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秀吉の兄に転生したけど、そんなの居ないよな   作者: 久之浜真輝(ひさのはままさてる)
20/27

帰り道は気を付けましょう

皆様。おはようございます。またはこんにちわ。はたまたこんばんわ。作者でございます。


体調の方は如何でしょうか?


コロナ渦ではありますが、私はいつも通り出社です。


まぁ、建設業にテレワークなんて無いので。笑笑


さて、今年も何卒、よろしくお願い致します。




1546年 彼の年は時代が変わる年と言われた。


将軍家の復権。三好家の躍進。堺鷹司家(秀高)の巨大化。北条家が関東で優位。


そして、最後に上がるのが織田信秀による尾張の統一である。


1546年1月に嫡男吉法師が元服する。この時、堺中将の鷹司秀高から祝典が送られている。この日より吉法師は織田三郎信長となった。その後、信長は信秀より那古野城の城主に任命され、初めて政務を行った。信長は秀高から指南書を貰っており、まず街道の整備から行った。全ての道を綺麗に整備し、物流を良くする。それに合わせて店を区画し市場を作り銭を落とさせる。この整備は父信秀も採用し支配している城全てで行わせた。これにより織田の財力は更に増えることとなる。またこの時、信秀は北や西に斯波氏や親類等、東の三河では松平、今川と相手が多くいた。


しかしここで転機が訪れる。

それは堺の鷹司秀高による伊勢侵攻であった。この伊勢侵攻伊勢を挟み撃ちするために北伊勢に軍を進めた織田軍。北伊勢の領主達と鍔迫り合いをしていると其処に急報が届く。

今川・松平連合に背後を突かれ、安祥城が包囲させるとい報せであった。

しかし秀高達鷹司軍の圧倒的な進軍速度と伊勢湾からの強襲上陸等により織田軍に余裕が生まれた。

しかも秀高が堺から追加で武器や兵糧等の物質を織田に提供したことで更に余裕ができ、織田軍は安祥城へ転進する。

結果としては今川・松平連合軍を安祥城より撃退せしめる事に成功した。

東海一の弓取りと言われる今川の侵攻を防いだ信秀の力は尚大きくなる要因となり斯波氏や織田の親類方から寝返る者が現れた。また、信長が那古野にて良い政策を行っている事もあり『織田のうつけはうつけではなかった』と言われるようになる。これを見た信秀は尾張統一へ動き始め1546年の11月に史実よりかなり早く尾張統一を成し遂げたのであった。

これにより、織田家は朝廷より正式に尾張守と弾正忠の位を手にいれ尾張の統治者として認められたのであった。



『父上。おめでとうございます』


『うむ。儂からも礼を言う。皆の活躍で尾張を獲れた。これからは内政で忙しくなるぞ』


『『『はっ』』』


信秀は領内の整備に取り掛かる。ここから10年で尾張は堺のような大発展することとなる。


尾張統一が成し遂げられた信秀は次に美濃の斎藤利政との戦を段取りしてきたがここで利政から縁談が申し込まれる。その際、国境の正徳寺にて織田信秀、平手政秀、柴田勝家の織田衆、斎藤利政、明智光安、稲葉一鉄。そして立会人として鷹司秀高が集まっていた。



「えぇぇと。織田殿。何故私をお呼びに?」



『斎藤殿との同盟の立会人として堺中将様の他に誰が居ますでしょうか?』


『左様。我ら斎藤も織田殿と同じで御座います』



「あっ、そうですか。では、条約内容を決めましょうか」


条約の内容を織田、斎藤双方で話し合いが行われる。話し合いは三時間程で粗方纏まった。


「では、内容を整理致します。まずは相互不可侵の締結。次は相互間での通商協定の締結。次に有事の際の援助等。織田、斎藤両家での婚姻同盟の締結。以上ですが。他にありますかな」


『いえ、ありませぬ』


『こちらも同じく』


「では、以上をもちましてここに織田、斎藤同盟を正式に締結とします。双方の代表者は署名を」


織田信秀、斎藤利政は同盟文に署名し互いに交換する。


『斎藤殿。これからよろしくお願い致す』


『こちらこそ。よろしく御頼み申す』


織田、斎藤の同盟が成立した。秀高は挨拶を程ほどに正徳寺を後にし尾張の支店へと帰参する。それを見ていた斎藤利政と明智光安は。


『光安。堺中将を見てどうだった』


『はい。未だ齢14とは思えぬほどの風格。しかも毎日鍛練しているのでしょう、体格も立派です。彼の御仁が次の天下を制するやも知れませぬな』


『いや、織田の嫡男の信長もなかなか侮れんぞ。聞けば奴が治めている那古野はこれまでにない賑わいになっているという。このまま行けば、いずれ我らの息子達はあの二人の門前に馬をつなぐ事になるだろうな』


『殿。それは』


『なに。戯言よ聞き流せ。だが堺中将との縁は絶ってはならぬ。なにか妙案はないか』


『はぁ。強いて言うなれば、堺中将様の家臣に誰かを向かわせる位かと』


『ふむ、戻って考えるか』


『はい』



そして数日後、斎藤利政の娘、帰蝶と織田信秀の嫡男、信長が婚姻することとなり帰蝶は美濃から尾張へと嫁いだ。この事は、秀高の工作により全国に広まり『濃尾の同盟堅固なり。裏には堺中将が噛んでいる』と言われるまでとなった。その結果。下手に美濃や尾張に手出しが出来なくなったとか。


信長、帰蝶の婚姻を見届けた秀高はいつもなら海路で帰るところを、領内の整備を確認する為に陸路で尾張から伊勢、伊賀、大和、河内を通り堺へと戻る予定である。



伊勢を確認し伊賀に入った秀高一向は山道を歩いていた。秀高は信長と帰蝶の婚姻を見た際にあと3年で小梅と正式に結ばれると思うと心が落ち着かなかった。


「(後3年で小梅と結婚か。式は何処で挙げようかな。あと、やっぱり綺麗な着物を着せたいな。あぁ、待ち遠しいな)それにしても」


『殿。気付かれましたか』


「まぁな。殺気を痛いほど感じるよ」


『ここは急ぎ先へ進むのが宜しきかと』


「よし。少し歩くのを速めるぞ」


秀高一向を追いかける集団がいた。その集団からの殺気により秀高は現実に引き戻され警戒をする。暫く歩くと川が見えたので一向は一時休憩をとることにした。


「よし、ここで少し休憩しよう。皆、軽食を摂るように」


『『はっ』』


休憩していると伊賀衆の忍が秀高に報告をしに来た。


『追手は約30から40程が西以外に別れています。恐らく、伊勢氏や細川の残党かと』


「わかった。では、休憩も程ほどに出発しよう」


秀高が立ち上がると護衛達も立ち上がり再出発しようとする。しかしその時、目の前を追手達が塞いでいた。



『おい。そこを退け』


『退くものか。堺中将の一向と見受ける。悪いが大人しく従って貰おう』


『我等が堺中将様の一向とは限らない筈だ』


『堺中将程の体格の持ち主は直ぐに解るわ』


「では、お前達は何故私を襲う」


『ただの敵討ちよ。ここでお前を討つ』



残党達は一斉に川岸に姿を表し秀高達を包囲する。


『お前が死ねば、また戦乱が訪れ俺達が活躍できる。潔く死んでくれや』


「それは無理な相談だ。むしろ私は戦を無くすために動いている。いずれ泰平の世が訪れるのだ。そうなれば必然と武士の役目は変わるものだ」


『俺達は戦がなければ生きていけぬ。解るだろう』


「なら、お前達。俺に従えばいい」


『『なに!』』


「どのみち戦はまだまだある。こんな野武士に成り果てるより従う者がいればよかろう」


『何を言うか』


「なら、俺がお前達を試してやろう。来い」


『こわっぱが~。者共、掛かれ~』



頭目の指示により残党達が刀を抜いて近づいてくる。


「いいか。全員殺すな。気絶させろ」


『『はっ』』


秀高達は刀を抜いて応戦する。


10対40という差であったが堺での課程を通過し秀高直属の近衛部隊である彼らにとっては問題なかった。


四半時(約30分)で残党達を戦闘不能にさせた。


『お、おのれ~』


「なぁ。お前等、もう一度機会が欲しくはないのか?」


『機会だと』


「そうだ。どうせ後三、四十年で戦は無くなる。それだったら乗る船は間違えない方がいいぞ」


『つまり、堺に来いと』


「それはお前さん達の決めることだ。一応、紹介状を渡してやるよ。気が向いたら堺に来な」


秀高は懐から堺の紹介状を頭目に渡す。



「じゃっ。先を急いでるのでね」


挨拶を程々に秀高達は再び堺へ向けて歩きだしたのであった。


そして、伊賀を抜け、大和、河内、摂津へと入り、堺に到着したのは約一ヶ月後であった。


道中、残党に襲撃されたと報告を受けていた小梅は秀高の姿を見ると涙を流しながら秀高に抱き付いたとか。



秀高と小梅が正式に婚姻するまであと二年を切ったのであった。










誤字、脱字がありましたら報告願います。


出来る限り速く修正致します。


よろしくお願い致します。

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