117話 涙
ギシギシと鈍い音でも鳴り出しそうなほどゆっくりと身体を翻しドアに向かって歩き出すメルトは、壊れた玩具のようだ。
相当ショックだったんだろうな。
俺は足元に纏わりつくタコルを見下ろした。
「酷いタコだなお前は。親友にまで臭いと避けられて落ち込んでいるではないか」
「し、仕方ないだろ! 予想以上に臭かったんだ!」
「鼻も無いのに匂いはわかるのか?」
「それくらい分かるに決まってんだろ!」
コイツの身体は一体どういう仕組みになっておるのだ? 本当に未知の生物だな。
俺達はメルトの後に続く形で激臭に包まれたキノコハウスを出て、斜向かいの湖の手前で恨めしそうに顎を引きこちらを見ているメルトから少し距離を取って向かい合った。
「なんでそんなに離れてんだ?」
小石を蹴るような仕草で粘りつくような視線を向けてくるメルトの身体からは、プ~ンと悪臭オーラが立ち込めている。
その臭さはまるで100年間水浴びをしていないオーク、或は蛇型の魔物ナーガが吐き出す毒の息にも似ている。
クソキノコ改、激臭キノコの側にいるだけで吐き気と目眩を催して意識が遠のいてしまいそうなのだ。
「いや………まぁな」
「もっと俺っちに近づけよ!」
頬を膨らませながらなんという無茶を言ってくれるのだ。そう思っているのは俺だけじゃない。ミゼアもゼセットも親友のタコルでさえ、えぇーと今にも叫びだしそうなほど表情を曇らせているのだ。
「そんな事より、早いところゲートとやらを開けてはくれんか?」
「そんなごとってなんだ? これは俺っちにとっては凄く重要なことなんだ! さぁ俺っちの側に来い!」
両手を広げて俺達をなにがなんでも自分の近くに呼び寄せようとするメルトの瞳には、固い決意が感じられる。
恐らくこの試練を乗り越えなければ妖精の都へはたどり着けないのだろうと悟った俺は、断腸の思いで一歩踏み出した。
「ほら、行くぞ」
体を捻り二人と一匹に諦めろという意味を込めて顔を向けると、一様に苦虫を噛み潰した顔で深く息を吐き出した。
「仕方ない……みたいだね」
「俺に臭が付かないだろうな?」
「オイラ敏感だから、気を失うかも……」
恐る恐るゆっくりと激臭キノコに近づくと、満足そうに頷いている。
「俺っちそんなに臭くねぇだろ? お前達は大げさなんだよ」
「………っう」
「臭い……に決まっているだろう」
「敵なら速攻氷漬けだな」
「オイラ……吐きそう」
「何か言ったが!」
囁かれた声に敏感に反応し腕組みしてはジト目で睨みつけてくる。
「もうお前の臭さなどどうでもいいから、早く妖精の都とやらに連れて行くのだ」
「どうでもいい事ないだろ! って、まぁいい、妖精の都に行く為には妖精の涙が必要なんだ」
「「「妖精の涙?」」」
妖精の都へ一度行った事のあるタコルは興味がないというか、それどころじゃないと言った感じでグッタリしているのだが、俺達は聞き覚えのない言葉に声を揃えてしまった。
「では、お前は妖精の涙を所有しておるのだな?」
「お前目ん玉付いてんのが? お前の目の前に可愛い妖精がいるじゃないが」
「そんなのどこにいるのだ?」
「連れで行がねぇーぞ」
わざとらしく周辺をキョロキョロと見渡すと不満そうな激臭キノコがいっちょ前に脅してくるので……取り敢えずご機嫌を取っておくか。
「っお! こんな所に可愛い妖精さんがおったわ」
「初めがら素直にそう言え」
「で、お前の涙があれば妖精の都へのゲートは開くのだな?」
「今からゲートを開いでやるがら、見とげ」
そう言うとメルトは湖に向かって両膝を突き、水上を覗き込んでは器用に左目から涙の雫を一滴零すと、涙が溶け込んだ水面が燐光の波紋を描き始めた。
「どうなっておるのだ?」
「なんだか神秘的だね」
「妖精の流す涙にこんな力があったとはな」
「俺っち達妖精族が故郷を想って流した涙が水と混ざり合うと、故郷へと繋がる道がウォーターゲートとしで開かれるんだ」
妖精族がこんな小細工を用意ていたとは、通りで誰も見つけられんわけだ。
「それでいつになったら門は出現するのだ?」
「なに言っでんだ? もうゲートは開いてんだろ。あとは光が消える前に飛び込むだげだ」
「この湖に飛び込んだら妖精の都に行けるってことかい? たまげたねぇ」
「念のため先にお前が飛び込んでみろ」
ゼセットの野郎、大真面目な顔して主人であるこの俺を毒味的に使おうとするとはいい度胸だな。
「ゼセットよ」
「ああ?」
「命令だ、先に入って安全を確認して来るのだ」
「ふざけんじゃね……って、またやりやがったな貴様!」
必死の抵抗も虚しく、ゼセットの身体はゼセットの意思とは関係なく湖に向かって歩き始めると、首だけをこちらに向けて鎖で繋がれた狂犬のように喚き散らしている。
「貴様だけはマジで許さんからな、覚え――」
――パシャーン――
なにか言いかけていたみたいだが、水しぶきを上げながらゼセットの身体は湖の底に沈んで行ってしまった。
「ゼセットはアルトロと出会ってから、本当に表情豊かになったよ」
「ああ、全ては俺のお陰だな」
「約束通り妖精の都へ案内したから、オイラは帰るぞ。……もう気持ち悪くて限界なんだ。……っう」
触手で口を覆っているタコルがここまで来ておいて帰るなどと付き合いの悪いことを言い出すものだから、ついいつもの癖で湖に蹴り飛ばしてしまった。
「くそっったれえええ――」
「タコル! お前なんてこどすっんだ! タコルは飛べねぇーんだぞ!」
タコルが湖に飛び込んだのを見て、慌ててメルトも湖に飛び込んでしまった。
水の中なのに飛べるとか飛べないとか関係あるのか? 俺は前屈みになりながら水面を覗き込むが、光が放たれる水中は眩しすぎて確認できない。
この湖の中はどうなっておるのだ?
「仕方ない、ゼセットも上がって来ないみたいだし俺達も行くとするぞ」
「入っていいのかい? じゃあ先に行くよ」
俺と同じように水面を覗き込む興味津々のミゼアに、湖の中に飛び込むことを伝えると、嬉しそうに頷いた好奇心旺盛なミゼアは俺の合図を待たずに飛び込んでしまった。
「………一緒に飛び込もうと思っておったのに」
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