page41 何処か遠くへ
「動くな」
既に三十を超えた矢田が、今まで調達者に属していた事。
それは年若い少年少女達をいざという時に守り、導くためだった。
たとえこの世界がどうしようもなく残酷だとしても、せめて自分自身が救える範囲だけでも救おうとした。
しかし死と隣り合わせの世界で、彼らは目覚ましい成長を遂げ続けている。もはや、自分が必要とされないくらいに。
矢田は、それでいいと思っていた。いずれ彼ら彼女らが強くなり、ゾンビまみれのこの世界を壊して新しく創る役目を負う事になる。その礎となれるなら喜んで死に征くつもりだった。
だからこそ、今この場面だけは自分一人で行かねばならないと思った。
「あら、何のことですか?私は武器を取りに行こうと...」
当の彼女は実銃を突き付けられながらも、泰然自若とした態度を崩そうとしない。
それどころか、怪しげな笑みさえ浮かべている。矢田はそれが気に食わなかった。
「とぼけるな。先程誰かと通信していただろう。独り言が筒抜けだったぞ」
わずか数秒の空白を経て、突然紬が懐から出したナイフで矢田の首を狙った。
その突撃を即座に照星で弾き飛ばし、連撃を回避するために数歩離れて距離を取る。
「凄いですね、気付きませんでした」
「まだとぼけるか。どうせ誘い込むつもりだったんだろう」
「あ、それも気付いてましたか」
心配してついてくるであろう非戦闘員を始末し、少しずつ戦力を削ぐ。それが当初の目的だろうか。
となると彼女自身の戦闘力は高くないのかもしれないが、油断は禁物。
「ですが貴方が来たのは不幸中の幸いです。なんせ貴方、声が小さいですから」
彼女の前では一度も声を発した事は無いのだが、どうやら弱点もバレているようだ。
恐らく基地のボスと内通でもしていたのだろう。第三勢力というよりは黒幕の手下と考える方が自然だろう。
そして『声が小さい』という事。要するに、助けを呼べない。
何か物音でも立てれば気づくかと思ったが、非戦闘員である彼女らが来ても人質にされる可能性の方が高い。通信機は使えるが、戦闘中に通信をさせてもらえるほどの隙を果たして作ってもらえるだろうか。
誰か一人でも調達者を連れてくるべきだったな、と自省する。
ちらりと拳銃の状態を確認する。
上手く弾き飛ばしたつもりだったが、深い傷が付いている。これではまともに撃てないどころか暴発して逆にこちらが致命傷を負いかねない。
「言っときますけど、女だからと言って舐めないでくださいよ!」
「その心配はない」
瞬きする間もない予備動作から繰り出された突撃を軽くいなし、矢田もナイフで応戦する。これほどの戦闘力を隠していたという事は、やはり自分達を信用していなかったのか。
突き主体の立ち回り相手には正面に立つ事を避け、上手く攻撃を逸らしつつ後隙に予備動作小さめの軽い反撃を繰り返すのが吉。
とはいえ彼女も相当な鍛錬を積んでいるようで、後隙を狩られないように引き気味の姿勢でこちらの出方を窺う色が強い。
ならばと思い敢えて前に出る素振りをし、逸った彼女が隙を作ってしまうよう誘導する。
「私よりも強い女性なら何人も知っているからな」
顔狙いの大振り。裏拳でナイフを弾き飛ばし、左手に持ち替えたナイフで両肩と首を繋ぐ鎖骨を斬り裂いた。
すかさず右足で紬の顎を蹴り、ボディタックルで壁に弾き飛ばす。
「ゴホッ.........強い゛ですね゛......」
彼女は顎を蹴られたせいか、上手く口が開かないようだ。
「黙れ。貴様の正体、目的、黒幕との関係、仲間の人数を言え」
「言う訳...ないじゃないですか。だって勝負はついてませんよ」
完全に戦意を喪失したフリからのナイフ投擲。
持ち前の反射神経で、ギリギリのところで躱す。頬を掠ったナイフが鮮血と共に地面へとなだれ落ちた。
普通鎖骨を斬り裂けば両腕は使えなくなる。気力でどうこうできる問題ではない。投擲なんてもってのほか。
それでも彼女は正確に、自分の顔を狙ってナイフを投げてきた。
「...ゾンビか」
「あったりー。まあ馬鹿でも気づきますよね」
痛みも消えたのか、それとも元から痛覚なんてないのか。何事もない素振りで紬が立ち上がる。微かに見えたその脇腹には、確かにゾンビ特有の縫い目があった。
動かないはずの両腕をひらひらと動かしているのは、こちらの動揺を誘う為だろうか。
「あれ、あんま驚いてないな。流石オトナ、って事?」
「言語を解すゾンビなら偶に見かけるからな。例えば九栗勝とか」
「......へぇ」
ゾンビを嗾け基地を爆破したボスこと、九栗勝。
第三勢力でもない以上彼とのつながりは何かしらあると思って名前を出してみたが、流石に余計な情報をべらべら喋るつもりはないようだ。
だが、何も知らないという顔ではない。聞きたかったら精々吐かせてみろ、といった挑戦的な目だ。
だが、これで彼女と黒幕の繋がりがあるのは決定的となった。尚更彼女たちの元に帰す理由はなくなったといってもいい。
「んで、それを知ったらどうします? 逃げて皆に知らせます?」
「どうもしない」
その会話が終わるより早く、ナイフとナイフがカチ合った。
懐から取り出したもう一本のナイフも使い、黒金の二刀流のような怒涛の攻め。
先程までと打って変わって、随分攻撃的な戦い方だ。
刃物のぶつかり合う音は、予想以上に周囲へ響く。
いくら校舎裏とは言え、このままでは心配した古村達が来てしまう。ここは早めに決着をつけ、彼女らが来るまでに紬を隠す必要がある。
いや、隠すだけじゃ自分が疑われる。どうにかして説明を——————、
「駄目じゃないですか、戦闘中に他の事考えちゃあ」
「......!!」
一瞬の硬直を紬は見逃さない。
胸元から拳銃を素早く取り出すと、矢田に向けて発砲した。
辺りに鋭い高音が響く。二回、三回。
やがて発砲音が消え、カチカチといった空しい音だけが残った。
「...あれ。弾詰また。まあ全然使って無かったし仕方ないか」
その発砲音の発生源は矯めつ眇めつ拳銃を眺めた後、玩具に興味を失った幼児の如くそれを側溝に投げ捨てた。
カキン、と空しい音を鳴らし、溝の中へ拳銃が姿を消した。
「......さて。これで終わりですね」
眼前には、血塗れで天を仰いで倒れる大男。
微かに息がある事は、口元の動きで分かる。
「ホントは頭でも撃った方がいいですが、貴方の脳を傷付けるわけにはいかないのでね」
紬がゆっくりと近づき、反撃の意思が無い事を確認したのちナイフを持って馬乗りになった。
「やっぱ戦闘は隙を突いてなんぼですね。胸に拳銃仕込んでるなんて思わなかったでしょう? 胸の谷間に拳銃を入れとけばバレないし、男相手なら隙も作りやすい。胸が大きくないとできない芸当ですが」
「隙...か。そうだな」
「わお。胴体に三発ぶち込んだのにまだ喋る余裕があるなんて」
わお、なんて驚いた素振りは見せたが、流石に死んでない事くらいは予測していたらしい。
その首にナイフを突き立てようとしている事がその証明だろう。
「それで、今何か言いました?」
「忠告だよ。人間を甘く見すぎだ」
そう言って矢田がポッケから何かを取り出し、紬の眼前に突きつける。
金属製のワッカに、細長い針が付いたその『何か』とは——————、
「そ、れは......」
刹那。
グレネードの安全ピン、と言い終わる前に、周囲の半径数十メートルを巻き込んだ大爆発が巻き起こった。
爆風、瓦礫、黒煙、轟音。奇しくも基地の崩壊を思い起こさせるような光景が校舎裏で巻き起こる。
十数秒もの時を経て、周囲の煙が晴れて視界が鮮明になる。
「ウ゛...あ゛......」
半身が消え失せ、頭から足まで焼け焦げ言語すらまともに発せない紬が、両足の吹っ飛んだ矢田にトドメを刺そうと溶けたナイフを振り下ろす。
しかしその片腕が振り下ろされるより早く、彼女の剥き出しの首が斬り落とされた。
「......やるじゃん、アンタ」
いつの間にこの戦場へと来ていたのは、ブルー。
ボトリと落ちた紬の頭を踏みつぶし、遺った半身を斬り刻む。
「正直負けると思ってたよ。だからアタシが潜んでたというのに、一人で相打つなんてね」
「......彼女...は、何......者...だった...んだ.........?」
虫の鳴き声より小さく儚い声で、矢田が口を動かす。
ゼロ距離で爆発を受けたというのに、まだ喋れるとは。普段から飄々とした雰囲気のブルーも今回ばかりは驚きが隠せないようで、一瞬空気が止まった。
「...黒幕の手下さ。基地のボスとやらと同じだよ。アタシ達を殺すつもりだった」
「そう、か......」
自分の行いが正しかったと知れたのが嬉しかったのか、矢田がゆっくりと目を閉じた。
もう彼の命が長くないことは誰の目から見ても明らかだ。
「頼...みが、ある.........」
「...なんだい」
「私...を、何処か......遠くへ.........」
何処か、遠くに。
その言葉が言い終わらぬ内に、彼の指が下を向いた。
「......ああ」




