第3話「贄は幸福を想う」
「……ご体調は、いかがですか」
「ん、ありがと」
エグバートさんの体調を伺っても、彼は質問をさらりと避けるための笑みを用意してしまう。
「アッシュ家での贄生活は、どう?」
エグバートさんの体調を気遣いたいのに、私が投げかけた質問はどこかへと追いやられてしまった。
でも、無理に笑もうとしているエグバートさんを見て、尋ねてほしくないことなのかと悟った。
「……ご飯が、とても美味しいです」
「初めて食べる食材とかあるでしょ? 口に合わなかったら、声かけて」
エグバートさんとは出会って間もないはずなのに、こんなにも気を遣ってもらえるほどシャロの血は希少価値が高いのだと思い知らされる。
「私、クレアちゃんと、こっそりご飯を食べる時間が大好きで……」
気を引き締めなければいけない事態が起きているはずなのに、私は呑気な会話を繰り広げていく。
こんな話をしている場合じゃないと分かっていても、私がアッシュ家での生活に幸せを感じていることはエグバートさんにどうしても伝えたかった。
「でも、クレアちゃんは、シャロ家の魔女様だから……」
「一緒にいられる時間が短かった」
首を縦に振って、肯定の意を示す。
「アッシュ家では、必ず誰かが一緒に食事をしてくれて……」
「ユウと、ユマリかな」
「ユウとユマリのご両親も、私と食事をしてくださるんです」
食事の場にエグバートさんはいらっしゃらないのに、その食事風景を見てきたかのような言い回し。
なんでもお見通しという言い方もできるかもしれないけど、私を笑顔にするための気遣いだということを感じた。
「シャロ家の血が貴重だとしても、ヘイル家のみなさんと一緒に食事できることが、私の喜びです」
誰かと一緒に食べるから、味を感じることができる。
そんな初めて知る感覚があるということを、エグバートさんへと伝えていく。
「ユウ……ヘイル家に関しては、そこまで警戒しなくてもいいよ」
床に臥していたエグバートさんが体を起こしたため、私は彼が体調を悪化させないように横になる手伝いをしようと傍へと寄った。
「シャロ家の血がどうこうじゃなくて、ヘイル家の人たちはステラちゃんに好意を抱いてる」
横になってもらうよりも早く、エグバートさんの手が伸ばされる。
「ステラちゃんを本当の家族のように、大切に想ってくれている人たちだから」
伸ばされた手は、優しく私の頭を撫でた。
「森契の盟の中には、本当にシャロの血だけが目当ての人たちもいる」
酷な現実を教えてくれているのに、エグバートさんは柔らかな笑みを浮かべ続ける。
「俺も、その一人」
真っすぐな視線を向けられて、不自然なほど顔を思い切り下へと背けたくなった。
でも、逃げたところで事態は好転しない。
しっかりと顔を支えて、エグバードさんと視線を交える。
「エグバートさんがくれる優しさが嘘だとしても、私はエグバートさんのことを恨むことができません」
雨が静かに降りしきる頃合いに、精霊も魔物も活気づく。
雨が降る気配は感じられなくても、濡れた木の枝が風に揺れる音は、魔法使いが戦いに誘われているような感覚を得る。
「だって、エグバートさんの優しさに絆されそうになってますから」
「こっちは、丁重に贄をお迎えしてるだけだよ」
「おかげで、贄は生意気に育ってます」
エグバートさんと二人きりで過ごした時間は、数えられる程度のものでしかない。
けれど、そのわずかな時間の中で多くの優しさを彼からもらった。その優しさを本物に変えるためにも、自信を持って顔を上げる。
「少しずつ笑えるようになってきたかな」
「本当ですか?」
「無理に、指で口角を上げる必要がなくなるといいね」
胸の奥に渦巻く喜びが、自分の表情にどんな変化をもたらしているのか。
自分の顔を自分で確認することができない私たちは、他人の言葉を通して自身の顔を知っていく。
「シャロ家の魔女として、威厳を保つべきか悩んでます」
「確かに、出会ったときのステラちゃんの方がシャロ家の血筋らしいのかもね」
「でも、口角を上げるのっていいなって」
手を、小さな力で握る。
今はまだ弱い力かもしれないけど、いつかは力強く自分の手を握れるようになりたい。
「クレアちゃんが当主になったとき、姉の私が支えてあげられるようになりたいなと……」
「夢を語れるようになるって、大きな成長だね」
「あ……でも、これはまだ叶うかどうかわからなくて……」
「まだ挑戦もしてないのに、駄目なんて否定しないで」
頬が、ほんのりと赤く染まっているのではないか。
顔に熱が堪り始めているのが、自分でもよく分かる。
「うん、アッシュ家の贄は今日も可愛い」
エグバートさんからの愛情と優しさで溢れる空間を、一人で乗り越えるのは難しいと思った。
でも、俯いてばかりはいられないと思った。
(見えるものも、見えなくなるから)
ほんの少しだけ顔を上に向け、エグバートさんの顔を見つめる。
視線が交わった瞬間に、すぐ逸らしたくなる気持ちに駆られた。
でも、逃げるという選択を選ぶのはやめた。
「こんなにも心強い気持ちで満たされているのに、なんで泣きたくなるんでしょうか」
「泣いてもいいんだよ」
また、いつもの柔らかな笑みを向けて私を安心させてくれるエグバートさん。
「ステラちゃんの傍には、いつだって欲望塗れの俺がいるんだから」
私は、誰を守りたい?
私は、何を守りたい?
私が一番大切にしている人は?
私が一番大切にしているものは?
それらの答えを出すことができたなら、私は最高の笑顔を好きな人に向けることができるきがする。
「私も、エグバートさんを追いかけます」
「俺を?」
いつも私に見せてくれる、笑顔。
その笑顔を見るたびに、私は何度も何度もエグバートさんを追いかけたくなるんだと思う。
「私も、エグバートさんの支えになりたいからです」
抱いている幸福が、更に深まっていくのを感じた。
そのとき感じた心強さのおかげで、私は今日の日に見た満月の光を忘れられなくなった。




