正論(126)銃声なき制圧
ホワイトウルフの怪人へと変異したウルフショーグン。30メートル先、通路の突き当たりにあるセルゲイ・グリンカの部屋へ向かって、単独で走り出した。
宿舎で起きていた騒ぎの音は小さかったが、グリンカの部屋の前を守る警備兵2人は何かしらの異変を感じていた。顔を見合わせて何やら会話する警備兵は、視界の端に動く白い影を捉え、反射的に振り向いた。
だが、その瞬間にはもう遅かった。
ウルフショーグンは床を蹴ると、壁を、天井を、四肢の爪で抉りながら、縦横無尽に駆けた。足音は重くない。むしろ軽く、跳ねるたびに姿が消える。物凄いスピードで一瞬たりとも静止することなく、視界に捉えたと思った時には、すでに別の場所にいた。
「チッ、ちょこまかと!」
警備兵の1人が叫び、自動小銃を構え銃口を振る。だが、狙いを定めた瞬間、そこにはもう何もいなかった。彼らは歴戦の手練であったが、そのことが逆に乱射する行為を躊躇させた。
次の瞬間、天井を蹴った白い塊が回転しながら落ちてきた。
距離が一気に詰まる。すでにその距離は引き金を引ける最後のチャンスとなっていた。
迫り来る白い獣に向けて、警備兵2人が同時に引き金を引こうとした、その刹那。
ウルフショーグンは床に身を投げ、足からスライディングで滑り込んだ。低い姿勢のまま、2人の間へ滑っていく。
3人がすれ違う瞬間、ウルフショーグンは立ち上がり、両腕が左右に伸びる。
赤く鋭く伸びた爪が閃き、両腕が胸の前で交差した。
次の瞬間、2人の警備兵の首元から同時に血が噴き出し、身体が前のめりに崩れ落ちた。
銃声は、援護射撃も含めて、1発も鳴らなかった。
ウルフショーグンは悠々とセルゲイ・グリンカがいる部屋のドアを開け、入室した。部屋の中は殺風景な兵舎と違って豪華な調度品が設えられている。木製の大きなキャビネットの向こうから男女の囁き声が聞こえる。
ずかずかと男女の営みが行われるベッドへ進むと、下になっているグリンカと目が合った。にやけ顔から大きく目を見開いて恐怖と驚きが入り混じった表情に変わる。
「ど、どけ!」
グリンカは女を押し除け、ベッドから落とした。
「きゃっ……ギャァア!」
女はベッドから落とされると同時に、ホワイトウルフの怪人を見て悲鳴を上げる。そして、シーツで身体を覆って部屋から出て行った。やがて、部屋の外の死体を見て再び悲鳴を上げるのが聞こえた。
「グルルッ……傷つくなぁ、おい」
唸り声混じりに言いながらグリンカに近づく。
「ウルフ……ショーグン……」
敵対するVVEIの大幹部が目の前に現れた。変異済みのその姿は恐ろしく、その両手は血濡れている。
ウルフショーグンは、グリンカの肩を掴んで爪を食い込ませ、わざと狼顔を近づけて言う。
「さてと、セルゲイ。質問だ。お前が影武者なら殺す。本物なら身柄を攫う。どっちだ?」
ウルフショーグンは言いながらグリンカの特徴を確認する。普段黒いアイパッチで隠している潰れた左眼、左鎖骨から右胸にかけてのナイフによる傷跡、右上腕に残る銃創。そして軍人上がりならではの鍛え上げられた肉体。
「……ほ、本物だ。俺がセルゲイ・グリンカ本人だ」
「そうか、……では死ね」
ウルフショーグンは、グリンカの首にぐわりと噛みついた。
「ヴワワァァグワァッ」
首から血を吹き出しながら、声にならない唸り声を上げて苦しみ、やがてグリンカは絶命した。
サイドテーブルを見ると飲みかけのワインボトルがある。ウルフショーグンはそれを口に含むと口の中をゆすいでその場を立ち去った。
「私だ、セルゲイ・グリンカは死んだ。あぁ、本人だ。身体の傷も確認した。基地の制圧は任せる。あぁ、隊員に休暇をやった後、日本へ移動する」
どこかと連絡を取りながら、ホワイトウルフの怪人から元の姿へと徐々に戻っていった。




