第二十二話 抜擢
一方、西岡はデータ研究に明け暮れていた。
「あー! もう! 少しも掴めない」
西岡はコピーしてきたデータを約三ヶ月間、毎日のように調べていた。しかし、一つも核としたことが見つからず苛立っていた。
よく考えれば峰島の研究では薬の完成までたどり着かなかったため、核となるデータが発見されるはずがなかった。西岡もその事は承知していたが、少しの可能性にかけていたのだった。
「やっぱりダメなの?」
河井はそんな西岡をよそに横になって、お菓子を食べながらテレビを見ているお母さんのように気楽な感じで声をかけた。
西岡は最近の思い通りに進まない状況にピリピリしていたが、河井に強くは当たらなかった。これも三ヶ月経って、生活環境に慣れてきたからだろう。
人間の適応能力は目を見張るものがある。結局、西岡の研究は一つも実を結んでいなかった。
「何か方法ないのかしら……」
「その薬、作った人に聞いてみれば?」
河井はふと誰でも思いつくことを何気なく口にした。そんな河井の発言に西岡は呆れながら言葉を返す。
「誰が作ったかわかったら苦労しない……」
西岡は最後まで言葉を言うことなく黙ってしまった。
「どうしたの?」
そんな西岡の反応を感じて河井が心配そうに尋ねる。西岡は何も言わず考え込んでいるようだった。
「新山! 新山愛!」
数秒後、西岡は大声で叫んだ。河井は驚いたが即座に西岡に言葉を返す。
「うるさいよ! 何なの? 急に黙り込んだり、大声出したり」
「あの薬を作った科学者の名前よ。新山愛。峰島も下手こいたわね。私に科学者の名前を口走ったんだから」
西岡は勝ち誇ったように微笑んだ。自分の博士である峰島を呼び捨てにしているところからも既に見下しているようにも思えた。
「名前はわかったけど、どうするの?」
河井は喜んでいる西岡に冷静に尋ねた。そんな西岡はまたも口元をゆるませる。
「名前さえ分かればいくらだって調べられる。私を誰だと思ってるのよ」
そう言って人差し指を二、三回横に振った。その場に河井が存在すれば多少なりともその行動に意味が出るのだが……。はたから見れば、一人で何をしてるのかと不審者扱いされてもおかしくない。
しかし、一筋の光を見出せた西岡にとってそんなことはどうでもよかった。西岡は再びパソコンの前に座り、今度は新山愛について調べ始めた。
川島は先日の両親の訪問以降、またこれまでと同じ毎日を繰り返していた。
そんなある日、木村の元へ一本の電話がかかってきた。
「はい、木村です」
「あ、もしもし。真衣ちゃん?」
電話の相手は高木だった。これまでも仕事の日程が決まったり、雑誌の発売日になると電話がかかってきていた。
今日も仕事が決まったんだと思いつつ、木村は耳を傾けた。
「新しい仕事の日程が決まったわ。今回は驚くわよ?」
高木は語尾を少し上げながら嬉しそうに話す。いつも仕事が入ると木村は逐一驚いていた。そのため、驚くとはいっても大したことではないと川島も深沢も思っていた。
「え? なんですか?」
木村もワクワクしながら尋ねる。いつもこの瞬間はワクワクしてしまう。
「……FA放送のスマートドレッサーへのレギュラー出演が決まったのよ!」
少しためた後、高木は一気に力強く言い放った。木村は予想外の発表にこれまでにないくらい呆然としてしまった。
FA放送というのはファッションアドバイザー放送局の略称。その名の通りファッションアドバイザーが番組を作成し、流行の最先端を紹介する放送局だ。
地上波放送ではなく、衛星放送で一日中ファッションのことを放送している専門チャンネルである。そのためオシャレに関心のある大学生、高校生を中心に視聴されている。
その中でも看板番組となって知られているのが『スマートドレッサー』である。そこにレギュラーで出演することが決まったのだ。
『スマートドレッサー』は一日に三回の放送が行われていて、より多くの人に視聴されるよう工夫されている。
「え!? あたしがテレビに!?」
木村もさすがにこれまでの驚きとは比にならない位驚いた。
しかし、キャリアを積んだからだろうか初めの頃のように何も手につかないほど呆然とすることはなかった。
「そうよ! これまでたくさんの雑誌に掲載されてきたから目を引いたのよ」
「あ、ありがとうございます……」
木村は少し涙ぐみながら話すと、収録日など詳しい事をメモに取って電話を切った。
「真衣! すごいな!」
「本当だよ。すごい!」
さすがの川島も深沢も驚いてしまっていた。
「ありがとう。二人のおかげだよ」
「真衣が頑張ったからだよ! 俺らは何もしてない」
川島は木村に激励の言葉を送った。川島は木村と交代してご馳走を作り、ささやかな祝杯を上げた。とは言え、体は一つであるのに変わりはない。確かに二、三人で呑んでいるような感覚になるのだが……。
そうして番組の収録日を迎えた。高木にFA放送局まで連れてきてもらい、楽屋に二人で入った。台本は数日前に受け取っていて番組の流れは既に頭に入っていた。
楽屋の中にはたくさんの花束が飾られていた。『祝! 出演!』等、プレートがかかっていてテレビで見るような光景だった。
そこにあった一つの花束に目を奪われる。他の花束と同様に『祝! 出演!』とプレートが立っている。そのプレートの一番下に『BW一同』と記されていた。木村はその文字を見ながらまた涙ぐんでしまう。
最初の仕事をお願いして最高のスタートを切ることが出来たのは、紛れもなく『BW』のおかげだった。そんなことを思い返すと涙は止まらなかった。
木村の様子を見ていた高木が側に寄ってくる。
「ちょっと、もう。泣いてたらテレビなんて出られないでしょ」
高木は少し呆れたようにしかし、優しさを決して忘れない口調でそう言うと木村を抱き寄せたのだった。
数分後、メイクさんが入ってきて収録の準備が始まった。幸い、目の腫れは目立たなかったため問題なくメイクも仕上がった。
まもなく、セットの方へ木村は呼ばれた。既にその場には司会者の姿もあり、軽い挨拶を行ってすぐに収録が始まった。司会者が番組開始直後に木村の紹介を始める。
「今日からレギュラーモデルとして活躍してくれる木村真衣ちゃんです」
木村にカメラが寄ってくる。初めての体験にさすがに緊張している。
「今日からお世話になる木村真衣です。よろしくお願いします」
緊張しているとは言え、もうモデルとして板についてきている。まさにモデルスマイルを難なく振りまいていく。
「視聴者の皆さんは既にご存知だと思いますが、紹介VTR行きましょう」
司会者はにこやかにそう言ってVTRを流すように合図を送る。セットの外にあるモニターに紹介VTRが映る。
「今、注目のカリスマファッションモデル 木村真衣! 初仕事が『BW』の特集という最高のデビューを飾り、現在ではあらゆるファッション雑誌に引っ張りだこ。そんな彼女が我らがスマートモデルとして活躍する!」
ナレーションと共に雑誌の写真が映し出されていた。紹介VTRを見ながら木村はまた感極まったが、本番中であると言い聞かせて必死で涙をこらえた。VTRが終わり、再びカメラが木村を映す。木村は軽く会釈をして笑顔を返した。
映像は司会者に切り替わり、今週のファッション誌の特集コーナーへと移る。
木村にカンペが出される。カンペには次に特集される服に着替えるようにと書かれていた。木村の役割はモデルとして服を紹介することであり、時間を見つけて注目の服に着替えなければならない。カンペを見て、すぐさま裏へまわり用意されている服に着替えた。そして、またスタジオに戻って特集で取り上げた服に身を包んで待機する。
しばらくすると、司会者が次のコーナーへ進める。
「それでは、『今週の注目ファッション』に移りましょう。今週の注目は『BW』からのピックアップ!」
力のこもった紹介の後、木村へと映像が切り替わる。木村はいつもの撮影のようにモデルポーズを決める。その映像を見ながら、司会者がファッションをチェックしていく。
「今年の秋に流行しそうなショッキングピンクのボレロにキャミソール、ブラックのカプリパンツの組み合わせだ! 有名ブランドの組み合わせを取り入れたコーディネート。これを参考にみんなもオシャレに決めよう! それでは、今週はここまで。また来週、バイバイ」
司会者は慣れたもので木村の着こなしをサラッと説明して番組を締めた。こうして収録は終了した。
さすがの木村もカットの声がかかると同時に肩の力が抜けた。収録を終えて、スタッフに声をかけながら司会者が木村の元へと向かってくる。
「お疲れ様でした。これから毎週よろしくお願いしますね」
そう言って優しい笑みを浮かべた。木村も改まって言葉を返す。
「お疲れ様でした。いえ、こちらこそよろしくお願いします」
木村は軽く頭を下げる。そこへ高木もやってきた。
「やりにくくなかったですか? なにせ初めてなもので……」
高木は少し不安そうな表情で司会者の表情を窺った。
すると、再び司会者は笑みを浮かべて「全然問題なかったです」と気さくに返してくれた。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
今度は高木が司会者に頭を下げる。
「はい。こちらこそ。それでは、お疲れ様でした」
司会者は二人に別れを告げてその場を去った。木村は番組スタッフにお礼と挨拶を交わして帰る頃には夜も更けていた。高木の車で送ってもらい、すばやく重い服を脱ぐとシャワーを浴びて川島に交代した。




