正論(150)かみさんは戦いの女神
カーキ色のカジュアルな綿パンツとジャケットに白シャツ。五百旗頭壽翁は、真佐江を探して道場への渡り廊下を歩いていた。
昨晩、改造手術を受け自分も現役復帰すると宣言した真佐江。セイロンガーは反対したが、壽翁も悩んでいる。一夜明けて、やっぱりやめると言ってくれないかと思っていた。
日本に戻ってからは、命に関わるような戦闘もなくここまで来た。もしあのまま米国が主戦場だったら、ウルフショーグンのようなバイオニックソルジャーとの戦いでどちらかが命を落としていたかもしれない。この幸運をそのまま……。
やがて聞こえてくるラジカセからの『スカイハイ』。
『♬ You’ve blown it all sky high by telling me a lie……♬』
くすりと笑って道場の扉をそっと開く。壁際、2階建ての道場の天井まで伸びた綱を黙々と登る真佐江の後ろ姿があった。
黒いレギンスに、上はクロップド丈の白いウェアだ。右手で綱を掴み、反動を使わずに身体を持ち上げ左手に持ち変える。それを滞ることなく、テンポよく繰り返している。握力、腕力だけでなく上半身全体の力が要求される自重トレーニングだ。
40代とは思えない愛妻の背中で、汗を光らせながら波打つ広背筋や僧帽筋、そして盛り上がる三角筋。壽翁はしばらく見惚れて声を掛けられなかった。
(俺は何を悩んでいたのか。あれを見よ! あれこそは戦いの女神。アテーナー、ニーケーもかくあらん!)
自分のかみさんをギリシャ神話の女神に喩えながら、真佐江が登り切るまで恍惚と見上げた。
高い天井まで登った真佐江はここで初めてこちらに振り向いた。
「あらやだ、壽翁さんいたの? もう出発かしら」
滑り降りず、腕で交互に綱を掴みながら、ゆっくり降りてくる。
「そろそろね。何もお出かけの日にトレーニングしなくてもいいのに……」
壽翁は近くにあったタオルを持っていきながら言った。
「自分で復帰するって言ったんですもの。翌朝にサボるなんてできないわよ。タオルありがと」
「気は変わらないんだね」
「……ねぇ、壽翁さん。アメリカ時代から私たち一緒に戦ってきたけれど、果たして正義を行使してきたと言えるのかしら?」
「ん?……うん」
答えにくい問いに、思わず聞き返してしまう壽翁。
「アメリカ時代も事実上の政府公認はVVEIで、私たちは民間のヒーロー組織に過ぎなかった。日本に戻ってきても在日米軍とVVEIは繋がっていたわ。私たちは行き過ぎた必要悪を抑える安全装置でしかなかった」
「しかし、真佐江ちゃん……」
「壽翁さん。いいえ、トシ。別にあなたを責めているわけじゃないの。政府とヒーローという立場に挟まれて、よくやってくれているわ。ただ、安全装置のまま、宿敵を野放しにしたまま引退した自分には、どうしても納得できなかったの」
真佐江は、何年ぶりだろうか、アメリカ時代の呼び方で壽翁を呼んだ。
「そして今、師であるマリアの仇、W-1が日本に来る。奴こそは、人の命を簡単に奪う真性の悪。今こそ、正義を執行する時よ」
「わかった、"Now is the time for justice." だろう? ハニービー」
「やるわよ、スカイホーネット。蜂のように舞い!」
「蜂のように刺す!」
2人は頭上でパンッと手を叩いた。
「「2人揃って! ビーーー、ハイブ!」」
ラジカセを止めて道場を出る。
「私服だと少し照れるわね……」
「あぁ……」




