第6話「雨がやむ」
「魔物に愛されれば、死なずに済むかもしれない……ということですか?」
暗い部屋にばかり目を向けていたせいで、視界が明るい世界に慣れていなかった。
教室と廊下を繋ぐ扉を開けて、廊下に向かおうとする彼に続くのが遅れた。
「この惨劇は、すべて魔物の仕業らしいですからね」
扉を開いた先には、さっきまで平和だった廊下は存在しなかった。
誰の血かも分からない大きな血の海が広がっていて、自分が校舎を見回っていたときとは違った世界が出迎えたことに言葉を失いかけた。
「どうして私を招いたんですか!? 救える命もあったかもしれない……」
「魔物が、どんなに残酷なものか刷り込ませたいんです」
さっきまで無理に作り上げたような笑みを浮かべていたフェリーさんが目を細め、目の前の血だまりに何も感じていないような残酷さを私に見せる。
(フェリーさんの瞳には、見覚えがある……)
校庭で遺体が見つかったのに、ノクティス・アカデミアに通う人たちは日常茶飯事と言わんばかりに冷静さを保っていた。
そこに、弔う気持ちがあるのかないのかなんて判断できない。
死ぬのは当たり前だと理解している人たちの目と、フェリーさんの瞳が重なった。
「精霊と縁を切るのと、人間が滅びるの、どちらが先でしょうね」
フェリーさんよりも早く教室に出ようと勢いよく飛び出したけれど、窓向こうの雨は止んでしまったことに気づいた。
「雨、止んでしまいましたね」
フェリーさんも私の後に続いて廊下に姿を見せ、窓向こうの雨の様子を確認する。
「精霊も魔物も、雨が降っているときこそが一番活動的ですからね。もうステラさんの出番はない……」
「それでも、魔物が人を殺さないという保障にはなりません」
堪えていた涙が溢れた。
感情を抑えてきた自分が涙を流せることに安堵したいけれど、自身の手の甲で涙を拭って、顔を上げる。
「戦えない人を守るために、シャロ家の魔女は存在します」
どの精霊の力を借りるべきか思案すると、フェリーさんは私に考える間を与えないために言葉を与えてくる。
「この惨劇をもたらしたのは、誰ですか」
「モス家の人間が、人の命をなんとも思っていない冷酷な魔法使いだと知ってもらいたかったので」
にっこりと微笑むフェリーさんは、遠回しな言い方で私を突き放す。
誰ですかと尋ねているのに、直接的な答えを彼は与えてくれない。
「知ってましたか? フェリーさん」
私の肩で事態の収束を見守っていた幻精霊が、高く飛び立った。
「精霊と縁を切りたいと思ってる人たちは、とても優しいらしいですよ」
廊下を駆け巡るために羽ばたいた幻精霊は、廊下を眩い光で覆っていく。
あまりにも多すぎる光に目を閉じてしまったけど、次に瞼が上がったときに世界が変わったことに気づかされる。
「っ」
太陽のように眩しい光を放った幻精霊は、力を使い果たして疲れてしまったらしい。
開いた視界で周囲を確認する頃には、幻精霊は休息を得るために姿を消し去っていた。
「余計なことをしてくれましたね、幻精霊は」
あんなにも心臓を激しく揺れ動かす要因になっていた血の海は消失していて、熱を失いかけていた体が安堵の気持ちを取り戻し始める。
「幻精霊が見せた……幻だったんですね」
「ステラさんが、おっしゃる通りです」
恐怖と緊張が一気に解け、全身の力が抜けて廊下に足をつきそうになった私をフェリーさんは支えてくれた。
「誰も死んでいません」
乱れた呼吸を整えるのにいっぱいいっぱいで、フェリーさんが仕掛けた事態に言葉をかけることができない。
「さっきの雨で、被害は出ていません」
酷い惨劇の幻を見せてきたのはフェリーさんだと分かるのに、あまりにもフェリーさんの声が心地よくて彼を責める気になれない。
彼の声のおかげで、心が落ち着きを取り戻すのを感じる。
「僕が、残酷な人間だと知ってもらうためでしたが」
もう涙は止まっているはずなのに、フェリーさんは右手の人差し指で私の目元へと触れた。
「仕掛けを見破られたら、意味がありませんね」
泣いてはいけないと言い聞かせていたのに、こんな優しさを差し伸べられたら心が再び弱くなりそうで嫌になる。
「私に魔物の脅威を教えるための幻、ですか」
でも、自分に幻滅してばかりでは、何も解決しない。物事を前進させることもできない。
「悲惨な現実を知れば知るほど、精霊と縁を切りたくなる」
涙を流す暇があったら、言葉を紡ごう。
自分の脳と体に向けて、そんな命令を下していく。
「私の逃げ場を塞いでまで、フェリーさんは精霊と縁を切りたいのですね」
フェリーさんが言葉を返してくることはなく、首を縦に振って肯定の意を示した。
「どう頑張っても、精霊不支持派は戦力が足りない……」
「優しい人たちばかり、だからですか?」
双子の妹のクレアのように、もっと感情豊かな生き方をすれば良かった。
そんな生き方ができたら、今の私はフェリーさんのために優しい笑みを向けることができたかもしれない。
「優しい人は、戦いには向きませんからね」
過去の自分を悔やんだところで何もならないと分かっているのに、どうして人間は過去を振り返ってしまうのか。
「フェリーさん」
フェリーさんに見つからないように、こっそりと人差し指を使って口角を押し上げる。
「一緒に、優しい人たちができないことをやりませんか」
でも、すぐに上手く笑えないと気づいて、手を下ろした。
「自分の力が誰かのためになるなら、それは生きる意味になります」
柔らかな笑みすら浮かべることができないけど、しっかりと言葉を紡げるように心がける。




