第○二六話 『手探りの一歩』
大崎みぞれが失踪した。そう思ったのは、栗原が彼女とある約束を交わしていたからだ。それは些細なものではあったが、彼女から取り付けてきたものであるからして、当の本人がそれをすっぽかすなどよっぽどのことでなければ有り得ない。
「そのよっぽどが悪いことじゃなきゃいいんだけどなぁ……」
探そうにも手がかりが無さ過ぎる。念のため、と聖に相談をしたが、あまり協力的ではなかったし、探す手段も乏しい。基本、男子高校生一人でどうにかなる問題ではない。最悪の事態を想像し、頭を振る。
いっそのこと警察に連絡してしまおうか。……いや、頼りにならない。たかが男子高校生一人。その言い分をマトモに聞いてくれるはずがない。しかも失踪したと考える根拠が『約束をすっぽかしたから』なんて、確証が無いとか言われておしまいだ。
結局、栗原自ら動くしかないのだ。
「できるのか……? オモチャを失くした俺に」
少し前まで、栗原はオモチャの力を持て余していた。それを上手く、と言えるかはわからないが、使い道を与えてくれたのが大崎みぞれだ。
最近の彼女は、オモチャを持たない栗原に対しそっけない態度を取っていた。しかし、必ず離れていこうとはしなかった。それは同情か哀れみか、もしくは栗原がまだ使えると思っているのか、はたまた。
今、確かに言えることは、栗原には力が無いということだ。物事を、ある程度自由に動かせる力。例えば、オモチャのような。
「ああ、もう。こんなことなら姫さんと連絡先交換しとくんだった! 変な気恥ずかしさとか感じちゃって何やってんだよ俺!」
大崎に対して遠慮はない。だが、たまに妙に意識してしまうことがある。あの一件以来、栗原に素の自分を見せてくれているからだろうか。自分にだけは心を許してくれている、そう思い込んでいるからだろうか。
なんにせよ、今嘆いたところでどうにもならない。
「……じっとしててもしょうがねえ。もう一度姫さん家行ってみるか」
一度行ったのだが、その時は留守だった。もしかしたら、本当に少し早めの夏休みを満喫しているのかもしれない。ほら、どこかに旅行に行っていたり――。
「そんなんだったら、約束すっぽかしたこと怒るぞ」
冗談めかして口に出すも、その声には元気が無かったように思えた。
学校から徒歩四十分ほど。普段は自転車で通学しているらしい大崎の家は、下町でも新都寄りの住宅街にあった。
確か、親戚の家に下宿しているという話だったか。
「表札は『川崎』……と、ここだ」
一度来たことがあるのに、それでも迷いそうになるほどに入り組んだ住宅街だ。
そもそも、彼女はなぜ転校してきたのだろうか。両親の海外出張などで、親戚に預けられたとか?
「今日はいるといいな、と」
表札の下にあったインターホンを押し込む。鳴り響くぴんぽーんという音。引き続き聞こえたのは、玄関のドアが開かれる音だった。
「お、」
今日はいた。
「はーい、どちらさま……でしょうか?」
ドアを半開きにし、顔を覗かせたのは想像していたよりも若い女性だった。てっきり自分の母親と同じくらいを想像していた栗原は呆気に取られてしまう。
「――――」
「あ、あの……?」
大学生くらいだろうか。上下をスウェットで揃え、ぴょんぴょんと寝癖を立てるセミロングの髪が特徴的な女性。その両目が栗原を見て、不信感を顕わにしている。マズい、怪しいと思われている。
「あ、いや、あの、俺」
やっべぇ、上手く喋れねえ。情けないぞ俺。
「あー、んっ、んー。……俺、大崎みぞれさんのクラスメイトなんですけど」
なぜ友達と言わなかった。
「あー、みぞれのお友達……」
「クラスメイトです」
なぜ訂正した。
緊張やら混乱やらでいろいろとめちゃくちゃになってしまっている。一度落ち着け、栗原晴之。今日ここを尋ねた理由を思い出せ。
「ふぅー……あの、大崎さんって今いますか?」
ようやっと切り出せた本題に、おそらく川崎という名であろう女性は首を捻り、
「んー……? いや、いないと思います。この時間なら学校に……あれ? みぞれのお友達がここにいるってことは、今日学校お休み?」
いいや、学校はある。栗原は授業をサボっただけだ。一応付け加えておくが、朝の時点で大崎は学校に来ていない。
「ここ最近、大崎さん学校に来てなくて」
「ん、んん? おかしいな、そんなはずは……もしかして部屋にいるんですかね。見てきます」
お願いします、と頭を下げる間にも川崎(仮)は家の中に戻っていく。しばらく立ち呆け、しばらくして、
「……みぞれ、いないんですけど、どこに行ったか知りません?」
と玄関のドアから顔だけ覗かせる川崎(仮)に、栗原は告げる。
「俺も、それを聞きに来たんです……」
沈黙が流れる。
ぽつ、ぽつ、ぽつ、と点が打たれているような錯覚。そして先に静止状態から抜け出したのは、川崎(仮)だった。
「ゆ、行方不明!!」
顔面を蒼白にして取り乱す川崎(仮)を見て、ここにも手がかりはなさそうだと苦い顔をする。
「どどどどうしよう、誘拐されてたりしたら。悪い男に連れていかれてそのまま犯されて初体験がレイプなんて辛い過去を背負うことになったら。ううん、そうなったら生きて帰ってこれないかもしれないし、そしたら私、叔父さんと叔母さんになんて言えばいいんですかね! ああああ、あれ? そもそもみぞれって処女なの? 高校生って割と好奇心旺盛だし一度くらいヤってたり? なにそれ私そんなの知らない! なんで教えてくれなかったんです!? 違う、そうじゃない、どこ行ったのみぞれ!」
手がかりを得られなかったこととは別の意味で頭が痛くなった。
「あ、あの、大崎さんの携帯番号とか、メールアプリのIDとか知りませんか?」
「あ、そうだ。知ってます。今から連絡取って――……私のスマホ、どこにあるか知りませんか?」
知るわけねえだろンなもん。
何かこう、駄目人間って本当にいるんだな、という妙な感慨に耽る栗原であった。
「改めまして、川崎雹って言います。みぞれとは従姉妹の関係ですね。私の父と、みぞれの母が姉弟で」
家に上げてもらった栗原に自己紹介をする川崎。大崎からは、親戚の家に下宿していると聞いていたから、てっきり四十歳辺りのおばさんが出てくるものだと思っていた。
聞けば、この家には大崎と川崎しか住んでいないらしい。大崎家も川崎家も出張や転勤が多く、一箇所に留まれないことが多い。大学生になって、家族の帰ってくる場所として買ったこの家での一人暮らしを許された川崎はともかく、大崎は一人で残すには不安がある、ということで川崎の家で暮らすことになったんだとか。
「転勤先が国内であるうちは、みぞれも連れていけたんです。でも海外となると少し……そんなわけで私の出番でした」
……その話は、あまり聞きたくなかったかもしれない。
なぜなら、それはつまり、この状況で一番頼りにできそうな大人である両親が不在という事実が明らかになった、ということだから。
「ようやく腰を据えられたんですし、友達でも作ってみれば? って言ったんだけど、その時はものすっごく恐い顔して睨まれちゃって。でもしっかり友達を作ってる辺り、中々やりますねあの子。それともあなたから迫ったとか?」
「クラスメイトです」
だから、なぜ訂正する。いや、川崎の言い方も酷いものだが。
ともかく、今日ここを訪れた目的――大崎みぞれは本当に行方不明なのか、は明らかになった。やはり大崎は失踪した。下宿主である川崎に何も言わずいなくなるなど、普通ではない。
……それにしても。
「でも……本当にどこに行っちゃったんでしょう。昔からふらふらする子だったけど、今回もその類だったり?」
――どうでもいいのだが、いや、本当に激しくどうでもいいのだが。
スウェット姿の女子大生と一つ屋根の下って、ものすごく緊張する。
玄関先での一幕で、川崎が残念美女だということはわかっている。しかし外見が良いくせに無防備だとか、むしろ残念なのがギャップになっているとか。いろいろな要素が合わさって栗原を刺激してくる。
栗原には女友達がいない。それはつまり女子に対する免疫が限りなく薄いわけで。
とりあえず、寝癖も直していない、格好も部屋着であるスウェットのまま、なのに無警戒というのはやめてもらえないだろうか。
「き、聞きたいことは聞けたので、今日は帰ります……また何かわかったら報告しますんで」
「あ、はい。……あれ、帰っちゃうんですか?」
え。
なんだ、これ以上何を期待させるというのだ。
「連絡先、交換しなくてもいいんです?」
「……俺と、大崎が?」
「みぞれはここにいないじゃないですか。いや、知りたいなら教えるけど……私と、あなたです。たぶん必要になりますよね?」
焦るな、落ち着け。当然、必要になるのだ。失踪した大崎を探すならば、その親族の連絡先を知っていた方がいい。当たり前だ。彼女はごくごく当たり前のことを言っているに過ぎない。しかし、教えてもらってもいいのだろうか。なぜかいけないことをしている気に――。
「あ、はい、教えてください……連絡先」
この言葉を発するのに、ものすごく時間がかかってしまった。
◆
「――あ、そういえば名前を聞くの忘れてた」
従姉妹の友達だという男子が家を訪ねてきて、最初に感じたのは「本当に友達なのか」という疑惑だった。転勤を繰り返してきた大崎家。その一人娘であるみぞれは、友達を作ることをしてこなかった。当然だ、作ってもすぐに別れると知っていて、そんな勇気をどう振り絞れよう。
ようやっと落ち着けても、みぞれには既に友達を作る意思はない。そう思っていた。実際に、三月にこちらに越して来た時はそうだった。
だから疑った。何度も『友達』という言葉を使い、本当に友達なのかどうか確かめようとした。
「だっていうのに、頑なに友達であることを否定しましたね。あれは気恥ずかしさからか……だとすれば、友達以上の何か?」
それにしては、自分にも過度の緊張を抱いていたように見える。判断材料はまだ足りない。
「……少なくとも、害になりそうな気配はなかったけど」
川崎雹は、あの男子の評価をそう下す。監視の目的も含め連絡先を交換したが、普通に友達になれたらいいな、と思い始めていた。
――さて、あの男子の話題はここまでだ。
あの男子が持ってきた問題。大崎みぞれの失踪。生活リズムが自分とすれ違っているため、気付くのが遅れたが、みぞれは確かにいなくなっている。
あれでいて、下宿主である川崎に心配をかけまいとしているみぞれが、何の連絡もなく学校を休み、家にもいないなど普通は有り得ない。つまり、普通でないことが起きている。
「あー……もう。もし誘拐事件に巻き込まれたんだとしたら、犯人の鼻っ柱をへし折って、ついでに男性器も機能しなくなるまで踏み抜いてやります」
ギャップどころではない発言も、一人暮らしの我が家には寂しく響き渡るだけだった。
◆
――どう? 居心地は。アナタと惹かれ合ったアタシは、悪くないと思ってる。
久しぶりに聞く声に、眠りかけた意識が引きずり起こされる。
良いか悪いか、で判断することはできないが、不思議と落ち着いていられる。少しずつ、思考が凍結していくような感覚も慣れてきた。
……この状態が何を意味しているのか、まだハッキリとはしないが、良くも悪くも無い、と言っておこうか。
――そう。あたしは素直じゃないね。もっとアタシに近づいてみなよ。素直に、思ったことを、思ったままに。それができればもう少しだよ。
何がもう少しなのだろう。というか、素直じゃないとか大きなお世話だ。これでも彼の前では素直であろうとしている。だがどうしても上手くいかないのだ。むしろ彼の前でこそ、素直になれていない気がする。
自信が持てていないのだと、そう思う。自分が一番でなければ気が済まず、されど今の自分は最底辺にいるようなものだ。そんな自分が許せず、そして許してもらおうとも思えない。
――強情だね。でも冷たい。何もかもを論理で語りすぎてるんだよ。だから、アタシとあたしは似ている。
何が、論理で語りすぎている、だ。自分のこれは感情論で片がつく。言ってしまえば、素直になればそれで終わる話なのだ。素直になりたくないがために論理をこねくり回す。素直になるのが、恐い。
――そう考える時点で、すでに似てるんだってば。感情に身を任せてもいいのに、それを理性が阻む。自分のことを客観的に評価しようとして、結果過小評価することになる。人間的なようで機械的。そんな矛盾が、冷たさを生んでいる。
論理で語っているのはお互い様ではないか。もっと感情的になれと言うのなら、いいだろう。凍り付いてく思考の中で、今抱いている感情に素直になろう。
……眠い。
――どこまでもドライな感情をありがとう。今回はもう十分。冷たい牢獄、吹雪の中で、眠っていいよ。
そうしてまた、声が遠ざかっていく。意識の混濁が始まり、何も考えられなくなっていく。その時感じていたのは、肌の冷たさだ。冷気が自分の体を包んでいく感覚――、
それが消える頃には、意識は眠りに落ちていた。




