第23話 幻のような再会、そして別れ
「はぁ……」
夕暮れの中、3大迷宮<地底闇>の入り口を遠くから眺める少女がいた。
町も迷宮もひどくにぎわっている。
初めて3大迷宮が攻略される瞬間を誰もが待ち構えているのだろう。
彼女はその輪の中に入れない。
どうしても悔しさがこみあげてくるからだ。
「姉ちゃん」
そんな少女の隣によく似た顔をした少年が座る。
「オルオ……」
「一日中見てて飽きない?」
オルオの遠慮のない言葉は姉弟だからこそだ。
姉であるライラも機嫌を悪くしたことを隠さなかった。
「ほっといてください。暗くなる前には戻りますから」
「らしくないね。口数も少なくなっちゃって。みんな気にしなくていいって言ってるのに」
「みんながどう言っても自分が許せないのです。私のせいでみすみすあの趣味の悪いパーティに道を譲ることになるなんて」
ライラとオルオが所属する探索者パーティ『潜行者』は<地底闇>の完全攻略を期待されていたが、途中でライラがついていけなくなったことによって撤退を余儀なくされたのだ。
ライラはそのことでずっと自分を責めていた。
「そんなことを言えば参加さえできなかった僕はどうなるの」
「あ……ごめんなさい、そんなつもりじゃ」
今がどうであれライラが才能に恵まれていて、同年代の探索者とは一線を画しているのは事実だ。同じ血が流れているオルオでさえ届き得ぬほどの差がある。
「立場は全く違うけど、僕も同じなんだよ。僕のせいで姉ちゃんたちの足を引っ張りたくない。足手まといになるのが一番悔しいんだ。だから、自分から同行をやめるって言った」
「……ええ」
「結局、できることをやるしかないんだよ。変な見栄を張って実力以上のことをやろうとすると十中八九取り返しのつかないことになる。姉ちゃんは納得できないかもしれないけど、僕は安全策をとったツヴァイさんに感謝してるよ」
ライラは弟が誰のことを言っているかすぐに分かった。二人にとっては短いながら付き合いの濃い人物で、今歩んでいる道に進むことを決めた少年だ。
「そう、ですね。誰かみたいに大口をたたいておいて、なんてことになりたくないですから」
「うん。反面教師にしないと」
見下したような言い方だが、声色は親愛に満ちていた。
ノストが死んだ当時は複雑な思いをしたものだ。
憧れて、これから彼と同じ道を歩もうと決めた矢先にもたらされた訃報である。理不尽な怒りを抱いたこともあったし、探索者になることに二の足を踏んだこともあった。
今ではそれもなんとか呑み込んで、こうして度々姉弟の間で話題に上がるのだ。その内容は決して格好の良いものではないが、それでも好意的な感情を含んでいる。
「さて、そうと決めればいつまでも落ち込んでいるのはよくありませんね。鍛錬をして先輩方に少しでも追いつかないと」
「調子戻ったみたいだね」
「ええ。あの人なら一度失敗したくらいでくよくよしたりせず、むしろ意地になってすぐに立ち上がりそうですし。そういうところは見習わないと……何でしょう」
精神的なもやもやが晴れて表情も晴れやかになったライラはざわめき立つ人の声を聞いた。
人の視線は迷宮の入り口に向いているようだ。つられるようにその方向を見ていると、徐々に人だかりが割れていく。
たくさんの注目を浴びながら現れたのは、防具ともいえない汚れた無地のシャツを着て、同じく白い抜身の剣を持った青年だった。随分と疲れた顔をしており、仲間も他には見当たりそうにない。
周辺の人々は青年が迷宮の中で何か大変な目に遭ったのではないかと心配しているようだ。
優しい人が何人か声を掛けているが、青年は気後れしたような感じで手を振って助けを拒んでいた。
いや、そんなことよりも見落とせないものがある。
青年の顔がライラとオルオにとってある人物の面影を色濃く残していたからだ。まさしく今、話題に上っていた少年をそのまま成長させたような――
「姉ちゃん、あれって……」
「そんな、まさか……だってあれから5年も経って」
兄弟そろって口をあんぐりと開けて少し歩けば届く距離にいる青年を見つめ続ける。しかし見れば見るほどそうとしか思えない。
「ノスト、さん」
そうつぶやくのと同時に、あちらもこちらを見て目を見開いた。
明らかに二人のことを知っている顔だ。
慌てて目を逸らし、横目で覗き見ることを繰り返してその度に目が合う。やがて諦めたのか、青年は足早に駆け寄ってきた。
「あー、なんだ。久しぶりだな」
5年振りに聞いた声は記憶よりも少し低く感じる。背は高く伸び、姉弟も成長期とはいえ頭半分は見下ろされる形だ。
「な、なんで、今まで何をしていたんですか!? あなたが迷宮から帰って来なくなって、もう5年ですよ! 5年! まさかずっと迷宮にいたなんてことはありませんよね!? それにそんな装備で迷宮に潜るなんて何を考えているんですか! 自信過剰を越えて無謀ですよ! 馬鹿です、ただの馬鹿です、あなたは!」
「待て待て! 一回落ち着こうか! 相変わらずだな、お前は!」
喋り出すと止まらない癖が発揮されて質問と罵倒攻めにあったノストはそこから逃れるように身をのけぞらせた。
しかし彼女の癖を「相変わらず」と言えるということで本格的に彼の正体が判明する。
「本当にノストさんなんですね……」
「あまり大きな声では言えないが、まあな。オルオ、お前も体格よくなったな。あんな細かったのに」
「一応これでも探索者ですので」
オルオは暴走する姉を余所に誇らしげに胸を張る。
憧れていた人に成長を褒められるという叶わないと思っていたことが実現して、疑問よりも喜びが勝ったのだ。
そしてノストは今一度、目を細めて姉弟に対し惜しみない賛辞を贈る。
「本当に立派に成長したな。お前らが頑張ってるってことはよく耳にしてた。あの泣き虫と弱虫が今やトップの探索者なんだもんなぁ」
「ちょっと、ノストさん! そのことは言わないでください!」
「いつの話してるんですか……」
出会った頃のことに話が及び、二人は同じように顔を赤くした。まだ自分に何ができるか、何がしたいかもわからず下を向き続けていた頃の話だ。
そう考えると随分と遠いところまできたものだと自分達からしてもまるで嘘のように感じてしまう。
その成長を促したのはライラとオルオ自身の努力であり、今の仲間とつなぎ合わせてくれたノストのおかげだ。心の底でそう信じていた。
「でも、ノストさん。私、<地底闇>の最下層まで辿り着けませんでした。私のせいで新しく来たパーティに追い抜かれてしまって、その方々は実績はあるのですけど全身をギラギラさせた趣味の悪い探索者で……」
「ああ、知ってる。大鎌のやつだろ。お前が後悔してることも、オルオが途中で離脱したことも全部知ってるよ。見てたんだからな」
「……随分と詳しいようで」
内容は秘匿されていないのでおかしいことではないが、ノストは彼らのパーティ事情に詳しすぎるように思えた。それこそ、熱烈なファンのようにずっと活躍の後を追っていなければ分からないようなことだ。
まさか最終階層から彼らの探索の様子をずっと覗いていたとは思いもよらない。
「ま、俺から言えることはあんまりねえよ。お前らは俺がそれくらいの歳だった頃よりもよっぽどうまくやってんだからな。つまらないヘマをすることもねえだろ」
「そうですね。迷宮に一人で突っ込んで、突然行方知れずになることはありませんから。誰かのように」
「ぬぐっ……ライラ、言うようになったな」
あの泣き虫はこんなに毒を吐くような少女だっただろうかと記憶との齟齬に苦しむノスト。
彼が迷宮に囚われていた時間は、人が変わるのに十分すぎるほど長かった。
「ま、これからもがんばれよ」
少しだけ寂しさを感じながらノストは二人に背を向ける。
しかしまだまだ話足りない姉弟は、その背中を追いかけて歩き去ろうとする彼に並んだ。
「あの、ノストさんは……? これから<地底闇>に潜るのですか? どこかの迷宮からこちらへ戻ってきたんですよね?」
「あの、もし、よかったら僕らのパーティに入りませんか? 知ってるかもしれませんけど、ドランド先輩やツヴァイ先輩もいるんです。お二方とも心配されていますし、よければこの後……」
両脇を挟んでの質問や勧誘を無言で首を振って断り、ノストはどんどんと進んでいく。
その足の先は街の外へとまっすぐに向けられていた。
「もう、行かれるんですか……?」
ノストに留まる気が一切ないことを悟ったライラは寂しさを表情ににじませる。
街の外へと一歩踏み出したノストは最後にもう一度だけ振り返って、街の中に残る二人に向き直った。
そして真っ白の少女がよくしていたように困ったような表情で、言い難そうに頬を掻いて口を開いた。
「ちょっと事情があってな。もう探索者はやめることにしたんだよ。まあ活動自体はずっと止まってるんだが」
「そんな!?」
ライラは悲鳴をあげる。それはノストが実は生きていたことよりも衝撃的な事実だった。
一方でオレオは態度でなんとなく予感していたのか、落ち着きを保って冷静に分析する。
「でも、ずっと鍛えていたんでしょう? 見れば分かります。ノストさんは正直、ドランド先輩よりも強い。その強さがあるのに探索者をやめてしまわれるのですか?」
「ああ。あんまり詳しくは言えないんだが他にやりたいことがある。それに、俺ってもう死んだようなもんだろ? 今さらどの面下げて戻ればいいのかもわからねぇし、俺に会ったことはあいつらにも秘密にしてもらえると助かる」
言葉は親しみ深く軽々としたものだが、達観した目が決意の重さを物語っていた。
その本気度に、二重三重と驚きが上塗りされていく。
5年という年月で変わったのは姉弟だけではない。
ノストもまた自分の価値観をもって自分の道を歩もうとしている。迷宮攻略で一旗揚げるのだと喧伝してまわっていた若く青々しい少年はもうどこにもいない。
「それから、ライラ。死神集団に追い抜かされたことは気にしなくていいぞ。あいつら、そのうち失敗の報告をしに戻ってくるから」
「え? ノストさん、何を……」
「あと、早いうちに相談して次の狩場を探した方がいいな。ここはもうすぐ使えなくなるから。まったく、盛況すぎるのも考えものだよな」
次々ともたらされる確信めいた助言にライラとオルオは目を白黒させる。
そうこうするうちに持っていた荷袋を大事そうに背負いなおしたノストは一歩を踏み出していた。
「本当は最後まで隠れて逃げるつもりだったんだが、なんだかんだでお前らと話せてよかったよ。じゃあ、元気でな!」
再会も突然なら別れも突然だった。
まるで嵐のように様々な衝撃を与えて走り去っていく背中は今度こそ追いつきようもないほどに遠く離れ、やがては夕日が沈み切るとともに見えなくなってしまう。
よく晴れた夜空に幾億もの星々が照らす中、姉弟はずっと見えない背中を見送り続けた。
次回、エピローグ予定です。




