第22話 探索者は脱走する
「管理者よ! 己の命が惜しければ今すぐ降伏し、人類による支配を受け入れろ!」
それは勝利の宣言であると同時に、鎧騎士に終わりなき悪夢の始まりをつきつける刃でもあった。
迷宮核を奪われる。すなわちそれは無防備な心臓にナイフを添えられている状態であり、わずかな抵抗さえ許されず殺される直前であることを示していた。
仮にこれを破壊されるようなことがあれば、迷宮は管理維持のためのエネルギーを一挙に失いやがて枯れ果てる。管理者もそれと運命を共にすることになり、その苦しさたるや餓死に似るともされている。
自意識を持ち、成長をするという点で迷宮は生命の類似物と言うこともできる。自己防衛、生命存続の欲を本能としてもっているのだ。
よほどのことがない限り迷宮内では敵なしである管理者は、総じて痛みや苦しみに弱い。よって、こうして弱点を握ってやった後に少し思い知らせてやれば簡単に支配下に置けるのだ。探索者界ではそのように言われていた。
「終わったか……!」
大鎌の男リーバーは長い戦いの終わりを確信する。
彼の鎧騎士との戦いはやや劣勢に落ち込もうとしていただけあってこのタイミングでの勝利は大いに助かった。この状況からの逆転はありえない。
リーバーは騎士を覗い見る。
騎士はじっと動かぬまま、自分の心臓を手にする仲間を見ていた。表情の変化は分からない。しかしあの兜の中の表情は焦り一色だろう。
さあどう来るか。
無駄な抵抗を続けるのか、それとも潔く諦めるのか。どれを選んだところで勝利は揺らがない。
それでも万が一というものがある。とりあえずは放心している隙に動きも抑えておこうと大鎌を首に添えようとしたところで――
「おっ……?」
「なんだ?」
一瞬だけ、地面が横に揺れた。
大きなものではないが、地震が起こったのか。このあたりは大きな地震がないと言われているがこんなこともあるだろう。
そう思ったリーバーの集中が途切れた一瞬の間に、騎士は走り出していた。
「おい、お前! 動くな! こいつを叩き割るぞ!」
仲間が脅しをかけて核を掲げて見せるが、騎士は一顧だにしない。
ただ走り続けるだけだ。――リーバーでも核でも、出口でもなく、オーガの方へと。
巨体のオーガはこの戦いで一切いいところがなかった。幻影に惑わされて探索者を倒すどころか主の大切なものまで奪われた。
おかしくでもなったのか、この状況であるにもかかわらずリーバーたちに襲い掛かるそぶりも見せずに立ち尽くしていた。
一拍の後に騎士の背中を追いかけ始めたリーバーだったが、その距離はすでに遠く離されていた。
ノストは駆ける。
戦意に侵されていた脳をゆっくりと冷まし、自分のすべきことを思い出した。
すべてはうまくいっている。
まだ作戦は終わっておらず、むしろこれからが本番だ。
「師匠、ありがとう。あいつ頼む」
オーガ師匠の足元を通り抜ける時に短く声を投げかけた。
思えば酷なことをさせてしまったものだ。誰よりも死神集団を恨み、戦いたがっていた師匠を守りに回らせてしまったことは。
しかしここからは自由に戦ってもらう予定だ。
自分の後ろを追ってくる大鎌の男を存分にしてもらおうではないか。
そうして辿り着いた壁の先、無骨な岩を覆い隠すために何重にも重ねられたカーテンの向こう側にそれはあった。
――迷宮<地底闇>最終第51層へと続く階段だ。
何もない、人が二人程度しか入れない小さな部屋だ。
しかしそこに目的のものがある。死神集団が求めてやまず、ノストがどうしても守らねばならないもの。
「よく守ってくれたな」
陰に潜む本当の守護神スライムに声をかけ、岩壁の隙間にはまった丸い宝玉を取り出す。
あの探索者が手にして勝ち誇っているものと酷似しているが、本物はこちらだ。
「あんなあからさまに置いておくはずがねぇだろってな」
誰でも思いつくことだ。
ダミーを置いておくことも、50層の下に小さな階層をつくっておくことも。
いつのまにか管理者だと誤解されているノストが、明らかに強者感を出して魔物といっしょに待ち構えていれば誰だって惑わされる。アンのつくった迷宮はどれも手の込んだ仕掛けが施されていたが、こんな単純なものはなかっただろう。
迷宮と核の接続を切り離すための時間を捻出するための小細工。それは十分に役目を全うし、すべての準備は整った。
先ほどの地揺れはその合図だ。
「さ、お前もいくぞ」
ノストが核をかざせば、スライムは少し震えて光の粒に包まれた。
光の粒はそのすべてが核に吸い込まれ、スライムが存在していた証はどこにもない。
生み出した魔物をエネルギーとして回収する。
言葉にすればそんな味気ないものだ。だがノストは望んでいた。これから新たに作られる迷宮で、またこのスライムと会えることを。
これは別れではない。
アンと同じく、しばし眠りにつくだけなのだ。
そう言い聞かせて熱くなりそうな目頭を黙らせ、ノストは無理やりに不敵な笑みをつくった。
「ここは最終第51層。もう転移は使えず、鎧の蘇生機能もなくなった。失敗もやり直しも許されない状態で、一世一代の大脱走をしなくちゃならねぇわけだ」
それこそ作戦の締めくくりにして最後の大仕事。
ノストの手で、核を外まで運ばなくてはならない。追手のかからないところまで行ってやっとアンとたてた作戦は完了するのだ。
これまで5年近くここで暮らしてきて、ついぞノストは脱走を果たせなかった。最高到達階層は44層で、それからはアンに負けてともに生きることを選んだ。
まさか今になって、また脱走をすることになろうとは。
どうやらノストと脱走とは切っても切れない縁で結ばれているらしい。
「そんじゃあ……よーい、ドンだ!」
大切な迷宮核を用意しておいた荷物袋につめて、ノストは最後の脱走を開始した。
まずはたくさんの思い出が詰まった第50層へ。
最初にして死神集団のいる最難関で、捕まればその瞬間アウトだ。
カーテンをかき分け外に出ると、オーガ師匠と守護神の大蛇が戦っていた。
「おい、核がどうなってもいいのか、お前ら!」
「バカヤロ、いい加減認めろ! お前が持ってんのは偽物だ!」
リーバーとその仲間はそう叫び合いながらオーガ師匠の猛攻から逃げていた。
溜めに溜めた鬱憤を晴らすかのように大暴れするオーガを止めることは簡単ではない。さらには油断をすればすぐに飛んでくる大蛇の口。
この2体が全力になればそうやすやすと負けることはない。足止めとしては充分以上だ。
「ああ、てめぇ! どこ行きやがる!」
「師匠! 今までありがとうございました! 蛇のお前もな!」
現れた騎士を見て喚き散らすリーバーを無視してノストは魔物たちに最期の挨拶をした。
この二体はここで死ぬことを選んだ。
仮にリーバーらに勝ったとしても、討ち捨てられた迷宮で生きる術を彼らはもたない。スライムのようにまた会うことはないのだ。
後ろ首を引かれるような思いを断ち切り、ノストは全力疾走で核の部屋を出た。
道中、4年以上を過ごした自分の部屋の前を通りかかる。
寝て起きて食べて、アンと話してスライムとたわむれて。思い出は数多くあり、ここを捨てていくなんてと今さら寂寥感に襲われる。
それでも一言「ありがとう」と感謝の言葉を残して第49層での階段を駆け上った。
第49層。
ノストが人生で一番多く通った階層だろう。
常に不規則な道をつくり、死と隣り合わせである蛇の階層には随分と手を焼かされた。
そんな階層は今、ただ一直線の道しか存在していなかった。
まるでノストとアンを送り出すように、両脇を大小の蛇が固めていたのだ。
「ありがとな!」
その一言を残しノストは一本道をひたすらに駆けた。
階段にはすぐにたどり着いた。
第48層。
そこへ上る階段の途中で少しアクシデントがあった。
「なっ、なんだ!?」
「お前は、管理者か! なぜここに!」
リーバーたちが置いてきたという死神集団の片割れたちが休んでいたのだ。
彼らは驚くことしかできていなかったのですいすいと通してもらった。途中、誰かの足を踏んだ時は思わずごめんと声が出てしまったが。
48層もノストが数知れず死んだ階層だ。浮かぶ髑髏に加え凶暴な魔物が盛沢山で、ここをクリアするにあたってノストの実力も格段に上昇した。
オーガ師匠に続く第二の師匠とさえ言えるだろう。
その成果は十分に発揮され、残っている魔物を斬って避けてを繰り返し、ノストはあっさりとこの階層もクリアするのだった。
第47層――クリア。
第46層――クリア。
第45層――クリア。
第44層。
「師匠……」
誰もいない階層ボスの部屋を見て少しだけ足が止まったが、見えない陰にどやされたような気がしてすぐにスタートを切り直した。
ここからはノストが辿り着けなかった階層が続く。
作戦を立てるにあたって内容は頭に詰めているが、より気を引き締め直した。
今のところ追手はかかっていない。
オーガ師匠や大蛇の足止めが機能しているのだろうが、それ以上にノストがとんでもない速さで迷宮を駆け抜けているおかげだ。
脱走歴約4年の経験に勝る者はいない。
第40層。
「ぐぉぐぉ」
「よう、早速で悪いが頼むぞ」
ここは地底湖の階層で、舟がないとクリアはほぼ不可能だ。
それも見越して例の空色のアザラシがここに配置されている。
すでに重い鎧を脱ぎ去ったノストはその太った胴に乗って地底湖を進む。この間に休息をしっかりととる。
「ぐぉ……」
「相変わらず燃費悪いなぁ、お前」
途中エネルギー不足により何度か停止したが、なんとか上へ続く階段の前に到着した。
「で、お前はどうするんだ」
「ぐぉぐぉ!」
「正直者というかなんというか……」
本人の強い希望によってアザラシは光の粒子となって核に吸い込まれていった。
復活させるときは十分に食費を賄えるようにしてからにしようとノストは強く決心した。
第38層――クリア。
第35層――クリア。
第30層――クリア。
このあたりは少しずつ魔物の数が減らされていたため難易度はかなり低かった。
本来ならば安心するところだろうが、本当に注意しなければならないのはこれからだ。
第29層。
第27層。
第24層――。
「おわっ!? 貴様、何もんじゃ!?」
ノストはここで初めて他の探索者と出くわした。
ひげもじゃの男が驚いている隙に逃げ出したが、内心ではひやひやだ。
探索には不似合いな無地のシャツに、装備は白い剣だけ。
一般の探索者にすればここはそれなりの実力者しかいない階層であり、そんなところにノストのような者が一人でいるのは明らかにおかしい。
問答無用で追いかけられることはないだろうが、接触には気をつけなくてはならないだろう。
第20層。
ここまでで5組の探索者パーティと出くわした。
ノストとしてはかなり人の気配が多く感じた。というのも彼の感覚ではまだ第22層が最高到達階層であり、その頃の記憶が色濃く根付いているからだ。
彼が地底に囚われてから変わってしまった常識を初めて実感する。
徐々に近づいていく地上が少しだけ怖く感じた。
第18層
第15層。
第13層。
第10層。
人と擦れ違う回数がかなり増えてくる。
第7層。
――第5層。
「ここで死んだんだよなぁ」
不思議とその場所を覚えていた。
運命の日とも言うべきあの日、若く愚かだったノストは死んだ。
全体で言えばそれほど強くない魔物に暗闇の中で強襲。生きたまま食われる中で思ったのは強い喪失感。
それから奇跡的な体験を経てノストはここに戻ってきた。
上からではなく、下からここまでたどりついた。
もうあの頃の自分とは違う。
「よっ、と」
さして意にも介さず背後から襲ってきた狼を切り伏せ、ノストは歩き出す。
もう目前へと迫った地上へと向けて――




