それは、戦場における最も不安定な変数パラメータです。彼らの歓声や期待は、戦士のバイオリズムを狂わせ、論理的な判断を曇らせる。……僕にとって、観客はノイズでしかありません」




 その言葉は、長男カイトが掲げる「熱狂こそが最強」という思想への、真っ向からの否定だった。アルスが研究しているのは、この世界の根幹を成す『感情魔力変換システム』の「逆利用」であった。観客が熱狂すれば攻撃力が上がる? ならば、観客を「冷めさせる」ことで相手のバフを無効化すればいい。観客が期待すれば反応速度が上がる? ならば、その期待を「絶望」という名の沈黙で上書きすればいい。

彼はプロレスという概念を、徹底的に解体し、再構築しようとしていた。彼が目指すのは、相手の得意とする「熱狂の土俵」を、極低温の「理の檻」に変えること。




「兄さんは、太陽の熱で世界を照らそうとしている。……ならば僕は、月の冷気でその熱を管理コントロールしましょう。それが、最も効率的な世界の救い方です」




 アルスは再び、冷たい青光を放つ魔導パネルに向き合った。彼の脳内では、すでに数年後の再会のシミュレーションが始まっている。兄カイト。そして、闇に堕ちた弟レオン。二人の「非合理的」な最強に対し、アルスは「絶対的」な最強の解答アンサーを用意していた。




「次の方程式を解きます。……被験者、出力増大の設定で」




 感情を殺し、最適解だけを選び続ける少年の背中は、もはや人の温もりを拒絶する機械のようにさえ見えた。


 しかし、その指先が描く数式には、彼なりの「兄への対抗心」という、唯一にして最大の「熱い変数」が隠されていたことに、アルス自身もまだ気づいていなかった。



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