18:酒場
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戦いに勝った。その高揚は長くは続かなかった。雄叫びを上げるギルドラーたちを放って、ラングは血を払った双剣を仕舞い、燃える家屋に向かってゴブリンの遺体を投げ始めた。アルは驚きつつも、ここがダンジョン内でないこと、ゴブリンを食べる魔物がいないのであろうことに気づき、槍でひょいひょいとそれに倣う。徐々にギルドラーたちもその行動に気づき、黙々と事後処理に移行した。
家屋だけでは燃え切らず、アルが斬りひらいた際に倒木となったものを手分けして薪にし、異臭を放つ炎に追加していく。糞尿と肉片と腐臭に侵されたこの場所は廃村になり、アンデッドや再びゴブリンの住処にならぬように全て焼き消される。罠に使われた村人も、使われなかった村人の遺体も、毒で死んだギルドラーも、薪を組んでその上で焼かれていく。
川へ往復して水を持ってきて、処理の終わった手足を拭い清め、皆がぼんやりと立ち上っていく煙と火の粉を眺めていた。
『ウィゴールとフレムがいたならば、もう少し早く焼いてやれるのだがな』
ふとラングが呟いたことに小さく頷く。アルの世界でラングが交流を育んだ、風の精霊ウィゴールと、炎の精霊フレム。性質が水のラングはフレムとは根本が合わなそうではあるが、ラングも、フレムも、必要以上に争うことはせず、必要最低限の会話で済ませていた。だからこそ、逆に阿吽の呼吸でもあったと思う。お前に言われなくてもわかっている、というのがお互いにあり、言われるのが嫌で先回りするからだ。
戦いが終わり、人の死を実感してか、生き残った実感からか、涙が溢れて止まらないギルドラーもいるらしく、すすり泣く声が炎の音に交ざる。
『慌ただしくてすっかり忘れてたけど、精霊に会いに行かなくちゃな』
『そうだな』
『そういや、そっちの件はどうだったんだよ。ギルマスとお話合いしてたんだろ?』
『骨を砕いてきた。殺されそうになったのでな』
いや、お前、正当防衛だって言い張れるように挑発はしただろ、とアルは思い、一瞬我慢したが、ダメだった。
『よく言うぜ、自分から焚きつけたんだろ』
隣で小さく肩を竦められ、笑う。炎を一昼夜絶やさず、皆で休憩と仮眠を、薪を足す。それを繰り返し、最後にまだ白い煙を燻ぶらせる灰を村全体に広げ、地面を焼いて事後処理は完了した。いずれこの場所に鳥が種を落とし、また森になるのだ。先に他のギルドラーを帰し、それが十分に離れてからラングは村を振り返った。
『どうした?』
『私には、信仰する神も、祈る神もいない』
『おう、だろうな?』
何が言いたいのかわからず眉を顰めれば、ラングは自身の左手を前に出し、そこに右手を乗せ、開いた。
『黄金に実る稲穂の中で、霊峰の麓で、晴れ渡る青空の下で、その魂を癒し傷を癒す時間をお与えください。赤く流れた血は愛すべき人の涙、風に乗る声は生きる者の記憶となって、私は決して彼らを忘れることはないでしょう。温かな炎の船に乗って、優しい水の褥において魂を眠らせたまえ。また大地より生まれ出づるその時まで』
ざぁ、と風が吹いたような気がした。炎を失い、ただの灰となったものが巻き上げられ、空へと一筋の線を描いて散っていく。
それはアルの故郷、スカイ王国で愛される国教の戦女神、ミヴィストの祝詞を一部抜粋したものだった。ラングの故郷でもなく、それを選び祝詞を唱えたことに驚いていれば、ラングは再び右手を左手に重ね、手を下ろした。
『習った。祈る神はいないが、魂が理に還ることを祈ることはできるだろうと』
『なるほどな』
灰の行く先はわからない。ただ、無事に誘われていることを祈るばかりだ。アルは胸に手を当て、黙とうを行った。それが終わり顔を上げればラングが囁くように言った。
『レパーニャへ戻ったら、少し休養を取ろう』
『いいけど、珍しいな』
『情報収集に時間が掛かる、それに、少々首を突っ込み過ぎた。冒険者組合が騒ぐのをやめるまで大人しくしているつもりだ』
『マジで何してきたんだよ』
ふん、と鼻で笑って返され、おい、と声を掛ければラングはふわりとマントを揺らし、セティエラの街に向かって歩き始めた。まぁ、戻ればわかるか、とアルもその後を追った。
ゆっくりと鈍足で帰った。先に戻ったギルドラーたちに追いつかないように気を遣い、少し疲れた。ゴブリンの討ち漏らしはないはずだが、あの場所から逃げたのではなく、それ以前に離れている奴がいれば、狩っていかねばならない。それを移動させたギルドラーに哨戒させ、さらにその後を確認していくのが【異邦の旅人】だ。途中、赤の剣の炎を利用して料理ができないか試したところ、土が邪魔をした。火を点けた薪に土がかかり、消されてしまうのだ。ラングはまた聞き取れない暴言を吐いたようだった。
『それ、なんて言ってるんだ?』
『そちらの言語ではわからん』
言語を教えた弟、ツカサはラングに丁寧な言葉を仕込もうとしたことがあったらしい。本人があまり乱暴な物言いをしない、のほほんとした性質でもあったので、ラングは罵る言葉を多く知らないのだ。ラングが覚えている少し乱暴な言葉は、大体、弟以外の他の冒険者から得ている。
『そういや、えげつない、とか覚えてたもんな』
思い出して笑い、そうこうしているうちにセティエラの街へ戻ってきた。
街は大賑わいだった。近隣の危険が去り、ようやく肩から力を抜いた街の人々が盛大にお祝いをしているようで、屋台が多く出され、子供たちが走り回っていた。今もまだ街の外には出られないが、家からも出るなと言われていたのだろう子供たちは、ただ外で腕を広げて走れるだけで嬉しそうだ。
ギルドラーたちも装備を外し、修理に出しているのか、単純に全身で休暇を味わっているのか、気の抜けた様子を晒していた。
「戻って来たか! 随分ゆっくりで少し心配した」
ゼイアドがこちらに駆け寄り、手を差し出してくる。アルはそれに応えて握手を返した。緊張の面持ちでゼイアドがラングにも差し出せば、ラングはそれを見遣り、ゼイアドを見遣り、そのまま横を素通りした。
『おい、ラング。いいだろ別に』
『一人相手をすれば、全員を相手にせねばならん。それは御免だ』
ゼイアドは苦笑を浮かべるばかりだが、周囲で残念そうな声も聞こえ、アルは笑った。ラングは冒険者組合に顔を出す、ギルドラーカードを寄越せ、というので、アルは素直に渡し、とりあえず食事を取りたいと言った。ラングから指差された酒場へ向かい、ラングの席も確保しながらテーブルに着いた。浮かれた様子の店員に酒じゃないものと腹にたまるものを頼み、アルはざわざわと賑やかな空気に目を細めた。
運ばれてきた燻製肉の焼き物と硬いパン。果実水に塩味のスープ。温かいものがあるだけで嬉しくなった。ラングの用意してくれたサンドイッチの方が正直美味しくはあったが、またレパーニャまでの道中、絶妙にぬるいスープだけになるのだと思うと、今のうちに腹を温めておきたい気持ちになった。
「おぉ! あんた! 戻ってたのか!」
酒場に入ってきたギルドラーがアルに気づき相席しようと近寄ってくるので、座ろうとしたその椅子を指差し、ラング、と言えば座るのをやめた。それでも、壁際の席に居るアルのテーブルへ、テーブルをこちらに寄せてきてワイワイとやり始めた。アルは言葉のほとんどを聞き取れなかったが、大袈裟な身振り手振りで肉体言語を操るギルドラーとの意思疎通には困らなかった。
あの時の光景を再現するギルドラーは掃除用具を振り回して怒られたり、語り部として情景を語る者があればノリのいい奴が即興で再現をする。アルの槍を振るう姿を再現された時は、まるで他人事のことのようにアルも楽しみ、声を上げて笑った。きっと、セティエラの街の酒場は今、討伐隊に参加したギルドラーでどこも盛り上がっているだろう。
ゲラゲラ、ガヤガヤ、酒も入って箍が外れたギルドラーの喧しさは店員も店主も苦笑いを浮かべるほどだった。討伐隊としての報酬はきちんと支払われたため、金を持っているから許されたことだ。さすがについていけなくなってきて、アルは果実水のコップを手に賑わいを眺めていた。
ゴトリ。重い音がした。一瞬重い何かに肩を叩かれたようになって、店内が水を打ったように静まり返る。ゴトリ、ゴトリ、靴底を鳴らしながら店内に足を踏み入れたその人に、寄せていたテーブルを慌てて引いて道をつくる。ふわ、とマントを払い、座ったラングが店員へ目配せした。
「果実水と何か食べるものをもらえるか」
「は、はい! すぐに!」
店員は慌てて、先に果実水を持ってきた。ラングはそれをごくり、ごくり、と喉を鳴らして飲み干してから、ふぅ、と息を吐いた。
「すまないが、もう一杯いいだろうか」
「はい! もちろんです! お料理もすぐにお持ちしますね」
「ありがとう」
ぽ、と店員である少女は頬を染め、ぱたぱたと果実水のおかわりを取りに行った。ラングはアルに向き直り、小さくシールドを傾けた。
『待たせたな』
『終わったのか?』
『あぁ、後はセティエラの街と冒険者組合の問題だ』
テーブルに差し出されたギルドラーカードを受け取れば、ランクは無事にBになっていた。
『目標達成したな。案外簡単に上がれるんだな』
『馬鹿なことを言うな。今回共に戦ったギルドラー連中に感謝することだ』
どういうことかと問えば、どうやらゼイアドを始め、Aランクのナサニエルすらもアルの功績を証言し、上げておけと進言してくれたらしい。もちろん、その二人だけではなく、あの場で共に戦ったギルドラーたちからの言葉もあったそうだ。大きな事件ではあったものの、アルは達成している依頼数も少なく、本来ならばB昇格目前のCという形でランクは据え置きだったらしい。そこを越えられたのは彼らのおかげというわけだ。
『有難いな、いい奴らだ』
じんわりとしたものを覚えながら言えば、果実水と焼かれた燻製肉、茹で芋が届いた。ラングは私物のフォークを取り出して、いただきます、と手を合わせてから肉を食べ始めた。こういう店で食器を出されることは、この世界では稀だ。アルは指先で摘まんで口に運び、ぺろっと指を舐める。はしたないぞ、と言われるが、冒険者だぞ、と返し反省はしない。怒られる気配を察知したのでそのあとはフォークを取り出して使った。
『それにしても、マジで来てくれるとは思わなかった。ありがとうな、助かった』
『構わん。バディなのだからな。しかし、情けない話だ』
『悪かったって、でも俺でよかっただろ』
『誰でもよくはない。ああいうのに引っ掛からないようにするのは当然のことだ』
アルは両手を上げて降伏を示した。それから片腕をテーブルに置いて身を乗り出した。
『でさ、ギルドはどうなるんだ』
『職員の総入れ替えだ。それに、今回のことでランクの見直しもされるだろう』
また詳しく聞いた。どうやらギルマスは腕の良いギルドラーをここで専属とさせるため、多くのパーティを罠に嵌めていたらしい。ゼイアドのパーティメンバーが酒場で刀傷沙汰になったという商人、これがギルマスの息の掛かった商人で、仲間を一人牢に入れることで、その肩代わりをさせ、長期滞在を目論んだそうだ。実際、ゼイアドたちだけではなく、今回討伐隊に参加した者の半数はそれでセティエラの街に居たギルドラーだ。
『セティエラの街は近隣に、ある程度大型の魔物が生息している。それが街を食わせ、生かしている。魔物の群れから追い出されたものや、繁殖し過ぎてしまったものなど、一年中、狩りがある』
『ははぁ、専属は多く欲しかったわけだ。それ素直に専属になれって言えないもんなのか?』
『余程対等であったり、お互いに交友があったり、信頼関係がない限り、頼みごとをする側は優位には立てたない』
『優位に立ちつつ、足止めしつつ、か。面倒だけどちゃんとそういうのを考えてたわけか』
ということは、この燻製肉もそうして足止めを受けたギルドラーが狩ったのかな、と少し眺めてからばくりと食べた。
『ちなみにAランクのナサニエルは? 腕は悪くないけど、ギルマスのお気に入りだったらしいな』
『上手におだてられ、使われていただけだ。特に片棒を担いでいたとかそういうこともない。可愛がられていたのは事実、自身でそれを払拭できるかどうかだな。査定の不正が逆であってよかった』
『思ったより腕利きだったもんな。……あ、だからラング追いかけてきたのか!』
先ほど美談でしめられたことの一端を知り、アルはむすりと頬杖をついた。想定よりも低いランクのギルドラーがいるのではと思い、駆けてきたのだろう。
『結果は同じだ』
『心持ちは変わるんだよ。まぁいっか、助かったのは事実だしな。でも、ゼイアドとか、ここに留まってたギルドラーのランクを上げなかったのはなんでだろうな?』
『Aランクというのは、依頼料に色が付く』
『安く使うためってことか』
『そうだ。だから、外専門はBでいることを望むギルドラーもいる』
『余程ちゃんと実績を積んでいないと、Aに上がるだけじゃ仕事は続けられないんだな。厳しい世界だ』
依頼ありき、報酬ありきの難しさだ。その世界でSSという高ランク、依頼の途切れないラングという男の仕事ぶりがわかるような気がした。一先ず、終わった。アルはコップを手にして軽く差し出した。
『とりあえず、お疲れ。レパーニャに戻ってゆっくりしようぜ』
『そうだな』
ラングもコップを寄せて軽く当て合い、ぐっと飲む。いいなぁ、という声にアルが振り返ればギルドラーが慌てて視線を逸らした。ラングの登場から静かになっていた酒場はまだ緊張が走っていて、アルは対面のラングの腕を叩いた。
『なんか言ってやったらどうだよ?』
『断る』
『ほんっと頑固だよな』
あはは、と大きな声で笑ったアルの声に釣られ、酒場は少しずつ喧騒を取り戻し、各々が羽目を外し過ぎない程度に盛り上がり始めた頃、【異邦の旅人】は酒場を後にした。
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