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第十六話「聖戦の始まり」


「リリムー。リリムってばー。起きてよぉ。大変だよぉぉ!」


 その少女の目覚めは、鬱陶しいほどに喧しい子竜の襲来によって成された。ドアの鍵など諸共せず、腕力で当たり前のようにこじ開けたその少年の訪問攻撃。これにはリリムを当たり前のように覚醒させる程の威力があった。


「敵が来たの!?」


 シーツから裸身が零れるのも構わず、リリムの意識が切り替わる。のんきに寝ている余裕などない。すぐにベッドから飛び降り、慌てて装備を身に纏う。


「いや、敵はまだなんだけどね」


「……なぬ?」


 その割りには子竜の顔は焦り顔である。


「何事ですか!?」


 隣からサキが部屋に飛び込んでくる。こちらももう着替えは済んでいたようだ。いつもの装備を身に纏って準備万端で備えている。


「聞いてよサキ。リリムの剣が無くなっちゃってるんだ!」


「リリムの……剣? ナイフではなくてですか」


「あんなナマクラどうでもいいよぉ。ううー。リリム以外抜けないと思ってたのに、盗まれちゃったよぉ。アレがないと勝てないのにぃぃ」


「なんだ、剣って公爵様の庭に刺さってた奴ね。アレならシュレイダーが持ってったわよ」


「うぇぇぇ!? なんで? なんで魔法卿に抜けちゃうのさ!」


「知らないわよ。でも、あいつが持ってったことだけは確かよ。多分、そのうち持ってくるわ。間に合うかは知らないけどね」


「結局、先生はここに来たのですね」


「なんか色々手を打ってるみたい」


「ではなんとかなりそうですね」


 安堵のため息をつくサキに、苦笑いしながらリリムが戦闘服のジャケットに袖を通す。ミスリルウィップもミスリルナイフも装備した。後は、朝食さえ食べればいつでも戦える。


「はぁ。焦って損した気分だわ。まったく、あんたはどこに行っても私の手を焼かせるんだから」


 こじ開けられたドアは、もうその存在意義を果たせないだろう。説明するのも億劫だ。無論、もうそれをどうのこうのする余裕などどこにもないのだから、放って置くことにして朝食に向かう。


 既に、庭でご婦人方が料理に励んでいた。その匂いに釣られるように少女たちは外に出る。すると、当たり前のように混ざっていたエルフ店長が手招きしてきた。


「早いわね貴方たち。向こうで配給やってるわよ」


「おはよ。店長も結局残るのね」


「当たり前よ。今度こそほんとに私のお店が大ピンチなんだもの。貴女たちには是非ともなんとかしてもらいたいわ」


「うう。気軽に言ってくれちゃって……」


「フフ。でもまぁ、ここまでくると逃げる気にもなれないわよ」 


「どうして?」


 重苦しい表情ではなく、軽く店長は言った。


「なるようにしかならないもの。死ぬ時は死ぬし、死なない時は何したって死なないもんよ。精霊たちも逃げるなって言ってるしね」


 何が出来るわけでもないけど、とだけ呟いて店長は思い出したかのように三人に小さな袋を差し出した。


「何これ」


「わぁ、クッキーだぁ」


 早速開けたレブレが涎をたらし食べようとするも、店長は止めた。


「ダメよ。長期戦のための非常食よそれ」


「長期戦……ですか」


「一々戦場で、まともにご飯を食べられるなんて思っちゃダメよ。水は、お茶用の魔法とかでなんとかしてね」


「そっか。ありがと」


 ベルトに括りつけ、三人は礼を言ってから兵士たちの配給に混ざる。冒険者も随分と混ざっているらしく、不統一な連中が談笑していた。


 良い神経をしているとリリムは思う。彼らの顔にあるのは余裕だ。少なくとも奥底ではどうかはともかく、軽口を飛ばしあいながら表面上は軽く振舞っている。戦士の強さだろうか。戦うべきときに戦えるように備えられた精神は、有事の際にこそ際立つものらしい。


「あら、ようやく起きてきましたわね」


「そっか。あんたも戦ってるんだ」


 エプロンに三角巾で武装した公爵令嬢が、配給に混ざっていた。一応護衛っぽいのはちらほらしていたが、男衆の一部がだらしない顔で少女の給仕姿を眺めていた。心なしか、こちら側に並ぶ列が多い。


「しっかり食べて備えてなさいな」


「言われるまでもないっての」


「……ところで、あの方はどうされましたの。姿が見えないのだけれど」


「あいつは適当に準備してるわよ。多分、必要なときが来たら顔見せるわ」


「そう。ならば安心ですわね。きっとあの方は、出るタイミングを間違えるようなことはありませんわ」


「そんなの伺うよりもさっさと出て来いって思うけどね」


 遅刻したら当分の食事を抜いてやると心に誓いながら、トレーを受け取る。


「リリム、気をつけて」


「あんたもねノルメリア」


 レブレだけが当たり前のように大盛りを頼んでいたが、他の兵士たちの目も有るために普通サイズにされた。


「後で適当に偵察がてらこっそり食べてきなさい」


「ううー」


 腹いせに盛大に腹を鳴らした子竜と、それを宥めるサキを従え、庭の一角で適当に食事を済ませる。


「不思議よねぇ」


「何がですか」


「なんでどいつもこいつも頑張ろうって気になれるんだろ。不思議でしょうがないわ」


 戦って勝てると心底思っているなら、それは楽観に過ぎる。そもそも自分たちでどうにかできないような奴を、ポッとでの連中がどうにかできるなんて心の底から思えるわけがない。なのに、なんだかそんなこと知ったことかとばかりに残った連中が奇妙に思えた。


「戦は、楽に勝てるときと引くに引けないときほど兵の気持ちが結束するそうです。今は後者だと思いますが、ここが勝負どころだと皆が感じているのではないでしょうか」


「ふーん」


「リリムは違いますか」


「そもそも戦争が良くわかんないしさぁ。やりたいとは思わないもん」


「多分、それが普通だと思いますよ。兵士の人もきっとうそうでしょう。中には嫌々の人もいるでしょうけれど」


「ナガノブみたいなのとかもいるよー」


「あの方は例外中の例外です」


 憮然とした顔でそう言うサキからも、やはり重苦しいほどの物は感じない。自然体というよりは、相手を見ていないせいか楽観している風に見える。リリムはそれを羨ましく思うも、吐露せずに心の中に仕舞いこむ。


「まぁ、でもあんたはやばくなったら天帝って人と一緒に逃げなさいよ。あの人に何かあったら国際問題になっちゃうわ」


「それはそうでしょうけど……」


「余裕があったらその時は二人とも僕が引っ込めるから安心してよぉ」


「あんたはイマイチ信用できないっての」


「そんな酷いよぉ。僕だってリリム組の一員だよぉ」


「止めてよね。それ」


 シスターのせいで、リリム組という呼称が広まってしまっている。せめて竜騎士組みやら攻撃組にしてくれれば良いのにだ。仲間がやる気を削ぐのは利敵行為ではないのか? 少女はそのげんなりする現実への怒りを子竜に八つ当たりする。


「なんだか無性にあんたの鱗剥ぎたくなってきたわ」


「なんでぇ!?」


 鱗の代わりに頬っぺたを抓り上げていると、レブレが生意気にも反撃してくる。二人して頬っぺたを引っ張りあっていると、そこに見たこともない子供たちが集まってきた。


「こらぁー、遊んでないでお手伝いするー」


「じゃなきゃ子供は非難しないとダメなんだぞ」


「ここはこれからせんじょーになるんだからなー」


 悪い子を見つけたみたいな様子で、子供たちがレブレへと突撃してくる。これにはリリムもレブレも大変参った。


「こらそこのチビども。何やってんだい! さっさと運ぶの手伝いな!」


 そこへ、どこかで見た女が現れた。


「あっ。あの時のスリ女だ!」


「ああん? あー、チビども。そいつらはほっときな」


「ええー!?」


「なんでー」


「そいつらは保護者がいるんだよ。居ない奴だけ集めてきな。終ったら皿洗いでもなんでもお手伝いだよ。ほら、行った行った」


「「「「はーい」」」」


 鶴の一声だった。子供たちは大人たちの間を抜けて消えていく。


「なんだい。今日はあの甘ちゃんはいないのかい」


「ええ。にしても、何よあれ」


「スラムの餓鬼どもさ。行き場なんてないしね。世話してくれてる奴が逃げられないから、どうせなら城に居ろってさ。死んだら好きなだけ恨めとか適当なこと言うから、皆して連れてきてやったのさ。飯食わせて貰ってるからその分働かしてるよ。どうも、アタシらでもできることはあるみたいだしねぇ」


 配給の食器などを運ぶ途中だったルアンダは、両手で抱えたそれを見せながら言う。


「素直に避難したほうが良かったと思うけどなぁ」


「どうだろうね。逃げたところで、その先で何かできるわけもないしね。どこ行ったって、アタシらにゃそんな差はないよ。なら、あの甘ちゃんがくれた居場所の方がまだ未来に希望が持てる分マシさね」


「居場所ってなによ。またシュレイダーがなんかしたの?」


「そんなとこだよ。あいつには貸しといてやるっていっといておくれ」


「あー、うん。伝えとくわ」


「じゃ、頼んだよ」


 言いたいことだけ言って、彼女は去った。


「魔法卿は相変わらずだなぁ。きっとあの人、吸える人だよ」


「みたいね。きっと私たちが知らないだけで他にも一杯居るんじゃない」


「かもしれませんね」


(はぁぁ。でも、つまりもう勝つしかないってことよね)


 残った住民も少なからず居ると考えたほうが良いのだろう。もう、リリムには笑うしかない。胃と一緒にお腹の調子が悪くなりそうなところへ、兵士の一人が駆け込んでくる。


「竜騎士殿すいません。追加お願いします!」


「つ、追加?」


「僕が集めて来た奴だよきっと」


 案内されるままについていくと、武器に矢。そして何故か荷馬車に詰まれた大量の石があった。


「矢であれだけの威力が出せるなら、投石用の石もと上から指示がありまして」


 勿論、鎧男の指示だった。


「そう。なら、全部集ってからまとめてやるわ。だから小刻みに絶対持ってくるなって、その上の奴に言っといて」


「りょ、了解しました!」


 切り札に睨みつけられた男は、すぐに逃げるように去っていく。


「ふふ。大変ですねリリム」


「本番前に私のオーラがなくなっちゃったら本末転倒だっての」


 乾いた笑みのまま、リリムは運び込まれる石を眺め続けた。











――帝都東の街道。


 街道を埋め尽くし、空さえも覆う軍勢がついに東の空から帝都ゼルドルバッハへと忍び寄っていた。


 マリスは本来は誰にも望まれないはずの邪悪を引きつれ、ただの生き物を魔物へと仕立て上げ制御する。生かさず殺さずの召喚システムの、その中枢。それそのものである彼は、ただただ当たり前のように進撃する。


――この世界こそ、剣と魔法と魔物が存在する人造の理想郷<ドリームワールド>。


 昼にさしかかろうという太陽の、その眩しい光にさえ犯されぬ闇がここにある。

 その闇の中心。暗黒色の破滅の上で、心地よさげに唇を吊り上げる少年の亡骸が、最初のチェックポイントへと差し掛かったことを歓喜する。


「――フヒヒ。ようやく遠足の最初の目的地にご到着ってかぁ」


 醜悪にも無遠慮に、世界を侵すマイノリティ共の夢がここにある。

 存在しないはずの需要を満たすべく魔改造されたその世界の中で、そのニーズを受け入れた魔神マリス。彼は躊躇しない。その求めをただ受け入れて、約束通りに事を運ぶだけ。


「ドリームメイカー共の望みは異世界に召喚されること。そして、我らが二代目契約者。最弱のアキヒコが望むのは召喚魔法の脅威を見せ付けた果てにある召喚抑止。――フヒヒ。矛盾しそうだよなぁこれは」


――けれど、それを今両立させる解がここに在る。 


「だぁがよぉ、別に直ぐにとは頼まれてねぇわけだし、つまりこれってのは、曲解すれば抑止が働くのはこの世界の奴らがごめんなさいっていうまで召喚しまくってぇぇぇ、奴らが呼び出された後でもいいわけだよなぁぁぁ!」


 自ら化け物を操り、脅威として君臨し、その先へと世界を誘導する。それがマリス・エンプ・ティネスが選んだ捻くれた解。そして、その矛盾する両者の願いを叶えるための手段がコレだった。


「シナリオ加速のお膳立ては全部こっちでやってやる。これがミスっても規定どおりに進めてやるぜい。そもそも、現地住民が自分たちで呼んで滅ぼすんだ。だからぁ、別にいいよな。時計の針を俺様が進めてもYO――」


 マリスの役割とは、結局のところ舞台装置。望む者に繋がりを通して用意されている召喚の力を与え、更にそれを誘発しやすい環境を整える調整者に他ならない。そして彼は、それ故に当たり前のように恨まれるべき見当違いのラスボス役でもあった。


「俺様はよぉアキヒコ。言った通り三千大世界の全ての生物の悪意と繋がっているのさ。分かるか、俺様はお前たちの心が生み出した邪悪そのものなんだ。だから当然、俺は恨まれれば恨まれるほど強くなる。恨みの想念……だけでもないな。なんつーのかなぁ。纏めれば負の感情が近いか? なんか、そういう嫌な感じの奴全部ひっくるめたそれなわけだぁぁぁぁぁYOっと――」


 憎悪、怒り、妬み、恨み……etc。それらマイナスベクトルに数えられる感情的概念、想念が彼の力の正体。


 けれど、やはり人格はそれに比例しない。ドリームメイカーたちが本来存在しない概念に擬似人格を与え、こちら側に無理やりに引っ張り出した。だから彼は属性どおりに契約者を裏切ろうとは思わない。悪意と呼ばれはしても、悪そのものではないから人格通りにやりたいことをやる。


「でもよ、それでも俺様は望まれて生まれちまったわけだ。どうやら望まれるってことは、俺様が言うのもなんだが、ちょっとばかし幸福らしいぜ。おぞましいぐらいにだ。だからよぉ、それこそ背中が痒くなってたまんねぇぐらいに何かしてやりたくなるのさ。こういうのをきっと、誰かのための善行っていうんだろうなぁ。嗚呼、クセェェ――」


 だから、彼だって当たり前のように居なくなられると寂しいと思うのだ。


 暇つぶし用の話し相手というだけではなく、どういう事情であれ自らの力を望み、縋りついて頼られた。時に弄り、馬鹿みたいな話し方で神経を逆撫でしても、最後の最後まで自分を望む契約者の喪失。それは空虚なる悪意の魔神の胸に、確かな空洞を穿ってジクジクと彼を苛む。


 無尽蔵な力そのものでも埋め尽くせないその空洞。埋めるにはきっと、誰かさんが望んだ悲痛な願いを叶えることでしか埋められない。望まれて生み落とされた彼だからこそ、きっと自らの存在を望んでくれた者だけは裏切れない。もう、彼はそんな魔神になってしまっていた。


「もうすぐ会えそうだなド変態<ドリームメイカー>。いや、もっとずっと先かぁ。まぁいい。後で見つけたら教えてやるよ。忘れてたら思い出させて全裸土下座の刑だ。フヒヒ。初代契約者28世紀の地球人め。平行世界のよぉ、それも21世紀の地球少年はお前に呆れて怒ってたぞ。野郎、ノコノコ出て来たら絶対お前を指差して笑ってやる。……だからよ。もうちょっとだけ待ってやがれ。先にこの野暮用だけは済ますからよぉ」


 少年の望みを叶えよう。自分なりのやり方で、望まれた通りのやり方で。


 悪意は不滅。故に、誰も彼も彼を消すことなんてでき無い。確かに、器との繋がりが弱ければ追い出すぐらいはできるし、器を消すことでそもそも顕現できないようにすることぐらいはできるかもしれない。


 ならば、たかだかその程度の損害ならきっとこの約束は叶えられる。けれど、やはり憂うことがあるとすればたった一つの意味不明な理不尽のみ。


「――だが、ほんとあのチビはなんなんだろうなぁ。俺の逆ってなんだアキヒコ。正義は違うぞ。あれは俺様より度し難い悪のそのものだ。じゃあ、なんだ? 善意とか奇跡か? だが両方とも俺様に特別効く概念なわけがねぇ。そういう温いのは幸福な人間だけが肯定できる概念だ。不に勝る数はねぇ。なら一体何なんだ? くそったれ。謎掛けみたいなものだけ残しやがってあいつは。無茶苦茶気になるじゃねぇかよ畜生がっ――」


 悪意の魔神が進撃する。

 邪悪の化身が進撃する。

 百鬼夜行の群れが進撃する。


「でもま、直接やりあえば分かるか。お前に理解できて俺様に分からないってのは癪だしよぉ。無駄な努力してやがるっぽいし、ちょっと遊んだ後にでもまとめて踏み潰してお前の望みの糧にしてやるさ――」


 いつか昔に願われた、二つの約束がある。

 そのために、当たり前のように彼は時計の針を進めた。


 繰り出すは総勢十万オーバーの魔物と数匹の念神の混合軍。当たり前のようにどこかの世界で生きていただろう哀れな駒を用い、彼は二つ目の約束を叶えに向かう。


「さぁ、行くぞ。あの世で見てろよ初代アキヒコ――」













――帝都ゼルドルバッハ外壁上部。


「げっ、なんだありゃ!?」


「空も陸も魔物一色じゃねぇかよ……」


「まるで世界の終わりみたいな光景だな」


「止めろよ、そういう縁起でもないこと言うの」


「俺、終ったらギルドの受付嬢に交際申し込むんだ」


「あ、狡ぃぞ! なら俺だって新しく入ったルアンダって子にアタックするぜ!」

  

 外壁の上、近づいてくる軍勢を見据えノーマルな冒険者たちが悲鳴と愚痴と、絶望といつもの軽口を上げた。いつもならやばくなればけつまくって逃げるけれど、さすがに故郷の危機となれば逃げ足も鈍った。だから、彼らは馬鹿話に興じながら敵を見据えた。











「あー、どうにかなるのかこれ? ちょっと本陣に確認してくるわ」


「隊長、持ち場をナチュラルに離れるなでアリマス」


「やっぱ避難させて! 俺兜脱いで今すぐ民間人になるから!」


「腹くくれよみっともない」


「そうそう。生き残ったらお前の墓碑に逃亡兵って書いてやるよ戦友」


「あーあ。こんなことなら皇女様にダメ元でアタックしとくべきだったなぁ」


「あ、じゃあエプロン姿の公爵令嬢様は俺が貰ってくわ」


 アジ・ダハーカだけ知っていた東軍の兵士たちは、それを守るようにして近づいてくる魔物の総軍に頭を抱えながら、半ば現実逃避。この際調子に乗ってありえないような夢を見た。


 既に外壁の門は四つ全て閉じられ、破られないようにバリケードよろしく必要のない馬車や屋台やらの建材などが詰まれていた。各地には矢や武器などの補給所まで作られ、交代要員などがすぐに入れ替われるように、人員や物資の補給部隊が行き来できるように構えられている。













「にしても、この剣や槍、なんか光ってるけどほんとに頼りになるのかい?」


「まぁ、無いよりはマシだろ。投石用の石とか矢、絶対至近距離で使うなっていうぐらいやばいらしい」


「とにかく中に入れないように全力を尽くせってこった。いつもの魔物戦と変わらないだろ。例外を除けばな」


「あー、あれね。なんで居るんだろうね。あんなクソでかいの」


「頭三つもあるしな。もう竜じゃなくて山だろあれ」


「俺らの剣とか槍でどうにかなるってレベルじゃねーよなぁ」


「ほらみろあの志願兵の連中。今にもチビリそうだぞ」


「悪い。俺もアレみたら猛烈にトイレ行きたくなった」


「お前もかよ。ふっ。じつは何を隠そう俺もだ!」


「とっとと済ませて来い馬鹿共! お前ら、トイレ行っている最中に殺されたら上級ランカーとして末代までの恥だぞ!」


「「ういーっす。ダックスさん!」」


「アレ? ダックスさん。その剣どうしたの。持ってかれたって泣いてたじゃない」


「昨日、持って行きやがった馬鹿がギルド長経由で返してきたんだ。おかげで予備は家ん中さ。にしても見ろよこれ。なんか、魔力通すと光るんだわ。後、障壁が張れる。あいつに取られてからどうなってんだ俺の相棒」


「ちょ、いいなそれ! 俺もそんなの欲しいっす!」


「アタシもその話し気になるねぇダックス」


「終ったらギルド長に聞け。あの野郎はジンブル様の管轄だからな」


 上位ランカーは四つの門と、最終防衛拠点である城に詰めている。無論、侵入されれば能動的に動く遊撃部隊でもある。帝都の地理は当たり前のように入っている。


 帝都は先日の騒ぎで走り回った彼らの地元だ。魔物風情に好き勝手させる気は毛頭無かった。










「それにしても不思議だね。西側のハイドと東側の私が揃って帝都を守るなんてね」


「ベイ、今更西も東もあるものか。全てはレイチェル様のためだぞ。なぁ、ケイン」


「うぇ? なんでそこで俺に振るんだよハイドラー」


「お前が姫様を助けたことには感謝している。だが、セクハラ疑惑がそれで払拭されたわけではない。この機会に潔白を証明しろ」


「はぁ!? こんな戦いでどうやって証明しろってんだよ!」


「やれやれ。ハイドは本当に忠義に熱いというかなんというか……」


「おいハイドラー!」


「……ジェント? 君、何故言葉を……」


「さっき槍持ったシスターの姉ちゃんが俺になんかしやがったんだ。しかもこれ、見てくれよ」


 アサルトライフルと拳銃に刻まれた不可思議な魔術文様。意味の理解できないそれを見せられても、ハイドラーには理解できない。


「なんかよく分からねぇけどよ。引き金引いたら魔力とか言う奴を弾にして撃てるようにしてくれたんだとさ」


「なに!? つまりそれは――」


「おう。俺もまた混ぜてもらうぜ。いいよな、冒険者」


「勿論だとも。頼りにさせてもらうぞ異界の友よ!」


 最終防衛ライン帝都城城門。その奥の城は総司令部として機能し、最悪の場合は城の抜け道を使って可能な限り外へと離脱するための拠点となる。戦えない者たちと、戦うしか能の無い者たちを支えるための者たちが身を寄せ合う帝都最後の避難場所だ。絶対に死守しなければならないその場所には、後詰や残りの物資が集っていた。












「なんというか、いわゆるこれは未曾有の危機という奴ですなぁ」


「ですなぁ。もうここまでくると逃げるとかどうでも良くなってきてしまいますね」


「復興も考えると頭が痛いですよ」


「おや、貴公は勝てると踏んでいるのかね」


「賭けますか? 私は勝つほうに領地賭けてもいいですよ」


「はっはっは。それでは賭けなど成立すまいよ。ここに残った者はもう、勝つしかないと思っているのだからね」


「公爵も諸侯も、随分と余裕だな」


「当然だよレイチェル」


「お父様。今日はお腹が引っ込んでるようですわね」


「いつもの鉄の腹巻は必要ないからね。おかげで甲高い腹太鼓が鳴らせないのだ。昔はよくそれでお前をあやしたものだがなぁ」


「ははは。政務で運動が足りないからといって、全身に鋼鉄の腹巻やらウェイトを纏っていたとは。これは我々、騙されておりましたな」


「左様。剣の腕の維持にそこまでやっていたとは」


「公爵にはリリム組といいその腹といい、本当に驚かされますな」


 大きな卓の上に置かれた地図を囲み、指揮所であるその場所でレンドール公爵たちが笑う。戦える者は皆武装し、そうでないものも魔法程度は嗜んでいる。悲痛な顔をする兵士たちよりも、有る意味総合的に状況をダイレクトに理解して悲観しても可笑しくない彼ら。けれど、それでもプライドがある。ただただやせ我慢をして笑い続ける。


「ノルメリア。お前は魔法しか使えないのだ。決して前には出るなよ」


「お姉様こそ、魔物を人間相手と思わないようにしてくださいましね」


「むっ。その言い様、まるでケインだな」


「ええ。ケイン某が言っておけと」


「まったく、私を何だと思っているんだあいつは。いつまでもあの頃のように戦えないままのつもりか? お前の方が危険な場所に居るくせに――」


「ところでお姉様」


「ん?」


「この機会に聞いておきたいのですけれど、ケイン某とハイドラー様。どちらがお好みなのですか?」


「……話しにならんな。私は可愛い女の子一択だ!」













「一応確認するよ。夜光はでっかい奴からの帝都そのものへの攻撃とかに対処。サキはその護衛ね」


「うむ」


「はい」


「そしてオフェンスである私とリリム、竜である貴方は攻撃ですね」


「単純じゃがそれでいいじゃろ。しかし驚いたぞレブレや。あれ、下手するとワシより当たり前のように強いぞ。帝都城の地脈は掌握したが、全力で来られるとそう何度も防ぎきれんと思っておくれ」


「その時は逃げていいよ。僕たちは危なくなったら敵前逃亡が許されている贅沢な身分なのだ!」


「真面目な方々からすれば卑怯な話しですね」


「でないとやってらんないよぉ。さすがに僕たちリリム組の中にはさ、たった一人しかこの国の人間がいないんだもん。僕たちを束縛できる者なんていないのだぁ」


「――ねぇ皆。ものすっごく疑問なんだけどさ」


 天帝夜光に後ろから抱きしめられているリリムが尋ねる。


「なんでこの人、当たり前のようにこっちの言葉話してるの?」


「それは勿論、私が方術で夜光に言語知識を提供したからです」


「なぬ?! それって凄いことなんじゃないの。マリカって本当に何者なのよ。本当にどこにでも居るシスターさんなの?」


『あはは。お姉ちゃんはその中でも一等お転婆なイノシスターさんだよ』


「それと、当たり前のように私に喋りかけてくるその不気味極まりない槍娘! 一体何なのよぉぉぉ!!」


 マリカのことをほとんど何も知らないリリムにとっては、この美人なシスターは謎の塊だった。


「槍娘って、誰? サキ分かる?」


「さっぱり分かりません。緊張のしすぎで幻聴でも聞いたのでしょうか」


『あはは。私と同類の夜光や貴女じゃなきゃ聞こえないよ。お姉ちゃんは直接繋がってるから例外だけどねー』


「これこれレブレ。乙女の秘密をそう暴き立てるものではないよ。じゃが、可愛い子じゃぞ。マリアルは」


「私の妹ですからね」


「だから、そんな子どこに居るのさぁ」


 竜眼でさえ見抜けぬ聖人の霊。困惑するレブレとサキをそのままに、夜光とマリカがただ笑う。勿論、それ以外でもリリムには謎があった。


「で、夜光はなんでまた私にくっついてくるのよ」


「リリムと同じ聖人だから、仲良くしたいんだよ」


「そうそう。早く終らせて、あーんなことやこーんなこととかを話したいのじゃ」


「話し? それは別にいいけど……全部外の連中をぶちのめしてからよ」


「うむ。しかしリリムよ。お主、何故ワシと繋がっておるんじゃ?」


「あ、やっぱり夜光にも分かるんだ。ていうか、マリカとも当たり前のように繋がってるんだよリリムは」


「またあんたらだけで分かるような謎話を。もう、ぜんぜんわかんないっての!」


 不思議顔の夜光が、うぬぬっと彼女の頭上で声を上げるその下で、ミニ女王様が地団駄を踏む。当然のように追求をレブレはスルーし、逃げるように皆と離れ竜の姿に変身。庭に居た者たちが、当たり前のように驚くのも束の間、東に向かって首を向けた。その鋭い眼差しは、いつもと違ってとても重いように皆には見える。


「結構近づいてきたみたいだ。そろそろ乗ってよ。僕たちの出番は近いよ」


「もうかえ。名残惜しいが、しょうがないのう。ほれ、全員受け取れい」


 その場に居るリリム組み全員が薄っすらと光に包まれる。まるでリリムのオーラのような白い輝き。違うのは、それが守護に特化しているということぐらい。


「何これ」


「まさか、これが加護結界ですか!?」


「左様。気休めじゃが、無いよりはマシじゃろうて。サキは空元人じゃから猛烈に効くがな」


「そうなんだ。ありがと。確かに、私と同じなのね貴女」


「おうとも。さぁ、レブレが待っておるぞ。三人とも無事に帰るのじゃぞ」


「勿論よ――」


 翼を広げ、何とはなしに持ってきた竜騎士用の槍を手にリリムが跳躍し――、


「終ったらまた飲みましょう夜光。今度は山の上ではなく、貴女自慢の温泉とやらで――」


――それに遅れてマリカが空を駆け上がる。 


「二人とも乗ったね。じゃ、そろそろお昼だけど行こうか」


 緑の子竜が力強く庭から羽ばたく。

 翼は当たり前のように土煙を上げて庭に風を運び込む。その威容、その巨体が生み出す浮力は、彼自身の大質量を魔法学的に持ち上げて進んでいく。


 緑竜が向かうのは東。敵が乗り込んでくるその方角へ、彼らは迷う事無く向かっていった。


「行ってしまいましたね」

 

「さて、どうなるか特等席で見せてもらおうかのう」


 残った二人は顔を見合わせると、視線を王城に向けすぐに跳躍。最も見晴らしの良い城の頂きへと跳躍していく。


「おほぉー。広い広いと思っておったがやはり凄い街じゃよ。大陸の都か。空元にこの様式や建築技術を取り込むとして、かなり意識改革が必要そうじゃな。長信をもっと扱き使ってやらんといかんなぁ」


「そういえば、天帝様のところに長信様や蘭姉さんお世話になっているのですよね」


「うむ。なんだかんだ言いながらあやつは協力的じゃよ。お主のことも聞いておる」


「左様ですか」


「お主、面白い商いをやろうとしておるらしいのう。その気があったらワシのところへ来るがええ。どこか一勢力ではなく、どうせならまとめて全員に教えてやれ。場所ならワシが提供する。おお、そうじゃ。天帝立魔法学園とかどうじゃ。なんぞ、大陸でそんなのが流行しておるのじゃろ」


「リングルベルのように……というわけですか。そう……ですね。考えさせてくださいますか」


「勿論じゃ。ただ、急がねば他の奴を雇うかもしれんがな」


 ニッカリと笑うと、巫女装束の夜光が東に眼を向ける。


「にしても凄いのう。あんな一斉に来られては空元では絶対に耐え切れんぞ。この機会に大陸人たちのやり方、覚えておかないと損じゃな」


「ですが、それでもやはり賢人魔法では火力が足りません」


「それをお主の師匠の魔法がカバーするのじゃ。うむ。これで少しは軍事的な遅れを取り戻せるな。賢人魔法とレブレのところの魔法。空元にも必要じゃ」


 いつの間にかサキも天帝のところに行くことになっているらしい。サキは少しだけ困った顔で、しかし同じく東の空へと飛ぶ竜を目で追った。


(三人共どうか気をつけて――)













 昼が迫る時間帯。

 帝都の空を竜が舞い、東門の外へと降り立つ。その背に乗るのは、聖女の力を振るえるシスターと金髪少女。


「うわぁ、やっぱ多いって。しかもアレ大きすぎるし!」


「まったくです。あの質量を維持しながら陸を闊歩するなどとんでもないことです」


「でもやるしかないんだよねぇ。こうなったらもうマリカに頼るしかないよぉ」


「じゃ、上に乗ってるやつは私がやるわ。あいつなら多分、私でも戦えるから」


「いいでしょう。その方が私も安心です。言っては何ですが、貴女はまだ弱い」


「やっぱりそう思うわよね」


「はい。オーラ量を考えればそう見えます」


 はっきりと言うマリカの言葉に、リリムは心の底から同意する。それがやはり普通なのだ。けれど、そうとは思っていないのがシュルトとレブレ。


(シュレイダーはともかく、レブレが剣を持ってこようとしてたってことは。アレがあればあのでかいのにも勝てると踏んだからでしょ。でも、アレは本当に力でどうこうできる相手なの?)


 やはり少女には分からない。確かにあの剣に力は感じたがそれだけだ。力だけあっても意味が無い。同条件ではリリムがサキに勝てないように、そのままぶつけるだけではどうにもならない気がしてならない。


「おい見ろよ。有翼の竜騎士様たちだぜ」


「ほんとだ。今日は鎧してないのな」


「まぁ、でも空に居たらそんなに防御重視しなくていいんじゃね?」


「てか、もう一人のシスターさん誰よ」


「なんだお前知らないのかよ。情報遅いぞ」


「竜騎士の仲間で、この前帝都に現れた化け物の親玉を倒した女らしいぜ」


「で、今度は二人と一匹であのでっかいの潰しにいくんだと」


「ふへぇぇ。マジか」


「しかも美人だった!」


 外壁の上から兵士や冒険者の馬鹿話が聞こえてくる。やり難そうに振り返ったマリカに、連中は一斉に手を振った。なんとなくマリカが振り返すと、東門付近の男共の士気が急上昇。恐るべき敵の軍勢を前にして活気付く。


『お姉ちゃん良かったね。異世界だと怖がられる前にモテモテさんだよ』


「断固お断りです。私は知的で穏やかで家事万能で包容力がある方が好みなのです」


「い、意外と条件付けるのね」


「当然です。愛だけで全てが認められるわけがありませんよ。どうせならアレもコレもとチェックするべきです。手を抜いて後で痛い目見るのは自分なのですからね」


 痛い目を見たのか、それともそういう相談をよくされる立場だからか。持論を次々と展開するマリカは止まらない。


「ふーん。マリカも男運ないのね」


「その言いようですと、どうやら貴女も無いようですね」


「そりゃあねぇ。何の因果かあんなド変態の花嫁になっちゃったんだもん」


 ケラケラと笑いながら、「でも……」と少女は笑顔で続けた。


「あいつぐらい一生懸命な奴ならね。案外、諦めも着くらしいわよ――」











――賢人暦114年 5月8日 正午。


 きっと、その時誰しもが緊張し、その瞬間が永劫に来ないことを望んでいた。

 軽口さえ飛ばせないほどの緊張感が帝都中を襲い、その瞬間を前にして静まり返っている。


 背中から這い寄る恐怖に震え、武者震いか軍勢の生み出す振動か分からないほどの震えを無理やりに味合わされる。だが、それをかき消すように帝都中に届けとばかりの声が、城に居るレンドール公爵の拡声魔法によって伝えられた。


『――総指揮官のレンドールより、戦う前に皆に伝えたいことがある。それは、もはやこの期に及んで皆の覚悟を問うことはしないということだ。この未曾有の危機を前にして逃げださない諸君らの、その英雄の如き勇気を、私はまず帝国人の一人として誇りに思う』


『敵の数は数えるのも馬鹿らしいほどで、当たり前のように強大だ。けれど今一度考えてみて欲しい。ここを抜かれた後、あの魔物たちは一体どういう行動を取るだろうかということを。知っての通り帝都の民は避難したが、ここで我々が奴らを仕留めなければ、魔物共は間違いなく帝国中を彷徨って逃げた者たちにさえ牙を剥くだろう』


 分かりきったことを、しかし確認するように彼は語った。


『そしてその後はどうするだろうか。あの巨大な化け物は、異世界からバノス宰相が召喚した少年が、我々を含めたこの世界の、召喚魔法を使って異世界から無理やりに英雄を召喚――拉致した者たちへの、その報復、そして抑止のために呼び出したそうだ。しかも彼は自らのたった一つしかない命を犠牲にしてまで化け物を呼び出したと聞く。今はもう死したその少年の怒りを静めることなど、残念ながらもはや誰にもできはしないだろう。だが、だとしても何もせずにその怒りを享受することは我々には決してできない』


『帝都はきっと、あの化け物にとっては最初の目標に過ぎないのだろう。今、諸君らの目の前には、この国を滅ぼした程度では止まらない化け物が居る。逃げるなとは、私は諸君らにはとても言えない。公爵と呼ばれる私でさえ、アレらは恐ろしいものだとはっきりと分かるからだ。しかし、これだけは私は断言しよう』


『この戦いは無駄ではない。魔物を減らせば減らすほどに、あの化け物を消耗させれば消耗させる程に、後に生き残った者たちの負担が減るのだ。無論、ここで倒しきってしまっても良い。できればそうできることを私は最後まで願い続けながら、竜騎士とその仲間たちに希望を託す。そしてその上で、この戦いに望む全ての者たちと共に最後まで戦い抜き、我らが祖国グリーズ帝国を再生させたいと、そう切実に希求するものである』


 一拍の間。その中で、思いの丈が全て込められたような声が続く。


『――諸君。帝国のため、家族のため、自らのためにここに残った全ての者たちよ。貴族も平民も冒険者も男も女も今は関係ない。一人一人が今できることをこなし、この戦に勝とう。一人でも多く生き残ってくれ。では総員……速やかに戦闘配置につけ!!』


 どこか懇願交じりの激を受け、帝都中に配置された者たちがそれぞれの獲物を構える。槍を構え、剣を抜き、矢を番えて詠唱を始める。


 見据える先にある街道は、草原を埋め尽くすのではないかという規模の軍勢が見えている。先頭を歩くのは四足歩行の魔物たち。その後ろに二足歩行の魔物が続き、その上を飛行系魔物が空を舞う。そして最後には当然、あの三つ首の暗黒竜が、周囲を闇色に染め上げながら続いてきている。


『うひゃー。レーダーで数えるのも億劫な程だよこれ。死都はいくつかみたけど、さすがに人間サイズ以外がこんだけ揃うと壮観だねぇ』


「陸はともかく、空も多い。基本後ろの者たちは上空からの攻撃に弱いでしょう。無駄遣いしたくはありませんが、初手から私が空を薙ぎます」


「じゃ、僕が真正面に穴を空けるね」


「……私は?」


「今は温存でいいんじゃないかなぁ。とりあえず、振り落とされないように気をつけといてよ。じゃ、高さ合わせるよ」


 翼をはためかせ、レブレの巨体が空へと上がっていく。背中にしがみ付くリリムをそのままに、首の上をのんびりと歩きながらマリカがレブレの頭に上る。


「むぅ。この二本の角が邪魔ですね」


『最初から締まらないねぇお姉ちゃん』


 構えた槍が振り回せない。そういうと、レブレが無理やり鼻先を上げた。


「鼻の上ならどうだいマリカ」


「この際、贅沢は言えませんか。ただ、踏ん張りますから気をつけて」


「大丈夫でしょ。夜光が守ってくれると思うし」


「ならば遠慮なく行かせてもらいましょう。――意識接続<アクセス>。第一奇跡代行システム開放。代理行使開始――」


 レブレの鼻面の上。聖者の骨槍<キヒトシュレイン>を構えたマリカの全身から燐光があふれ出す。チャンバーに貯蓄<プール>していたオーラが開放され、白骨に刻まれた魔術文字が明滅。更に、大気中の魔力をオーラに変えながら白骨の口元へと集束していく。


『いいよお姉ちゃん。ついでに、オーラが勿体無いから後ろの大物も巻き込んじゃえ!』


「では、行きます!」


――広範囲閃滅方術『気刃閃<ブレイドライナー>』。


 勢い良くなぎ払われた槍に添うように、白骨から白いオーラの光が解き放たれる。光は刃となって、斬閃の向こうにある空ごと敵飛行集団を問答無用で斬り抉った。光は留まることを知らない。そのまま魔物を切り裂いて三つ首竜の闇へと迫り、闇のベールごと首筋を切り裂いた


 切り裂かれた魔物が、血を雨のように降らせながら体ごと陸地へと降り注ぐ。その向こう、血潮に紛れて害獣がボロボロと落ちていく。


「うおっ、なんだありゃ!?」


「すげぇーな。シスターパねぇ」


「ちょ、これ勝ち目出てきたんじゃねーか!?」


 外壁から当たり前のように上がる歓声。

 リリムも思わずその結果に眼を疑った。


「やったの?」


「――いいえ。ちょっと肌を斬った程度です。しかしアレで首を落とせないとなると、これはいよいよオーラを無駄遣いできませんね」


『ていうか、傷口から大量に害獣さんが出て来ちゃったんだけど!? しかもすっごい速度で再生してるよぉぉ!』


 マリアルが気味悪がって悲鳴を上げるも、姉はそれについて気にもせずに背に戻る。


「飛行系の魔物をかなり落とせました。では行きましょうか」


「おっけー!」


 アジ・ダハーカの懐に向かってレブレが飛翔。空の魔物も動き出す。けれど、それは寧ろレブレたちを意識しての動きではない。


「GURUOOONN!」


「RUOOGOOON!」


「GRUOOOONN!」


 手傷を負った怒りからか、際奥の暗黒竜が大音声を奏でた。遠く離れていても当たり前のように恐怖を歓喜するその遠吠えの後、空の魔物たちが不自然に移動する。まるで、射線を開けるような動きの後、空いた空間の向こうから三つ首が動き出す。


 始まった戦争の合図でも挙げようというかのように、開いた顎の前方に暗黒色の炎が集束。次の瞬間、一度仰け反ったかと思えば超長距離からブレスを吐いた。


 それは、正に空ごと焼き払う闇色の吐息<ダークブレス>。

 レブレのそれを遙かに圧倒する大口径の光が、当たり前のように三つ虚空を貫く。


「うわぁーん。マリカのせいで相当怒ってるみたいだよぉ!」


「泣き言なんて言わずに避けなさいっての!」


 間違いなく飲み込まれたら一撃で落ちる。

 その恐怖に喉をひりつかせながら、急上昇してなんとか射線を外したレブレ。 次の瞬間ブレスに炙られた大気が熱波となって襲いかかった。


「熱っ!?」 


「ぷはぁ。夜光の結界があって良かった。無かったら今ので丸焦げだったよぉ」


「まぁ、私たちはこの程度で済みましたが……問題は夜光ですね」


「そうだ帝都は――」


 振り返ったリリムの目に、光に包まれた帝都が見えた。薄っすらと蒸気を上げながら消える白い光。地脈を押さえた守護天帝のその結界は、暗黒竜の一撃をちゃんと受け止めきったようだった。


「良かった。無事だわ」


「そう何度も受けられないはずです。急ぎましょう」


「うん。ここからは時間との戦いだ。飛ばすよぉぉ!」


 レブレは全力で飛翔した。それにあわせて今度こそ非行型の魔物たちがレブレたちに向かって襲い掛かってくる。魔法障壁を展開したレブレは、大きく息を吸い込んでブレスでなぎ払い、接近してきた者を気の刃を伸ばしたマリカがなぎ払う。


――戦いが始まった。

















「し、死ぬかと思ったぜ」


 闇色のブレスが飛んできたとき、ほとんどの人間がそう思った。事実、いきなり現れた白い光が闇を遮らなければ一撃で帝都は沈んでいただろう。マリカの一撃で楽観していた者たちは、なんだかよく分からないけれど生きている幸福に咽び泣く。


 だが、そんな贅沢を噛み締める時間を魔物は与えてはくれない。いち早く立ち直ったのはダックスたち冒険者だった。青ざめた素人たちは愚か、自らを鼓舞するためにも声を張り上げた。


 彼らは心が折れたら真っ先に死ぬことを理解している。頑張りすぎてもいけないが、弱気になったら死ぬのだ。それは戦場が教えてくれた冷たいジンクス。


「うろたえるんじゃねぇ! おら、でかいのはあいつらに任せろ。俺たちの敵が来るぞ!!」


 外壁の東門前へと迫る影がある。全員が魔力障壁の淡い輝きに身を包み、足の踏み場もないような数で疾走してくる。場慣れした彼らの動きに呼応するように、指揮官たちも声を張り上げた。


「弓を構えろ! いいか、合図するまでは撃つなよ! 一本も矢を無駄にするな!」


「火力部隊! こちらも構えろ。とにかく、魔力が切れたら下がるんだ。大丈夫、あんだけ居るんだ。撃つ頃にはもう絶対に外すことはなくなっている。詠唱で舌噛まないようにだけ気をつけろ!」


 迫る。

 迫る。

 迫る。


 真近へと迫るそれを前に、遂に帝都でも戦闘が始まった。

 

「弓矢、撃て!」


 東の外壁から一斉に、山形の起動を描いて矢が飛んでいく。鏃を白い光で包まれたそれらは、一瞬の対空の後重力に引かれて魔物たちへと降り注ぐ。いつもならばそれらは魔力障壁に阻まれ、負荷をかける程度しかできない代物だった。けれど、今回は違った。


 放たれた彼らの矢は、魔物や地面に触れるや否や爆音を上げて周辺一体を巻き込んで炸裂。魔法障壁ごと魔物を吹き飛ばして肉片に変えてしまった。


「ちょ、おいマジか!?」


「す、すげぇ。弓矢の威力じゃねぇよこいつは」


「シスターもやべぇけど竜騎士の娘もすげぇ」


 思わず次の矢を放つことも忘れそうになる非常識な光景。そこへ、矢を潜り抜けた後続が突進してくる。


「馬鹿野郎! 見とれてないで矢を撃ちこみ続けろ!」


「魔法部隊、放て!」


 ファイアでは遠過ぎる。放たれるのはアイスジャベリンの魔法だ。こちらは弧を描かずに真っ直ぐに飛翔。魔力障壁にぶつかって次々と障壁を弱体化させていく。


「ち、じれってぇなぁもう」


 集中攻撃しなければ倒せない賢人魔法に、皆の空気が一瞬萎える。そこへ、投石部隊が光る石を投げつけた。瞬間、城壁に群がり、自らを土台として肉の梯子とする動きを見せた魔物が小石一つで吹き飛んだ。


「お、おお!?」


「石も使えるじゃねぇか!?」


「よし。調子に乗るなよ。石は群がった奴らのところへ投げろ。それ以外はガンガン撃て! 後、投石部隊は城壁を爆破しないように気をつけろよ。特に門は絶対に傷つけるな!」


 門を破ろうと、魔物共が体当たりしていく。東門から魔物たちは外壁を沿うようにして外壁へと取り付く。その度に、少しずつ帝都は包囲され爆音が次々と上がり始める。


「いかん、こっち上がってきた!」


「こなくそぉぉ!!」


 光るを槍を持った兵士が、やけくそ気味に飛び上がって来たブラックウルフを攻撃。こちらは初期のライトエンチャント仕様だったが、それでも魔力障壁を貫いて貫通し爆殺。外壁の向こうへと押し返す。

 

「よっしゃ! 光る武器も使えるっぽいぞ!」


「なら上がってきた奴は武器持ちに任せろ」


「火力要員と矢組みは撃ちまくれ!」













「最初の関門を乗り越えたか。なんとか、定石通りの形には持っていけたようだな」


 伝令が忙しなく報告する指揮会場にて、レンドールが呟く。卓上の地図は敵が既に帝都を包囲した風になっている。ここまではいつもどおりだ。大侵攻時のそれと変わらない。


 と、次の瞬間、二発目のダークブレスと天帝の結界がぶつかった衝撃音が響いた。


「ぬぐ、凄まじいな」


「生きた心地がしませんよ」


「しかし、ありがたい。天帝殿のおかげでなんとか凌げている」


「追加報告です。東側が矢と石をもっと寄越してくれと!」


「わかった。補給班をこちらで動かす。集積所へも補充部隊も派遣すると伝えろ」


「は!」


 レンドールだけではなく、後方支援が得意な貴族たちが物資残量を更新しながらやりくりさせていく。後はもう、どれだけ必要なところへ十分な量のそれを提供するか。卓上での戦いも、激化していった。


「やはり東の消耗が多いな」


「大目に回させましょう。残りも必要だが、東は連中がなだれ込んでくるせいで消費量が桁違いです」


「だな、精鋭を置いておいてよかった」


「竜殿がかき集めてきた物資、かなり効いています」


「その分大赤字ですがね。もはや背に腹は変えられんからなぁ」


「今ある分で乗り切るしかあるまいて」


 嘆いている暇はない。もとより消耗戦は覚悟の上で、魔物との戦いは長期戦になるのが常識なのだ。常識外を天帝とリリムたちがどうにかしてくれさえすれば、まだ勝機はあった。


(だが、これはまだ前哨戦なのだ)


 レンドールは気の抜けない戦場風景をそう理解する。


 今は空の魔物がリリムたちを襲っているからこそ助かっていた。防壁を無効化する飛行系の魔物は、人間にとっては攻城兵器扱いされる大型の魔物の次に恐れられている。それが動き出してからが恐らくは本番。まだまだ状況は予断を許さない。


 また、陸の敵を倒せば倒すほどに城壁周囲が魔物の死体で埋まってしまう。そうなれば、死体の山を駆け上がってドッと陸の魔物が押し寄せる。また、外壁の門も外壁自体も決して不壊ではない。いきなりどこかが破られただけで、致命的になることだってある。状況は予断を許さない。











「ああもう、敵が多すぎるよ。このまま真っ直ぐは無理だね。迂回するよ――」


「ちょっと何アレ。見たことない奴も沢山混ざってるわよ!?」


 倒しても倒してしつこく追ってくる魔物たち。ハーピーの弾幕は言うに及ばず、レッドホークにワイバーンなどその他諸々の魔物も群がってくる。


 三本足のカラスに、空を泳ぐ魚、槍やら弓を持った羽根突きの悪魔のような何か。グリーズ帝国では姿を現さなかった種類の魔物まで居た。


 マリカの槍とレブレのブレスや雷。そして、リリムのライトアローでとにかく迎撃しながら決死の突撃を続けていく。


『気をつけて。おっきなのから高魔力反応! 三発目が来るよぉぉ!』


「レブレ、ブレスが来ます」


「オーライ!」


 マリアルの警告が、マリカを経由して届けられる。首を挙げ、強く羽ばたいて急上昇。無理やりに緑竜が軌道を変える。


 次の瞬間、味方諸共三度目のダークブレスが右下を抜けていった。一本目は空を、二本目は雲を、三本目は大気を焼き尽くしながら熱波で一向を炙る。同時に、直撃した魔物たちは跡形も無くこの世界から消し飛んだ。その威力は、当たり前のように戦慄さえ置き去りにする。

 

 アジ・ダハーカの進撃は続いている。陸の魔物はもう、とっくに帝都へと抜けている。もう、邪魔なのは飛行系の魔物と暗黒竜だけ。


 スパートを掛けるレブレの背後から、速度で振り切られた魔物たちがその後へと続いていく。旋回しながらアジ・ダハーカを右手に捕らえたレブレは推力をそのままに無理やりに空中でドリフト。方向転換しながら暗黒竜の左側から突っ込んだ。


「ううー、この闇邪魔ぁぁ!」


「任せなさいっての!」


 温存していたリリムが右手を引き、レブレの背中に拳を軽く叩きつける。と、竜を基点に純白の光が広がった。虚空に穿たれた儚き光は、青空さえ飲み込む薄い闇のベールをいとも簡単に駆逐する。


『ちょっ!? 何今の!? オーラ量に威力が比例してないよ!?』


「……なるほど。夜光が不吉に対応するとか言っていたのはこういうことですか」


「ていうか前! 前!」


 闇のベールを照らし抜けたその向こう、アジ・ダハーカの右の首が大口を開けて一行に迫る。噛み付かれれば、それこそ当たり前のようにレブレは貪り食われてしまうだろう。


「わははー。甘い甘い!」


 体を左に倒し、翼をギリギリで羽ばたく。力のベクトルが無理やりに変えられ、その下を巨大な頭がすれ違う。長い長い首が無防備にも一行の前に晒され、暗黒色の鱗が抜けていく。


「レブレ、上を取ってください。首を落とします。その後はこちらで勝手にやりますので分かれましょう」


「了解だよぉ。じゃ、僕とリリムはその後ね」


 直ぐに上を取り、引き起こす。緑竜の巨体がほとんど垂直に上昇。高度を取ると、マリカが何の躊躇もなく飛び降りる。


『イノシスターマリカ。いっきまーす!』


「マリアル! もう、後で覚えていなさい――」


 三つ目の首が愚かにも落ちてきた獲物に向かって顎を開く。その上で、シスターの槍から生じる刃が更に巨大化した。顎を広げた首が、その瞬間明らかに話しが違うとでも言うような眼をしたのがリリムには印象的である。


「――ストライク・ジャッジメント!」


 断罪の光が、ギロチンの刃となって真下に落ちる。光の槍と化したマリカは止まらない。そのまま首の骨ごと無理やりに叩き斬る。


「GULOON!?」


「LUGUOONN!?」


 大質量の首が物体が地面に落ちる。その痛みにアジ・ダハーカがのたうった。だが、その程度でシスターは止まらない。足元に落着するや否や、巨大な刃を振り回し、暗黒竜の体を情け容赦なく切り刻み始める。


「よし。こっちも行くよリリム!」


「問答無用でやっちゃいなさい。こっからは臨機応変よ!」


 追って降下していたレブレ。子竜は真ん中の首の上に居た少年へと向かって落ちる。身に纏うのはオーラの輝き。右手に集束したそれを痛みに悶える真ん中の頭部へと叩き込む。


 肉ごと骨を勝ち割るような野太い音が響く。頭蓋ごと叩き割るオーラドラゴンパンチ。暗黒竜の脳漿と害獣の死骸が飛び散る中、背中へと跳躍して逃げた少年が居た。一瞬、その黒瞳と紅眼が交わったのは、きっと少女の錯覚ではなかっただろう。


(いってくるわシュレイダー。間に合わなかったら、後で絶対におしおきよ――)


 リリムは迷わなかった。目を閉じて一瞬でマインドセットを終えると、ギュッと槍握り締め、レブレの背を蹴って跳躍。ブーストエンチャントとオーラで二重強化<デュエルブースト>しながら、少年の亡骸へと追撃に掛かった。


 駆ける。

 駆ける。

 駆ける。


 誘うように逃げる闇の魔神を追い、光の聖女が暗黒竜の首を駆け降りていく。

 見る間に二人の距離は狭まった。首の付け根のその向こう。暗黒竜の背に辿り付いた頃、遂に二人が衝突する。


「こんのぉぉぉ!」 


「フヒヒ――」


 リリムが両手で抱えた白く輝く槍を振り下ろし、マリスが両手で構えた闇色に輝く長剣で受け止める。


――衝突。


 闇と光が接触点で激しく火花を散らし合い、二人の間で鬩ぎあう。

 吹き抜ける対極のエネルギーが消滅現象を起こしながら喰らいあった。衝突の余波は大気を揺らし、黒と金の髪を撫で抜ける。


「よーう。レグレンシア生粋の英雄聖女。今日も元気に理不尽を振りまきに来やがったなぁ」


「はっ! 何言ってんのよ。あんた以上の理不尽がこの世界の何処にあるっての!」


「アヒャヒャ。かもしれねぇなぁ。だがこいつを見ろよぉ。こいつはお前のせいで絶望の果てに死んじまったんだ。コレはお前の罪だぜい?」


「そいつはあんた等が呼び出させたんでしょうが! そんな奴が、私を詰る権利なんてある訳ないっての!!」


 怒りに身を任せ、嘲笑う闇を押しのける。その力に逆らわず、マリスは後方に跳躍。そこへ、リリムが距離を詰めて槍で突くも、少年の亡骸はヒラリヒラリと避けていく。


「――なッ!?」


「フヒヒ。俺様はド素人の上に付け焼刃のあいつとは一味違うぜぇ!」


 槍先を潜り抜け、長剣が振るわれる。前回と違う鋭さ。咄嗟にしゃがみ込んだリリムの上を、剣が抜ける。飛び散るは数本の髪。風に流されたそれを気にもせず、後方に跳躍。片手一本で真横から切り返された一撃を避ける。


「んー、にしても酷いな。技量はともかく俺様の力がここまで無力とはよぉ。魔神としての自信がなくなっちまうぜ」


「……魔神? 概念神とかいうのじゃなくて?」


「なんだ、気づいてたのか。ああ、確かに俺は人造の概念神様さぁ。魔神てのはドリームメイカー<夢を創造する者>……。つまりは、お前たちが賢人とか呼んで持て囃してたあいつに付けられた呼び名さ。空虚なる悪意の魔神――マリス・エンプ・ティネス。なんだかご大層な名前だろ。あいつらの趣味丸出しで恥ずかしい名前だZE」


 追撃はせず、剣を片手にマリスは構えて言った。リリムは眉根を寄せる。賢人とは、大陸魔法の祖であり、発明家であり、規格統一魔であった。それほど教養が無いリリムでさえ知っている大陸の偉人。こんなところで出てきて良い者ではない。


「賢人が……あんたを? そんな……なんで?」


「勿論奴らの夢のためさ」


「一体どんな夢よ! 魔物を呼んで、異世界から無理やり人を呼び出すような魔法を使わせて、それで一体どんな夢が叶えられるっていうのよ!」


 賢人の夢だろうがなんだろうが、現在進行形で実害を叩きつけられる身としては堪ったものではない。


「フヒヒ。分からねぇよなぁ。ぶっちゃけ、俺にもよく分からねぇんだわ」


「なぬ!?」


「でもな、この体の持ち主。我が親愛なる契約者カンナヅキ・アキヒコは気持ちだけは理解できたらしいぜ。いやはや、さすが同じ人間様だ。もしかしたら、説明されたら俺には分からなくてもお前には分かるかもなぁ」


「はん! 分かりたくも無いけどね」


「まぁそう言うなって。どうせお前の努力なんて無駄なんだ。なら後々のために聞いといた方が良いんじゃねーかな。いやぁ、俺様親切すぎて魔神じゃないみた――」


「くたばれぇぇ!」


「人の話し聞けよ!?」


 語りに入る魔神を無視し、リリムは槍を振り回す。

 問答無用だった。

 聞く耳持たんとばかりの奇襲攻撃だった。


「ちょ、おい!? 普通は最後まで聞くもんだろ!?」


「はぁ? 最後まで聞いたら私に一体どんな得があるってのよ。どうせアンタもその賢人と一緒でド変態なんでしょ? だったら、聞くだけ時間の無駄じゃない!!」


 槍と剣がぶつかり合う。目まぐるしい攻防が続く。


「なん、だと?! 俺様をあんなキチガイ連中と一緒にするなよ!?」


「覚えときなさい。私の周りに集まってくるやつで、当たり前のように迷惑かけるような奴は皆どっか変態なのよ! だからアンタも絶対変態魔神! これ、この世界の法則だから覚えときなさい」


 心底嫌そうな顔で、リリムが言い切る。


 シュルトにレブレにレンドールにノルメリア。変態皇女はもとより、執拗に狙ってくる魔物も、きっとこの星だってそうなのだろう。ましてや、敵を前にして話しを聞いて欲しそうにしている教えたがり魔神だって、彼女からすればアレらと同類なのだった。


「どいつもこいつも迷惑かけてなんなんだってのよ! どうせならシュレイダーみたいに私の前に跪けばいいんだわ。そしたら私だってちょっとぐらいはサービスしてやろうかなって気にもなるわよ。なのにさぁ、アンタは何なのよ」


 マリスはどこか呆気に取られながら剣を振るうも、それごと闇を削る勢いで、少女の槍が更に力強く唸る。怒りに呼応して白く輝く少女の攻めが少しずつ増していく。それでノってきたミニ女王様は、そのまま口でも責めることにした。


「話し聞いて欲しいならさぁ、せめて跪くか足を舐めるか謝るか私の前から消えるか何かしてみなさいよ! この私に奉仕しない奴が、この私に何かして貰えるなんて思うなってのよ。私は受けより攻めが好きなの!」


「む、無茶苦茶言いやがるこの娘っ子!? そもそも俺様は不滅で無敵な魔神様だぞ!? なんでその俺様がチビジャリに奉仕しなきゃなんねぇんだ! そっちこそ敬って跪――ぬぉ!?」


 口上を遮るようにして、右手を槍から離したリリムが鞭を抜く。白く輝くウィップが空を抜けた。風斬り音と共に飛来するそれには、さしもの魔神も距離を開けざるを得ない。リリムは左手の槍をマリスに向けたまま飛び込みを牽制し、そのままウィップを休まずに繰り続ける。


「あんたがなんだろうと心底どうでもいいわよ! 魔神だろうが神だろうが世界だろうが変わんないわ。あんたなんてそこらの豚野郎と同じよ。この豚魔神め!」


 息巻く少女は止まらない。目は完全に据わっており、行軍から溜まりに溜まったストレスを全部ぶつける勢いで攻め立てる。


「ぶ、豚魔神? ワヒャ、ワヒャヒャヒャヒャ――」


 魔神が笑う。


「こらてめぇ! 俺様には語らせない癖にてめぇの言葉攻めはいいのかよ!」


「当ったり前じゃないの!」


「はあ!?」


「ブヒブヒ言うドM豚と女王様が対等な立場に立てるって、あんた本気で思ってんの? だったら思いあがりも甚だしいわ! おらぁ、とっとと跪けよド変態め! 踏んで詰って鞭打って、散々気持ちよく泣かせた後で地獄に逝かせてやるからさぁ!」


「……ヤベぇ。この女もキチガイだ。なんでだ? どいつもこいつも俺様に寄ってくる奴はなんでこんなDQNなんですかぁ? もうヤダこいつら。人間こえー。人間おそろしすー」


 それは、当たり前のように魔神マリスを慄かせた。

 物理的にではなく、主に精神的に。


(なんだこのチビ。そもそも俺様と繋がってる癖に力が流れてきてねぇ。ビビってないわけじゃねぇだろうに、何故だ? しかもそれだけじゃねぇ。俺様と逆方向にも繋がってやがるぞ。普通にありえねーッスよコレは)


 本来ならありえない。念神や概念神は想念を信仰される側であって信仰する側ではない。これでは、今の状態はアベコベだ。


「くそったれ。訳分からねぇ上に聞く耳もたねぇキチガイって最悪じゃねーか!? く、この――アベシッ!?」


 鞭が鼻面を痛打した。思わず怯んだところへ槍が突かれる。紙一重で暗黒竜の背中を転がると、それを追って鞭が鱗を叩く。鞭撃によって飛び散る竜の鱗の破片。すると何故か、打たれる度に暗黒竜が悶えるように振動した。


「はぁ?! 悪神の下僕の竜だぞ? それが鞭喰らって悶えるってなんでだ!?」


「アハハ。まだ分かんないのこのグズ! この世にはねぇ、結局ドMとドSしかいないのよ! こいつは絶対ドMね。私と相性良さそう。ここね? ここがいいのねこのド変態竜め!」


「んな馬鹿な!?」











『……お姉ちゃん。見てよ。なんかこの念神リリムちゃんに調教されてるよ?』


「衆人環視の中でなんと破廉恥な!? くっ、確かに近頃の若者は性の乱れが酷いと言われますが。しかし異世界の性風俗はそんなものを軽く越え過ぎているでしょう!」


『もしかしてさ。あの吸血鬼さんがあの子より下なのってもう調教済みだから?』


「かもしれませんね。ああ、頭が痛い。人間に調教される吸血鬼とは一体――」


 最後の首を叩き落しながら、背に上ってきたシスターは呆れた。もはやあの少女だけは、戦っているのかプレイをしているのかさえ判断がつかない。それ以前に、押しているのか引いているのさえ分からない状態だ。


『ところでお姉ちゃん。このおっきな子さ。なんか、最初に落とした首が当たり前のように生えてるんだけど。しかもやっぱり微妙に悶え顔で』


「そんなことはどうでもいいのです。問題はあの破廉恥な連中でしょう!」


 生え変わった一番右の首が、シスターに噛み付こうと大口を開けて背後から迫った。後ろも見ずに跳躍したマリカは、その首の上に降り立つと槍を突き刺して頭部を真っ二つにする。


『あ、そっか。この子って絶対悪者側だよね』


「でしょうね。こんな邪気を持つ存在が聖なる側に組するのわけがありません」


『だからじゃないかなー。悪者って基本エロ属性標準装備だもん』


「そんな馬鹿な!? いいえ、いいえ! 興味深い推察だとは思いますが認められません! 後で絶対にデータから消去しておきなさい!」


『でもほら。清純なはずの天使さんもエロで堕天使になるぐらいだよ? もしかしたら効果覿面って場合はあるのかもしれないよ。どこかのエロい人にでも検証してもらえばさ、対念神用の武器が一つできるかも!?』


「冗談では有りません! 仮にエルネスカで開発されたとしたら、使うことを上から強要されるかもしれないではないですか!! 今でさえイロモノ扱いされているというのに、この上でそんなものまで押し付けられでもしたら私は破滅ですよ!?」


『がんばれお姉ちゃん! エロイノシスターさんにクラスチェンジしてさ、神に変わっておしおきだぁぁぁ!』


「人事だと思って貴女は! 例え我らが神に命じられてもお断りですっ」


「ちょっとマリカー。手が止まってるよぉぉ」


 上でリリムの邪魔をさせまいとばかりに魔物相手に空中戦をしていた子竜が言った。


「ほら、しかもこいつの胴体は首なくても動いてるってば! このままじゃすぐに帝都に突っ込んじゃうから早く止め刺してよぉ」


「はぁ。首を全部落としても死なないとなれば、もう心臓を潰すか完全に消し飛ばすしかないでしょう」


「だったらそうしてよぉ!」


「……無理です」


「なんでぇぇ!?」


「いい加減、オーラが減ってきています。この上そんな大技を繰り出して再生されたら完全に手詰まりになります。第一、この巨体を一撃で消し飛ばすほどのオーラを私は最初から所持していません」


「つ、つまり?」


「このままではジリ貧です」


「うわぁーん!」











――外壁東。


「気味悪いな。首が生えたり落ちたり悶えたりしながらでかい竜が攻めてくるって」


「夢だと思いたい気持ちは分かるが、これは現実だぞ」


「馬鹿、よそ見する暇なんてあるか。ついに人型系まで来たぞ!」


 ゴブリン、オーク、オーガに石で出来たような人型の巨人までいる。ゴブリンやオークの中には弓で武装している者や、魔法を放ってくる者もいた。咄嗟に壁に立てかけられていた盾を構えて防ぐ者がいたが、負傷者が出て運ばれていく。


「くそったれ。あの竜の傷口から落ちてる奴らも来ちまった!」


「気をつけろ。ハサミ持ってるやつは尻尾の針に毒があるかもって話しだ」


 遂に見慣れない蛇やサソリ、蜥蜴に蛙などの害獣まで遂に到達した。蠢きながら、死体が詰み上がったその上を侵攻。次々と襲い掛かってくる。


「しかも飛んでるのまで来たわ。あーあー、嫌だなぁもう!」


「見たことないデケー虫みたいなのも混ざってるな」


「台所に出てくる黒い奴までいやがる。いろんな意味で終ってるぜ」


「弓矢部隊! 手はずどおりに遠距離武器持ちと、空の奴、それと大物を狙え! それ以外はほっとけ!」


「投石部隊はそのままだ! 死骸の山ごと吹き飛ばせ!」


「おい、魔物以外の奴! あいつら魔力障壁がないぞ。魔法組に焼かせろ!」


「ッ――火力部隊! 魔物以外を狙え! こうなったらファイアでも何でも構わん!」


 志願兵が、すぐさまおっかなびっくりファイアでなぎ払う。すると、害獣たちは呆気なく焼け死んでいった。


「や、やった。あいつらなら俺たちでも役に立てるぞ!!」


「ヒャッハー! 燃やせ! 燃やせ!」













――帝都城頂上。


「いかんな。でかい一撃は来なくなったが、決め手にかけておるようじゃ。このままじゃと突っ込まれるぞ」


 天帝が眉を顰めながら東を見据える。彼女にはアジ・ダハーカのエネルギーがそれほど減少していないことが感じ取れていた。


「再生や攻撃に力を使っているはずじゃが……凄まじい生命力と言わざるを得んのう。いや、もしや誰かが力を供給しておるのか? 魔力や気の回復速度が尋常ではないぞ」


「アレが『ヤマタノオロチ』なら酒で酔わせてから倒すべきなのでしょうか?」


「賢人郷神話とかいう書物に出てくる奴じゃな。まぁ、こっちは精々『ミツマタノオロチ』じゃが、『スサノオ』がおらんのがちと厳しいのう」


「それなら大丈夫かと。あそこには『クシナダヒメ』がいます」


「ふむ? 嫌に自信満々じゃな」


「先生ならなんとかしてくれるはずです。城ごと吹き飛ばそうなんて真顔で言える人ですから」


 東西南北の外壁。その門はもう大丈夫だろう。魔物の死骸で埋まったせいで、逆に壊し難くなっているようにサキには見える。だが、問題はそれ以外の場所だ。死体が盛り上がった地点から魔物たちが殺到してきている。まだリリムの奇跡によるエンチャント武器や、矢も石も尽きては居ないようだったが、山場に差し掛かっているとは彼女にもなんとなく察せられた。


 それに加えて、城に真っ直ぐに東から向かってくる飛行系の魔物が居た。帝都防衛の要である夜光を狙いに来たのは明白だろう。サキが両手に短剣を抜く。


「サキよ。お主、空は走れるか」


「一応マリカに虚空走破は習いました。ただ、さすがに鳥には追いつけませんが」


「良い良い。ただの鳥なら近くに寄って来るじゃろ。問題なのはほれ、あの羽を飛ばす奴ら、そしてレブレもどきじゃて」


 ハーピーにワイバーン。遠距離攻撃能力を持つ飛行可能の魔物。アレらは飛べない人類にとっては最悪の天敵なのだ。下の方からは城門に構える後詰たちも俄かに騒がしく構え始める。


「……むっ? こりゃ、いかんな」


 ふと、夜光が東ではなく真上へと視線を移す。釣られたサキが見たのは、城上空に突如として現れた巨大な影だった。


「アレは、魔物……いえ――」


 それは、レブレに劣らない程の巨大な生物である。それの名はスフィンクス。どこかエキゾチックな人間の女性のようにも見える頭と、屈強そうな獅子の体。そして背中に巨大な鷲の翼を持つ人面の魔獣だった。


「まさか、召喚された後に街を破壊して逃げたとかいう人面魔獣ですか!?」


「あやついきなり現れおったぞ。転移とかいう奴か。狙いはワシらしいが……こいつも念神とやらじゃな」


 夜光が直ぐに両手で複雑な印を切り、上空に手を突き出す。それは帝都全域を守るそれではなく、極最小の面の結界。


「KISYALALALA!」


 推定十メートルオーバーの巨体が、右前足を振り上げ結界に迫る。


――衝突。


「ぬぐっ、これは地味に堪えるのう……」


 質量と重量と膂力が重なった。破壊力はそれこそ竜姿のレブレの一撃と変わるまい。その破城槌のような一撃は、結界で受け止め切った夜光の顔から余裕が消した。アジ・ダハーカと比べれば小物に過ぎない。だが、決して無視できる相手でもない。


「行きます!」


 サキが虚空へと跳躍。空を踏みしめながらデュエルブースト状態で結界の側面から躍り出た。その手に握る短剣が発光。ブレイドエンチャントとオーラの輝きを携えて光刃を纏う。


 そのまま少女は空中を斜め上へと駆け上がり、再度跳躍。スフィンクスの頭部に向かって回転しながら遠心力と武器の破壊力をまとめてそのまま額の一点に叩き込む。


「FIIOOOO!」


 その一撃は肉を切り裂き、その下に頭蓋に届いた。だが、そこで短剣は呆気なく止まった。ビリビリと痺れが奔る右腕。サキはすぐさま敵の頭部を蹴った。そこへ、スフィンクスの左前足が迫る。


「頭が無理なら――」


 足元を抜けていく爪撃。空振ったそれを越えて後頭部へと回り、サキは今度は首筋を狙って再び短剣を叩きつける。肉を掻っ捌いた刃は、しかしまたしても骨で止まる。破壊力が足りない。そこへ、痛みへの怨嗟の叫びがけたたましいほどの声量で迸る。それらは城の周囲に居た者たちの耳朶を打ち、今そこにある危機を訴えた。


「のけい、サキ!」


 夜光が結界を解除し懐から取り出した一枚のお札を投げる。敵の背中を転がるように空へと逃げたサキのその前で、スフィンクスに接触した札が炸裂。咆哮さえかき消す大音声を上げた。


 魔獣の体が衝撃で仰け反る程の威力。だが、それでもスフィンクスは落下する事無く耐え切った。爆炎の向こう、淡い魔力の光が敵を包んでいるのがサキにも見える。


「魔力障壁!」


「面倒じゃな。しかもこのタイミングで空の連中も来たわ」


 矢と魔法が応戦のために弾幕よろしく空を舞う。俄かに騒がしくなった最終拠点。夜光はサキに命じた。


「サキよ。城に取り付く大物を狙え。それ以外はとりあえず下の連中に任せよ。あのでかいのはワシがやろう」


「御意っ――」


 言った側から、ワイバーンが庭に飛び込んでくるのが見える。補給のため物資を運ぼうとしていた荷馬車を襲うつもりのようだ。咄嗟に飛び降り、そのまま首筋に短剣を叩きつける。集束した魔力の刃は、今度は骨ごと肉を断ってワイバーンの命を奪いきった。


「た、助かったぜリリム組の嬢ちゃん!」


「礼はいいので早く出てください。どんどん来ますよ」


「お、おう!」


 慌てて駆け出していく荷馬車。その上から、護衛の兵の弓が断続的に放たれていく。再度城の上に跳躍したサキは、そのまま忍者のように飛び跳ねながら城に取り付こうとする魔物を迎撃。自らの役目をこなしていった。












――城内司令部。


「城の直上! 空元の天帝と人面の魔獣が交戦中!」


「飛行型の魔物、及び翼を持った人型の化け物が城へと侵入!」


「ちっ。予定調和にしては早いな。後詰の一部も警備に回せ! 脱出経路の確保とあわせて民間人は絶対に守りぬけ!」


 伝令の報告に悲鳴が混ざり始める。


「敵大型三つ首竜、侵攻、止まりません。何度か首が落とされた姿が目撃されていますが依然顕在。帝都までの距離、もう一キロもありません!」


「竜騎士たちが戦っているなら構わん! 奴らは任せて帝都防衛に専念させろ」


「た、大変です!!」


「どうした?!」


「に、西の外壁の一部がオーガの一団により破壊されました!」


「馬鹿な、東ではなく西だと!?」


 東から来る敵軍団だ。言い換えればそれは、西側が一番敵の攻撃が手薄になるはずだった。それにあわせて守備が薄かったのは確かだ。しかし、そう易々と抜かれるほどに兵力を弱めたつもりは司令部にはなかった。だが、それでもそこを読まれて突かれた。


「でかい竜で警戒させておいて最も薄い場所を叩くか。おのれ化け物共め!」


 貴族の一人が卓上を力任せに叩く。その音にビクリとしながら、伝令は続ける。


「そ、それにより帝都西部から魔物が続々と侵入。遊撃部隊が向かっていますが、焼け石に水とのこと」


「構わん、迎撃は続けさせろ!」


「補給部隊の一部に西部方面にバリケードを敷かせろ。少しでも長く食い止めるのだ」


「伝令追加であります! 敵魔物の一軍が南北共に動きあり。後続が西に向かっているとのこと!」


「奴ら、とことん西から責めるつもりのようですな」


「敵の弱い場所から攻めるのは常識ですよ」


「至急、南北から抽出しますか?」


「いやダメだ。南北の迎撃兵たちは動かすな。弱めればそこも突かれる。変わりに後詰から援軍を出せ!」


「りょ、了解!」


 矢継ぎ早に出される伝令に、兵が駆け釣り回る。戦争の足音は、当たり前のように城をも巻き込んだ。


(まだなのかリリムちゃん。せめて、君たちが戻ってきてくれれば――)


 ドルフシュテインの大侵攻の最中、北門に集まった魔物たちを駆逐した彼らならばと、レンドールは思わずには居られない。けれど、それも山のように巨大な竜をどうにかした後での話し。それまでは一秒でも長く耐え忍ぶしかない。













「ああもう、このド変態竜も悶えるだけでぜんっぜん動き止めないわね。なに? こんな図体してるくせにご奉仕もできないの? どっかの豚魔神と一緒で使えないわねぇもう!」


「おいおい、どれだけこいつが変態だったとしてもよぉ。俺様が動かしてるんだから止まるわけないだろ」


 四足で歩く竜の腰元まで下がったマリスが、呆れ顔で言う。正直、こんな後ろまで押されるとは彼は思っていなかった。戦闘技術の差、ではない。力の質一つでここまで押されるのはやはり彼にも納得が行かない。ただ、一つだけはっきりしていたことはあった。


(このチビ、俺様はともかくアジ・ダハーカは絶対に止められねぇ――)


 目の前の少女にはこの竜をどうにかする力はない。いや、確かに竜を悶えさせる程度のテクニックはあるのかもしれない。そこだけは素直にマリスも感嘆し、驚愕し、げんなりしながらも認めていた。


 だが、結局それがこの戦場において一体どれだけの意味を持つのか?


 シスターが躍起になって首を落としているが、胴体は動き続ける。そもそも、悪神の下僕として善と戦う宿命を背負っているこの暗黒竜はまだ本気さえだしていない。ダークブレスさえ戯れだ。守りにさえ入っていないという事実がここにある。けれど、そんなことを知らない金髪少女は納得顔でマリスを見据えた。


「なんだ。つまり、アンタぶちのめせば止まるのね」


「なわけねぇだろ。俺様を一時的にどうにかしたって、今度はこいつが勝手に動くだけだぜ」


 それこそ元々の共通幻想の通り、暗黒竜は人や家畜を殺し続けるだろう。帝都はこの竜にとってはもう餌場同然なのだ。なのに、無知とは時に幸せだ。


「はぁ? 邪魔なあんたが居なくなったらそれこそこの鞭で躾けたらいいだけじゃない。こいつもきっとその方が幸せよ」


 マリスは、それを顔ではせせら笑いながらその反面内心では「無駄な努力乙」と馬鹿にすることができなかった。


 暗黒竜の上位に君臨する悪神は、善神に凹まされてヘタレにも寝込んだとき、愛人に励まされて復帰するというエピソードを持っている。仮にこの竜にもそういうヘタレさが伝染していたとしたらと思うと洒落にならない。というか、どうやらその瞬間をこの暗黒竜は出歯亀よろしく見ていたようだ。繋がっている以上知ろうと思えば探れるマリスは、ようやく竜が悶える理由を理解した。だがこれは想定外にも程が有る。


 無論、調教されたからといって暴れるのを止めるなんてことはないだろうが、これ以上絡み続けるメリットが勘定できなかった。そもそも理不尽に何が起こるかがわかったものではない。相対したマリスにとって、目の前の少女は本当に理不尽の塊だ。その本質を理解させてもらうこともできず、訳の分からない行動で結果だけはたたき出してくる。事実、鞭で打たれる旅に竜の侵攻が遅滞しているのがその証拠だ。なんだかんだ言いながら、リリムは倒せないまでも出来ることをしているのだ。


(頭が変になりそうだぜおい。あのキチガイとはまたベクトルが違うが、ペースを掴まれた事だけは確かだ。魔神ともあろう俺様が、だ)


 五メートルほどの距離でにらみ合う。その間にも、暗黒竜をシバク手は止まらない。ズシン、ズシンとリズム良く響くはずの歩行音が、途中で止まったり動いたりと不規則になる。これは本当に笑えない。そしてそれはフェイントでもある。下手に動けば切り返しの鋭い一撃が迫り来るのだ。下手に動くことはできない。


 アジ・ダハーカが止まるのにあわせて、一歩、また一歩リリムが距離を詰めてくる。左手に剣を上回るリーチを持つ槍。そして右手にはリーチと速度で上回る鞭を携えて、まるで追い詰めたと言わんばかりの不遜さでミニ女王様がやってくる。


(まぁこういう手合いを相手にする場合のコツは、ちゃあんと異世界で確立されてはいるがなぁ。これはあの最弱だって知ってることだぜ――)


 カンナヅキ・アキヒコの知識は手に入れている。ふとそれを思い出し、マリスは名案のように感じた。アキヒコに諦めさせた目の前の少女を、アキヒコの知識で潰す。もしそれを達成するなら、痛快ではないか?


「フヒヒ――」


 魔神が剣を構えなおし、右手を引く。

 狙うのは突きではない。右払いの構えで黒を纏う刃を体の線で隠すようにすり足でやや右前に移動。


「――」


 リリムの相性的優位性を彼は理解している。致命的に相性が悪いらしいことも肌で理解した。そもそもアキヒコの体が貧弱に過ぎる。他の器であったならまた別のやりようもあるが、散々力の出口を拡張してこの程度。ましてや今は体内のヴァンパイア・ウィルスは召喚の生贄にされて死に尽くした。はっきり言えば、前よりも弱体化しているといっても過言ではない。


 この器は既に死体。壊せばもうそれっきり。如何にマリスといえど命は蘇らせることはできない。一撃鼻に入れられたその時、鼻骨ごと砕かれなかったのは一重にマリスの闇と反射神経の賜物だ。


(まっ、そもそも負ける理由が無いわけだが……)


 一つ、リリムはアジ・ダハーカには勝てない。

 二つ、リリムはマリス・エンプ・ティネスを完全に滅ぼすことができない。

 三つ、そもそもマリスたちは戯れはしても本気を出してさえいない。


――ここまでの要素が揃っていれば、別段恐れるものは何もない。


 元より最初からマリスは何も恐れてさえもいなかった。ただ彼はアキヒコの願いを叶えるついでに、阻んでくるだろう目の前の少女にガツンと一撃くれてやりたかっただけなのだから。


 所詮この世界そのものがドリムメイカーたちによって魔改造された箱庭であり、人造の理想郷。その役割は現実世界に、異世界召喚されるという、幻想の向こう側にあるはずの夢を持ってくること。


 その果てに待つのは転生したらしい連中が召喚され、俺TUEEEでもチートでもハーレムでもテンプレでもNAISEIでも何でも好きにできるかもしれない可能性の獲得と夢の異世界ライフ。


 そのニッチな需要にあわせて供給できればそれでオッケーな、大掛かりにして理不尽な世界。それがこのレグレンシアという世界に無理やりにも敷かれた世界法則。


 ならば究極、少女の望みどおりにぶつかってやったのは、マリス個人のアキヒコへの手向けに過ぎない。ならそれこそ手段などどうでもいい。最終的に勝つのだとしても、命一杯ただ悔しがらせてやれればそれでいいのだ。


――間合いギリギリで、リリムが止まる。


 そして振り下ろされるミスリルの鞭。竜が不気味にも悶え、動きを止める。瞬間に生じる刹那の静寂。それに合わせてリリムが右足を踏みしめて踏み出す。


「フヒ――」


 それに続くのは左手の槍。強化された人外の膂力で、ただの少女には振り回せないはずの重量の槍を片手で突き出す。光を孕むその槍が、真っ直ぐにマリスの器の心臓目掛けて飛来する。


「ヒィ――」


 その初動を、マリスは当たり前のように見逃さなかった。リリムの踏み込みに合わせて剣が閃いている。斬撃に求められたのは威力ではなく速度。勿論、最短の距離を走る突きに遅れて弧を描いたところでそれは絶対に間に合わない。だからマリスは少女の足にあわせ突かれるよりも先に剣を振っていた。


「ッ――」


 両者の獲物が衝突する。槍は当然のように横からのエネルギーを受けてマリスの左側面へと逸らされ抜けた。一瞬掠めた槍先は、結局は徒労で終わる。


 マリスは体勢を低く取りながら前へと飛び出す。リリムが右手の鞭で迎撃に走ろうとするも、左手の槍が邪魔で振るえない。その下で、マリスは足元を抜けるような低い位置で交差。剣を凪ぐような動きで間合いを抜けるコースを辿る。


「くっ――」


 槍の下から、銀閃が迫る。リリムは咄嗟にその場で跳躍。同時に背中の翼を羽ばたかせ無理やりに地を這うような疾走斬りをやり過ごす。その間も魔神は止まらない。リリムに背中を見せたまま、闇を纏って竜の背を自ら切り裂き抜けていく。


「アヒャヒャヒャ――」


 急いで振り返ったリリムが見たのは、裂傷が刻まれていく暗黒竜の背中であり、傷跡から顔を覗かせた害獣。そして、そのまま笑いながら逃げ去っていく魔神の背中だった。


「ちょ、こら逃げるなぁぁぁ!!」


「フヒヒ。話が通じないなんとかとキチガイは某掲示板でもNG設定が基本なんだよ。居ないことにすりゃ連中、そのうち反応もらえなくなってションボリだ。ククク。ヒャッヒャッヒャ――」


 リリムが追おうとするも、眼前から湧き出した害獣たちが襲い掛かる。二メートルを越える蛇に、一メートルはある巨大な蛙。そしてサソリに蜥蜴が次々と行く手を阻む。数は無尽蔵。


 そもそも、アジ・ダハーカの害獣は世界を埋め尽くすほどのそれだという幻想がある。本当にそれが可能かどうかなどはこの際問題ではない。問題なのは、本当にそう思えるほど沢山の害獣を内包しているという事実だけ。


「くっ、この!」


 這い寄ってくる蛇の頭を鞭で叩き潰し、飛び跳ねて来た蛙を槍で突く。ゲコゲコと無けなくなったそいつの横から、蜥蜴が下を伸ばしてくるので咄嗟に後方へと跳躍。翼で空に逃げながらライトアローでまとめて掃討。逃げた魔神の姿を探す。


「あいつは……げっ――」


「あーばよー。キチガイチビ!」


 魔神は、自ら切り裂いた竜の背中の傷に飛び込み、害獣と血に塗れたその中に埋没して消えた。その裂傷は当たり前のように重病もしない間に修復。完全に元に戻ってしまう。


「――無理。絶対真似するのなんて無理!」


 害獣の塗れた肉の中へと飛び込むなど、生理的にも受け付けない。そもそも、飛び込んだら絶対に死ぬ確信がリリムにはあった。


『さーて』


『体も温まったし』


『そろそろ本気だすかぁなぁ。フヒヒ――』


 暗黒竜の首が一斉に三つ生え、魔神の声がそれぞれの首から煩いほどに木霊した。嘲笑するようなその悪意混じりの声に、リリムの顔が怒りによって真っ赤に染まる。


「手抜きだったわけ? こちとら必死にやってんのに、あんた本気で私を怒らせたいわけね豚魔神。こんのフ○○○○野郎供がぁぁぁぁ!」


「これは……くっ――」


 マリカがいきなり生えてきた首を落とそうと切りかかる。だが、オーラの刃が首に刺さらない。その下からあふれ出した闇が、完全に刃を阻んでいた。闇が再び暗黒の竜を覆っていく。その闇は、今までのそれとは段違いに濃い。


 一旦離れようとしたマリカが闇に足を取られ、引きずり込まれていく。オーラの輝きを増して抵抗するも、それを闇はまるで意に返さない。


「マリカ!」


 リリムが咄嗟に闇に飲み込まれかけているマリカへと飛翔。鞭をベルトに仕舞うとその腕ですぐさまバーストショットを放つ。炸裂する光で闇を削り、自由になったマリカが跳躍する。その体をリリムは空中で掻っ攫い、広がる闇を背に離脱する。


「大丈夫?」


「はい。しかし、助かりました――」


『そうそう』


『ちなみにこのアジ・ダハーカって奴はさ』


『実は千の魔法を操れるんだぜ?』


 闇の向こう、炎玉、氷柱、石槍、風刃、光の矢に闇色の球体など、それこそ数えられないほどの種類の魔法が空に向かって放たれてくる。正に弾幕もかくやと言わんばかりの一斉砲撃。


 マリカが片手一本で右手で吊り上げられたまま、器用にも槍を回転させて飛んでくる魔法を叩き落とすがキリが無い。


『これ、洒落にならない魔力反応だよぉ。リリムちゃん早く離れて!』


「来なさいレブレ!」


「了解――」


 リリムの飛翔する方角へと先回りし、両手で二人をキャッチした緑竜が逃げるようにして空を飛ぶ。その間にも、呆れた数の魔法が放たれて緑竜に襲い掛かってくる。


 必死に翼を羽ばたかせ、レブレが逃げる。その無作為な魔法は、いくつも流れ弾となって後を追う飛行系の魔物を撃墜した。もはや見境などない有様だ。


「魔法卿の対空攻撃よりも百倍は怖いよぉ」


「これではもう近寄れませんね」


『魔法撃ちまくりのおかげで大気中の魔力が増えることだけが救いだね。なんとかオーラ溜めるように頑張ってみるけど、アレを殺しきるまで溜めるには時間が掛かりすぎちゃうかも』


「……一旦引く?」


「引いてどうするのよ! 正直もう後が無いのよ!?」


 外壁突撃までのカウントダウンはもう始まっている。もう三百メートルも無いだろう。


「そんなこと言ったってもう僕たちには打つ手なんてないよ!? 夜光の方にもなんか念神っぽいの来てるし限界だよぉ」

  

「四の五の言わずに前に出なさい。ほら、やるッたらやるの!」


 泣き言を言う子竜を叱咤。せめてもの抵抗とばかりに、手に持った槍にオーラを込めながらリリムがレブレの腕をよじ登る。その後ろをマリカが追い、見晴らしの良い背中まで上がりこむ。その間にもレブレの張った魔法障壁にいくつか被弾。出来る限り近づこうとする緑竜を消耗させる。


「ううぅ、魔力がすり減らされちゃうよぉ」


「あんの変態竜。見境無く撃ってくれちゃってぇぇぇ!」


『この後に及んでまだ変態扱いって……この子、実は大物?』


「けしからんことです」


 弾幕を掻い潜り、暗黒竜の周囲をレブレが飛ぶ。真っ直ぐに飛んでいては魔法の雨に飲み込まれる。だから空の広大さを利用して縦横無尽に空を舞った。回避軌道はでたらめに、数秒前のそれを重ねず、更に速度を落とさないようにも気を配った。だが、それでも被弾は零にはならない。


「くっ。一回だけだからねリリム――」


「前足のどっちかでいいから、この槍をぶん投げてやるわ! もうそれで時間稼ぎして、後ろの連中を避難させましょ」


 リリムは槍を右手に構え、残りのほとんどのオーラを無理やりにも詰め込む。槍先が過剰なオーラを受けて白に染まった。急激な生命力の消費に、目の前が一瞬霞むも、それでも歯を食いしばって一投げに備える。


(加速、必中、貫通、爆裂ついでに粉砕!)


 奇跡がイメージトリガーであるということを意識し、望む弾道と結果を脳裏に描く。狙うは前足と、その後ろの足。四足歩行で移動する暗黒竜の片側だけでも潰すことができれば、再生するまでは時間が稼げる。


「無理ですリリム。貴女のオーラ量では闇を抜くならともかくあの竜には到底――」


「出来る! 出来ると思えばなんだって!」


『そんな無茶苦茶な! 精神論だよそれぇぇ!?』


「忘れんじゃないわよマリアル。私たちの奇跡ってのはそもそもねぇ――」


「行くよ、リリム!」


 レブレが無理やりに暗黒竜の前を通過する。

 右から左。眼前を横切るような軌道だ。リリムは左前足は無理と判断。身を捻りながら、その数秒にも満たない間に投擲目標を右足に決定。そのまま、力の限り分投げながら叫ぶ。


「――存在そのものが反則でしょうがぁぁぁ!」


 槍が光となって軌跡を描く。同時に、その弾道が捻じ曲がる。置き去りにした光が闇に挑む。泥のような邪悪なる闇を切り裂き、その先を抜けていく。次の瞬間、光の抜けた先にある二本の足が爆砕した。


『うっそぉぉ!?』


「そんな馬鹿な……」


 呟くエルネスカ組の後ろで、脂汗を流しながら、リリムがレブレの背中に膝を付く。


「ぜぇ、ぜぇ、これがホントの奇跡って奴よ。後は、せめて残ってる奴らに逃げるように言わないと――」


 大質量を支える右側の足が潰されたせいで暗黒竜の体が右に傾く。

 数秒でも、数分でもいい。これで時間が稼げるならば。

 リリムのその思いを、しかしマリスは許しはしない。


『マジありえねー。なんだ今の――』


『いやでもまぁ、だからって正直何って感じかぁ?』


『フヒヒ。てなわけでお返しは帝都でよろ!』


 レブレを追っていた魔法の弾幕がが中断。そのまま帝都方面へと叩き込まれる。狙いは東の外壁。未だギリギリで支えられた戦線へと放たれていく。


「やめ――」


 悲鳴を上げそうになったリリムの眼前で、夜光の結界が辛うじて遮断する。


『ダメ! 首が残ってる!』


「耐え切れますか夜光――」


「無理だ。あんな高負荷をかけられた上に、今までの数倍の一撃なんて――」


 鎌首をもたげる三つ首が、それまでよりも更に大きく顎を開く。

 

 その口前に、灼熱の闇が当たり前のように集束していく。

 暗黒色に燃えながら、ただ蹂躙するために威力を凝縮。その果てに、一人の聖女の願いを蹂躙し、絶望に叩き落すべくゆっくりと見せ付けるように帝都を破滅させる力を集めていく。


『こいつはよぉぉアキヒコ。お前への手向けだ』


『他の奴なんざ知らねぇ。ただ、お前のためだけのもんだよ。友情に感謝しろぉ』


『俺様は義理堅いんだぜい。さぁ、行くぜフルパワァァァ!!』


 魔法の弾雨が止む。そして、それさえも攻撃に回された。潰された右足に回す再生のためのエネルギーさえつぎ込んで、アジ・ダハーカの首がゆっくりと仰け反る。


『あ、え? センサーに感あり? 転移だこれ。これ、何? 一杯来るよ!?』


「今更ここへ? 一体誰が――」


「ちょ、何この馬鹿げた魔力量。想像を絶するぐらいのが来たよぉ!?」


「この感覚……まさか――シュレイダーなの?」


 花嫁としての感覚が、番の存在を感知する。帝都方面へと左に旋回するレブレの上で、次々と空に現れる人影を一行は見た。


 魔力の塊が無数に空に現れる。淡く光る馬鹿げた力の凝縮体に照らされるその下で、東門に外套を纏った銀髪の吸血鬼の姿が見える。右手には純白を剣を持ち、翼を広げて滞空したまま、暗黒の竜の暴虐に挑むかのように立ちふさがっている。


「ちょっと、アンタ今更なんなのよ。遅すぎるでしょうがぁぁ!! しかも、そんなとこに立ったら死んじゃうわよ。そいつは、もう誰にも止められないぐらいに力蓄えちゃってるのよぉ……」


 零れそうになった涙をそのままに、リリムが声を震わせる。

 今正にブレスが放たれようというその瞬間、異世界の吸血鬼は左手を上げ、いつものように弾いた。瞬間、地面にあるはずの影が外壁を覆う程広大に広がり、男の前に影のベールで彩った。


 暗黒の闇に比べれば、それはあまりにも薄く頼りなく見えるただろう。そこへ、暗黒竜のブレスが容赦なく口元から解き放たれた。


 それは、莫大な熱量を孕む邪悪なる念神の、ただ人には決して抗えぬ必滅の一撃。それは音速を超え、雷速を越えて、光速に迫りながら空を絶望で染め上げて奔る。


「シュレイダァァァァァ!!」


 眼前で、闇色の光が、陽光さえもかき消す勢いで放たれたのが見えていた。怒涛の勢いで破壊が迫り、影と接触。次の瞬間には薄いそれを当たり前のように飲み込んで仕舞うのではないかと、見る者の不安を掻き立てる。


――けれど、悪神の使いよ心せよ。


『……嘘でしょ!? あの吸血鬼さん、完璧に防ぎきってるよぉ!?』


「あ、ありえません。あの破壊力を防ぎきる魔法障壁など彼に張れるはずが――」


「――いや、そうか!? アレなら防げるじゃないか!!」


――闇を飲み込む影がここにある。


 シュルト・レイセン・ハウダーの影は、もとより闇には決して照らし出せない底無しの影。光無き闇では影を暴けず、光であっても彼の闇は延々と際立ち、消え果るまで抵抗し続ける無限の魔影だ。完全に消し去るならば、魔なる影を駆逐しつくせるだけの光の輝きが必要である。


「魔法卿の影沼は光以外は全部飲み込めるよ! だって、アレは威力とかそういうのは全然関係ない、そういう性質を持った影魔法なんだから!」


「――レブレ。私をシュレイダーの側に転移させて」


 目頭の涙をジャケットの袖で拭い、リリムが立ち上がる。その目はもう、絶望に屈したりはしていなかった。


「シュレイダーが呼んでるの。私に止めを刺せって言ってるわ。だからお願い――」


「――うん!」


 リリムの姿が、子竜の背中から掻き消える。次の瞬間、少女は外壁の外に浮遊する青年の後ろに転移した。


 紅眼が、風と励起した魔力ではためく外套の背中を映し出す。

 暗黒の吐息<ダークブレス>を前に、当たり前のように立ち塞がった彼女の番は、振り返らずに言う。


「疲れただろう。さぁ、私の血を吸え」


「うん――」


 後ろから抱きしめるようにして抱きつき、昨夜につけた首筋の吸血後に八重歯を沈める。薄っすらと再生しかけていた首の皮を牙が突き破り、その下からあふれ出した血が口内に広がっていく。


 少女の喉が溢れる血を嚥下する。その度に、消耗した生命力と魔力が満たされていく。それこそが擬似吸血鬼であろうとも変わらない吸血鬼の特性であり、人々から化け物と言われて恐れられる力の一旦。


「癒えたか?」


「うん。ありがとねシュレイダー」


「礼を言う必要はない。アレは、あの魔神とやらは君の敵であり、私と私のかつての教え子たちの敵なのだから――」


 怒気を隠そうともせず言い捨て、右手に握った剣をシュルトはリリムに差出した。


「……なんだろ。前よりももっと凄い気がするわ」


「当然だろう。それは、君と出会うために私が歩んできた道のりの全てが凝縮しているのだから」


「ふふ。何それ」


 少女には言葉の意味は分からない。だが、それでも不思議とシュルトの頬に口づけた。どこか苦労が滲み出るようなその声が、それだけで癒されるとは思ってはいない。けれど、何か重い何かがあったようにも感じるから重症だった。


「リリム。私が最初に一撃叩き込む。恐らく、それでも奴は生き残るだろう。そこからが君の最後の仕事だ。君の思うとおりにやればいい。好きなだけ調教してやれ。ただし、浮気はしてくれるなよ」


「当然よ。私をどうにかしていいのは貴方だけなんだからね。その代わり、あんたは私以外にどうこうされたらいけないのよ」


「素晴らしき等価交換だな。心しよう」


 満足そうに頷き、シュルトが両手で複雑な魔法陣を描いてゆく。それは、今まで彼が誰にも見せたことがない、夢の残影を改良した新作だ。


「ねぇ、当然アレが泣き叫ぶようなぐらいの威力はあるのよね?」


「そのつもりだ。きっと、私のオリジナルスペルの中で最高傑作の一つとなる」


「そっか、なら――」


 闇色の本流の向こう、一向に滅ばない帝都を前にしてきっと魔神は激怒している。だが、その程度では当たり前のように足りない。労力に釣り合わない。だから少女は彼に望むのだ。


「やっちゃえシュレイダー!」


――絶望を塗り替える、反撃の狼煙を。


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