page43 後始末
「おい、陽平......何をやってんだよ」
それから数年程が経過した頃。
他メンバーから研究所を追いだされたと聞き早朝に家を飛び出して駆けつけたものの、所内では得体の知れない光景が繰り広げられていた。
こちらに背を向け佇んでいるのは、陽平ただ一人。だがその奥にある実験台に、誰かが横たわっていた。
「やあ所長。久しぶりだね。いきなりで悪いんだけどさ、ちょっと全設備を使ってるから出て行ってもらえるかな」
「そうじゃねぇ! お前......自分の妻をどうするつもりだ!!」
横たわっていたのは、彼の妻である黒金京。
黙々と彼女の遺体に器具を取り付けてゆく陽平に、思わず怒鳴り声をあげてしまう。
だが、本人は意に介した風もない。
「簡単な事さ。京を生き返らせる。死者蘇生だよ」
そう言ってこちらを振り返る陽平。
焦点の合わない眼、深くこびりついた隈、薄ら笑いの跡が残る皺。
その顔があまりにも絶望で歪みきっている事に、蒼井は思わず恐怖心を抱いた。
「......無理だ。死者蘇生が人間で成功した例は無い。アタシ達には無理な話なんだ」
「おいおい、勝手に俺を『アタシ達』の中に入れないでくれよ。なんせ俺には神様がついてるんだからさ」
普段なら妙な事を言うな、と一蹴できただろう。
だが今は、陽平のあまりに恐れるあまり否定の言葉が口から出ない。
彼の隣に揺らめく一片の黒い靄が、それの信ぴょう性を上げているのも事実だろうか。
「子供は......京平は、どうした」
「え? 京の蘇生の為に少し弄って...後は知らないよ」
まるで当然の事を聞かれたかのようにとぼけたふりをする陽平。
その態度に、言い表しようのない怒りが沸々と湧き上がる。
「そりゃ最初はあの子だけでも育てようとか思ったさ。だけど、あれを見る度に京の顔を思い出すんだよ。それが嫌で嫌で、ね」
何を言っているんだ? こいつは。
嫌だからなんだ? こいつってそんなイカレただったのか?
こんな奴と、アタシは何年も研究を共にしていたのか?
「よし、できたよ。じゃあ神様、お願いします」
会話の内にも作業は進んでいたようで、遺体にはびっしりと器具やチューブが付いていた。
今すぐにでもやめろと叫びたかったが、彼の隣に佇んでいた靄状の『神様』とやらに気圧されて身体が動かなかった。
「...ああ」
唸り声とも相槌ともとれるような、低く小さな声。
そして、辺り一面に被害が及ぶような大きな地響きが起きた。
★★★
「な、何が起きた...?」
突発的に起きた地ならしで、あっという間に辺りがぐちゃぐちゃになった。
地響きによって落ちた照明や器具などを払いのけ、京を再び見る。
まさか、死者蘇生が完成したのか!?
ほんの微かに抱かれた興奮は、京の有様を見た瞬間に露と消えて無くなった。
先程までピクリとも動かなかった京は、今確かに動いている。
だが、手足の動きがバラバラで曲がっちゃいけない方向に曲がっていた。白かった皮膚は腐った緑色へと変貌し、目の焦点は明らかに合っておらず光も籠っていない。
何より、発する言葉が『あ...あ゛......』と人間のものでは無かった。
これではまるでファンタジーに登場するような——————、
「......ゾンビ、だ」
誰がどう見ようと、これは紛れもなくゾンビそのものだ。
だけど、そのことを頑なに受け入れようとしない男が一人。
「ははは......やったぞ、遂に京を取り戻せた!!」
「お、おい、陽平...?」
「ああ、やっとまた逢えたね京! 嬉しい...嬉しいよ!!」
今彼の目には何が映っているのか。
このゾンビを本当に妻だと信じ込んでいるのか? ただの現実逃避なのか?
蒼井にはもう、何が何だか分からない。
ただ、このゾンビの息の根をここで止める事。
それだけは、黒い靄が微かに釣り上げた口角からはっきりと分かった。
「あああああっっ!!!」
咄嗟に落ちていたメスを三本程拾い上げ、その実験台へと全力で駆ける。
狙いは一つ、迷いはない。
「やめろっ、蒼井!」
錯乱した陽平は、必死に蒼井の行く手を阻む。
もはやその意思は陽平本人のものなのか、それとも何かしらの洗脳によるものなのかはわからない。
だから、もう蒼井も迷わなかった。
「どけよ、馬鹿野郎っ!!」
立ち塞がる彼の胸元へ、メスを二本突き刺した。
言葉にならない声と共に、傷口から鮮血が溢れ出る。
倒れ伏す陽平を突き飛ばし、実験台で蠢く生物に残ったメスを突き刺す。
一回、二回、三回。
既にそれが息をしていないことに気づいたのは、両手足指で数えきれないくらいそれを繰り返した後だった。
「あぁぁ...蒼井ィ...京になんてことを.........」
息も絶え絶えに、陽平が蒼井の裾へしがみついていた。
「...アタシ達は、間違ってたんだろうな」
生命の作成。それ自体が、絶対に触れてはならない禁忌だった。今この惨状はその報いだったのかもしれない。
矮小な人間が自身の限界を見誤り、やがて自らを滅ぼす。
まるでとあるギリシャ神話をなぞっているかのような末路だ。
足元で這い蹲る陽平の背中へ、止めのメスを突き刺した。
溢れ出る鮮血がまるで水溜りのようだ、と思った時、自分はもう戻れないんだなと自覚した。
★★★
それから数時間が経った頃。
その研究所には十数名の死体と、それを見下ろす一人の女性。
「これで......終わりだ」
研究を共にした同僚達を一人ずつ呼び、殺した。
この研究を知る者は、決して生かしてはならない。漠然とその考えだけが頭の中で渦巻いていた。
「...折角面白いものが見れたというのに」
陽平が『神様』と呼んでいた、黒い靄。
怪異なのか、人口生命体なのか、はたまた本当に神様なのか。その姿も相まって、正体は分からない。
ただ、この状況を楽しんで見ていたと自白した辺り、少なくとも人類の味方ではないようだ。
「まあ、予行演習はこれで終わりだ。そろそろ本当の世界に行くとしよう」
そう呟いた靄の姿が、一瞬にして空間から消え失せる。
予行演習とはどういうことだ。本当の世界とは何なんだ。
だが靄の正体を暴かんとする気力は、もう彼女には残っていなかった。
ゆっくりと目を閉じ、拳銃で自分の頭を撃ち抜く。
誰もいなくなった研究所に、空しい銃声音だけが響いた。
★★★
「......ここは...どこだ?」
気が付けば、アタシは全く知らない空間にいた。
三六〇度どこを見渡しても真っ白で何も無い。だけど不思議と恐怖は無かった。
まるで風呂にどっぷりと浸かっているような、全身に温かいものが染み渡っていく感覚。
「お、気が付いたようじゃのう。随分と遅かったな」
アタシの眼前に、白い椅子に座った少女が現れた。
緑の葉っぱでできた冠をかぶり、ギリシャ神話の登場人物が着てそうな白い布を身に纏い、椅子の上で胡坐をかいている。
真っ白な肌と髪の毛、そして長い睫毛と深紅の眼。
誰がどう見ても美少女と取れるような風貌だ。少女というよりかは幼女だが。
「まああんな結末を辿ったならば、しばらく目覚めないにも仕方ないか」
「ここはどこだ? アンタは誰だ? なぜアタシはここにいる?」
「これ、質問は一つずつにせんか。まあいい、儂は優しいから一つずつ答えてやる」
そうしてアタシはこの世界は万物を繋ぐ空間だという事(?)、この幼女は一応神様だという事(黒い靄とは別人)、神がアタシに使命を与えるべくこの場所に呼ばれたという事を彼女から聞かされた。
どれも眉唾の信じがたい話ではあったが、死んだはずのアタシが自我を保っている事や眼前の幼女の人ならざる佇まいから、全ての話が真実だと感じた。
「それで、アタシの使命とはなんだ? 地獄の見物か?」
「ある意味正しいな。お主には、これから別の世界に行ってもらいたい」
世界というのは一つではない。
疫病、戦争、隕石の衝突、その他諸々。世界が終末を迎える要因は実に様々かつ、それらの多くは予測不能。
だから、神達は力を合わせて幾重にもなる並行世界を作り出し、本世界のスペアとして同時に監視していた。
アタシがいたのはそのスペアとなる並行世界らしい。
「お主も見たであろう、あの黒い靄を。あれの正体は這い寄る混沌」
這い寄る混沌。クトゥルフ神話におけるトリックスターともいわれ、様々な姿に化けて人間を弄び、破滅に導くとされる。
昔読んだ空想本にそんなことが書いてあったが、まさか実在するとは思わなかった。
「奴の手によって、既に十を超える世界が滅ぼされている。この世界もそうなると踏んでいたのだが」
一応、アタシが世界を救ったという事になっているらしい。にわかには信じがたいが。
「だが、奴は今本世界を滅ぼそうと企んでいる。本来ならば本世界が滅んでも並行世界の一つが新たな本世界になるからそこまで大きな問題ではない。まずいのは、奴が本世界を滅ぼす事じゃ」
混沌という外部要因によって世界が滅べば、並行世界にも時空の歪みが生じて崩壊する。
それを防ぐ為に、アタシに本世界へ向かって混沌を止めてくれとこの神は頼んでいるわけだ。
「世界の崩壊という一大事を人質にとってお主に頼み事をするのは礼儀に欠ける、というのは分かっておる」
それでも、行ってほしい。彼女の目にはそう書いてあった。




