雪江の弟子入り
9月。一番の暑さの時期は過ぎたとはいえ、残暑の厳しい中。川部雪江は日課のロードワークに精を出していた。8月の終わりには同期の七瀬雅がデビューを果たしており、しかもそのデビュー戦でスカイツイスタープレスという大技を披露して観客を沸かせたのは記憶に新しかった。
リングサイドスタッフとしてその様子を目の当たりにした雪江は、負けてなるものかと日々の練習に力も入ろうものである。
ロードワークから道場に帰還した雪江は、その道場の前に大きなキャリーバッグを傍らに置いた長身長髪の女性を目にすることになった。背後から分かるそのスタイルは抜群にバランスが取れており、まるでモデルのようですらある。雪江はおずおずと話しかけてみる。
「あの、何か御用ですか?」
その声に振り向いた女性は、かけていたサングラスをはずしながら無遠慮に雪江を眺めると、「ふうん」となにか感じたような様子を見せた。
「あなたは?」
女性に質問された雪江は、あわてて「練習生の、川部雪江といいます」と言いつつぺこりと頭を下げる。
「川部雪江、ね。なかなか可愛いじゃない。あたしは鈴村天。あなたの先輩ってことになるわね、よろしく」
気さくに手を差し出してきた天の手を握り、「よろしくお願いします」と雪江も答える。
「ええと、たしか鈴村天さんといえば、メキシコでレイナ・シエロっていうマスクマンをされてる……?」
記憶を手繰りながら雪江が言う。天はへえ、と感心した表情で。
「あら、知ってたのね。そうよ、今はマスク被ってやってるわ。それで……」
「はい?」
「これから事務所に行くんだけど、ちょっと着いてきてよ」
そう言うと天は雪江の手をつかんで歩き出す。
「えっ、えっ?」
「まあまあ、いいからいいから」
引きずられるようにして、雪江は天とともに事務所に向かうのであった。
「レイナ・シエロ、ただいま帰って参りました!」
事務所に入るなり、大声でアピールしていく天。スタッフが何事、と顔を上げるなか、社長の太田垣が血相を変えて天に詰め寄った。
「鈴村君! なんてことをしてくれたんだ! あちらのプロモーターはかんかんだぞ!」
「かんかんなのはこちらもですけどー? ことあるごとにセクハラしようとするあんなのに世話になるのはもう勘弁なんですー。
それで最近まともな試合組まれてないんじゃ、いる意味ないですー」
「そうは言ってもな、契約のこととか、君に面倒を頼んだ他の……!」
「所属選手を守るのが会社のお仕事でしょ? その辺の調整は、期待してますよ社長」
悪びれる様子も無くにっこりと笑う天。社長は額に手を当ててやや考え込むが、こうなっては仕方ないと気持ちを切り替えたのか、それともそもそもそのつもりだったのか、とにかく「後のことはこちらで何とかする。ただしこっちで試合するのはしばらく待ってもらうぞ」と釘を刺した。
「あー、いいですよ。仕込みたいこともあるし。情報収集もしたいし。それと」
「まだ何かあるのかい」
「この川部、私に預けてもらいたいんですけどいいですよね?」
はい?と雪江が天の顔を見やる。社長も、何を言われたのか一瞬理解できなかったが。
「ちょっとね、気に入っちゃった。大丈夫、悪いようにはしないから」
「あ、あの、鈴村さん、でも私ルチャはできないですけど……」
戸惑う雪江の頭を軽くぽんぽんと叩いた天は、にこりと笑いかける。
「ファイトスタイルを私に合わせろって言ってるわけじゃないの。ただね、いろいろ仕込んであげたいなって思ったわけ。あなたきっと面白い存在になるわよ」
「でも、出会ったばっかりですよ……?」
戸惑う雪江、無理も無い。この単時間で何を見出したというのか。
「私の直感は結構当たるのよ。いいでしょ、社長?」
「うーん、こちらとしては特に止める理由は無いが……」
しかし川部君の気持ちはどうなんだい?と社長。
「どうと言われても、いきなりすぎて」
しどろもどろ。
「雪江、こういうことはね、勢いなの。レスラーはね、勢いが大事なの。はいかイエスか、すぐ決める!」
笑いながら再び雪江の頭をぽんぽんと叩く天。だが、意外に真剣な声色に気づいた雪江は、少しだけ考えて。
「じゃ、じゃあ、よろしくお願いします」
と、頭を下げる。うんうん、と頷いた天は社長に向き直る。
「決まりね。あ、寮の私の部屋残ってる?」
「うん、まだ部屋数に余裕はあるから、特に触ってないよ」
「そ、よかった。雪江、私の荷物持って着いてきて」
「は、はい」
「と、いうことで、雪江は私が預かることになったから」
トレーニングウェアに着替えて雪江とともに道場へ顔を出した天は、そこにいた新人や練習生たち――七瀬雅、天野ケイ、坂本樹理亜――の前でそう宣言した。
「誰?」
開口一番無遠慮に言ったのはケイである。口にこそ出さなかったが、雅も思いは同じであった。樹理亜はさすがに天のことは知っていたが、情況が飲み込めないのは同じだ。
「あら、この私を知らない? 簡単に言うとここの所属レスラーで、あんた達の先輩なわけよ? 口の利き方に気をつけなさいおチビちゃん」
「ひらいひらい(痛い痛い)!」
ほっぺをつねりあげられたケイが悲鳴を上げる。
「鈴村天よ。リングではマスク被ってるけど、プライベートでは素顔なタイプだからよろしく」
ケイをつねりあげながら簡単に自己紹介。
「あんたほっぺた柔らかいわね、赤ちゃんみたい。名前は?」
やっとケイを解放する天を、うらめしげに見上げながらもケイは一応名を名乗る。
「むう。天野ケイですぅ……」
「そう、あんたいい性格してるみたいだから先が楽しみだわ。そっちの二人も名前聞いていい?」
「あ、七瀬雅っていいます。デビューしたばっかりっす」
「練習生の、坂本樹理亜です。よろしくお願いします」
ぶっきらぼうに挨拶する雅と、ぺこりと頭を下げる樹理亜。樹理亜のツインテールが跳ねる。
「はいはい、よろしくね。ジュリアはその髪って染めてるの? それとも地毛?」
「あ、地毛です。ハーフなので」
「へえ、染めなくても明るい髪ってのはいいわね。きっと役に立つわよ」
「ありがとうございます。でもどうせならもっと明るい金色なら良かったんですけどね」
金というには茶色がかった自分の髪をいじりつつ、残念そうに言う樹理亜。
「まあ人生そんなもんよ。さてと、雪江、あんたの今の能力見せてもらうわよ。準備運動したらリングに上がって、まずはグラウンドのスパーからはじめよっか」
「は、はい。よろしくお願いします」
突然弟子入りとなってしまったことに狐につままれたような戸惑いを感じつつも、これが少しでもデビューに近づくのならと前向きにとらえた雪江。今出せる精一杯を天にぶつけるため、気合を入れるのだった。
キャラクター名鑑 vol.9
リングネーム:レイナ・シエロ 本名:鈴村天 身長:166センチ 階級:ミドル
出身:東京都 スポーツ暦:特になし
得意技:シエロロック(A.Tロック)、シエロサルト(エンボリオ・アルマニッシュ)
概要:インディー団体出身で、シャングリラトップレスラーの一人ヴァイス高峯の直接の後輩にあたる。モデル経験のある長身のマスクマン。マスクは目のあたりを中心に覆う、布面積の少ないもの。メキシコ遠征で身につけた数々のメキシカンストレッチを操る。細身のためやや耐久力に難あり。
スコッチウィスキーが好きで、夜な夜なバーに出没しているとか。




