第二十三話
死ぬ前は、自殺以外にすることなんてなかった。
仕事も消え、学校へもマスコミが押し寄せるため休学を勧められ、休みだからとできる趣味もなかった。
けれど、目が覚めてからはやらなければいけないことが山積みだった。
周りの人たちへの謝罪に、リハビリ。人ひとりを協力して引っ張り上げたのが奇跡みたいに、ずっと意識不明だった私の身体は、ごっそり体力が落ちきっていた。
謝りに外出することすらままならず、すぐ貧血を起こし、体力をつけようと運動をすることも出来ない。
だから一人一人に手紙を書いた。その手紙も、手に力が入らなくて、テープで固定してみたりして看護師さんやマネージャーさんを驚かせてしまったけど。
「すみません。今日はわざわざお越し頂いて」
私は、病室へと入ってきた統括チーフに頭を下げた。チーフはすぐに首を横に振った。
「これは退院祝いの……水だ。行きに君の好きな食べ物を彼に聞いたら、検索しだして焦ったよ」
そう言いながら、チーフは黒い紙袋をサイドテーブルに置く。チーフの隣にはマネージャーがいて、肩を縮めながら俯いていた。
「すみません。もともと仕事以外で話をすることは苦手で……」
「ゴシップの心配もない分こちらとしてはありがたいが、気を抜くことや休むこと、何もしないことも覚えておきなさい。ファンはアイドルに娯楽性や救いを覚えるものだ。そのアイドルが娯楽を知らないのは、問題がある」
統括チーフは、ベッドのそばの椅子に座った。そして私に体を向ける。
「今回の件に関して、根本の原因は事務所にあった。内部の人間が自分の一時の感情によってネットに嘘の情報を流した。そもそも事務所の管理体制がしっかりしていれば、君の炎上もそもそも起きなかった可能性がある。結果、こちらの都合であるにも関わらず君と遥だけが批判の的になってしまった。すまない」
「いえ、チーフは何も悪くないことなので……頭を上げてください」
内部の人間が、アイドルを陥れるために、嘘の情報をリークした。誰かの成功を願って、誰かを蹴落とそうとした。
そんなこと、予測できるはずもない。
「本件について、自社で公表し、記者会見も行う予定だ。私は統括チーフの任を降りる。それで──君の意思を最大限尊重したいと思ってはいるが、どうか君にはアイドルを続けてほしいと思っている」
アイドルを続けるか、続けないか。
目覚めたとき、答えは決まっていた。
私は統括チーフの目を真っすぐと見た。
「私は、叶うのならばアイドルとして活動を続けていきたいと思っています」
私はアイドルを、続ける。一度は諦め手放してしまったけれど、もう一度掴む。ファンの人に、笑顔を届ける最高のパフォーマンスがしたい。
決意新たに伝えると、チーフの隣にいたマネージャーが、ぼろぼろと涙をこぼした。
「なんだ君は。みっともない」
チーフが怪訝な顔をする。マネージャーは、「安心して」と、ハンカチで目元をおさえた。
マネージャーとは、挨拶とお礼、業務以外で話をすることがなかった。
仕事仲間であり、協力相手。それ以上でもそれ以下でもない。プライベートも何もかも、お互い踏み込もうとしないままが一番いい。
そう感じる一方で、彼女のマネージャーの距離感は新鮮なものであり、息がぴったり合う関係性だと見ていた。
けれど実際のところは違う。声に出さなきゃ伝わらない。言葉が無くとも繋がり合える関係性は、本来奇跡だ。
そして言葉があったとしても、受け取り手の感情や状況で意味合いが屈折する可能性がある。
そうして少しの認識のすれ違いで、ぐるりと物の見え方が変わってしまう。
「すみません。ありがとうございます。ご心配をおかけして、ごめんなさい。チーフも、マネージャーさんも、事務所の人たちがいなければ、私は何も活動できません。いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
私はチーフとマネージャー、二人に頭を下げた。マネージャーが、「よろしくお願いします」と続いた。すると、チーフが目を細める。
「君、変わったな」
「そうですか?」
私が、変わった?
幽体離脱をしていた間、暗くなっていた。そこから明るくなったというのなら、理解できる。
でも、チーフの知っている私の状態に変化はなかったはずだ。
「雰囲気が、柔らかくなった」
思い当たる点は、ある。
でもまさか、自分のファンの人の家に居候したり、不審者を捕まえようとしていたなんて、言えない。私は曖昧に首を傾げた。
「変化はいいことだ。今後に君に期待している」
チーフは立ち上がって、ドアへと向かっていく。
マネージャーはこちらへ振り返った。
「本当に、退院の送迎はいいんですか?」
「はい。どうしても寄りたいところがあるので。すみません」
そう言うと、マネージャーはこちらに頭を下げ、病室を後にした。
退院祝いに来てくれたといえど、緊張した。ほっと息を吐くと、すぐにまた扉が開いて気持ちを切り替えた。
「こんにちは! ここの警備やばいですよ! ザル! 先生にお願いしたら入れてもらえましたよ! 時間外なのにほら──ファンが入っちゃった! 推しの病室に一般人が入れちゃうのはちょっと複雑です!」
縁川天晴が、自分の足を指さしてジェスチャー交じりに入場してくる。
統括チーフとマネージャーの再入場ではなかった分、安心はするものの、別の意味で気が置けない。
「それはザルとは言わないしもう少し情緒整えてほしい」
「分かりました落ち着きます。でも僕たち普通に考えたら、ただのファンとアイドルじゃないですか。ザルじゃないですか?」
「噺田先生は知ってるからでしょう……外で話そう。声も大きいし」
「すみません病院通いは慣れてたはずなんですけど」
「返事し辛い事言わないで」
私は起き上がって、ベッドのそばに置いてあったサンダルに足をかける。念のため、帽子も被った。髪も結んで眼鏡もかけて、変装を入念に行う。
「推しとデートか……」
「ここ病院だから。これから行く場所も、わかってる?」
しみじみと目を閉じる縁川天晴に呆れながら私は病室を出る。彼が後ろを追いかけてきて、私たちはそのまま、病室を後にした。
◯◯◯
晴れ渡った空のもと、縁川天晴と一緒にお墓が並ぶ通りを歩いていく。
お墓のそばに咲いていた花は、色付きはじめ、生い茂った木々も徐々に姿を変え始めていた。
私たちは、花が手向けられたお墓の前に立つ。遠岸楽のお墓だ
そのまま手を合わせる。
魂が安らかでいられるように祈って、私は頑張っていくこと、そしてありがとうを伝える。
しばらくして、私たちはそっとお墓から離れた。
「いま、遠岸さんはどうしてるんだろう」
「三途の川めんどくせえって言って棒高跳びで飛んでたり、気に入らないやつにぶっ殺すぞとか言って好き勝手してると思いますよ」
「だといいな」
遠岸楽は、いつも誰かを気遣っていた。どこかで自由に過ごしてほしい。今度は、本当に自分の人生を自分のために使って。
「まぁ、最初は彼のおじさんに怒られそうですけどね」
遠岸楽は、おじさんの罪を自分がすべて受け入れる形で、おじさんの奥さんを守ろうとした。でもきっと、彼のおじさんは望んでいなかったことだ。
「そういえば、噺田先生。女性のお墓参りに行くらしいです」
噺田先生は、病院を退職したらしい。緩和治療へと移るそうだ。ずっと先生を求めていた彼女と、ずっと女性が気がかりだった先生。どちらも形は違えどお互いのことを想っていて、だからこそ囚われていた。
「そして僕は学校、昨日行ってきましたよ」
「そっか」
「俺の時だけ反応軽くないですか?! それは嫌です! 強いノーを表明します!」
「いや、そうなんだなぁってちゃんと思ったよ。静かに聞いていただけだよ」
別に縁川天晴が学校に行くことに興味がないわけじゃない。でも彼が学校に行くことは、命を削ることだ。
「体育見学でしたけど、楽しかったです! 体育!」
はずんだ声音に、体育についてもっと聞いてくれという雰囲気をひしひしと感じた。
「聞かないんですか。体育について」
「……なにしたの」
「卓球です! あかりちゃん前に卓球選手権のアンバサダーやってたじゃないですか選手特別応援の!」
だから卓球の話がしたかったのか。
思えば部屋に卓球のラケットがあった。あれは趣味でなく、私のことがあってか。
「僕はあの選手権の時、ベンチにいた人の気持ちで見学していましたよ」
「なにそれ」
相変わらず、ちょっと変だなと思う。
前はアイドルを前にしたファンだからなのかと思っていたけど、いろいろ、根本的に。
でも、怪訝な目で見てしまうにはあまりにも残酷なくらい、彼は晴れやかな笑みを浮かべた。
「何をするでも、僕の道の先には貴女がいます。貴女がいるから、この世界に興味が持てる」
さらさらと、柔らかな秋風が私たちの間に吹く。
彼にそうして想われることが、救われる一方でただただ苦痛だった。
前は憧憬を抱かれるたび、苦しかった。水の底に沈められるような苦しさと、針金で雁字搦めにされているみたいだった。
でも今は、誇らしい。
「だから僕──手術受けます」
「……ほんとうに?」
縁川天晴の、手術の成功確率は限りなく低い。けれど、不安を感じさせないほど明るい、希望に溢れた声色だった。
「未来なんていらない。今の貴女を推せれば十分だと思ってました。でも、未来にかけてみようと思うんです。貴女をずっと見届けたいですし、推しのお願いは絶対なので」
今度は偽悪的ではない笑顔で縁川天晴は笑う。私はポケットに予め入れておいたものを取り出して、彼の手に持たせた。
「なら──復活ライブのチケット──の予約券。最前席の、渡しておく」
手作りのチケットだ。小さいころ親に渡すお手伝い券とか、小学校の行事であるような券だけど、ラミネートもした。
「まじっすか!? 最前? やっば! 俺死ぬほど匂わせそう。推しに座席ご用意されるとかヤバいっすね。吐きそう」
やだー! なんて、縁川天晴は自分の肩を震わせている。私は「匂わせたらコンサート全部出禁にするから」と付け足した。
「えー! 気を付けます!」
「うん。あと……、新しく、曲も作ろうと思う。長めの」
「まじですか!?」
「うん。バンドの人って、想い出が残せるように曲にするんだって。私もそういう軌跡を、残したいなって」
「バンド……? あかりちゃんはアイドルじゃないですか」
「なんでも応援してくれるって言ったくせに細かいな」
少し抗議を含めて返すと、「でも何か悪いバンドマンに影響されたのかなとかヲタク杞憂しちゃう」なんて、ぶりっ子まじりに嘘泣きをしてくる。
私はため息をついた後、静かに息を吸ってから縁川天晴を見た。
「バンドマンのものになんてならないよ……アイドルとしての果崎あかりは、みんなのものだから」
「信じてます。匂わせなんて絶対しないって……あとメン地下と繋がるみたいなのも」
「具体性あるな……」
切実な願いに苦笑する。そういうのが多いので色々複雑なんだろうけど……。
「一生推せるように、身体なおしてきます」
「うん」
やがて、ポケットに入れていたスマホのバイブレーションが鳴り始める。
縁川天晴は行ってきてくださいと、私の背中を押した。
私は「頑張る」と手を振って、彼に背中を向けて歩いていく。
振り返らない。
やることが多い。まだ体力もろくに戻ってない。
髪の毛は荒れてるし、肌の調子も良くない。喉もこの間、軽く歌っただけでおかしくなりそうだった。
最高のライブを見せなきゃいけない。最上級のパフォーマンスを披露したい。
時間がない。後ろは振り返らなくていい。背中を押してくれる人は、ちゃんといる。
私は赤い線の残る手首に視線を落とす、そして、空を見上げて進んでいった。
「本番三分前です!」
熱気のこもった会場のバックステージ裏で、ぱたぱたとスタッフさんが準備に追われるのを横目に、私はマイクのスイッチに親指を当てる。
ヘアセットも大丈夫。襟にも乱れはない。鏡に映る紫と青が重なるフリルドレスを纏った自分をじっくり見つめ、鏡の前で最終確認をして水を飲む。
「炎上を跳ね返した奇跡の歌姫再降臨……? 炎上はいささか字面が悪いので恐れ入りますがなしでお願いします……はい。奇跡の歌姫再降臨、復活でお願いします。はい。よろしくお願いいたします。失礼いたします〜はい、失礼します〜」
隣で電話をしていたマネージャーが、スマホから顔を話してこちらに振り向いた。
「すみません。 明日の新聞の見出しについて最終調整をしていまして……」
「いえ、ありがとうございます」
私は頭を下げる。今日のライブを行うことに、事務所のトップたちは難色を示していた。炎上によって、グループのファンクラブの会員の五分の一の人たちが、いなくなったから。
コンサート会場を借りて本当に客席が埋まるのかと、何度も会議をしたらしい。
けれど、マネージャーが何度も掛け合ってくれたそうだ。遥も、後半応援に駆けつけるから、このコンサートによって果崎あかりは完全復活をアピールするのだと、新しくなった統括チーフの家にまで押し掛けたと聞いた。
「本番一分前です!」
スタッフさんの声が裏手に響く。私は登場装置の台にのった。周りをみると、スタッフさんたちは私に注目した。
今日、この日を迎えるまで、ずっと尽力してくれた人たちだ。
この人たちのおかげで、私は今からファンの人たちの前へ行くことが出来る。装置が起動して、ステージへと押し上げられていく。両隣にいるのはメンバーだ。色々あったし、ライバルだし、たまに比べるけど、きっとこれからも一緒にやっていけると信じている。
そのままスポットライトのまばゆい光に包まれ、一瞬だけ目を閉じる。
明滅が終わり目を開けば、目の前には何千、何万とファンの人たちが、ペンライトで存在を示していた。
私の色であるブルーのペンライトを持っている人たちもいる。私は一歩ずつ前に進んでいって、マイクを口元にあてる。
「皆さん! こうして待っていてくれて、嬉しいです。ありがとうございます!」
マイクを通して、私は今日集まってくれた人たち、私を待っていてくれた人たちに、声を届ける。わぁっと歓声がさらに大きくなり、まるで身体全部を元気に包まれているような、漲る想いを全身に感じた。
「ありがとうございます!」
言葉にするたび、歓声が帰ってくる。大好きなこの場所に、私は戻ることが出来た。皆のおかげで。
「私は、皆さんとお会いしていない間、色々な人たちと話す機会がありました。自分の行動について、見つめ直しました。そうして出会いや別れを重ねていく中で、出来た曲を今から披露します。この曲は、私の心のすべてを注いで書いたものです。どうか私の歌が、誰かの心に繋がることが出来ますように、そして──あなたに届きますように。それでは聴いてください」
私は観客のみんなを見渡してから、最前席へ視線を向けた。うっすらと暗い観客席には、団扇やペンライトを持ってこちらを見る私を応援してくれる人で溢れている。その一番前に、さくらちゃんと共にラミネートされた手作りチケットを首に下げた姿を見つけた。
一瞬だけ微笑み、私はまた前を見据える。
「タイトルは──」




