嫌われたくない
あれから数日後‥
業平の機嫌が悪いらしい。
葵の前では優しいが、侍女や従者には当たり散らしているらしい。
「葵様〜!殿をお鎮めください〜」
「どうしたのですか?」
「もう殿の八つ当たりがひどいのです」
2人の従者が葵の部屋にきて泣き言を言った。
葵が業平の部屋へ行くと、従者が殿と話しかけると「なんだ!」と怒声が返ってくる。
葵が「殿、葵です」と言うとすかさず襖が開けられた。
「葵か‥どうした?」
目尻を下げてとても優しい声で言いながら葵を見つめている。
隣の従者が驚いているのが横目でわかった。
「あの‥最近殿の様子がおかしいとお聞きして尋ねました」
「‥そうか」
業平が従者を睨む。
従者は怯え青ざめていた。
(泣きそう‥)
葵は従者が気の毒になりほほ笑みかけた。
業平がそれを見ていて目つきが鋭くなり、従者を顎でもう行けと合図をする。
従者も慌ててその場を離れていく。
「入れ」
業平が部屋に入るように促す。
中は広いがこざっぱりとしていて、必要最低限のものしかなかった。
最初に目に入ったのは床に散らばっていた数枚の紙だった。
「これは?」
「‥文だ。お前を娶りたいとのな」
「え?」
業平が忌々しげに紙を踏み潰す。
「え、あの‥もしかして」
「義康だ。以前会っただろう。あれから毎日送ってくる。葵をくれとな」
業平の機嫌が悪いのはこのせいだった。
たった一度会っただけなのに。
苛々している業平に葵はどうすればいいかわからず立ち尽くす。
業平は固まっている葵に気づき、すまないと謝り座布団の上に座るように促す。
「案ずるな。お前をあやつのところには渡さん。渡すものか」
執着に近い言い方に心臓がはねる。
力強い視線で見つめられ思わずそらすが、文に視線を戻す。
そこには葵を妻に迎えたいとか、葵が忘れられないなど情熱的に書いてあった。
顔が赤くなるのを感じ、それを見ていた業平は苛立ちがつのる。
「なぜ赤くなる?お前も満更じゃないということか」
「え?いえ、あの‥男性からこんな文をいただいたことがないので‥」
「まさか、絆されていないだろうな?」
突然、業平が葵を押し倒す。
「あっ‥」
両手を大きな手に押さえつけられ、身体をまたぐようにして業平が見下ろしていた。
葵は一瞬で恐怖を感じて両手を動かすが、強い力で押さえつけられたままだ。
「はなっ」
「お前は俺のものだ。どこにもやらんぞ、葵」
業平の顔が近づき、葵は咄嗟に顔を背ける。
すると首に唇を押し当てられ舌でつうっと舐められた。
「やあっ」
身体に電気が走ったかのようにビクッと反応してしまう。
涙目で見上げると辛そうな顔をした業平が葵の頬をなでる。
「あやつに触れられたと言ったな。首と頬と‥髪か」
胸に響く低い声で耳元で囁かれ、首から頬、髪に口づけをされる。
葵は解放された片手で業平の肩をおすが、力がでなかった。
男性特有の匂いが葵を包み込み、目まいがする。
業平にもう一度両手を押さえつけられ、獲物を狙うような目で見下ろされ葵は涙をこぼす。
「や‥う‥ひく、ひく」
嗚咽としゃくりを我慢できずに泣いていると、大きな身体が葵の上から離れる。
解放された両手で身体を起こすと、業平は背中を向けていた。
葵はすぐに立ち上がり部屋を出ていった。
自分の部屋に戻り、声を押し殺すようにして泣く。
侍女たちが心配そうに見にくるが、しばらく放っておいてほしいと遠ざけた。
あれから3日たつが葵は業平と顔を合わせていない。
お詫びなのか贈り物は毎日届くが、見る気になれなかった。
食事も毎日一緒に食べていたが断っている。
こんな長い時間顔を見ていないのは初めてで、少し寂しい思いもあるが今はまだ許したくなかった。
(法眼さんに会いたい‥)
法眼を思い出してじわっと涙がでてくる。
あの優しい顔が見たい。
葵が辛い時に優しく寄り添ってくれていた兄のような人だ。
あふれてくる涙を拭っていると‥
「‥葵」
業平が部屋の前で遠慮がちに呼ぶ。
葵はビクッと反応した。
返事をしないでいると‥
「この前はすまなかった。あんな強引なことをするつもりじゃなかった。ただ‥お前を取られたくなくて無理強いをした。許してくれ」
本当に反省しているような弱々しい声だった。
それでも葵が返事をしないでいると‥
「‥今夜から戦に出かける。少し家を空けるから留守を頼む。俺の側近を何人か置いていくから何かあったら言え。‥少しだけ顔を見せてくれないか?」
業平が戦に出ると聞いて部屋の外を見る。
大きな影が襖に落ちている。
襖を開けようと立ち上がりかけるが、身体が動かなかった。
業平はしばらく待っていたが、やがて諦め離れていく。
(あ、待って)
葵は心の中で呼び止めるが、数日後には帰ってくる未来が見えたので追いかけなかった。
夜になると母屋側の門沿いにたくさんの人が集まっている。
戦に行く準備で男性たちが雄叫びをあげていた。
その中心に業平がみんなを鼓舞していて、馬に颯爽とまたがる。
刹那、離れの部屋から見ていた葵に気づいたのか片手を振り上げる。
そして、最初に出会った時のように赤鬼の面を被り駆けて行った。
無事に帰ってくるとわかっていても心配なものは心配だ。
意地を張らないでいればよかった。
葵は今度帰ってきたらちゃんと出迎えようと決める。
今夜、業平が帰ってくる予定だった。
葵は朝からそわそわしてしまい落ち着かなくなる。
どうやって出迎えるか考えていると‥
母屋の門から言い争う声が聞こえてきた。
(なんだろう?)
葵が母屋の方まで行くと、訪問者を門番が止めているようだった。
誰なのかここからでは見えないが、声が聞こえてくる。
「いけません、義康様!殿に留守中は誰も入れるなと言われています」
「私は業平に会いに来たのではない。葵姫に会いにきたのだ」
すると母屋にいた葵に気づき、義康が葵姫!と叫ぶ。
葵はビクッと反応してしまい、その場に立ち尽くす。
義康は門番を払いのけて、葵の前まで急ぎ足でやってくる。
以前会った時のような口元に妖しい笑みを浮かべ、葵の手を取る。
「ああ、やっと会えた。文を何通も送ったのに一向に返事がないから我慢できずにきてしまった。大方、業平が許さなかったのだろうけど」
義康は葵の手を握りながら、甲を親指でなぞる。
葵は引き抜こうとしたが、思ったより強い力で握られておりされるがままになる。
「あ、あの‥」
「義康だ」
「え?」
「私の名前だ。呼んでごらん」
蛇のような目でじっと見つめられ葵は戸惑う。
「義康様。あの‥お離しください」
「ん〜。そなたが私の妻になるのならいいよ」
握られた手をぐっと引き寄せられて、距離が縮まる。
葵は慌てて抵抗するが男性の力には敵わない。
「困ります!」
「私の妻になったほうがもっと贅沢させてあげれるし、欲しいものはなんでも与えよう。屋敷もここより大きいしきっと気にいるはずだ」
「あの、私はそんなのに興味はありません」
「なぜだ?女はそういうのは好きだろう?」
義康は本当にそう思っているようで首を傾げる。
業平といとことは言え、強引なところは似ているが葵が嫌がれば離してくれたのに、義康は離してくれない。
従者や侍女に助けを求めるかのように辺りを見回すが、みんな助けに入れず遠巻きに見ている。
「みんなは助けに来ないよ。私は業平よりも位が高いからね」
本家の人間だからねと笑みを浮かべながら言う。
「本家?」
「そう。私は本家。業平は分家。だから業平のものは私のもの。今までもそうしてきた」
「なんて横暴な‥」
「ふふ。だからそなたも譲ってくれるはずだ‥おや、早かったね」
義康が後ろをチラッと見る。
すると、馬の蹄の音がだんだん大きくなりみんなが戦から帰ってきた。
一番先頭には赤鬼の面を被った業平がこちらに気づいたのか、すぐに馬から降りて面をとりながら早足で向かってきた。
「義康。俺の留守中に来るとはいい度胸だ。葵は渡さんと言っただろう!」
怒号が響き渡り、手を握られている葵をひったくる。
葵の肩を抱き寄せ、胸に押し付ける。
胸元がはだけているため直に肌にふれ、業平の汗と男性の匂いを感じる。
葵は恥ずかしくなるが嫌ではなかった。
久しぶりの業平は少し無精髭がはえてて、さらに雄々しくなっていた。
「ふふ。早かったではないか。戦には勝利したんだろうね?」
「当たり前だ」
「その褒美といってはなんだか、そなたのものと私のものを交換しないか?」
「断る」
「まだ何かも言ってないよ」
「どうせ葵だろう」
葵の肩を抱く力が強くなる。
義康はますます笑みを深め美しいを通り越して少し不気味だ。
「ご名答。どうしても葵姫がほしいのだ。姫の持つ能力にも興味がある」
「!」
(知っていたの)
葵が無意識に業平の服の裾を握る。
業平は葵を見下ろし義康から見えないように抱き込める。
「葵は渡さん。帰れ」
「そなたがほしがっていた私の土地と交換しようと思ったが‥それでもか?」
「いらん!」
義康は業平の折れない様をしばらく見ていたが、ため息を吐くとようやく帰ろうとする。
すると、すれ違いざまにぼそっと囁く。
「忘れるでない。姫のことは諦めないよ」
妖しい笑みを浮かべながら、義康は葵を名残惜しげに見つめ去っていった。
すぐに業平が葵を両手で力強く抱きしめる。
「と、殿」
「会いたかった、葵。焦がれていたぞ」
業平は葵の髪に顔を埋めすうっと匂いをかいでいたが、はっとなり葵を離した。
「出立前はすまなかった。無理強いをした‥」
バツが悪そうに目をそらす。
「いいえ。もう大丈夫です。先ほど守ってくれたので」
「そうか‥しかし、俺の留守中にも来るとは。本気で奪うかもしれん」
「え?」
「言っただろう。あやつは欲しいものは力づくで奪いにくるのだ。対策をせねばな」
業平は葵を見つめ、もう一度会えなかった分を取り戻すかのように抱きしめる。
今度は葵も抱きしめ返す。




