第八話
海の匂いが鼻をかすめていく。
ここは街の奥であるはずなのに、海の独特の匂いが、懐かしい。
与えられた二階の窓から見える海は朝日に染まっていた。少し遠い、けれども記憶に新しいそれは優しく、揺らいでいる。
「おかしいな」
もっと、ずっと遠くに来たと思っていた。
けれども海はすぐそこにあるかのように思える。
息を潜めて窓際から離れずにいると、足音が聞こえてきた。
ガチャリ、とドアが開きひょっこりと顔がのぞく。
「えっと……おはよう、尚志くん」
舌ったらずで鼻にかかったような甘い声。
水島 綾香だ。
咄嗟にどうしたらいいか分からずに笑顔をつくって振り返った。
「おはよう綾香ちゃん。早起きしたの?」
「う、ううん。違うの」
照れたように笑う綾香はてくてくと近づいてきた。
隣に並んで、足らない背丈で窓の向こうを覗こうとする。
けれどやっぱり無理だと諦めたらしく、大人しくベットに座り込む。
「おはようって、言おうと思って」
なんだ、そんな事か。
それにしても、わざわざ言うようなことか?
人間ってそういうものなのか?
……分からない。
わたしの中にある少年の記憶は、そういうものだと、言うが。
「そっか。おはよう、綾香ちゃん」
「うん。おはよう」
綾香はにっこり微笑むと、ベットから飛び降りた。
「今日はね、ママが尚志くんを学校に連れてってくれるんだって。
私と一緒の学校だよ!」
はいぃぃぃっ?
綾香はそれだけ言うとさっさと出て行ってしまった。
「学校……? 面倒くさい」
わたしが行く必要ってあるのか?
そう言いながらも、仕方なしに窓から離れた。
身体の気だるさを感じながら、1階に下りると既に綾香の母親が居た。
どうやら朝食の準備をしているらしい。
「あら、おはよう尚志くん。よく眠れた?」
「おはようございます」
とりあえずニコっと微笑み返してみる。
「朝早いのねー。綾香なんて滅多に起きないのよ」
今だって部屋で寝ちゃってるし。
そう言って笑う母親に思わず「えっ?」と聞き返しそうになってしまった。
さっき、挨拶をしにきたではないか。
「まったく、尚志くんを見習ってほしいわ」
「たまたまです」
まさか。
挨拶するためだけに、わたしの部屋に来たということか?
……意味不明だ。
「今日は尚志くんの新しい学校に行こうと思って。ね?」
「あ、」
聞きました。
そう言おうと思ったが、笑うだけにしておいた。
「……分かりました。おねがいします」
「あはは。いいのよー。綾香と一緒の学校だから、仲良くしてあげてね」
まったく。
人間というのは、理解不能だ。
首をかしげながら受け取ったお皿をテーブルに運ぶべく、キッチンを離れた。
という事で、学校に来たワケだ。
それが、まさか、こんなことになるとは。
「かえりたい――――――――っ!!」
こんなにも、帰りたいと望んだことがあっただろうか。
これが、ホームシックというやつか。
まあ、この場合、ホームは海なわけだけれど。
そんなことより、わたしはもう帰りたいッ!!
次の人ゴメンなさいッ
無茶苦茶しましたッ