10:応援要請依頼
いつもご覧いただきありがとうございます。
メッティアの街に戻った頃には薄っすらと空が白んでいた。ばたばたとしていて肉体の疲れより精神的疲労が強く、ざっと湯を浴びて汚れを落とし、ベッドに寝転がりたかった。ここを出る前に泊まっていた宿はまだ部屋が空いていて、二日滞在することになった。
アルは早速湯を別料金で頼もうとしたが、ラングに止められた。宿に迷惑を掛けるからなのか、何か考えがあるのか、どちらだと首を傾げれば、後者のようだった。裏庭に出て大きめのたらいを出し、そこに手押しポンプで井戸から水を入れ、それから、ラングはおもむろに赤い剣を抜いた。
「燃えろ」
ぼわ、と燃えた剣を水に入れ、沸かす。アルはなるほど、と大きく頷いた。
『確かに、それは火起こしするわけじゃないしな。今回のことがあるまでその剣の活用方法、すっかり忘れてたわ』
『今後の相談をしたい、お前はそのまま体を流せ』
『えぇ、覗くなよ。スケベめ!』
『一度、レパーニャに戻ろうと思う』
冗談にも付き合ってくれず、ラングは赤い剣を腰に戻し、宿の壁に寄り掛かった。アルは槍をそちらに軽く放って預け、装備を外しながら、いいんじゃないか、と言った。たらいの中の湯は少し熱いくらいだが、使った分だけ井戸から水を汲んで量も、温度も調整ができる。そこまで考えて熱めなのだろう。いそいそと衣服を全て脱ぎ、それもまた預け、アルは湯で顔を洗い、くぅ、と気持ちよさそうな声を出した。
『レパーニャに戻るのはいいけど、ここはフィオガルデ王国の北側、レパーニャは南の国境近くだろ? 時間掛からないか? ここに来るまでだって、まぁ、調べながらだったってのもあるけど、ひと月掛かってるだろ』
『そうだ。だが、情報を集めるのならば、やはり戻った方が早い』
アルは投げられた手ぬぐいを受け取り、湯に浸して、バシャリとそれで体を拭い始めた。顔から、首、鎖骨と拭いて、湯に浸し、それを繰り返しながら会話も続く。
『メッティアまで急いだから王都も通らずじまいだっただろ。情報ってでかい都市の方が入ると思うけど、ここは違うのか?』
湯が汚れてきてしまったので流し、再び水を入れ、ラングに沸かしてくれと頼む。再び剣が突っ込まれ、沸かしながらラングは言った。
『抱えている情報ギルドの本拠地がレパーニャなのでな、どうしても、そちらに情報が集まる』
剣が退けられ、熱さを確かめる。かなり熱かったのでまた水を足した。湯でびしょびしょの手ぬぐいを頭の上で絞って髪を濡らし、石鹸を求めて手を出せばそこにとんと載せられる。わかってるな、とアルは笑った。
『ありがと。その情報さ、移動先にも持ってこれないもんなのか?』
『難しい。お前の故郷ほど、連絡手段が整っていない』
確かに、マジックアイテム、いや、呪い品も見聞きした限りでは、声や文字を届けるものはなかった。火を求めないランタンや、最大の品はやはり物を入れられるアイテムバッグやアイテムポーチだ。頭の先から足の先まで塗りたくった石鹸を洗い流し、アルはまた湯を沸かしてもらい、足の裏を洗ってからたらいに入って座り込んだ。少し肌寒い風が吹くので肩まで浸かりたいが贅沢は言うまい。久々の湯だ。
『戻るのはわかった。で、相談って、それだけか?』
『お前のランクを上げてしまいたい』
『それパニッシャー権限でできるのか?』
『無理だ。そもそも、私のバディだからとC始まりになっているが、本来はEだ』
登録した時、カウンターの男、恐らくギルドマスターといろいろ話しているのはわかっていたが、そこで多少の恩恵は受けられていたらしい。聞けば、ラングの立場と、SSランクという意味のわからない高さに、差がありすぎると問題になったという。パニッシャーが腕の良い冒険者だと証言するからにはそうだろうが、示しがつかなくなるので何も功績を持たないうちから上げられない、けれど、扱いに困るのでCにしたい、とのことだった。そういう話がされていたのかと、アルは湯を掬っては胸に掛けながら他人事のように聞いていた。
ふと、始まりがEということは、メッティアの冒険者組合で絡んできた奴らのBが意外と高く感じた。そんなに強そうに見えなかったけど、と失礼なことを言えば、ダンジョン専門のギルドラーのランクと、外専門のギルドラーのランクはまた別らしい。ややこしい。
実際、ラングのランクは外だからこそSS、ダンジョンであればSだという。どちらにしても高いと文句を言えば、否応なしだと答えがあった。ラングはダンジョンに行った理由の九割が救助要請だったので、冒険者組合が無理矢理上げたのだという。かといって、ラングのダンジョンでの歩き方が拙いわけでもない。そこはきちんと実績も感じられるが、本人は乗り気じゃなかった、ということだ。ちなみに、アルのダンジョンランクもCに揃えられている。
『じゃあ、どうやって上げればいいんだ? やっぱり依頼か?』
『そうだ。レパーニャまでの帰り道でお前のランクを少なくともBにしたい。ある程度報酬と査定の高い依頼を請けようと思う』
『うーん、任せていいやつ?』
『だめだ、受注者をお前にしなくては意味がない』
なるほど、相談がしたいと言われたわけがわかった。アルは湯から立ち上がってたらいの湯を流し捨てて、また違う手ぬぐいを受け取って体を拭きながら答えた。
『冒険者組合に行って仕事を探す、明後日には出る、ってことだな。わかった、ところでラングは体を洗わないのか?』
『部屋で入る。今日はゆっくり眠らせてやる』
『強制睡眠ってことな。はいはい、よろしく』
アルは苦笑を浮かべ、さっと服を着た。たらいなどを片付けて槍を返してもらい、宿に入り、部屋へ戻る。ベッドに寝転んで布団を被り、アルはラングに軽く手を振った。
『風呂ごゆっくり、おやすみ』
『おやすみ』
ラングの指先がアルの額に触れ、アルは即座に深い眠りに落ちた。触れた相手を夢に落とすことのできる、呪いの一種だ。そうして相棒を眠らせ、ラングはようやくマントを、装備を外し始める。黒いシールドの奥の顔は、相棒であろうと、誰にも見せることはないのだ。
翌朝、というにはとうに昼を回っているが、アルはラングに頬をぺしぺしと叩いて起こされた。今日は随分ゆっくり眠らせてくれたらしい。それはそうとして起こし方には文句を言っておく。
『言ったよな、肩を叩くなり揺らすなりしろって』
『すまん』
ついうっかりいつもの癖でやるらしい。そろそろ諦めるべきか、とアルは顔を洗い、目を覚ました。
深緑のマントに戻ったラングはアルを伴い、まずは一階で昼食を取った。女将にダンジョンはどうだったか尋ねられ、苦笑を返しながら暗かった、とだけ答えた。そういえば、人の子は驚くでしょうね、などと言っていたが、あのダンジョンはどうなったのだろう。
食事を済ませて冒険者組合に赴けば、カウンターの女性が少し身構えていた。生首を運んできたと思ったらしい。
「今日はどうされましたか?」
そっと両手で机を守りながら言われアルは頬を掻いた。結局血の染みを片付けるのに木を削ったらしく、机の表面は色が少し薄くなっていて、やすりがけされたばかりの状態だった。艶出しの蜜蝋はまだ塗っていないらしい。
「フィオガルデの南、所属のレパーニャに戻る。そちらへ移動するついで、相棒のランクを上げたい。何か、依頼はないか」
「あ、あぁ、そういうことですね。そうですね、ええと」
「依頼か? パニッシャー」
奥から紙束を抱えたギルマスが現れて、ラングはそうだ、と短く肯定を返す。ぱぁっとギルマスの顔が明るくなったので、何かあるらしい。
「いや、実は、セティエラの街からの応援要請依頼があってな、うちじゃ役に立てないと思っていたところだったんだ。ここは岩塩坑道のダンジョンが主だからな、それで……」
「要点を」
メッティアで依頼を請けられない理由を長々述べようとしたギルマスの言い訳を静かな声が遮った。無駄話を断る。応援要請依頼というものがその理由だ。アルはラングの声が真剣みを帯びていたので無言を貫いた。言葉も半分以上がわからないが、あとで教えてもらおう、と頭の後ろで腕を組み、聞き手に回った。
「セティエラの街の近くに、魔物の巣ができたらしい。最初は商人の荷馬車が散らばっているくらいで盗賊と思われていたそうだが、離れたところに馬の死骸があって、その死に方が喰い荒らされていて」
「二度言わせるな、要点だけでいい」
「すまん、こういう要請には慣れていないんだ。応援要請の依頼紙を見せた方が早いな」
これだ、と手に抱えていた紙を差し出され、ラングは受け取り、それからアルに渡した。
『読んでみろ』
『また難しいことを』
えーっと、とアルは文字を必死に追った。
「たす……助け、求める、……多い……魔物?」
『ゴブリンの討伐依頼だ』
ふぅん、と紙をラングに返し、アルは眉を顰めた。ラングは紙をくるりと巻いて閉じながら、それで自分の肩を叩いた。剣にしてもペンにしても、ラングはそうしたもので肩を叩く癖がある。
『ここに来るまでは鳥型の魔物や盗賊が多かったからな。これは都合がいい』
『どう都合がいいんだ?』
『応援要請の依頼は、加点が多い。つまり査定がいい。それに、この世界の魔物というのをお前はもう少し知っておく方がいいだろう。あとで説明するから待て』
『わかった』
つまり請けるのだろう。ラングはギルマスに振り返り、紙を差し出した。
「メッティアからの派遣扱いで構わん。受注者をアルで頼む。報酬がセティエラで受け取れるのなら、戻る手間もない、好都合だ」
「パニッシャー、助かる、本当に……」
「礼はセティエラでもらう。さっさと手続きをしろ」
はい、とギルマスは背筋を伸ばしてカウンターの中で手続きを始めた。それを待つ傍ら、ラングは黒いシールドをアルへ向けた。
『お前の故郷でのゴブリンは、ダンジョンの中に生息する魔獣だろう。外では遭わなかったからな。それがここでは元々、外にいる』
『どう違う?』
『家畜を喰い、徒党を組んで村を襲う。繁殖力だけはあるからな、一匹見つけたら巣を潰すまで眠るなと言われるくらいだ』
アルは顔を歪め、そうっと尋ねた。
『もしかして今回もその感じで、一度参戦したら安眠できない感じか?』
『当然だ。何が困るかというと、奴らは女を攫い、性欲を満たす。そうするとどうなると思う』
『あー、え、俺ちょっとよくわからないんだけど、魔獣……魔物って人間の女との間に、子供できるのか?』
『できない』
じゃあなんだよ、とアルは首を傾げた。
『だが、温かい肉の中でゴブリンの種は育つ。そうして育ち切ると、腹を破って出てくる。破られた女はそのまま餌になる』
ラングはアルの腹に指を当て、すぅっと縦になぞった。サァ、とアルの血の気が引いた。思わずラングの手を払い、アルは自分の腹を何度も摩って指の感触を忘れようとした。ラングはシールドを軽く揺らした。
『要請内容を見たところ、まだ街での被害は出ていない。とはいえ、行商人などが危険に晒されているのは間違いない』
『ラングがさっさとしろって言った意味がわかった。じゃあ、もう、今日出るか?』
ほぅ、とラングはマントの中で腕を組んで感心したような声を零した。
『貴重な休みをいいのか?』
『あんな話聞かされてゆっくり休めるかよ。気になって昼寝もできないって』
「パニッシャー、待たせた! 相棒のアルを受注者にして、セティエラの街へ応援にやると記した。頼むよ、そこで殲滅してもらわないと、うちだって危ないんだ」
「わかった」
ラングは依頼紙を受け取り、ポシェットに入れる動作をつけて空間収納へそれを仕舞った。
「私たちはこのまま出る。すまんが、宿へ出立したと伝えてほしい。荷物はない、金は払ってある」
「あぁ、引き受けよう」
ラングはアルの胸板を叩き、冒険者組合を即座に出ていった。アルもその後を追い、戻ったばかりのメッティアを出立した。
面白い、続きが読みたい、頑張れ、と思っていただけたら★★★★★やリアクションをいただけると励みになります。




