続・眠れない夜
カノンの意識が眠りに落ちそうな夜明け前。耳に届いた微かな異音に、意識は現実へと引き上げられた。
(警備は厳重にして貰ったはず……それでも強引に突破してきた? そこまでして、シフォンさんを狙う理由は……)
平民であるシフォンを執拗に狙う理由が、カノンには咄嗟に思い付かなかった。
(…………貴族としての矜持? 学園の事件で、貴族としての重大な何を失いそうになった。その恨みをぶつけようとしている? いや……爵位が揺らいでいるという話は聞いてない。厳重注意に留まったはず。それは表向き? 裏では、爵位の剥奪すらあり得るとされているとか? ううん。それだとしたら、この状況は、事態を悪化させる事にしか繋がらない。つまり、狙いはクリムソン侯爵家とウルトラマリン伯爵家……いや、もっと個人的だ。お嬢様とフェリシア様への復讐。ちょっとやり方が陰湿だけど、二人の精神には苦痛を与えられている。でも、生きていれば、まだ希望を持ってしまう。だから、駄目押しでシフォンさんの命を奪おうとしている。平民の命を命と思っていない。自分達が選ばれた者と思っている貴族らしいと言えば貴族らしいか)
カノンは、自分の中でそう結論付けながら、病室の外に出る。音はこちらに確実に近づいていた。夜明け前という事もあり、窓から差し込んでくる光量はほんの僅か。先程よりも暗い状況になっていた。その中を悠然と歩いてくる黒ずくめの影。その頭には人の耳とは別の耳が付いていた。
(獣人……あの形は犬人族か)
犬人族は、二本の短剣を抜きながら、カノンに急接近した。その動きに淀みはなく、流れるように短剣でカノンを斬り裂こうとする。カノンは、即座にバックステップを踏み、距離を取る。
(血の匂い。何人か殺してる……そして、殺し慣れている)
短剣から僅かに香る血の匂いに、カノンは少し顔を顰める。また病院関係者が被害に遭った可能性があるからだ。こちらの事情に巻き込んでしまっている事を申し訳なく思っているのだ。
距離を取ったカノンは、即座に構える。武器を持っていないカノンを、犬人族は鼻で笑う。それは、この程度に遅れを取った自分の仲間に向けたものでもあった。
犬人族は、カノンを殺すために、真っ直ぐ突っ込んでくる。だが、次の瞬間眉を寄せて困惑する。それは、カノンが急に目を閉じていたからだった。猫人族は、犬人族程鼻が良い訳ではない。なので、目を瞑れば、カノンの方が不利なのだ。
「馬鹿が……」
犬人族はニヤリと笑う。そして、その直後に目を焼かれる事になった。
「ぐあっ!?」
犬人族の目を焼いた正体は、突如目の前で生じた異常な明るさの【光球】だった。一瞬現れて、炸裂した【光球】は犬人族の視界を奪うには、やや過剰な光量だった。
「馬鹿が! 目を潰されたところで、こっちには鼻がっ……あ?」
匂いでカノンを追おうとした犬人族の身体に、貫かれるような痛みが走った。同時に服が濡れる感覚もする。
「ま、魔術……だと……」
驚愕している犬人族の身体をいくつもの水の矢が貫いていった。【光球】を一度使うだけなら、驚愕などしない。だが、ここまで多くの水の矢を使ってきたという事が驚きなのだ。獣人族の魔力量は少なく、一気に使えば使う程不利になる可能性が高いからだ。
襲撃犯が一人ではない可能性がある以上、カノンは魔力をセーブして戦う必要があると考えていたところに遠慮無しの魔術だ。驚くなという方が無理がある事だった。
身体をズタズタにされた犬人族はその場で倒れて血溜まりを作り始めた。
「何人で来てるの……」
そう呟くカノンの耳には、ここまで向かってくる複数の足音が聞こえていた。その足音が、これまでの襲撃犯の靴と同じ音なので、全員が襲撃犯だという事が予想出来た。
(私が返り討ちにして捕らえた事を知って、数で攻める事にしたのかな。迷惑過ぎる)
カノンは、シフォンの病室の前に移動する。
「『封印の鍵・朽ちぬ錠・我が魔力を糧に施せ』」
カノンは、シフォンの病室に【魔力施錠】の魔術を施す。魔力によって扉などに鍵を掛ける魔術だ。物理的に無理矢理壊す事も出来なくはないが、かなりの力が必要になる。解錠方法は、施錠した術者の死、もしくは術者が魔力を通す事のみ。ただし、施錠した術者の魔力が強ければ強い程、死後も続く呪いに変じる危険性がある。
自分が戦っている間に病室に入られたら困るので、厳重に鍵を掛けたのだ。
「貰うよ」
カノンは犬人族の襲撃犯が落とした二本の短剣を拾う。そして、一度深呼吸をしてから、最初に接近してくる襲撃者に向かって、低い姿勢で近づいた。
「は?」
急にカノンが沈んだと思えば、自分の腰の前に現れたのを見た襲撃犯は、一瞬呆けた声を出したが、すぐにカノンを蹴ろうと足を動かす。だが、その前にカノンが太腿と脇腹を深く斬って後ろに抜けた。
「ぐぅ~……!!」
痛みに歯を食いしばる襲撃犯の項に短剣が突き立てられる。項から喉に掛けて貫いた短剣を手放し、その背中を思いっきり蹴り飛ばした。地面を転がる襲撃犯を尻目に、こっちに向かってくる襲撃犯に顔を向けると、短剣が飛んできた。
カノンは、持っている短剣で弾いて、上に飛ばす。そして、すぐに自分が持っている短剣を襲撃犯に投げつけた。襲撃犯は、それをサイドステップで避ける。
それと同時に上から降ってくる短剣を掴み、再び投げつける。この二本目の投剣には反応が遅れ、太腿に突き刺さった。
「ああっ!!」
足から力が抜けた襲撃犯は、そのまま目のめりに倒れる。
「『刃となり吹き荒べ』」
その襲撃犯に向かって【風刃】を使う。床を這うように飛んでいった風の刃が襲撃犯の身体を縦に斬り裂く。真っ二つとはいかないが、血が霧のように噴き出すくらいには深い傷を与えた。
それを見た直後に背後を振り返って、床を蹴る。一気に飛び出したカノンは、その勢いのままこちらに向かって来ていた襲撃犯の顔面に膝蹴りを打ち込む。勢いで後ろに吹っ飛んでいく襲撃犯の顎をそのまま蹴り上げる。サマーソルトのように後ろに一回転して着地する。
そこに接近してきていた襲撃犯が短剣を突き出してくる。カノンは、その短剣を自分の前腕に突き刺させる。走る痛みを、歯を食いしばる事で耐えて、強化した足を使い、襲撃犯の腹を蹴る。
「ぐぷっ……」
襲撃犯は腹を押えて倒れる。その首をカノンは即座に踏み抜いた。そこに二人の襲撃犯が短剣を抜いて接近した。その片方の前に小さな黒い渦が現れる。それは闇属性の基礎魔術【闇穴】だ。大きさは十センチで固定であり、周囲の物を吸い寄せて、穴に飲まれた物を消滅させる。襲撃犯は、即座に後ろに跳ぶ。【闇穴】は人も飲み込む事が出来るが、問答無用で吸い込むには吸引力が足りない。だが、牽制には十分だ。
カノンは、突き出される短剣を避けて、襲撃犯の目に向かって掌底を打ち込む。
「ぐぎゃああああ……っ!!」
目を潰された襲撃犯が叫ぶが、次の瞬間には喉をカノンに貫かれた。手を引き抜いた瞬間に、後ろから腰を刺される。襲撃犯はニヤリと笑うが、その顔面に肘鉄を入れられ、鼻血を出しながら仰け反る。そして、カノンは股間目掛けて蹴り上げた。襲撃犯は泡を吹きながら倒れる。カノンは、その首を踏むことで折った。
「痛っ……」
カノンは、腰に刺さった短剣と前腕に刺さった短剣を引き抜く。そして、深呼吸をして痛みに耐える。血は段々と止まっていき、傷も塞がり始めた。真祖の眷属になった事による再生能力だった。これがあったからこそ、カノンは少し無理な戦い方が出来たのだった。




