『チャンネル争い』
今ではすっかり見る時間が減ったが、子供の頃は本当にテレビが大好きだった。
番組表もすっかり頭に入っていて、一週間のうち、何の番組がどのチャンネルで何時から始まるのかというものまで暗記していた。
まだテレビは一家に一台で、80年代のはじめはビデオも普及していなかったから、各家庭ではチャンネル争いがあった。少なくともウチでは日常茶飯事だった。今はテレビが一台しかない家のほうが珍しいし、ビデオも普及しているから、チャンネル争いなんてほとんどないんじゃないか。
夕方は子供の時間だから、当時まだたくさんあったアニメ番組は見放題だった。しかし、一番の争点は、火曜の夜九時だった。俺が世界を紹介するクイズ番組を、母が二時間サスペンスを見たがった。そして、毎週のように互いに一歩も引かなかった。
当時の俺は、暴力的なサスペンスなどよりも、親として子供に教養番組を見せるのが当然だと思っていたのだが、今にして思えば、夜九時といえば子供はもう寝る時間だろう。きっと、寝ろと言ってもいう事を聞かない、けしからん子供だったのだろう。それに、母がようやく一日の家事を終えて一息つける時間帯なのだから、好きに番組を見せてやればよかった、と孝行できなかったことをちょっと後悔している。
ところで、このチャンネル争いには必勝法があった。
「クイズ番組を前半の三十分だけ見せて」
というものだ。二時間ドラマは三十分見られなくても残りは一時間半もある。それを見られればいいか、と、これに母がのってくればしめたものだった。言うまでも無く、三十分も経過した後の二時間ドラマなど、ストーリーも登場人物も分からなくなる。だから、興味を失った母の手から残りの三十分のチャンネル権が俺のところに転がり込む、という寸法だ。
子供の私はシメシメと思っていたのだが、今にして思うと、母はわざと私にチャンネル権を譲ってくれていたのかも知れない。
それでも、チャンネル権を奪われしまう事もあった。そんな時は、俺も一緒になって二時間ドラマを見ていた。具体的な記憶は残っていないが、物心もついていない子供にとっては、なかなかに過激な内容だったんじゃないか。お陰で、ちょっとマセた子に育ってしまった。
「先輩のお母さんはお元気なんですか? まさか亡くなったとか……」
「いや、ピンピンしてるよ」