風いく前に世間話
13階層を突破し、14階層へと続く階段を降りていく。火炎エリア特有の熱が引き、徐々に肌に風を感じる。それもその筈で、ここから17階層までは通称風のエリアに入るのだ。14階層に踏み込む前に、バンドーとアンは軽い腹ごしらえをする。とは言っても、ベーコンと卵のサンドイッチ程度だが。
「そういやさ、アンは何でお山を降りたんだ? 」
一瞬、喉でも詰まったのかアンは目を白黒させるが口の中の物を飲み下すと鼻の頭に人差し指をやり、答えた。
「ティア様が降りたからつまんなくてさ、それに冒険者をやってみたかったし、それと…… 」
「修行、結構進んでたんだろ? 」
「……一応、玄武の途中までは…… 」
アンはゼノ式の中伝まで授かっている。そこから青竜の章・朱雀の章・玄武の章・白虎の章を終えれば晴れて免許皆伝になるのだ。ということは、
「なんだ、あと半年かそこら頑張れば、お前なら皆伝までいけたんじゃね? 勿体ない」
「そ、それを言うか? 」
「はっ? 」
「もういい、この生意気ケイン! 」
はい、頂きました。"生意気ケイン"とはバンドーが『月下桃華の峰』に来た当初、付けられたあだ名である。そもそもアン・ラスティは17歳。16歳のバンドーよりもひとつ年上であり、本来なら兄いなどと慕う間柄ではない筈、だったのだが。
修行で抜かれた事も関係があるかもしれないが、その後、お山を神殿騎士団に攻められるという出来事があり、バンドーはやむを得ず指揮を取る羽目になる。ゼノ式の門弟も二分されて、ティア派とガンダルシム派に分かれてしまい、人質になったティアを巡る争いになった。エナが王国と公国との戦いに駆り出され、遠征中の出来事である。
当時14歳だったアンは結局、ティア派としてバンドーの指揮の下で戦った。苦くも懐かしい思い出である。だが彼女はそれ以来、バンドーの言う事を聞くようになる。
そしてエナが戻り、お山の復興が形になったところでティアは責任を取ってお山を降りる事にしたのだった。バンドーもそれに従ったのだが。
「でも、本当に強くなったよな」
サムニウムの時も驚いたのだが、先程の13階層ボス戦も予想以上に凄かった。本来、アンのクラスである盗賊・暗殺者系はこのデスパレスでメインを張れるべき職業ではない。強い弱いではなく、相性の問題で、単純に考えると盾戦士系や魔法系の職業の方がデスパレスには向いていると言えた。ゼノ式を収めているとはいえ、アンは間違いなく暗殺者クラスとしては破格と言ってもよい。
「わ、忘れてないか? 私も、もう、ゴールドクラスだぞ? 」
確かにそうだった。サムニウムの時にも言っていたな。
デスパレスのゴールドクラスは伊達ではないという事か。
蛇足だが同じゴールドクラスでもバンドーは例外で、一人で潜っていた時期が長く、一度の遠征にかかる時間が長いせいもあって、昇級が滞っているという事になっている。実際は本人もギルドマスターレイにもクラスを上げるつもりが無かった、というのが正しいのだが。
それでなければ、その上のプラチナに上がっていてもおかしくはない実力を、バンドーは持っている。
理由は単純で、バンドーが過去に掛けられた異端者の疑いを考えると、下手に冒険者としてプラチナやミスリルクラスに上がると王国中に名を知られ、余計な火の粉をかぶる可能性があるという事。実際に『月下桃華の峰』が神殿騎士団に攻められた過去を考えると、レイも慎重にならざるを得なかったのだった。
まあ、それはともかく、そのような理由は今のアンには言うべき必要はない。
「そうだったな、そういやアン。最近ずっと、ユメと一緒にいたみたいだな」
二人でよく盗賊ギルドに籠っていると聞いている。
「あ~、そうね。バンドーごめん! 」
「あん? 」
先程まで不満げだったアンの表情がいつの間にか申し訳なさそうな表情になっている。それを見て、そろそろ14階層に踏み出そうかというバンドーの足が止まった。
「実はさ、…… 」
アンの話によると、ユメはお山にいるらしい。サムニウムの領域から帰ってすぐに登ったとか。
アンとユメは実は17歳同士で、しかもどちらも強さを求める上昇志向が強く、おまけにクラスも同じ暗殺者クラス。それもあり、アルシャンドラの一件で知り合ってすぐ仲が良くなり、盗賊や暗殺者スキルを教え合ったり、技を磨き合ったりしていたらしい。ユメがバンドーから『ひよどり』の型を習っていた事もあり、アンからもいくつかゼノ式の技も習ったとか。
「それでね? 」
サムニウムの領域に遠征した時に、実戦でのアンの強さを間近にみたユメは、居ても立ってもいられなくなり、帰るなりアンが止めるのも聞かずに修行に出たとか。
「なんだそりゃ? 」
予想の斜め上をいくアンの話の内容に、バンドーの口は既に半開きである。どおりで最近ユメを見ない筈。
「す、すぐ帰って来るって言ってた……よ? 」
うーむ、ユメの行動の先だけは正直、予測がつかん。すぐに帰って来そうでもあり、夢中で修行に、のめり込みそうでもある。
「バンドーに、よろしく言っといてって言われてて、忘れてました、ごめんなさい! 」
「……いや、まあいいけどよ。ユメの事だから、しゃーねえ」
とにかく、それはそれとして今自分にできる事に集中しなければ、とバンドーは気持ちを切り替える。
ちなみに、アンとユメが意気投合した理由が、もう一つあるのは内緒だった。
「ケイン兄って…… 」
「バンドーさんって…… 」
『話がおっさんくさいよね! 』
思わぬところで意見が合い、ケラケラ笑い合った二人は密かに『おっさん同盟』を組んだのだった。
話は置く。
さて、風のエリアである。14階層~16階層は難易度は火炎エリアと、そう大差ないのだが、敵の属性ががらりと変わる。文字通り、風属性の敵が目白押し。ウインドエレメンタルにシルフィー、そしてラストはウィンドデーモンが加わる。今度は打って変わって、適正属性は炎となる。風属性には火炎属性が効くのだ。付け加えるとすれば、舞台となるフィールドが平原となり、常時風が舞っているので弓矢やアンの苦無などは攻撃の際にそれを考慮に入れる必要が出てくるだろう。
「アン? 」
風に注意しろ、と言おうとして、バンドーは止めた。アンが鼻歌を歌いながら、風向きを確認している。どうやら、問題はなさそうだ。さっき投げた円刃もちゃんと回収しているようだし。
(というかあれ、投擲武器じゃないんだけどな…… )
ヘルミットが使っている一回り小さい、円刃殺は確かに投擲武器で、腕輪ぐらいの大きさなのだが、アンの円刃は細い胴回りくらいあり、本来は手に持って振り回して使う武器である。
「先行しようか? 」
バンドーは了承のハンドサインを送り、ようやく二人は駆けだした。