いつもよりすこし刺激的な朝
東京に戻って最初の朝。軽くマシントレーニングを行った雪江は、熱めのシャワーを浴びて汗と疲労を洗い流していく。雪江はシャングリラの寮生の中では早起きである。
朝食前に十分な自分の時間を確保することができていた。真面目な雪江はそれをトレーニングに使っており、同じく早起きである天野ケイはタブレットで漫画を読んでいる。
一方で朝に極端に弱い七瀬雅を叩き起こすのも、雪江の日課になっていた。弱いとはいえ、普段は目覚まし時計の力と体を揺さぶる程度で一応目が覚めることがほとんどだ。立ち上がるまで時間が掛かるので、その間に二度寝しないよう見張っていればよい。
ただ、時々。この日のように、特に目覚めが悪ひ日がある。このような日は。
「雅さんてば、起きてください! ああもう、仕方がないなあ」
雅の布団を引き剥がし、すやすやと眠る雅のマウントを取る。そして拳を握り、人差し指だけをやや立てるようにして、雅の鎖骨付近のあるポイントに突き立てた。
「いっってぇぇぇぇぇ!」
部屋に雅の悲鳴が響き渡る。雪江が柔道の師範に教わっていた、痛点を刺激して激痛を与える技術であった。この痛みで無理やり覚醒させられた雅は、恨めしそうに雪江を睨む。
「おま、雪、これ、やんなって言っただろ……」
「起きない雅さんが悪いんですよっ。もう朝ご飯の時間なのに起きないから!」
珍しく強気に出てくる雪江に、雅は言葉に詰まる。
「んだよ、ちょっと軍団入りしたからって強気になりやがって。ああもう、どけよ、起きるから」
「そうですよ、私ヒールになるんです。だから、容赦しません」
ベッドサイドに立ち、腰に手を当てる雪江は、早く着替えてくださいねと言って部屋から出て行く。雅もふらつく頭を振りながら、起き上がった。
「くっそ、開き直りやがったな。めんどくせぇ……」
汗を吸った下着とシャツを着替え、ジャージ姿になる雅。部屋の外でそれを待っていた雪江は、出てきた雅と連れ立って食堂に向かうのだった。
この寮では、先輩が先に食べて後輩がそのあとから、というようなルールはない。むしろ、道場の掃除であるとか、寮生全員分の洗濯物を洗い干すなどの雑用があるため、時間を少しでも確保したい新人や練習生ほど早く食堂に入り、朝食を摂っている。ところがこの日、雪江が食堂に入ると、それを待っていたというように華山涼子が雪江の手をとり、引っ張った。
「川部……こっち……」
華山が引っ張る方向に目をやると、そこには既に着席していた意外な二人の姿が。それは半月前に雪江の師として名乗りを上げた覆面レスラー、レイナ・シエロこと鈴村天と、練習生の面倒見役ながら、リング上では顔にケバケバしいペイントを施し流血試合も辞さないというヒールレスラー、MACHIKOだった。二人ともテーブルにはコーヒーの入ったカップを置いているだけで、まだ食事をした様子はない。
シャングリラ屈指の美形二人の前に立った雪江は、正直思った。怖い。
「ぷっ、雪江、緊張しすぎ。なによ。私たちが怖いの?」
天が軽く吹き出す。MACHIKOは苦笑して、まあ座りなさい、と席を勧めた。言葉に従い、MACHIKOの向かいに座る。と、華山も雪江の隣の席に腰を下ろした。それを待って天が口を開く。
「飛鳥ちゃんはアパート暮らしだから、寮にいるビューティ・コネクションはこれで全員。ここまではオーケー?」
飛鳥ちゃん。つまりビューティ・コネクションのリーダーにして、シャングリラトップレスラーの一人であるヴァイス高峯は、シャングリラ立ち上げ当初は寮暮らしであったが、早々に退去していた。余談だが高峯も雅同様に朝に弱く、朝食時間の制限がある寮暮らしが合わなかったのではないかと噂されていた。
「涼子と雪江、二人とも寮の雑事なんかは今まで通り他のコ達と一緒にやってもらうんだけどね、それ以外の時間はすべてビューティ・コネクションで預かることになったわ」
天の言葉にこくりと頷く華山と、寝耳に水とばかりに驚く雪江、対照的な反応になった。
雪江を安心させるようにMACHIKOが言う。
「まあでも、寮内の若手の世話係は、私が引き続きやることになったから。てか、会社がそこは譲ってくれなかったのよね。まあ他の面子みたら仕方ないともいえるけどさあ」
MACHIKOと同期の望月登子や、一つ後輩のアヤメ、オリビア。彼女らは皆後輩の面倒を見るにはいまひとつ信用にかける人物、と会社が判断したのだった。特にオリビアは今までも平気で後輩を殴る蹴るしてきた実績があるので、後輩には恐れられていた。
「は、はい、わかりました、よろしくお願いします」
天だけではなくヒール軍団からの指導を受けるとなると不安にはなる。だが、覚悟はあの夜決めたはずだと自分に言い聞かせる雪江。
「話はそれだけよ。とりあえずさっさと朝ご飯食べて仕事しなさい」
そういって天はコーヒーに口をつけた。
複数台ある洗濯機に洗濯物を放り込んでいく作業も、もう慣れたものである。最後の1台のスイッチを入れ終わると、次は道場の掃除だ。道場に向かおうとした雪江だが、肩をつかまれて振り返る。そこにいたのは、ツインテールが特徴的な坂本樹理亜であった。
「あ、なんでしょうジュリアさん」
「なんでしょう、じゃないわよ、ちょっと特別扱いされたからって調子に乗らないでよね」
吊り目をさらに吊り上げて、雪江を睨みつける樹理亜。
「別に、調子に乗ってなんか……。それに、特別扱いって、それは久保さんみたいなことを言うと思うんですけど」
「なによ、ちょっと軍団入りしたからって強気になっちゃって」
(……なんかちょっと前にも聞いたような台詞だなあ……)
「あの、大丈夫です、多分そんなうらやましがられるような環境ではないかと思うので……ちょっと怖いし……」
「う、うらやましくなんかないんだからねっ! ふん、覚えてなさいよ、すぐに追い抜いてやるんだから!」
「いやあの、ジュリアさん?」
雪江を置いて走り去っていく樹理亜。行き先は同じ道場なのだが。
「焦ってるの、かな」
ぽつりとこぼすと、雪江も後を追った。
その日の夕方、自分もデビューが決まったと雪江の部屋に押しかけてきて報告した樹理亜は、「置いていかれたくなかった、不安だった」との内心を吐露しながら、涙ながらに朝の態度を謝るのであった。
キャラクター名鑑 vol.12
リングネーム:華山涼子 本名:鹿山涼子 身長:153センチ 階級:軽量級
出身:広島県 スポーツ暦:陸上(短距離走)
得意技:ダイビングニードロップ、ディスティニーハンマー
概要:シャングリラ三期生。私生活では非常に無口で何事も黙々とこなしていくタイプだが、リング上では一転して荒々しいファイトを見せる。見た目が地味だったのでデビュー後すぐにパンキッシュなヘアスタイルとメイクを施されてリングに上がるようになった。
給料のほとんどをソシャゲのガチャで溶かしているという噂。