109話 深淵を覗く時
「あはははははははは」
私は笑いが止まらなかった。
愚かな人間が自ら大口を開けて、私の過食侵食によって生み出された触手を口内へと招き入れたのですから。
その行為はただの自殺でしかないことをこの人間は理解していないのだろう。
まぁ、所詮は猿が少しばかし利口になっただけの生き物に過ぎないのです。
いや、危険を危険と認識することもできなくなってしまえば、猿以下と言えるのではないでしょうか?
どのような下等な生物にも危機管理能力は備わっているはずなのですが、この猿以下の生き物にはそれすらないのです。
最早滑稽ではありませんか。
しかし、この愚かな生き物が能無しで助かりましたね。
先ほどのこの人間の振うる剣先はさすがの私でも対処しきれなかったかもしれませんからね。
だけど、それも先程までの話です。今の人間は私の過食侵食によって死に絶えたも同然なのです。
私の過食侵食によって生み出された触手は、その一本一本が私の意識とリンクするようになっているのです。
対象者の体内に触手を侵入させることで相手のマインドに私の意識の一部を潜らせることが可能なのです。
どのような者であれ、心とは無防備なものなのです。
外側を守る術はあれど、内側を守る術など有りはしないのですから。
例え大魔王クルセ様であっても触手を体内に侵入させることができたら、私が勝ってしまうでしょうね。
それだけ私はこの過食侵食の力が強大だと自負しております。
魔王にすら匹敵するこの力を前に、人間如きに為す術も無いでしょう。
私の愛するミゼアとあのような行為をしたこの人間の心を喰い散らかしてやりましょう。
その後でゆっくりとミゼアの心を奪い、もうどこにも行けないようにしてあげましょう。
心など必要ありません。美しいあの見た目さえあれば良いのです。
私は触手を介し意識の一部を人間のマインドへとリンクさせた。
他者のマインドへと侵入する際は、深い海の底に潜るような感覚と幻想的な煌めく闇が私の視界に広がるのです。
しかし、いつもならすぐに心の拠り所にたどり着き明かりが灯るのですが、一向に明かりが灯る気配がありませんね。
それどころか、煌きも消え去り漆黒の闇に包まれてしまった。
こんなことは初めてです。どんな生き物でも必ず心の中に光は灯るはずなのに、これでは闇そのものではないか。
左右に首を振り、辺を見渡しても暗闇の中では何も見えない。
これでは心の壊しようがない。そもそも壊す対象がない。
これがあの人間の心の中だというのなら、既に廃人ではありませんか!
では何故あの人間は壊れていないんだ?
まさか、侵食に失敗したのか? いや、確かにあの人間の口内に触手を侵入させたはずだ。
「ん? なんだ?」
突然何かに足首を掴まれて足元に視線を落とすと。
「ぎやああああああああああああああ!」
思わず絶叫してしまった。
無理もないでしょう。心の中に生き物などいるはずもないのに、私の足首をしっかりと掴む幼女らしき人影が見えるのです。
目を凝らしよく見てみると、幼女には眼球が無く歯もない。
皮膚も所々腐敗している。
「あそ、ぼ……いしょ、に、あそ――」
「私から手を離せ! 気色悪い」
私は幼女の顔面を数回蹴って闇の底へと沈めてやった。
予想外の出来事に額から冷や汗が流れ、腕で汗を拭っていると奇妙な視線を至る所から感じるのです。
一体なんだこの視線は? 恐る恐る周囲を見渡して見ると……。
「ぎやああああああああああああああ」
再び絶叫した私はパニックに陥りそうになりながら、深い心の底から這い上がるべく手で水を掻くように上を目指したのですが、無数の骸骨が私の足に纏わり付き上に這い上がれないのです。
「離せええええ! な、何なんだこれは!?」
私は何度も必死に骸骨達を踏みつけるのですが、次から次に私の体に手を伸ばしては、奈落の底のような無へと私を引きずり込もうと押し寄せてくるのです。
「は、離せと言っているのがわからんのか!」
不味い、このままでは逆に私の心が侵食されてしまう。
一度リンクを解いてしまうか?
しかし、ここまで来てあの忌々しい人間の心を壊せず引き下がるのは嫌だ!
私の身体に群がる骸骨達を振り払おうと踠いていると、どこからか憎たらしい笑い声が聞こえてきた。
「お前の能力は単に内側へ侵入するというものだったのだな。で、どうだ? 俺の心は喰えそうか? 別に喰ってくれて構わんのだぞ。喰えればの話だが」
「き、貴様は一体何者なんだ! 心にこんな化け物を飼っているなどっ……離せ! この骸骨共を止めろ!」
「止める? なぜだ? 人様の心に土足で侵入してきたのは貴様の方ではないか。ほら、早く何とかせねばお前の心が喰われてしまうぞ」
偉そうに腕を組み頭上から見下ろしてくる人間は、深い闇の底から私を引きずり込もうと這い上がって来る骸骨達を見ながら、邪悪な笑を浮かべている。
私の全身を覆うように群がる骸骨達を振り払うことは不可能だと判断した私は、リンクを断とうとするが……切れない!
どういう事だ? なぜリンクが断てない。
こんなことは今までに一度もなかった。
早くここから脱出しなければ、闇の底に引きずられてしまう。
「逃げようとしても無駄だぞ。招き入れてやったが、帰してやるつもりなど端からないからな。お前は死ぬまで俺の中の俺達の玩具としてここで暮らすのだ!」
「ふざけるなああああ! こんな馬鹿なことがあって堪るかっ! くそっなぜリンクが切れないのです!」
リンクを断とうと何度も試みるが、断てない!
なぜです? 意味がわからない。
考える猶予すら与えられず、私の全身は徐々に骸骨達に飲み込まれ、闇の奥底へと沈んでいく。
「いやだあああああああ! 助けてくれえええええ!」
覆い被さる骸骨達の隙間から腕を伸ばし、プライドも何もかも捨て去り人間に命乞いをするが……僅かな隙間から見えた人間は私の言葉に耳を傾けることはなく、実に楽しそうに笑っていた。
「心を喰らうばかりではつまらんだろう。たまには喰われる感覚を楽しむのも一興ではないか。まぁ、心が死んでも外のお前はまだ生きているのであろう? 安心せい、しっかり殺しといてやるわ」
悪魔だ…………この人間は悪魔そのモノだ。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いていると誰かが言っていた。
私は決して覗いてはいけないモノを覗いてしまったのか?
その代償に消えるのですか?
嫌だ、消えたくない……忘れたくない想いがある。
ミゼアを愛していた。誰よりも……愛していました。
私の身体はゆっくりと闇に沈んでいく、最後に聞こえた声は……
「ミゼアは俺の側室として可愛がってやるから、心置き無く死ね」
「くそがああああああああああああ!」
私の最後の叫びは、虚しく闇に飲み込まれた。
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