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廃部通告

夕暮れの演劇部室は、まるで時が止まった沈没船のようだった。


窓から差し込む橙色の光が、埃を被った古い緞帳の切れ端や、誰が描いたかも定かでない書き割りの裏側を、ぼんやりと照らしている。壁際には、部員の数よりも多い数の折りたたみ椅子が、使われることのないまま行儀よく積まれていた。


四月に入ったばかりだというのに、桜はすでに散り、窓の外の景色はもう新緑の匂いを帯び始めている。新年度が始まったばかりのこの時期に、まさかこんな知らせを受けることになるとは、佐々木は思ってもいなかった。


「……効率化、か」


演劇部部長・佐々木は、パイプ椅子に体を沈めながら、一時間前に校長室で言われた言葉を反芻していた。


とはいえ、自分がこの部で何か特別な才能を発揮しているという自覚は、佐々木にはなかった。観察眼が異様に鋭いわけでもなければ、耳が人並み外れて良いわけでもない。強いて言うなら、突飛な二人の言動に一人ツッコミを入れ続けるだけの、至って平凡な部長――それが佐々木という人間だった。もっとも、本人はそのことを、さほど不満には思っていない。


「演劇は非効率だ。答えのないものに時間を費やすのは、今の生徒たちのキャリアに傷をつける」


校長は眼鏡の奥から、まるで決算報告書を読み上げるような平坦な声でそう言った。机の上には、一枚の紙が置かれていた。表題は『部活動再編に関するお知らせ』。中身を要約すれば、たった一行で済む。


――演劇部を、今年度末をもって廃部にする。


理由は単純だった。部員三名。ここ二年間、まともな上演実績はゼロ。予算対効果、という言葉が、佐々木の頭の中で嫌な音を立てて反響していた。


「反論の余地、なし。か」


呟いて、佐々木は薄いプリントをテーブルの上に放り出した。決定はすでに下されている。しかも、それを覆すための条件も、交渉の余地も、何ひとつ提示されないままだった。「実績を上げれば存続を検討する」といった言葉すら、校長の口からは一度も出なかった。ただ「決まったことだ」という事実だけが、一方的に告げられ、話は終わっていた。


反論も交渉も許されないまま、時間だけが刻一刻と過ぎていく。文化祭は例年、秋――十月の半ばに開催される。それまでの半年間で、この部が「今年度限り」ではなく「これからも続けるべきもの」だと学校中に知らしめられなければ、部室ごと、演劇部という存在そのものが、この学校の年表から静かに消される。もっとも、それで廃部が撤回されるという保証すら、どこにもなかったのだが。


部室の隅、壊れかけのパイプ椅子に体を預けて、顧問の香取悟が、欠けた湯呑みを片手に、半目でこちらを見ていた。社会科の担当で、演劇部の顧問を任されてもう三年になるが、稽古に口を出すところを、佐々木はほとんど見たことがない。


「香取先生、聞いてました? 今の話」


「聞いてる聞いてる」


気のない返事だった。眠っているのか起きているのかも判然としない、いつもの調子だ。


「廃部ですよ、廃部。先生、顧問なのに、それだけですか」


「まあ、決まったもんは、決まったもんだからなあ」


香取は、湯呑みの中身をずずっと啜ると、大きく欠伸をした。頼りになるのかならないのか、いつまで経っても佐々木には判断がつかない教師だった。少なくとも今この瞬間、味方になってくれる気配は、微塵も感じられなかった。


「……先生も、少しは何か言ってくださいよ」


「んー。まあ、そのうちな」


そのうち、というのがいつを指すのか、香取は説明しなかった。佐々木が溜め息をつくと、香取は湯呑みを抱えたまま、のそりと立ち上がった。


「俺は職員会議があるから、先失礼するわ。……ああ、そうだ」


戸口で、香取はふと足を止めて振り返った。


「廃部までは、まだ半年ある。半年もありゃ、色々できるだろ。まあ、頑張れ」


それだけ言うと、香取はスリッパの音を鳴らしながら、のんびりと部室を出ていった。佐々木には、その背中が、心底どうでもいいと思っているようにも、あるいは何か含みがあるようにも、どちらにも見えた。


「佐々木くん、胃を壊す前にこれを飲みなさい」


不意に、湯気の立つマグカップが目の前に差し出された。中身は、見るからに濃い緑色の液体で、赤黒い粒がいくつか沈んでいる。


「……なんだこれ」


「お茶に梅干しを練り込んだ特製ドリンクよ。ストレス性の胃酸過多には、クエン酸が効くの」


差し出したのは、結衣だった。演劇部員にして、佐々木がひそかに「人間観察の化け物」と呼んでいる少女である。佐々木は黙ってそれを押し返した。


「実はさっき、校長先生とすれ違ったの」結衣は佐々木に押し返されたマグカップを、テーブルの端にそのまま置きながら続けた。「あの人、喋るたびに、左の奥歯を庇うように顎を歪めてた。昨夜、よほど強く歯を食いしばるようなことがあったのね。……何か、後ろめたいことを抱えてる顔だったわ」


「だから何だよ」


「秘密が見つかれば、交渉のカードになるかもしれないでしょ」


「交渉も何も」佐々木は苦い顔をした。「向こうは一方的に廃部を言い渡しただけだ。話し合いの席なんて、最初から用意されてない。校長先生が抱えてる秘密とやらを暴いたところで、聞く耳がなければ意味ないだろ」


「だからこそ、こっちから机を引っ繰り返しに行くのよ」


佐々木は溜め息をついたが、結衣の目に浮かぶ好戦的な光を見て、それ以上の反論は諦めた。この手の話をし出したら、結衣は誰の言葉も聞かない。


「結衣、お前は怖くないのか? 僕たちの居場所がなくなるんだぞ」


「怖いからこそ、相手を観察するのよ」


結衣は窓際に歩み寄ると、外を指差した。夕暮れの校庭を、体育館へ向かう生徒たちの列がゆっくりと横切っていく。


「見て。あのみんなの歩き方。まるで見えない糸で吊られた操り人形みたい。歩幅も、腕の振り方も、笑うタイミングまで、驚くほど揃ってる」


「気のせいだろ、それは」


「気のせいじゃないわ。それに」結衣の目が、列の中の一点に留まった。「特にお節介したくなる子が一人、あの中にいるわね」


彼女の視線の先には、大きなラケットバッグを肩にかけた男子生徒の背中があった。他の生徒たちよりも一回り体が大きく、歩く姿勢そのものは堂々として見える。だが結衣の目には、何か別のものが映っているらしかった。


佐々木がその視線を追おうとしたとき、部室の隅から、低く乾いた声が割り込んできた。


「……校内のアンビエントが変わった」


古いレコーダーの前に座り込み、大ぶりのヘッドホンを首から下げたまま、凛がぽつりと言った。傍らには、録音機材一式を詰め込んだ大きなリュックが、いつものように口を開けたまま置かれている。演劇部三人目の部員であり、ほとんど言葉を発しないが、発するときは決まって的確すぎることを言う少女だ。


かつては放送部に所属していたが、機材への異常なこだわりと、休み時間ごとに校内のあちこちを録音して回るという奇行が原因で追い出され、行き場をなくしていたところを佐々木が拾ってきた――というのが、凛が演劇部にいる経緯である。本人いわく、音響機材はもちろんパソコンをいじる程度のことはお手のものらしいが、「そこまで熱心にやりたいわけではない」らしい。必要だからやる。それだけだ。


「アンビエントって何だったっけ? 環境音だっけ?」


「三ヶ月前から。校内放送のノイズも、廊下の足音のリズムも、少しずつ変わってる。……一番気味が悪いのは、笑い声」


凛はレコーダーのボリュームをわずかに上げた。ノイズ交じりの音声が、部室に低く流れる。休み時間の廊下を録音したものらしい。複数の生徒の笑い声が重なっている。


「聞いて。周波数が一定なの。みんな、同じ『型』で笑ってる」


言われてみれば、たしかに不自然だった。楽しさの質も、笑いのタイミングも、まるで同じ鋳型に流し込まれたように揃っている。まるで――誰かが「正しい笑い方」というものを、こっそり生徒たちに配っているかのように。


凛の言葉に、佐々木は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「さすがに気にしすぎだろ、それは」


自分に言い聞かせるようにそう言ったが、声には自信がなかった。廃部通告を受けたばかりの部室に、結衣の「お節介したくなる子」の予感と、凛の「気味が悪い」という呟きが重なって、妙な不穏さが漂っていた。


「……とにかく」


佐々木は椅子から立ち上がり、埃っぽい台本の山を見下ろした。三人の演劇部で、この春から秋の文化祭までの半年のうちに、この学校で誰も無視できないような「何か」を成し遂げなければならない。上演実績もない、脚本もまだ何もない。あるのは、結衣の観察眼と、凛の耳、そして佐々木自身の、まだ言葉にならない焦りだけだ。


もっとも、部員三人という数字の中に、裏方志望のはずの凛まで「演者」として数えなくてはならないほど切羽詰まった状況。当の凛は、ヘッドホンの下でわずかに表情を曇らせていたが、それを口に出すことはなかった。


「僕たちに残されてるのは、時間じゃなくて、意地だけだな」


そう言いながらも、佐々木の鞄の底には、誰にも見せたことのない大学ノートが何冊も眠っていた。中身は、彼が暇さえあれば書き溜めてきた、何百という自作の脚本プロットである。世に出す勇気がなく、机の奥にしまい込んだままの物語たち。今、この状況で誰かがそれを書けと言われたら――佐々木は、その考えを慌てて頭の隅に押しやった。まだ、その時ではない。


「意地だけあれば十分よ」結衣が、拒否されたはずのマグカップを、今度は自分の口に運びながら笑った。「相手が誰であろうと、剥がしがいのある相手ほど燃えるじゃない」


「剥がしがい…? って、お前……」


よくそんなモノ飲めるなと佐々木が言いかけたところで、凛が静かにイヤホンを外した。


「明日、体育館。卓球部の練習、見に行く」


「なんでだよ、急に」


「さっきの子。結衣が見てた子」凛は感情の読めない声のまま、レコーダーの録音ボタンにそっと指を添えた。「あの子の周りだけ、ノイズの質が違う。……録っておきたい」


窓の外では、日はすでにほとんど沈み、校庭を歩いていた生徒たちの列も見えなくなっていた。廃部までの猶予は、この春から秋の文化祭まで。それでも、交渉の余地すら与えられなかったという事実が、佐々木の胸の奥に、じわりと重く沈んでいた。


佐々木はまだ知らなかった。この日、結衣が指差したラケットバッグの少年こそが、これから始まる長い騒動の――そして、この学校そのものを覆う静かな異常の、最初の綻びであることを。


はじめましてエテモンキーです

これから物語がどう展開していくのか自分自身ワクワクしながら書いていきたいと思います

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