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第十五話「彼の過去と一つの真実」


 レムリング大陸。またの名を中央大陸と呼ばれるその大陸に、リングルベル王国という国があった。特に何か産業が発達しているというわけでもなければ、名産があるというわけでもない。周辺諸国と比べても大して変わらぬ、この世界では平均的な国だった。


 強いて特徴を挙げるとするならば、少しだけ他国よりも軍事面で劣っていることぐらいだろうか。それでもそれが致命的というわけではない程度には精強であったから、特に周辺国とは偶に小競り合いをする程度で済んでいた。それ自体は問題ではない。問題なのは、大陸共通の敵である魔物であろう。


 この世界の人類種の敵である魔物。通常の剣や槍では中々致命傷を与えることができず、その身を覆っている魔力障壁に加えてその数の脅威が各国を悩ませていた。それは勿論、リングルベル王国でも変わらない。


 そこで、あのふとっちょな……おほん。恰幅のいい彼の国の王は誰がもたらしたかも分からない召喚魔法とやらに手を出した。不思議なことに、どこからどうやってその魔法を手に入れたのかを誰一人として覚えていないらしい。


 怪しい。とてつもなく怪しい。普通であればそんなものに頼るのは馬鹿げている。しかし、好奇心というのは抑えきれないモノである。私なら間違いなく試す。だからなのか、試したことは問題にはすまいと思っていた。異世界ラークからこの『私』を呼び出し、あまつさえ帰せないと言われたとしてもまぁ、他の同族たちよりも理性的で寛大で慈悲深い私は怒り露とも見せずにニコヤカに笑った。同時にちょっと魔力を開放して周囲の騎士や魔法使いたちをビビらせたりしたかもしれないが、まぁ、我慢した。


 当時、王は震えながら言った。


「お、お前さん。見たところ相当な魔法使いのようだが魔物という脅威をどうにかしてくれんか」


 私はこう答えた。


「条件次第では考えてやってもいい」


 今思えば、それはとても軽率なことだった。色々と互いを理解するための時間と、言葉が足りなかったのだ。だが、そうとは知らずに私は彼との商談に合意した。


 それから私は、すぐにその魔物とやらの実力を調べた。だが、何のことはない。私からすれば大した力は持っていない。当時の私一人で、街を壊滅させる規模の連中を容易に叩き潰すことができたのだ。


 正直に言おう。元の世界では神祖の吸血鬼と呼ばれたこの時の私にとっては雑魚だった。私の戦闘能力を知った彼らは驚き、震え、しかしそれでも安堵していた。私が寛容で理性的であると分かっていたからだ。自然と滲み出る貴公子然とした雰囲気は、さすがに隠すことはできないということだろう。


 とはいえ正直に言えば面倒くさいこともまた事実。とにかく奴らは数が多い。一々私だけで片付けるのは面倒であるし、私だけ戦って彼らが何もしないのでは割に合わない。そもそも、この世界に私と同じ吸血鬼なる種族はいないらしく、私の食事を普通の人間たちのもので良いものだと思っていた彼らの無知さには心底困らされた。一週間血が出なかった時点で、私の忍耐も尽きたからな。


 そこで、新たに契約をし直すことにした。


 契約の内容は簡単だ。私は、私の使っている魔法――をちょっと劣化して欠陥を持たせ、男が使ったら不能になる程度の魔法――をこの国で広めるため新しく王が作った女子学校で教鞭をとるという簡単な奴だ。その際、きちんとした結果を出せれば学生が卒業するときに食事として彼女たち『処女の血』を貰う。そういう契約だ。


 この世界の魔法はあまり威力がない。生活に便利な魔法ならば感心するものがそれなりにあるのだが、攻撃的な魔法が基本的に対人の、それも一対一レベルのモノしかない。範囲攻撃系、対群系はおろか、対城系などもない。そこで、私の出番というわけだ。


 話を戻そう。報酬のことである。吸血鬼である私にとっては、処女の血はご馳走だ。この条件であれば、魔法卿とさえ呼ばれた私の叡智と知識を伝道しても良いだろう。むしろ、毎年魔法を教えるだけで定期的に新鮮な血が手に入るなど最高の労働条件だ。


 いつか、やってみたいと思っていたのだ。有る意味渡りに船だな。最初の学生が卒業するまで三年かかることになったが、それぐらいならば禁血できる。普通の人間ならば飲まず食わずで死ぬが、私は吸血鬼。十年ぐらいは余裕だ。結果を出すことはそれほど難しいことではない。元の世界で人間相手に教鞭を取ったこともある。問題はないはずだった。


 正直、このときの私は浮かれていた。私はまたもミスをしたのだ。私の求める血について彼らは心底理解していなかったのだから。








 それは、休み明けの卒業式の日のことだった。


(なんだこれは。い、いったいどういうことなのだ!?)


 その日、私は三年間受け持ったクラスの最後のホームルームを行うために教室に入った。そしてすぐにそれに気づいた。このときばかりは驚愕し、絶句し、そしてあまりの出来事を前に絶望――を通り越して気絶しかけた。倒れなかったのはきっと、私に芽吹いた教師としての意地だったのだろう。


「起立、礼、着席!」


 クラス委員として選ばれた王女の号令が、どこか虚しく教室に響く。私は、辛うじて教壇へと向かい震えそうになる両手で教壇の端を握る。そうして、時間をかけて一人一人彼女たちを見渡した。


 この魔法学園は見目麗しい貴族や王族の女子だけを集めた学校である。これは魔法を教える過程において魔力が研磨されより処女の血が美味くなるからであり、見てくれが良い方が吸ったときに何故か美味く感じるという血の味五割り増しの法則を利用した採用法である。


 私は男の吸血鬼であるため、処女の血が何よりも好物。そして、偏食なので基本的には十代から二十台程度の処女の血しか飲まない。それ以外は毒物として体が受け付けないのだ。だからこの学園は最高の餌場になるはずだった。だというのに何故、どうして、この目の前の少女たちは全員処女ではなくなっているのだろうか?


(お、落ち着け。落ち着くんだ。先週はそう、この王都に大量の魔物が進行し彼女たちは獅子奮迅の活躍をした。騎士や冒険者など鼻で笑えるような活躍をだ)


 そのときは、確かに全員間違いなく処女だった。なのに、休みが明け今日という日を迎えてみれば全員が全員例外なく処女でなくなっている。委員長たる王女様までもだ。間違いなくこれは異常だ。世界の終わりが明日来たとしても普通に受け入れられるぐらいの異常だ。異常事態なのだ。


「……先生? どうかされましたか」


「あ、ああ。いや、なんでもない。なんでもないさ。ただ、これが最後かと思えば……な」


「そうでしたか。私も感慨深いものを感じております」


「ん、では連絡事項を伝えよう」


 不思議そうな表情を浮かべていた彼女たちだったが、私の言葉を聞いて納得してくれたようだ。中には涙ぐむ子もいた。この三年間、色々なことがあったのだ。


 そもそも、蝶よ花よと育てられた彼女たちは我が侭娘ばかりだった。親の派閥や力関係の影響もあったが入学当初は苛めは当然として、喧嘩などもよくあった。お前たちは本当に淑女なのかと、目を疑うような蛮行さえあった。それが、今やどうだ。見る影も無く皆淑女然とした振る舞いをしている。


 私は、プライドを総動員してそんな彼女たちに負けじとばかりに紳士的に振舞って最後のホームルームを終える。その間、彼女たちは普通だった。卒業を悲しむ者こそいたが皆の顔にあったのはそれだけだ。


――処女ではなくなっているのに。


 ホームルームを終えた私は、疑問を胸に仕舞いながらも副担任に無理やりに卒業式を任せ、急遽王城へと飛んだ。


「何がどうなっているんだ。まさか、私の体に異常でも起こっているというのか? それとも、魔物にの中にインキュバスでも現れたのか?」


 分からない。気が動転しているのは認めよう。しかし、どうしても理解できなかった。何度も呟き、落ち着こうとするも混乱は増すばかり。


 そもそも吸血鬼には処女や童貞を見抜く眼力が当たり前のように備わっている。そうでなければ、美味い血になどありつけない。だから私は、当たり前のように彼女たちが純潔の乙女と理解したうえで入学時の面接で選び抜いた。しかも女子だけの学校としたことで、彼女たちは長期の休みなどでもなければ異性と触れ合う機会は少ない。基本寮生活だったことと、貴族令嬢故に城下に繰り出すことも稀だったはずなのだ。出るとしても使用人も一緒だっただろうし、いきなり乙女ではなくなる理由がサッパリ分からない。


(……禁血が長いせいで感覚が可笑しくなっているわけでもない、な) 


 眼下に見える人々の中に、処女や童貞が当たり前のように居ることが分かる。感覚は正常だろう。しかし、だとしたらクラス全員が非処女になっていると感じたことが事実になってしまう。


 否定したい心が、ますます私を混乱させる。そもそもの話しだが、一人二人ならありえるかもしれない。若気の至りというのもあるだろう。しかし、しかしだ。全員とは何事だ? 正気の沙汰ではない。もしやこれは他国の陰謀か!? この国はおろか、戦果だけで言えば眼を疑うような結果を出した私を亡き者にするための工作だとしたら見事と言うより他に無い。餓死させるために食料を取り上げる。理に適った戦術だ。しかし、それにしたってやり方が酷い。犯人はきっと、血も涙も無い悪魔だ。殺意を胸に私は急いだ。









 城についた私は、魔力を励起させて兵たちを青ざめさせながら王の執務室へと赴いた。


「王よ!」


「ぬぉ!? 吸血鬼殿か。い、一体どうしたのだ。今日は卒業式だったはずでは?」


「そんなことはどうでもいい!」 


「ど、どうでもいいとはそなた、自らの教え子たちにとってあんまりな言葉ではないか」


「どうでもいいと言った! 王よ、異常事態だ。卒業生たちが全員処女ではなくなっている!」


 とんでもない話である。王の娘もそうなのだ。ことは学園側の警備体制の問題だけではない。大切なお子さんを預かっていたのだ。それが傷物にされたとあっては、今後の魔法学園の運営において多大な悪影響を及ぼす不祥事になる。


 私は、必死に訴えた。原因究明はもとより、もし何らかの問題が私のあずかり知れぬところで発生していたならば犯人たちの息の根を止める覚悟など当に出来ていると。それこそ王を壁に追い詰めるかのような勢いで詰め寄った。だいたい、またあのモンスターペアレンツ共がきたらどうなる。胃に穴が空くどころの騒ぎじゃない。彼女たちの親は貴族だ。結託して内乱でも起こしたらどうするのだ。それだけの失態だろうこれは。


「あ、ああ、それはじゃな。ほれ、アレじゃサプライズじゃ」


「――は?」

 

 一体、この男は何を言っているのだ?


「意味が分からないな。事と次第によっては王といえど覚悟して頂きたい」


 きっと、今の私の顔からは笑顔が消えているだろう。王はビクッと振るえながらも教えてくれた。


「む、娘から相談されていたのだ。恩義ある先生に、最後に何かできることはないか、と」


 ……は?


「皆、あのクラスの者たちは貴公が処女の血を欲していることを知っている。君の教育の成果を見て親は皆許可し、それどころか我が侭娘たちをこの国を救う救国の魔法使いとして生まれ変わらせてくれたことに感謝していた」


「……だから? とんと話しが見えないのだが」


「じゃ、じゃから処女の血を彼女たちは集めた。貴公に卒業式後に渡すためにな。ワシ、冗談で言ったんじゃがこの休みの間に自分たちで張り型を使ってその……若さ故の過ちって感じで勢いでビンに集めちゃったらしい……の、だが……」


「な、なんてことを!? 何故止めなかったのだ王よ!? 貴方には人の心が無いのか!! 彼女たちにとって一生に一度しかない大事なものなのだぞ!! 誤解されて中古品のレッテルを貼られて彼女たちに生きろというのか!? なんと惨いことを……鬼だ。貴方は鬼だ! 鬼畜外道王とは貴方のことか!?」


「いや、しかしおぬしとの契約はよく考えるとそういう……」


「ふざけるな!」


「――うえ?」


「私が欲しいのは処女の破瓜の血ではない!! 純潔の処女の生き血だ!」


「はぁ!? 血は血であろう! 何が違うというのじゃ!?」


「生き血でなければ鮮度は落ちる! そもそも、処女を失った時点で味は変質しその血は泥水にも劣るほどに不味くなるのだ! 偏食の私にとってはそんなものとても飲めたものではない!」


 神祖の吸血鬼である私は、魔法で吸血鬼となった真祖たち、或いは男だろうと女だろうと老人だろうと子供だろうと関係なく貪る吸血鬼とは訳が違う。若い処女の血でなければ受け付けない体なのだ。断じて非処女の血など飲めるものか!! あんな不味いものを飲むぐらいなら、私は潔く餓死することを選ぶわっ!


「そもそもだ。そもそも、何故私に相談しなかったのだ王よ」


「い、いやそのじゃからな、あの子らがおぬしを喜ばせたいとじゃな……」


「だからといって、初めては好きな男にさせてやるべきだろう! それが無理でもせめて結婚相手だろうに。あいつらは貴族の子女なのだぞ!」


「そ、そこらへんは王都防衛で活躍しているから問題はないのじゃが……」


 冷や汗をダラダラと流しながら、王が弁解する。私は、悔し涙を流しながら無言で踵を返す。王の後ろの壁が瓦礫になっていたが、そんな程度では失った膜は帰ってこない。彼女たちは、私のせいで一生に一度のそれを失い、あまつさえこれからを生きて行くのだ。政争の道具として欠陥を抱えながら、私の教えたあの程度の魔法の力と引き換えにして。


 説明が足りなかった自分への怒りと、王の無知さへの怒り。そして彼女たちのこれからを考えると私はただただ悲しかった。








 学園にとってかえし、すぐさま教員寮に戻った私は衝動的に荷造りをした。せずにはいられなかった。全ての持ち物を自分の影の中に放り込み、卒業式が続いていることを確認。その間に、私の住んでいた世界から影に仕舞いこんでいて教材として使用していた物資を例外を残して回収。そして、辞表を書き上げると校長の机の上に置いて学園を出た。


 生徒たちに会えば、私は彼女たちを叱るだろう。自分の体を大事にしろと。いいや、そればかりか思わず「消えうせろ中古ども!」などと、男が童貞を指摘されて笑われたときにカウンターとして放つ禁断の罵詈雑言で罵るかもしれない。


 禁血していた私にとって、今日は空腹を満たす日だったのだ。それも、手塩にかけて育ててきた彼女たちの三年間が熟成させた純潔の血だ。飲めなかったことが残念でならない。


 手に入ったはずのそれが手に入らない苛立ち、そして自己嫌悪が私を自然と行き着けの酒場へと向かわせた。


「マスター、トマトジュースをくれ。果汁100%のドロドロで美味い奴だ」


「なにかあったのですか。吸血鬼の先生さん。酷い顔ですよ」


「ああ。詳しくは言えないが飲まずにはやってられない程のことがな」


「なら偶にはワインなんかどうだい。酒の力に頼るのもいいだろう」


「今の私にワインはもったいないよ。トマトジュースがお似合いなのさ」


 血のように赤いワインは駄目だ。箍が外れると禁血ができなくなるし、今となってはそういうのはちょっとお洒落な気分を味わうときだけの贅沢だ。そもそも高い。


(そういえば、私の給金は新人教師レベルだったな。教員免許無かったから資格手当てつかなかったし……王め! 王立だからといって人件費をケチりおって!)


 しかも学生供が教員寮にたかりに来る。一度見栄を張ってお菓子と紅茶を振舞ってやったら味を占めやがって。顔を仄かに紅く染めながら、分からないことを聞きに来たと称して菓子を強奪していくあいつら……あいつら……ぐすん。


 これまでの努力と忍耐と、人間の子女たちと築き上げてきた暖かな記憶全てが音も無くガラガラと消え去って行く。生徒たちに喜ばれ、永遠に処女の血を得られる最高の立場を得られるはずだったのに、何故こんなことになってしまったのだろう。分からない。私は一体、どこで道を踏み外したのだろう。トマトジュースは何も教えてはくれない。何故だ、何故なんだ!?


「もう閉店ですよ。トマトジュースだけで閉店まで居座るのは貴方ぐらいだ」


 気が付けば、私はトマトジュースを樽一杯ほど消費していた。奴らには恨みはないが、それでもやはり飲み干さねばやってられなかった。


「マスター、この三年本当に世話になったな。もう、会うこともないだろう。私はこの国を出るよ」


「では、その前にツケ払っていってくださいね」


「くっ――」


 ニコリと笑顔で言うので、勢いに任せて財布ごとカウンターに叩きつけてやる。当然、釣りはいらない。マスターは驚いた顔をしていたが中身を数えるのに必死そうだった。小銭を貯金しておいて良かった。足りなかったら申し訳ない。


 ふっ、これが吸血鬼たちの間ではかつて魔法卿とまで言われた私の姿か。なんと情けない姿だ。まぁ、ラークにも領地にももう戻れないのだから誰にも見られることもないだろう。旅の恥は使い捨てらしい。なら、私の永劫の旅の恥が一つ増えただけ。この国に後悔と共に捨てていこう。


「さて、無一文だがどうするか」


 勢いで出てきたはいいが、行く当てなどない。私はこの世界において異邦人。それも、世界では一人しかいない吸血鬼。随分と食事をしていないせいで弱体化していくばかりの情けない存在だ。果たして、どこまでやれるだろうか。


「魔物だ! 魔物が出たぞ!」


 と、そんなことを考えていると半鐘がなり、都が騒がしくなってきた。私はそれに気づかない振りをしながら城壁を飛び越え歩き去る。先週の魔物たちの猛攻に耐えられたのだ。今感知できた程度の小集団ならば問題などない。この程度の残党なら最悪、卒業生たちがどうとでもするだろう。私が育てた女子生徒たちは、騎士団にも勝る淑女たちだったからな!!


「この国を出て、フリーの冒険者でもやるか」


 そうだ、何も処女は学園にだけ居るのではない。探せばいいじゃないか。新しく私に血を与えてくれる純潔の乙女を。希望を胸に、私は新たなる一歩を踏み出した。









――だが、結局それからも絶望することになった。


 冒険者ギルドと呼ばれる組合に登録せず、フリーの依頼と魔物の討伐などで生計を立てることにした私は流れながら生きていた。この世界は魔物という脅威があるため、冒険者は仕事に事欠かない。それはいい。それはいいのだが、問題があることに後で気づいた。


 冒険者の大半は男なのだ。


 魔物と戦うから当たり前だが、あまりにも男女比率が偏っている。偶に女性が居たとしても既に彼氏持ちやらパーティーを組んでいる者しかいない。受付の綺麗なお姉さんもほとんど全滅だ。信頼関係を築き上げ、血を貰うという計画が水の泡。プラトニックラブは死んだのかと、三つ目の街で叫びたくなった。せめて結婚するまでは守り通せよ! 膜は再生などしないんだぞ! 魔法で再生させても偽者だ! そんなものに価値などあるかっ!?


 基本冒険者などは生きるか死ぬかの仕事だ。吊橋効果もあったのだろう。子孫を残そうとする本能が、こういう嫌な結果となって顕現していたのかもしれない。理性的に分析し理解してしまう頭脳が憎い。生きる希望が、モリモリと失われていくではないか。


 おかげで私は、日々弱っていった。


 太陽の光もそれを加速させる一因だ。元々太陽など神祖はほとんど無害だが、塵も積もれば山となる。学生の生活に合わせて夜昼逆転の不健康な生活をしていたことも仇となったようだ。腹が減った私にとっては、日中はダルいことこの上ない。無駄に体力を消費させられる。そして処女の血になかなかありつけない地獄のような断食の日々。


 正直、飢餓感に負けてプライドをかなぐり捨ててしまいたくなったことが何度もあった。この数年間、ずっとそうだった。しかし、私の宝石よりも美しい矜持がそれを許さない。その果てに私は気づいてしまった。


――この世界は、高貴なる吸血鬼にとって地獄なのだと。


 遂に耐え切れなくなった私は、血迷って禁じ手とも取れる策をとろうとした。スラムである。貧民街の少女の血を狙ったのだ。さすがに、少女ならば処女だろう。飢餓感のせいで、だれかれ構わず喰らい尽くそうとさえ思ったときに閃いた起死回生の策だ。お金を対価に交渉すれば! などという安易な私の考えを、しかしこの世界はどこまでも見逃さない。見逃してはくれなかったのだ。


「そこのお兄さん、どうですか?」


 発見した第一スラム少女は、随分と着古したであろうスカートの裾を摘み上げて私を誘ってきた。どこか艶がない金髪に、ほっそりと痩せた体躯。栄養のあるものを食べられていない証拠だ。だというのに、その手馴れた仕草はどうだ。精一杯の笑顔を浮かべて可愛くも蟲惑的に振舞っている。まるで一流の艶女だ。私は、それを見て自然と言葉を失った。


 少女だとて、生きるためにその身を売っていた。聞けば、冒険者だった父親は魔物に殺され母親は食い扶持を稼ぐために無理をして働き病死。親戚は彼女に残された家さえも売り払い彼女をここに捨てたという。彼女は同じく捨てられた仲間たちと共に住んでいるそうだ。友達の女の子たちも皆、似たようなものだという。


 この世界は、処女には生存権がないとでも言うのだろうか。慙愧に耐えない思いが胸中を埋め尽くす。私の生きる望みは、また一つここに潰えたのだ。


「この世界は酷すぎる――」


 膝から力が抜け、地面に手をつく。それほどの衝撃。ここまでくれば現実を噛み締めるような呟きが自然と零れた。無駄に涙がしょっぱかった。


「だ、大丈夫? そのさ、生きていたらどこかに希望があると思うよ。うん」


 その少女は強かった。三百年と少し生きて来た私よりも。


 彼女は愕然と地面に膝を折っていた私の頭を抱きしめ慰めるかのように背中を摩ってくれた。一文の得にもならないことだ。時間の無駄であり、こんなことをしていれば客が取れないだろう。だというのに、彼女は死にぞこないの吸血鬼でしかない私のために貴重な時間を使ってくれていた。


 余裕の無い者が、他人に優しくすることは難しい。だというのに、誰よりも余裕の無いはずの少女が私に優しくしてくれる。その健気な心が、暖かく胸に染みる。私は、彼女に今もっている全財産を差し出して逃げた。逃げることしか出来なかった。


「強く生きろ。私も、これからは君のように強く生きて見せる」


「ちょ、お兄さん!?」


 その日、私は意地を押し通す強さを得た。









 流れるままに、大陸を放浪していると、ふと空元という国の巫女とやらが純潔を尊ぶという話しを聞いた。私は、それが最後の旅となることを自覚していた。


 飢餓のせいか、蓄えていた膨大な魔力が見る影も無く落ちている。しかし、希望を胸に飛ぶ空はいつもより少しだけ優しかった。背後から、私を運ぶ気流があった。それにのって数日。しかし、遂に私にも限界が来た。


 落ちていく。堕ちて行く。このまま、地獄にまで落ちるのではないかという妄想と共に、私という存在の命が消えかけた。それでも、体は当たり前のように死神の微笑みを拒絶する。


 翼を広げ、なんとか落下速度を抑えた。が、それも地表にたどり着くまでもたない。やがて墜落。うらぶれた貧民街へと落着した。


「ぐっ――」


 地面を転がり、空を見上げる。


「ちょっと、貴方大丈夫?」


「……どうやら驚かせてしまったようだな。すまない、スラム少女よ」


 腹を鳴らしながら、驚かせた少女に謝る。


「怪我とかは……ないの?」


「そちらは問題ない。だが、もうそろそろ餓死で死にそうだ。もう、かれこれ数年も飯を食っていないから……な」


 嗚呼、国を越えても、この世界はどこも一緒なのか。その金髪の少女は、夕日に照らされながら私を見下ろしていた。いつかの少女のように、この少女も優しかった。膝枕をし、私の涙を拭ってくれたのだ。


「希望は、もうないのだな」


「感謝しなさいよ。私の膝枕はオプションで別料金なんだからね」


「はは、そうか。ならもう一つ頼んでいいか」


「ご飯が欲しいの? パンなら家にあるけど……」


「いや、君の血でいい」


「はぁ?」


「私は、吸血鬼なのだ」


「何それ」


「血が食事となる種族だ。私は、その中でも処女の血しか飲めない偏食の吸血鬼でな。だから餓死しかけている」


「難儀な種族ね。けど、それなら私のじゃ駄目じゃない」


「せめて、最後ぐらいは吸血鬼らしく死にたいのだ。代金はこれ全部でいいか」


「ちょっ――」


 かつての私なら、それはありえないことだっただろう。処女を失った女性は概念的に純粋性を失う。それは、一歩大人になるなどという程度では済まされない損失である。魔法学的に言えば、処女という事実に宿った聖性の破棄を示す。これは童貞喪失にも当てはまるが、概念的な穢れを自然浄化する術を失うことをも意味していた。


 生きていけば酸いも甘いも噛み締め、純粋ではいられなくなるがまさしくそれだ。処女童貞の喪失とはすなわち概念的な穢れに対しての防御能力を失うことであり、魂を穢していくことに他ならない。子供を得るためには、純粋性を失った先にある混沌性でもって、神秘の塊である命を育む必要がある。だからこそ愛無きそれを古い吸血鬼ほど否定する。当然私も大反対だ。好奇心や見栄如きで失っていいものではない。


 グルメであり偏食家である私にとって、その混沌とした穢れが何よりも不味いのだ。それは素材の味を無視して調味料を馬鹿みたいにぶちまけたような有様だ。だから今まで拒否してきた。けれど、今の私には必要だったのかもしれない。その穢れを噛み締める行為が。


 勿論私だとて餓死したいわけではないが、これでやっと楽になれる。私は、一つの信念の元、強く生きた。もう、十分だろう。確かにこの残酷な世界に絶望し、失望した。けれど、誰かの優しさの中で息絶えるのは、それはそれで幸せなことだろう。


「分かったわ。でも、傷跡が残るのは駄目だから、ちょっとだけね」


「それでいいさ。舐める程度で十分だ。それだけあれば偏食の私ならショック死できる」


「ショック死って何よ」


 そして、私は救われた。


(なんだこの血は。こんな美味なるもの、今まで味わったことがないぞ!?)


 概念的な穢れが、不思議なことに一切無い。それでいてこの鼻腔をくすぐる芳醇な香りと、喉越しの透明感はなんなんだ。これが、処女ではない者の血の味だというのか? そんな馬鹿な! そんなことがあるわけがない! まさか私は今、悪い夢でも見ているのか? もしかして、これは死んだ後の夢か?


 事実を否定する思考と、常識がぶつかった。舌は絶えずナイフの切り口を這い回り唇はさらに血を吸い出そうと自然に吸い付いている。


 それは若かりし頃に処女の血を始めて吸った時の衝撃をも凌駕していた。先輩吸血鬼や御大と呼ばれた最古の神祖が戯れに振舞ってくれた古の姫君の血さえも超えていたかもしれない。


 そもそも、処女を失って旨みを保つ方法は一つしかない。それは吸血鬼の花嫁と呼ばれる魔法儀式によって処女の時に不老化させ使徒と呼ばれる餌兼番とする方法だ。しかし見たところこの子はそんなものではない。私の魔眼がそう言っている。ならば、違う。違うのだ。この子は純粋な人間の少女なのだ。


 とはいえ、知識の中で他に該当する可能性が一つだけあることを私は思い出した。しかし、まさか私が異世界でそれを味わうことになるとは思っていなかった。吸血鬼界隈においては伝説級の、それこそ皆実在していたならば、絶対に秘匿するか奪いに行く程の存在だったからである。


(そうか、そうだったのか――)


 私は、ふと理解した。この地獄のような世界に、何故私のような偏食の吸血鬼が召喚されてしまったのかを。


――全てはきっと、この少女に出会うためだったのだ。
















「……いかんな。仮眠のつもりが存外に長く寝てしまったか」


 とある国の山中。朝日が差し始めた早朝で、シュルトはふと眼を覚ました。どうやら、リリムの剣を地面に突き刺したまま眠っていたようだった。過去の道程を遡っていたせいか、昔の夢を見た気がした。


(リリム。私の禁血放浪の旅も、もしかしたら全て君のためだったのかもしれんな)


 巫女の話しを聞くまでの旅で、数々のパワースポットを当たり前のようにシュルトは見てきた。それら全てを転移で辿りながら、彼は少しずつリングルベルへと近づいていく。


 転移して、剣を地面に突き刺しパワースポットと接続。いつものように出口を押さえて吹き溜まりに漂う莫大な放出魔力を掌握するのではなく、地脈の要一つ一つに彼女のための縁を繋ぐ。それが終れば、自らも儀式を行使して掌握。その余剰魔力を支配し、連動術式で制御して来るべき戦いへの備えとする。


 勿論、リリムにはああ言ったがシュルト自身は自分で倒しきれるように手を抜くつもりは毛頭ない。当たり前のように過去最大級の一撃を放つつもりだった。


 問題があるとすれば、闇のベールによるカウンターマジック。貫通術式を織り込んだレブレのペネレイトブレスを捻じ曲げるとなれば、生半可な術式では二の舞だ。ましてや、竜魔法のファジーさに対応するレベルの能力がそれにはある。それについての対策も考えなければならず、かなり悩まされていた。だが――ヒントはあった。


「一体、どこまでが運命なのだろうな」


 ぽつりと呟き、また一つ転移する。今度は、見晴らしの良い湖だ。その湖面に浮遊し、水に剣を突き立てる。


(危ういほどの必然の繰り返しか、ただの偶然か。だが、どちらでも構うまい。私はあの異世界人の少年とは違う選択肢を選んだだけだ)


 故郷に未練はある。無理やりに召喚されたことへの怒りもある。だが、それでも八つ当たりしてどうにかしようとは彼は思わなかった。そこまでの怒りを得ることはなかったのだ。翻訳と訳の分からない効果のあっただろう魔法が解けてもそうだった。


 シュルト・レイセン・ハウダーはまだ、この世界に対して少年ほどの怒りを感じていない。ただ、一つだけ憂うことがあるとすれば、やはりあの少女のことだけだ。


「ここまで常人の道を外させるのだ。決して裏切ってくれるな世界<レグレンシア>よ。お前が運命の名の下にあの娘を弄ぶだけなら、私はこの世界に制御不能な神を呼ぶぞ。魔道を極めて到達した者ではなく、あんな偽りどもでさえない。正真正銘初めから力を持っているという、あの神の如き者を――」


 都合の良いだけの神など居ないと、シュルトは当たり前のように知っている


 なのに、唯一シュルトが信仰する神が居る。


 彼の名を彼は知らない。ただ、彼が何もしないということだけで本物の神だと彼は信じていた。


 存在しえる最強の概念でありながら、唯一存在することが許されない矛盾する絶対強者、神。念神レベルならば可愛いものだ。何故なら、念神も概念神も世界を創造など出来ない。所詮彼らは偽者で、それらしい力を行使できるだけの紛い物。


 生き物が生み出せるのは、世界が生み出せるのはその世界の中の力で再現できるものだけ。ならば、世界一つを世界が生み出すなんてことはできない。それができるのは、正真正銘神の如き力を持つものだけ。そう、ただの力を持った何かだけ。世界に生まれた生き物たちの想念では本物の神は生まれえない。産み落とせない。そこにあるのは絶対のエネルギー格差という名の事実だけである。


 だが、だからこそ彼ら本物の神は動かない。特定一人に力を貸したり、えこひいきなどもしない。悪人も善人も同時に見捨てながら、ただ無慈悲に無限の愛でただ見守り続ける。それはこの世界の外側の話しで、だからこそシュルト・レイセン・ハウダーにとっては運命に対する最後の切り札に成り得た。


――全てを超越する理不尽とは、やはり神なるもの以外には存在しないのだから。


「知っているだろう。私は道を開ける。なるほど確かに彼はオラクル<交神>の魔法で話しはしてくれても、聞くだけで私の願いなど叶えてはくれないだろう。だが、彼は当たり前のように私がちっぽけな魔法で攻撃すれば反撃するぞ。躊躇無く、無慈悲に、その絶大なる力で。何が私の後ろにあろうとも、誰がそこにあろうともだ。あの時は念神を押し込んで道を閉じた。だが、今回ばかりは私は絶対に閉じんぞ。そのための細工もこうして同時に行っているからな」


 聞いている者が居たら、きっと阿呆のように見えるのだろう。それを自覚しながら、シュルトは湖面から剣を抜く。儀式を施し、次に行く。 


「計算すると私が召喚された日にあの子が生まれたことになる。誕生日を聞いたときに驚いたぞ。どういうことかを問うことはすまい。だが、そこまでやったからには必ず祝福しろ。使い潰すなど絶対に許さん!」


 一つ、一つ、星と世界に言葉を刻む。ただの偶然だったとしても関係ない。ただ、願い、彼は望むだけ。誰が叶えるわけでもなく、誰が踏みにじるわけでもないだろうに、一人の少女の幸福をただ求める。


「可哀想に。私に出会ったせいか? それとも運命のせいか? あんなに小さいのに、震えながら強くあろうとしていたぞ。何のためだ? 誰のためにだ?」


 それは、きっと少女にしか分からないことだろう。だが、止めると言わないのだからしょうがない。誰かがやらねばならないという理不尽な重みを、少女が勝手に背負っただけなのかもしれなくても、やはり、その代替がいないなら背負うしかなかったのだろう。


 弱いからこそ逃げられない。強く何もかも蹴っ飛ばせる神の如き身であったなら、それができた。なのにそれができないのは、当たり前のように少女が弱いからだ。なら、それを肩代わりも出来ずに押し付けることしかできないシュルト自身もきっと同罪だ。だからこそ余計に悔しくもあり、我慢ならない。


「絶対に勝たせろとは言わない。だが――」


 もし、この誓約が果たされないのであれば。当たり前のように悪鬼でも魔王でも彼はなるだろう。そのための術を持ち、それを実行できるのだ。当たり前のように報復に走ることを厭わない。


「絶対に裏切るなよ。世界<レグレンシア>――」


 第二のカンナヅキ・アキヒコ。この世界を呪った逆英雄の、その次の後釜になり得る存在が、既にこんなところにも当たり前のように居た。それは果たして、この世界にとってどのように映ったのだろうか。


――嫁と夫、二人揃って世界を脅迫するそんな彼らを、世界<レグレンシア>はどう思ったのだろう。


 











――リングルベル王国王都『グルジン』。


 リリムに過去を清算すると言ったシュルトの足は、鉛のように重かった。覚悟を決めるのに外壁の門の前で数分の時間を要した程だった。


 二度と潜らぬとかつて誓った門がある。そもそも最後は飛び越えたが、気分はそんなものだった。シュルトなら簡単に吹き飛ばせそうなその門は、しかし今日だけはとても強固で巨大に見えた。朝日を浴びるせいか、妙に輝いても見える。纏った外套のフードの向こう、かつて守ったこともあるそれを懐かしむように紅眼は細められていた。


「ちょっと、そこの人。入るなら早くしてくれないか。そんなところに突っ立ってられたら、気になってしょうがないだろ」


 不審者というよりは、おのぼりさんにでも見えたのだろう。外壁に立つ若い門番の青年がシュルトに向かって声を掛けた。


「それとも、もしかして通行料が払えないのか」


「通行料? しまった。両替していなかったな」


 門を潜るとか潜らないとか、そういう以前の問題である。出鼻を挫かれたシュルトが少しだけ悩む素振りを見せると、青年が言った。


「あー、駆け出しの商人で偶にいるんだよなぁそういう奴。おら、こっちこい」


 口調は丁寧ではないが、根は悪くない男なのだろう。詰め所へとシュルトを連れて行き、グリーズ帝国の硬貨を両替してくれた。


「しっかし珍しいな。俺も三年目になるけど、帝国の硬貨両替するのは始めてだぜ」


「やはりそうか」


「そりゃそうだ。あそこはもう、海路しかない。てことは、普通は港で両替するだろ。まぁ、馬車で行き来するときにあまり両替せずに国を越えてくる奴もいるけどさ」


「そうか」


「で、お前なんなんだよ」


「なんだとはなんだ」


「なんか、うちの隊長があんたの顔見た瞬間、「失礼のないようにお通ししろ!」とか叫んで城に飛んでったぜ。実は貴族とかそんなオチかなってな」


「その隊長とやら、偉い奴か?」


「なわけなねって。ああ、でもよく若い奴らに「俺はあの伝説の永久顧問と一緒にこの外壁を守って戦った!」とか酒の席で法螺吹いてたなぁ。いつの話しだっての」


「そう……か。まぁ、銀髪など別に珍しくもあるまい。勘違いかもしれんな」


「だよな。自称永久顧問を名乗って無銭飲食する奴とか、当時は結構居たらしいんだ。『俺様から金を取るのか! けしからん。王を呼べ!』 とかな。今でも偶に居るぜ。後、他国から居場所を尋ねてくる奴な。こいつらがまた暴れるんだ。『せっかく会いに来たのに居ないとは何事だ!』ってなぁ。そんなのこっちだって知るかってんだ」


「ならきっと、銀髪の男は永久名誉顧問とやらのせいで嫌われているのだろうな」


「どうだろうな。そもそもその永久顧問、もう十年近くこの国に現れていないって話しだけど、上の連中や先輩たちは一々確認してるぜ。偽者だとバレたときはそりゃあもう酷い罰を与えられるらしいが、やけに手間掛けてたなぁ」


「そうか。両替ありがとう」


「良いって良いって。仕事だし、せっかく王都に来たんだ。観光もできずに帰っちゃ可哀想さ。そうだ、どうせなら良い店も教えてやるよ。その永久顧問も通ってたっていうトマトジュースが美味いって評判の酒場だ。偶に、淑女隊の奴もくるらしい。なんでも、痩せるとかなんとか」


「ほう……面白そうだな」


 男に場所を聞いたシュルトは、礼を言って先に寄り道することにした。そこは、やはりシュルトが当時入り浸っていた行き着けの酒場だった。


 昼間は食堂として機能していたことは覚えている。だが、妙にその店は大きくなっていた。知る人ぞ知る通好みの店から、どうやら誰もが知ってる流行の店にクラスチェンジしてしまったようだった。


「この店も、随分と変わってしまったな」


 通っていた店が人気になって嬉しいと思う反面、隠れ家でさえなくなった悲しさがシュルトを襲う。時間の流れは残酷だ。まるで自分だけ、別の世界に来てしまったような錯角さえ受ける。


 店はムーディーな魔法で照らされる薄暗い店内から、ガラス張りのお洒落な内装へと変わり、心なしか若い女の客が増えているような気がする。今は朝。喫茶店感覚で入れるようになったせいだろう。店員も増えていたが、あのマスターは、当時のカウンターだけはそのままに残したようだった。渋い顔でグラスを丁寧に磨きながら、客の到来を待っていた。


「マスターも老けたな。それはそうか。人間は年を取るものだ。私とは違うのだ」


 当たり前のように彼は老けていた。しかし、シュルトはまだ彼に見分けがついたことに心底安堵した。色褪せるものがあるとしても、それを置いて進んでいかなければならないのが吸血鬼。記憶と思い出は、刻んできた過去の道標だ。大事に仕舞いこんでおかなければならないそれと一致する幸福だけは、捨てたつもりはなかった。


「いらっしゃいませ。こちらへどう――あ、お客さん?」


 意を決して中に入ったシュルトは、若い店員が迎えるのを無視していつも座っていたカウンターの隅の席へと着席する。すると、彼の顔を見ずにマスターが言った。


「そこは永久顧問先生の専用席だ。申し訳ないが、場所を移ってくれないかお客さん」


 フードを被ったままのせいか、顔が見えていないのだろう。シュルトはフードをどけながら、そんな新ルールは知らぬとばかりに注文した。


「マスター。トマトジュースを一杯くれ。いつもどおりのドロドロの奴だ」


「あんたは……そうか。あんたなら、その席に座ってもしょうがないな先生さん」


「マ、マスター? そこはいつも専用席だって、え? まさか――」


 店員が驚いた顔でシュルトとマスターを見る。マスターは仕事をしろ、とだけいって店員を遠ざけトマトジュースを用意し始める。誰かさんのせいで手馴れた手つきだった。


「この店も変わったな」


「先生さんのおかげだよ」


「マスターの腕のせいだろう」


「そう言いたいんだが、先生さんを探し回ってた子達がこの店を広めたんだ。ついでに、あんたが飲んでたトマトジュース。女性たちの憧れの的共が決まって一杯は頼んでいくんだ。おかげで酒よりも若い女からのオーダーが入っちまうようになったよ」


 困った顔で笑うマスターは、死守した古めかしいその場所から増築された方に視線を向ける。


「軽食もその一環だ。人を雇ったら、そいつらが女性向けの内装にした方が良いって言いやがるから、その通りにしたら更に客足が増えた。おかげで、昔馴染みのオッサン共はこっちに逃げてくる。もう、向こうは若い奴らの城だな。ほらよ」


 グラスを満たすドロドロのトマトジュース。ワインも他の酒も滅多に注文しない男がいつも注文していたそれは、今日も相変わらず美味かった。


「ああ、懐かしい味だ」


「はは。相変わらず先生さんはトマトジュースが好きなんだな」


 酒を出す店でトマトジュース。型外れにも程があるが、メニューに載せていたのが運の付き。おかげで異世界の魔法先生はこの店の常連になっていた。


「そうだ。ツケ、いい加減に払えよ」


「ん? 最後に払った奴で足りなかったか」


「何言ってるんだ。先生さん。あんた、ツケ払わずに消えたじゃないか」


「なぬ?」


 思わず、嫁の口癖が出た。呆然とするシュルトに、マスターが少しだけ責めるような顔をする。


「待て、マスター。私は、最後にこの国を出るときツケを払っていかなかったか?」


「いいや。あんたは踏み倒していった。これがその証拠だ」


 領収書はトマトジュース代で溢れている。シュルトはそれを受け取って、首を傾げる。最後の日付が、ない。卒業式の日の日付だ。忘れるはずもないその日のそれさえもない。


「これは、どういうことだ。私は確かに卒業式の日に財布ごと叩き付けたが――」


「いやいや。どうしてそうなる。あの日、あんたは来ていないよ。代わりに卒業生があんたを探して王都が大騒ぎになったんだ」


「そんな馬鹿な……」


 必死にシュルトは記憶を探る。シュルトの中では、そのはずだ。偶に見返す日記にもそう書いてあった。


「そもそも、あんたどうして卒業式の前日に消えたんだ」


「……前日?」


「そうだろ。最後の日のホームルームにも顔を出さなかったって、卒業生が言ってたのを聞いたよ。当日の朝、教員寮の食堂にも顔を出さなかったそうじゃないか。だから、皆前日の夜に居なくなったんじゃないかって言ってるぜ」


「……妙だ。私の記憶では、ホームルームに出ているのだが」


「そう、なのかい。だったら、向こうが間違えてるのかい?」


「いや、ちょっと待ってくれ。……そうだ。卒業式の日に魔物が王都に出たか」


「何言っているんだい。大侵攻が終った後じゃないか。そんな後にすぐ魔物が出るわけないだろう先生さん」


「……私の記憶の中では、来たことになっているのだマスター」


「それは変な話しだな。あんた、もしかして魔物に化かされたんじゃないかい。あんたは連中に随分恨まれてただろうし」


「化かされる……か。ありえない話しではないな。今、自分の記憶さえ信じられない。マスター、私はこの国で戦いながら、王立魔法学園で教鞭を取った。それは間違いはないな」


「ああ。あんたはこの国の英雄だ。この国のために戦ってくれた、異世界の魔法使い様さ。そして、あの子たちを育てた先生さんじゃないか。しっかりしてくれよ」


「そうだな。そのはずだ。マスターを、彼女たちを私は覚えている。なら、そこまではきっと私の記憶は正しいのだろう。なら、そこだけが可笑しいのかもしれないな」


 トマトジュースの入ったグラスを空にして、両替したばかりの金の入った財布をカウンターに置く。


「ツケと一緒に清算してくれ。足りなかったら両替してくる」


「いや、いいよ」


「マスター?」


「あんたのおかげで儲けさせてもらった。その代わり、この領収書は店の宝物にさせてくれ」


 突き出した財布が押し返される。そうして、マスターははにかみながら言った。


「後、できればサインくれ。ほら、壁見てくれよ。アンタの卒業生たちのサインだ。トマトジュースを飲んだ卒業生に貰ってる。第一期卒は全員分ある。けどダメだな。やっぱり、あんたの名前もなくちゃ寂しそうだ。なぁ、先生さん。頼まれちゃくれないかい?」


「分かった。喜んで書かせてもらおう」


 永久顧問はサインを書き、フードを被って店を出て行った。瞬間、遠巻きに様子を伺っていた若い店員が、マスターのところへと寄ってくる。


「マスター、それ、それ、やっぱり本物ですか!?」


「当たり前だ。ほら、あの一番目立つ場所。あそこにデカデカと飾るんだぞ。偽者飾ってどうするよ」


 淑女隊以外で、唯一飾れる男のサイン。店長はようやく手に入れたそれを自ら飾りつけ、満足げな笑みを浮かべた。当時はただの平教員でしかなかった英雄の、そのサインを満足げな顔で見上げながら。











 王都グルジンは以前よりも賑やかだった。完全に魔物を駆逐するのは不可能でも、魔物に有効な戦力が配備された。つまりは、より安全になったのだ。外国からの移住者も増えたという。中には当たり前のように魔法を得ようとする者たちも居るのだろうが、リングルベルの王立魔法学園は入り口が狭い。


 シュルトがいなくなってから厳選される率が減り入学枠は増えたものの、貴族の子女としての付加価値と、卒業生という肩書きがステータスとなった。貴族たちは躍起になってそこに娘を送ろうとした。何せ、三年も経てば淑女になって帰ってくる。「まるで家の子じゃないみたい!」とは彼らの弁である。


「ここも変わったか」


 元々魔法の実習なども行うので、広めに取られていた敷地面積の恩恵だろう。校舎も寮も増築されたようだった。遠めに見えるそれへと近づきながら、ピタリと閉められた門の前で立ち尽くす。


 観光客もいるようで、王都の名物になったそれを眺めるカップルまで居た。どうやら、観光資源にもしているようだ。『魔法織女体験できます! 募集は城まで!』という看板やら、


「シュルト焼きー、シュルト焼きはどうだい!」


「レイセンドック安いよー!」


「トマトたっぷりのハウダージュースもあるよー!」


 食べ物を売っている屋台やお土産屋などが軒を連ねていた。隊服を模したそれはもとより、制服まで売っていた。


(どうせ居ないならと思って人の名前を勝手に使っているだろうな。商魂たくましすぎだろう)


 屋台から妙に良い匂いがするが、何故自分の名前が使われているのかに理解が苦しむシュルトである。だが、どうせあのぽっちゃり王のすることだと思って諦めた。以外と抜け目が無いのだ。あのぽっちゃり王は。


 かつての安月給生活を思い出し、シュルトはぐぬぬと歯軋りする。寮費は取られたし、食堂の食費も取られた。ついでにちゃんと税金も取られた。よくよく考えてみれば、魔物退治の褒章金をなんだかんだ言って有耶無耶にされた気もする。もっとも、それらの金は魔法学園の運営費に化けていたが、シュルトはそこまで細かく聞いていなかった。


「国お抱えの教師生活よりも、フリーの冒険者生活の方が稼げるってなんなんだ。安定さだけは保障された公務員という地位に甘んじていたとでもいうのか。昔の私よ」


 血があれば良いと思って楽観していたかつての自分が情けない。だが、それでも教師という夢は見させてもらえたのだ。今はもう、そうやって思い出に摩り替えることで納得するしかない。ただ、問題があるとすればどうやってこの学園のパワースポットに剣を突き刺すか、であろう。


 当たり前のように乗り込んで地面に剣を刺す。どう考えても不審者だ。永久顧問に祭り上げられているといえど、そんな証も何も所持していない。既にあれから時が経っているのだ。シュルトの知らない顔の方が多いだろう。


 そのまま突っ立っているわけにも行かず、なんとはなしにレイセンドッグなるソーセージが挟まった惣菜パンを購入。賢人のもたらしたというケチャップソースが掛かったそれに齧りつきながら、良い手を考える。正面突破はなんとなく嫌だった。


「兄ちゃん、あんたもあの中が気になる口かい?」


「気にならない奴など居るのか」


「ちげーねぇ。でもまぁ、昼まで待ってたら学生さんが買いに出てくるんだ。話しぐらい、飯おごればしてくれるだろうぜ」


「なに? ここは確か食堂があるだろう」


「それだけじゃ足りないってのもいる。後、今年から特別入学枠が出来たんだよ」


「特別入学枠? 特待生とかそういうのか」


「似たようなもんかな。平民からも受け入れるんだと。国内の才能有る奴を発掘するってんで、スカウトされたんだ。本人は平民気分が抜けなくてなぁ。豪勢な飯が嫌いだからって、外で食ったりしてるな。専用の先生もいるみたいだ。淑女隊と筆頭教員を兼任してる……ああ、あの人だよ」


 体に魔力を纏った女性がいきなり門を飛び越えて来たかと思えば、キョロキョロと辺りを伺っていた。スカウトということは大魔力の持ち主を感知したので確認に来たのだろう。瞬時に魔力を隠蔽したシュルトには気づかず不思議そうな顔をしていた。


 体を覆う教員用のマントに、鍔の大きな帽子。淑女隊でも採用されているだろう魔法の威力増幅効果を持つ宝石が埋め込まれたミスリルのロッド。そして何より、眼を引く本人のその美貌。かつてにはない色香まで備えたその赤い髪の女性に、シュルトは眼を見張った。


「ナイラ・クロス・サタント……そうか。あいつなら間違いは無い」


「あんた、知ってるのかい」


「第一期生にして、唯一影魔法を習得した天才だ。才能が有りすぎて他の連中からはエースと呼ばれていたな。だが、初陣で調子に乗って孤高の狼を卒業した。やはり、今でも自分に付いてこれる奴を探しているのだろうな。スカウトもそのためだろう」


「く、詳しいな」


「第一期生に関してはな」


 当時の二年と一年までは辛うじて面識がある。こうなると、接触した方が話しは早い。隠蔽していた魔力を開放。レイセンドッグを齧りながら過去を懐かしむように屋台から離れる。


 向こうが魔力に気づくように、シュルトも感知能力で動きが分かる。気づいて背後から追ってきているのが分かった。


(技量にプライドを持っているのも変わらずか。感覚も研磨されているようだ。さて、他の奴に聞かせる話でもない。時間もないしな。どう切り出すべきか)


 背後からナイラの足音が近づいてくる。シュルトからすれば別に敵意も璧意も無い相手だ。しかし、向こうはどうだろう。


 卒業式に出なかったのはシュルトだ。どんな事情があれ、生徒らからすれば最後で裏切ったようなものだろう。そんな男に出会ったら、どうなるだろうか。その不安が彼の胸を締め付ける。


 自身の犯した罪がある。報酬のために、彼女たちは自分の身を犠牲にしたのだ。それに対して逃げ出したような男が、今更教師面しながら教え子を見る目で話してくる。そんなことを、普通に受け入れられるような者がいるだろうか。酒場のマスターとは違って彼女は当事者なのだ。


 さしもの吸血鬼としても、過去最大級の痛恨の出来事。意図していなかったとしても向こうからすれば話が違うようなもの。ここは謝罪から入るのが当たり前なのだろう。覚悟を決め、苦い過去に対峙する。そのための覚悟は決めてきた。だから彼は振り返り、謝罪の言葉を――


「――は?」


――言えなかった。


 目深に被ったフードの奥で、見下ろす女性の不可思議を発見したシュルトは、先ほどには気にしなかったそれに気づいた。


「どういうことだこれは!?」


「そこのあな……先生!?」


 邪魔臭いフードを跳ね除け、紅眼を皿のように見開いたままシュルトは肩を震わせる。自然と目頭からあふれ出る雫があった。


「ナイラ……君は……そうか! 皆は無事だったのか!?」


「え、ちょ!? シュレイダー先生?!」


 シュルトは泣きながら教え子の一人を抱擁した。目を白黒させる才女の理解を置き去りに、シュルトはただ納得した。


(そうか。私は、奴らに何もされていないわけではなかったのだ!!)


 シュルト・レイセン・ハウダーという存在は、召喚を広める者たちにとっては間違いなく邪魔者だった。言うなれば彼は、タブーを犯したのだ。気づくのが遅かったからか、ただ単純にやり方を変えたのかはともかく、ルール違反をしたのだ。そのためのペナルティが記憶の挿げ替え。


 シュルトの存在は召喚幻想を加速させた切っ掛けにはなったことは間違いない。しかし、同時に自らの魔法を広め外に助けを求めるべき土着の人類たちに自らの手で戦うための武器を与えた。召喚などする必要がなく魔物が倒せてしまうなら、召喚など必要ない。それへの報復だと考えれば彼の中で辻褄は合った。


 そもそも、可笑しいではないか。何故、召喚されたという他の連中は異世界の魔法を教えていない。伝えられて喧伝するということは、その国の軍事力の向上を示す。それは国力と直結する大事な要素だ。だというの誰も言わない。黙っておくほうが得策だとしても、その異質な力は魔物退治の時に必ず露見するから噂となるはずだ。ならば、広めないのではなく、広められないのではないのか。


(奴らは記憶さえ改竄する。ならば、私を教訓として意思を捻じ曲げている可能性は十分にある)


 国を流れる中で、食事に中々ありつけなかったのもそのせいかもしれない。どこまでが本当で、どこまでが嘘だったのか。けれど言うまでも無いだろう。


 過去に不可思議があろうと、リリムによって全ての魔法効果は解除されている。今そこに見える事実こそが真実なのだ。偽りの無い完全な事実なのだから、目の前に居る処女の実在に歓喜することはあっても逃げる必要などどこにもない。


「聞いてくれナイラ。私は取り返しの付かないことを君たちにしてしまったのかと思っていた。だからずっと、この国に来れなかったのだ」


「ええと、その、ま、周りの人も見ていますのでその……」


 こみ上げてくる喜びを前にして、泣き笑いのままシュルトは説明しようとする。しかし、教え子はとても困った顔をしていた。


「む? そうか。嫁入り前の身だろうしな。失礼した。私としたことが、妙な噂の元になるわけにもいかんな。しかし、はは。そうか――」


 涙を拭うと、改めてかつての生徒の顔を見る。成長し、少女から女性へと変化してはいても面影は覚えている。見間違いなどしない。


「もう遅いかもしれませんけどね」


「だな。だが君のおかげで私を苛んでいた悪夢は晴れた。感謝している。ありがとう孤高のエースよ」


「よくは分かりませんが、先生が私との再会を喜んで下さっていることだけは分かりました。ですが、私たちの怒りはそう簡単には収まりはしませんよ」


 生徒たちから恐れられていたキツそうな眼が緩む。柔らかいその口調と笑顔の中に有る棘を、シュルトは頷いて受け入れた。


「そうだな。理由は説明するが、卒業式に出られなかったことは確かだ。君たちの門出を祝福できなかったことは私としても心苦しい。……あの時の、他の生徒たちは今はどうしている。君たちの活躍の声は他国でも聞こえていたが」


「王国秘蔵の魔法淑女隊として、今ではそれぞれ重責を担っています。平時は先生が指示していた通りに卒業生の一部は魔法教員も兼ねて兼務していますよ」


 何れは、シュルト一人では手が足りなくなることは理解できていた。だから、早めに卒業生の中には教員の道を選ぶ道について語っていた。得意属性ごとに絞らせた上でなら、それぞれ十分に伝えられると踏んでのことだ。第一期生は、十分粒が揃っていた。


「それは頼もしいな。スカウトの話しも聞いたぞ。才能のある子は居たか」


「はい。探せば出てくるものですね。原石を磨く喜び、でしょうか。先生がよく浮かべていた嬉しそうな顔が、今なら分かるような気がします」


「ふふ。一人でケリを付けると言っていた娘が、偉い変わりようだ」


「そういう先生は、相変わらず変わってなさそうですね。いえ、失礼しました。前よりも更に魔力が増えているご様子。一瞬、どんな逸材が野放しになっているのかと、泡を食っていたのです。でも先生ならしょうがありませんね」


「お前も随分と鍛えたようだな」


「誰かさんの教えの賜物でしょう」


「お世辞でも嬉しくなる言葉だ。……ナイラ、実は一期生に頼みがあって来た。だが、気が変わったよ。謝罪会と会わせて、派手な同窓会を開きたいと思うがどうだ」


「同窓会? 普通は卒業した生徒が開くものなのではないですか」


「私の心はまだ君たちの先生を卒業できていないようなのだ。だから、同窓会というよりは卒業式みたいなものかもしれんな」


「……一期生だけでよろしいのですか? 三期生までは先生を知っておられます。いいえ、希望者を募れば先生に会いたいという者は他にも大勢おりましょう」


「いや多すぎると守りきれん。だが、そうだな。三期生まではなんとかなるか。行うとして明日……いや、今日の昼だな。命を掛けられる奴だけを集めたい」


「大事のようですね」


「何せ敵は私を卒業式に出席させなかった奴らの一員だからな。大侵攻程度でじゃれてくるような小物連中などとは訳が違う」


 シュルトが唇を吊り上げる。怒りがあるのは当然だ。同時に、開放された膨大な魔力のうねりが目の前の女性に笑みを浮かべさせた。


 ナイラ・クロス・サタントには才能があった。だが、そんな彼女が唯一後塵を拝しているのはその師匠だけ。確かに磨くのも楽しい。けれどやはり、後を追う楽しさを忘れたわけではなかった。


 それに、今シュルトの口から聞き捨てならない言葉が出た。それだけで第一期生を動かすに事足りるほどの言葉だ。彼女も第一期生として、見過ごすことはできない。


「シュレイダー先生。昼までなら急ぎですね」


「大至急がいい。そうだ、一度学園の敷地に入りたい。そちらも融通してもらえるか」


「分かりました。その後、皆を集めるなら一度王城に居るベアトリーチェ様を経由しましょう」


「……委員長姫か」


「はい。一番心配していたのはあの方ですし、事情次第では融通してくれるはずです。最近では誰もあの方に物申せないのですよ」


「……また、王に似たか?」


「相変わらず食えない方です。中身は少女趣味全開の癖に、王女の肩書きを使ってあの女<アマ>はやりたい放題ですわ。王様がタジタジになるほどですよ」


 とばっちりが来ているのかもしれない。柔らかな口調で貶しつつ、ナイラが笑う。いつものことだと頷き、シュルトは急いだ。


(ギリギリ間に合うかどうか、といったところか。それにしてもこの借りは高く付くぞ――)


 渦巻く怒りに限界はない。確かにシュルト・レイセン・ハウダーがリリムという伴侶を得た切っ掛けにはなったのかもしれない。だが、教師としての夢を踏みにじられたばかりか、生徒たちの卒業式にさえ泥を被せた報復だけは、それとは別に果たされなければ気がすまなかった。













 一度学園の中で剣を刺し、術を施す。ナイラには教えていない地脈掌握術。興味深そうに見ているナイラは、しかし聞かずに動いてくれた。学園内が大騒ぎになりかけたが、また別の教員を捕まえてグラウンドに集めさせた。その間に、ナイラとシュルトは王城に飛び、ベアトリーチェと王に謁見した。


「よくも私の前に姿を見せられましたね。シュルト・レイセン・ハウダー!」


 第一声は罵声だった。だが、その眼にある涙の本筋は怒りによるものだけではなかった。それぐらいはシュルトにも察せられた。彼はまず謝罪し、釈明し、その上で同窓会を開きたいと言った。


「くふ。くふふ。つまり、シュレイダー先生。全部その召喚を広めた連中のせいだということですね。分かりましたわ――」


 まるで良いことを思いついたというような、淑女善とした笑顔で彼女は言った。桃色の髪を弄びながら。しかし彼女はちょっとだけ本性を出した。


「――殲滅しましょう。焼いて凍らせて風で切り刻んで土に埋めてから首だけそのままに雷の雨を降らせ、生きた的にしてやるのです。嗚呼、こうしてはいられません。早く支度をしないと、誰か、誰か! 我が王国に大損害を持たらしたアホを潰しにいきますから淑女隊を招集して頂戴! あと一緒に先生を婿にするからばら色の鎖を用意してきてー!」


「……ベアトリーチェ様、話し聞いてましたか。同窓会ですってば。あと、先走りすぎです」


 いきなりアクセル全開の姫を宥めながら、ナイラが言う。姫の隣では、ちょっと痩せたぽっちゃり王が大笑いした。


「はっはっは。良い良い。好きなだけ連れて行ってしまえ。大臣、我らが永久名誉顧問殿に急ぎ命令書を出せ。王命において、同窓会を全力で承認するとな」


「はっ。直ちに――」


「かたじけない。王よ」


 大臣が動く中、シュルトは当たり前のように頭を下げた。


「あ、でも、その代わりベアトリーチェ貰ってくれ。最近、なんだか後継者候補の兄が肩身の狭い思いでおるからのう。ワシもいい加減隠居したいんじゃがなぁ……チラチラ」


「――」


 シュルトは、唇を閉じたまま眼をそらし続けた。こういうところが食えないのである。











 リングルベル各地に散った一期生から三期生が転移で集められていく。命令書を片手に掛け釣り回ったシュルトたちは、了解した淑女たちを集めてリングルベルの学び舎へと終結した。だが、どういうわけかそれ以外にも人が集まっていた。連れて行く余裕は無かったが志願者はそれでも後を絶たなかった。


「シュレイダー先生。もうどうせなら全員連れて行ったらどうですか」


「ダメだ。とても守りきれんよ」


「くふふ。守られるだけで済ますほど、弱い者たちではないですけどね」


 時刻は昼。既に戦いは始まっていた。リリムの目と耳を通してその情報は伝わっている。予断は許さない。


「済まないと心の底から思っている。だが、恥を忍んで皆に頼みたい。この一回だけ、どうか手を貸してくれないだろうか」


 拡声魔法でもう一度謝罪し、シュルトは集めた全員に説明する。そしてその上で、かつて指導するときに使ったスキル魔法をもう一度彼女たちに掛けた。誰も、離脱する者は居なかった。


 機動戦術の要となる馬は使えない。それの代替となる足が必要だった。その魔法は飛行魔法。使用する魔力は、リングルベル中のパワースポットのそれを使うことにした。


 シュルトの仕事はリリムへの繋ぎ。魔法淑女隊の仕事は雑魚の間引きだ。雑魚といっても、数は多い。最も過酷な戦いを生き抜いた第一期生たちはもとより、十分に慣れた彼女たちでさえも危ない。だが、彼女たちの殲滅力は絶対に欲しい。百人にも満たない数でも、彼女たちの一撃は流れを変えることぐらいはできる程に研磨されていた。


 魔法淑女隊はリングルベル王国の英雄だ。外部の人間であるシュルトたち異世界人などではなく、生粋のこの世界の英雄なのだ。例え、一人一人がシュルトに及ばないにしても、ポッとでの異世界人たちに見せ付けてやるべきなのだろう。


 それは、どこかの誰かが推し進める召喚幻想世界への、小さな抵抗になる可能性があった。外に頼るのではなく、内で完結できる力はもうそこにある。元々が外部から持ち込まれた災いかもしれなくても、そんなことは知らずに彼女たちは反抗する機会を得た。知らずとも、シュルトが犯したタブーが今、この世界を蝕みつづける夢を破壊する一つの可能性として顕在化したのだ。


 羽織った紫色のマントと握るロッド。魔法使いの如き帽子が、彼女たちの戦装束。それぞれその下に着ている服装はもう違う。かつて少女たちは着ていた制服は、今ではそれぞれ戦いやすいようなそれに変わっている。


 けれど、使う魔法は皆同じラーク式。シュルト・レイセン・ハウダーがカスタムして与えた対魔の魔法。これからも、彼女たちの数は増えていく。召喚幻想に頼らなくて良いこの世界唯一の通常戦力として、今再びレムリング大陸を震撼させる日がやって来たのだ。


「ではこれより、一期、二期、三期生合同での同窓会を始める」


「聞きましたね皆さん。今日だけは、あの日に帰ったつもりで……いいえ、私たち第一期生が味わえなかった卒業式の日の続きだと思いなさい。勿論、二期も三期もやり直しです。先生が居ない卒業式なんて忘れて、私たちらしいそれにしてしまいましょう。第一期生、初代生徒会長ベアトリーチェが皆に命じます。各員、淑女らしいやり方で振舞うように――」


「あー、それと卒業証書は渡せんが、後で記念品ぐらいは用意するつもりだ。また、今日の日のためだけに用意した取っておきの魔法がある。それを見せるぐらいで勘弁してくれると嬉しい。宴会やら何やらもやりたいが、すまん。もう余裕がない。では、各員飛べ。全員の飛翔確認後、十秒後に戦場に転移させる。そこからは会長と各クラスの元委員長たちの采配で地上の味方を援護しろ。注意事項は二つ。緑色の人が乗った喋る竜だけは味方であるということ。そして、敵の親玉だけは攻撃するなということだ。お前たちの魔法が反射される可能性がある。注意事項は以上だ。では会長――」


「はい。では皆さん。良い卒業式<同窓会>を。――各員飛翔!」


 シュルトの魔力を使い、全員が空に浮遊する。それを確認したシュルトは、リリムの剣を手に自らも背中の翼で飛び立つ。そして彼は、彼女たちの足元に影を使って巨大な魔法陣を描いた。


 切り裂かれた大地の上に、静かに魔力の輝きがともる。それは集団を一度に飛ばすことのできる転移魔法陣。かつて使ったこともあり、彼女たちも知っているそれだった。


「皆、ありがとう――」


 転移の寸前、それだけを言いシュルトはかつての教え子たちと共に距離を越えた。同時に、世界中のパワースポットに蓄えられていた連動術式が起動。次々と大魔力の巨大な球形の塊となって虚空へと消えた。


 山、湖、都市、村、川、城、民家――


 彼が歩んできた全ての場所に会った地脈の余剰魔力が戦場に跳んだ。その総量は、ラークでさえ彼が使用したことの無いレベルのそれである。だが、それらはきっかり彼の支配下に落ちていた。


 この日、神祖の吸血鬼シュルト・レイセン・ハウダーは、持てる限りの戦力と魔力と、レグレンシアに着てから積み上げたほとんど全てを併せて戦場につぎ込んだ。


 自分のために。

 かつての生徒たちと共有した怒りのために。

 そして――


――彼を待っている花嫁のために。


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