第○二五話 『夏の始まり』
どこだろう、ここは。
意識はハッキリとしている。しかし物事を考えることができない。思考に靄がかかったかのような、まるで深い海の中を漂っているような、そんな感覚。
どこまでも広く、深く、自分という存在が溶けていくような。
――アナタはどこへ行くの?
そんなの、自分が知りたい。どこへ行こうか。パッと思いつくのは、夢の世界。その世界では夢が何でも叶い、不自由も理不尽も何もないのだ。そんな世界に、行ってみたい。
――アナタの心は、冷え切っているね。
冷え切っている。なるほど、意味がわからない。心とは何なのか。いや、さすがにそれはわかるか。
わからないのは、ここがどこなのか。そして自分が誰なのか。何がどうしてこの状況に陥っているのか。
――惹かれ合ったの。アナタと、アタシ。お互い、冷たいから。
待って、一体なんのこと。問うも答えは返ってこない。
◆
大崎みぞれは、ヒーローになりたいわけではない。
何をしたいのか。そう問われれば、
「あたしはね、気に入らないものをぶっ壊したいの」
正義のヒーローが倒す悪とは、世界が気に入らないと判断したものである。そう解釈する大崎は、自らが正義のヒーローとなれば、気に入らないものを悪としぶち壊すことができるのではないか、と考えた。
元々、我が強い女子だ。自分が一番でなければ気が済まず、それゆえに目立とうとする。転校してから一ヶ月、栗原晴之という男子生徒と行った、インチキ占いのように。自己満足を得て、優越感に浸る。そんなお姫様が大崎みぞれだ。
そのお姫様が、正義のヒーローになれるオモチャを知ってしまったら、どう思うだろうか。
「欲しい。アレを手にして、あたしが悪を倒すの!」
しかし、目をつけた宮城聖のベルトを奪うことは叶わなかった。なぜなら、大崎と協力関係にあった栗原が裏切ったからだ。少なくとも、大崎はそう考えている。
あたしの言うとおりにしていれば、今頃この手の中にはあのベルトがあったはずなのに。
実際はそうはならず、栗原は彼女と戦うことを優先した。不意を突かず、自身の目的を最優先とし、快楽のために戦った。カッコいいのだろう、己を通すその性格は。大崎は嫌いだが。
「くだらないこだわりなんて、クソの役にも立たないわ。なのになぜ、ああまでしてこだわるのかしら、男の子って」
男子ではない聖でさえ、ヒーローを模倣している。ヒーローの何が彼らを惹き付けるのか。ヒーローになって悪を裁くのではなく、気に入らないものをぶち壊したいと考える大崎にはてんでわからない。
「ヒーローが戦うのは、自分のためじゃないの? 他人のために命を懸けるだなんて、馬鹿じゃないの?」
考えても答えが出ない問いを繰り返し、ここ最近の大崎はイライラが振り切れそうであった。
非合理的で非営利で損ばかり。自分のしたいことをするのでなければ、一体ヒーローとは何がしたくて戦っているのか。
「……ええ、そうよ。他人のためだなんて嘘っぱち。自分の欲を満たすためにヒーローをやってるに決まってる」
結局はそこに落ち着くのだが、大崎自身、それで納得してはいない。
――ヒーローって、なんなの?
インチキ占いができなくなってから、大崎はクラスでも浮いた存在になってしまった。当たり前だ、あれだけ派手に好き勝手したのだから。だとしても、占いをしなくなっただけで手のひらをくるりと返し、奇異なものを見るような目を向けるクラスメイトのことが気に入らない。
ヒーローが悪を裁くというのなら、彼らをこそ裁け。一人の女の子をつるし上げて悪目立ちさせ、辱めを受けさせるなど極悪非道のソレではないか。
今すぐに、彼らを屈服させ跪かせ、それでは足りない、土下座させ、それを見下したい。そのための力が欲しい。
「オモチャさえあれば、あたしだって……」
大崎の運命の歯車が狂い、ある筈のない歯車と噛み合ってしまったのは、そんな願いのせいだろう。
「――オモチャさえあれば、と言ったね。なら、こんなのはいかがかな?」
この時、大崎みぞれは下校途中であった。誰もが教室からいなくなり、誰の目にも留まらない時間まで教室で暇を潰し、そうして下校する。当然、遅い時間になり、周囲に人も見当たらない。
そんな状況で声をかけてくるのだから、怪しさでいえば通報レベルだ。
それをしなかったのは、その男の言葉に気になる単語があったからだ。
「……おもちゃ。それがどうかしたのかしら。あたしは見ての通り高校生。おもちゃにはしゃぐ歳でもないんですけど」
スーツ姿の男は言う。
「とぼけなくてもいいさ。私は知っている側の人間だ。キミが欲しいのは……そうだな、変身ベルトなんてどうだい? こんなオモチャが欲しかったんだろう?」
ジュラルミンケースから取り出されたのは、聖が持っているのとは少し違う、しかしバックル部分に扉が存在する、異質な形のベルトである。
直感で理解した。これは、オモチャ――。
「……これをあたしに押し付けて、目的はなんなのよ」
不審な男から受け取れるほど、大崎は肝が据わってはいない。せめて、この男の目的がハッキリしたのなら。
しかし、男はその口元を広げ笑う。
「私はね、夢半ばに敗れてしまった。幼い頃の夢だ。大人になったことで、その夢は叶わなくなった。……だからね、キミのような未来のある子どもの夢を応援したくなる。私のようにはなってほしくないと、そう願っているんだ。だから、このオモチャを渡すことによってキミの夢が実現に近づくならば、それは私の本望なのだよ」
怪しさは倍加した。この男が真意を語ることはない。そう判断し、大崎は、
「呆れた。そんな手に乗ると思った? いくらなんでも、怪しすぎるわ」
「そう言いつつも、目がベルトに食いつき離れていかないようだが」
――ベルトに、惹かれていく。
この力があれば、あたしは。
大崎みぞれは、その腕をベルトに伸ばしていく。
◆
《正義の体現者》騒動から一ヶ月。七月も中盤に差し掛かり、そろそろ夏休みという頃。
学校は、目先に迫った長期休暇にばかり気を取られ、すでに勉強などする気のない学生で溢れかえっていた。
かくいう聖もその一人である。
「夏休みだって、何しようイヴ。毎年の如く、意味も無くダラダラするのも良し。例年とは趣向を変えて、旅行に行くも良し。そうだなぁ、北海道に行って、旅館でゴロゴロしたいかも」
「結局グータラするんですか……折角旅行に行くなら、観光は当たり前でしょう」
「嫌だ、めんどくさい」
暑いから長期休暇になるのに、なぜわざわざ外に出ねばならないのか。夏の日差しを直接浴びてしまったら死んでしまう。
「最近はどこの誰でもそうだよー? その証拠に、オモチャで騒ぎを起こす人も全然いないし」
「それはまあ、そうですけど……ある意味、平和ですよねえ」
イーターのウワサは消えてはいない。しかし、その出番が無いほどである。
……ウワサと言えば、
「最近、バレットも姿を見せなくなったよね」
「イーターの出番がないということは、同時にバレットの出番が無いということでもありますから」
それもそうなのだが、《正義の体現者》騒動の日から嫌な予感が払拭できていないのだ。そう思わせるのは、あの黒い化物か。
偶然下町にいたバレットが、あの黒い化物に殺されたのでは――なんて、考えてしまっている自分がいる。
「……そんなわけないよね、この街を守ってきたヒーローだもの」
ヒーローが活躍しない世の中こそが平和なのだから、これで正解なのだ。
よし、思考を切り替え、夏休みを目いっぱい楽しむことを考えよう。
そういえば、バイクの免許も取りたい。折角変身できるようになったのだし、やはりヒーローであればバイクは必須だ。
そんなことを考えていたのだが、
「あ、宮城」
「栗原……?」
二ヶ月ぶりに見る顔が、教室の外から聖を呼んでいた。
同じ学校の同じ学年であるはずなのだが、なぜか聖は栗原、そして大崎とは顔を合わせることがまったくなかった。教室が離れているというのもあるだろうが、意識をしていたというのもある……か?
「久しぶり、どうかした?」
「あー……あのさ、姫さん見てないか?」
栗原が姫さんと呼ぶのは、大崎みぞれという女子生徒。今年度転入してきて、たった一ヶ月で話題の人物に成り上がった元予言者。
正直、聖は彼女が好きではない。その口調も、雰囲気も、していたことも全て。
「で、そのお姫様を見てないかって? 見てないけど。……え、なに、いなくなったの?」
「見てないか……いや、ね。ここ一週間、学校に来てないんだよ」
――それを聖に言いに来た、ということは。
「オモチャが関係している、と?」
栗原と聖は仲が良いわけではない、と聖は考えている。唐突に襲ってきて、戦って、それで返り討ちにした。そんな関係を友達とは呼ばないだろう。そんな聖を頼ってきたということは、二人の間にある共通点――オモチャが関係しているとしか考えられないだろう。
「まさか、とは思うけど、もしもの時は頼りたいな、って思ってさ。オモチャのこと、話せるのお前くらいだから」
「うーん……まあ、何かわかったら教えるけど」
「ありがとう、それ聞けただけでも十分だよ」
それじゃあ、と言って栗原は教室に戻っていった。
「……なんで懐かれてるんだ、私は」
懐かれている。そう表現したが、存外的外れというわけでもない気がする。栗原は、出会った当初からヒーローを神聖視している節が見られた。ヒーローとして川内市で戦う聖を、憧れのように思っているのかもしれない。
まだ聖は、聖の憧れである仮面ヒーローのようにはなれていない。まだまだこれからのひよっこである。だから少し、くすぐったいものを感じた。
「私も、少しは近づけてるのかな。憧れに」
伸ばした手は、着実に喰らい付けている。自分でそう実感できるようになるには、時間が必要だ。
感慨に耽るのもいい加減にし、差し当たっての問題は大崎みぞれか。
行方不明と断定するのは早い。夏休みが近いのだから、少し早めの夏休みを満喫しているだけかもしれない。
よくよく考えずとも、彼女は悪目立ちしすぎた。あれ以来、彼女が占いをしているという話も聞かないし、クラスではさぞかし居心地の悪さを痛感していることだろう。それが嫌になって学校に来なくなったのかもしれない。
というか、きっとそうだ。まずは彼女の家に行ってみなければわかるまい。
「……いやいや、なんで私がそこまでしなきゃならないんだ? どうせ栗原が行くだろうし、そもそも家知らないや」
根本的な問題から行き詰まり、早速やる気が削がれていく。いくら正義のヒーローを目指しているからと言え、聖にも好き嫌いはある。事件性が確実であれば話は別だが、それが確定してもいないのにやる気を出せるほど、聖は彼女のことを心配に思えない。
万が一があった場合のことを考え、一応様々な可能性を考えてはいるが。
「イヴはどう思う? 大崎さんは、本当に行方不明だと思う?」
虚空への呼びかけに、イヴが反応する。ふわり、と視界に降り立ち、その口を開いた。
「イヴは少し、奇妙な違和感を感じています。先ほどヒジリさんが言っていましたが、オオサキさんが行方不明かどうかは、家に行けばわかります。そんなこと、クリハラさんだってわかっているでしょう。だからきっと、確認は取っていると思います。行方不明であると確信して話をしに来た、と思っていいのでは?」
なるほど。言われてみればそれもそうだ。
しかし、だとすればどこに行ってしまったのだろう?
「うーん……オモチャが関係しているなら、あまりいい予感はしないね」
「そう簡単に関わっていてたまるか、って感じなんですけどね、本当は」
イヴも同じく頭を悩ませる。だが、あまりにも手がかりが無さ過ぎる。改めて、聖と大崎の接点の無さを知る。
これ、警察を頼った方が良さそう。そんな考えが過ぎる。
「私の管轄外です、はい」
五章開幕。二章で活躍(?)した私お気に入りペアがメインの章になる予定です。




