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第十四話「進撃する悪意を前に」


「――フヒヒ。こらスゲェ。半端なくやべぇぞ」


 ゆっくりと、ゆっくりと、まるでその巨体を魅せつけるかのように三つ首の暗黒竜が街道沿いに西へと歩いていく。その重量で街道を踏み荒らし、ただただ目的地に向かって前進していく。その頭の上には、闇に包まれたまま竜の上に座っている一人の少年の亡骸があった。


「アキヒコよぉ。大当たりだぜこいつは。一等凶悪な力を持ってやがるんだ。名前は……アジ・ダハーカ? どうやら、お前の居た世界に類似した空想のある場所に居た奴らしいぜ。色々違うがまぁ、似て非なる化け物さ」


 亡骸が喋る。

 ただの器でしかなくなったそれの中で、魔神マリスは続ける。もう聞いている者がいないのに、それでも手向けのように聞かせ続ける。


「俺様には分かる。こいつはこの大陸の人間たちを皆殺しにして余りある威力があるってなぁ。良かったな。お前の命、ちゃんと価値があったじゃねぇか」


 生贄の数は確かに莫大だったが、所詮はギャンブル。パラメータを確立した雑魚魔物とは訳が違うが、それでもたった一つしかない命の価値に報いるほどの大物が出てきた。条件により絞り込んだのは大きさとエネルギー総量だけ。本当はここで、この前召喚した『だいだらぼっち』を狙ったマリスだったが、満足できるレベルの大物を手繰り寄せることができた。これなら死んだアキヒコも満足だろう。


「平凡? モブキャラ? だからどうした。胸を張れよシャイボーイ。ちゃんと最後までやれたんだお前は。非凡でも何も出来ない奴なんてごまんと居るぜ。そいつらがこいつを呼べたとは、俺様はちょっと信じられねぇわ。お前は大した奴だ。だから喜べ次のアキヒコ。フヒヒ――」


 笑う度に、光が食われた。夕方になろうというその時間で、夕日の赤い光に照らされるはずの巨体が闇に染まっていく。それは、今までとは桁違いに濃い闇だった。


「お前は貧弱で脆弱で最弱だった。が、お前は最高に美味かったよ。だから、ちょっとこれから本気出してやる。器がお前だったから俺の力は弱かった。なら、こいつならどうだ? ええ、アキヒコ。初めッから強すぎるぐらいに強いこいつを俺が使ったらどうなると思う? いやまぁ、ぶっちゃけそこまではやらないけどよ、お前の望みの方向へと動いてやろうとは思うんだわ。お前のためだけに奴らの計画を前倒しにしてやるよ。フヒッ。それにしてもいけねぇ、人間の体は涙腺が弱くていけねぇ。アヒャ、アヒャヒャヒャ――」


 魔神は零れる涙をそのままに、泣きながら笑って決意した。ドリームメイカーの約束も大事だったが、それは別に自分でどうのこうのする必要も無い。結果が同じなら約束は果たせる。


 だから、二人目の戦略は完遂してやろう。

 どちらの望みも叶えてやろう。


 彼は魔神だ。願いを叶える都合が良いだけの胡散臭い偽者の神ではなく、悪意を凝縮して生まれたような何かであったがそれでもその人格と属性は別なのだ。契約者が裏切らないのであれば、裏切る理由がない。そう、だから。何か奇跡のような理不尽がこの先に起こったとしても、この勝利だけは誰にも奪わせてはやらないと思った。


「ちっ――諦め悪いチビだ。まぁ、そうでなくちゃいけねーか。何せ相手は奇跡の担い手様。理不尽を理不尽で塗り替える反則の代名詞さんだ。だぁがよぉ――」


 緑の子竜が、鎧を捨てて身軽になった金髪少女を乗せて空に上がってくる。握っていた槍だけはそのままに、夕暮れの光を飲み込む闇へと追いすがる。


「――何か、大事なことを忘れちゃいないですかぁ」


 何もかもを踏みにじる側からすれば、踏みにじられるべき敵が必要だ。それがアキヒコの敵の希望だというのなら、尚更に詰んでしまわなければならない。


 それに第一、刻み付けるための生贄は、別に帝都だけでなくても構わないのだ。召喚で召喚幻想を潰そうという戦略を踏襲するのであれば、もう禁じ手さえ解禁できる。マリスは戯れのような悪意でもって少年に手向けにすることにした。


 振り返り、竜に乗った少女を真っ直ぐに見つめながら剣を握っていない左手を少女に向ける。その手は強く握り締められ、すぐに親指を天に向けたかと思えばくるり反転。地面を指しながら上下に揺れた。地獄に落ちろとでもいうようなアクション。その瞬間、遙か遠方で変化があった。









――西の大山脈。


 結界で覆われていた召喚場が、ふとその守りを失った。同時に、そこに延々と集められ続けていた魔物たちの姿が次々と消えていった。


 次々と空間を歪めながら、次の瞬間にはまるで暗黒竜を守るかのように周囲に転移してくる。山脈に魔物がいなくなれば、別の地域で召喚したそれを呼び出し暗黒竜の側に転移。数えるのも馬鹿らしいほどにその数を膨れ上がらせる。


「無尽蔵だ、とでもいうつもりかな。酷い数だ。あのでかいのでさえまともに戦うのはきついのに」


「まだあの上の奴を倒せばって思ったけどね。近づかせてくれないわね」


 その光景は、奇跡の担い手の心さえへし折った。あまりの数に追いすがることもできず、速度を緩めて追うことしかできない。


 ドルフシュテインの大侵攻など、もはや問題にさえならない数だった。空と陸が魔物で埋まり、百鬼夜行の如く大地を進攻。この世界の所有権さえ主張できるほどに、ただそこにあるだけでその猛威を見せ付けている。


(……でも、なんで? なんであいつだけは連中と繋がって無事でいられたんだろ)


 リリムは殺されかけた。それは邪魔をする力を持っているからだったが、ではシュルトはといえばそんなことはなかった。アキヒコと呼ばれた異世界人だけが、特別扱いされた理由が彼女には分からない。


 さすがにそのきっかけが弱すぎたからだとは少女には知る由も無いが、もはや打つ手が無い。一旦体勢を立て直すためにもシュルトと合流するべきなのだろう。しかし、どうにも公爵の所へと行く気がなさそうな吸血鬼を思い出せば、何もせずに頼るのは憚られた。


「そうね。とりあえずあんたのブレスであのでっかいの攻撃してみなさい」


「うえぇ!? 今攻撃したら絶対に取り巻きに袋叩きにされちゃうよぉ!?」


「そのときは一回転移で振り切りなさい。とにかく、一撃やりなさい」


「うぅぅ。簡単に言うなぁもう。どうなっても知らないよぉ」


 首筋を槍で突っつかれながら、レブレが大きく息を吸い込む。口元に集うは灼熱の息吹。


――竜魔法『ペネレイトブレス』。


 凶悪な貫通力を持つブレスが、長距離から真っ直ぐに暗黒竜に向かっていく。普段は頼もしいその一撃も相手の大きさを考えればあまりにも儚かった。レーザーのようなそれが、途中の魔物を撃ち抜いて背後からアジ・ダハーカの胴体へと襲い掛かり、背中から貫いた。


「アレ? 普通に貫通したわよ」


 だが、その一撃など敵は意に返さない。そのまま相手にもせずに動き続ける。と、そこで二人は見た。貫通した部位から、生物のような何かが這い出して地面に落ちていくのを。


「大きな蛇に蛙に……なに、あの尻尾が長いハサミ持ってる奴」


「サソリかな。尻尾に毒がある奴だ。うわぁ、蜥蜴も居たよぉ」


 傷口から大量の害獣が零れ落ちる。大きさは二メートルはあるだろうか。それらは当たり前のように魔物の群れに混ざり行軍した。ブレスが貫通した部分の傷はそのまま盛り上がり、塞がっていく。完全に塞がるまでの間、害獣たちは零れ落ち続けさらに敵軍を増やし続けている。そのあまりのグロテクスな様子に、二人は当たり前のように顔を顰めた。


「無茶苦茶だ。体内に魔物っぽいのを蓄えてる念神? 攻撃すれば攻撃するほど敵が増えるなんて。これじゃまるで傷つきながら戦うことを前提として生まれたみたいじゃないか。どこの誰さ。こんなえげつないのを否定信仰したのは」


 念神は何も善の存在だけではない。善の存在を信仰するいうことは、同時に対立する悪をも信仰するということに他ならない。信仰の基本が悪徳の否定なら、皮肉にも否定された悪徳は存在を肯定され当たり前のように顕現する。


 目の前の化け物は、どう考えても否定されるべき邪悪さを備えている。レブレには、よほど苛烈な信仰があったのだろうと推察せざるを得なかった。


「つまり、あのでっかいのは一撃で消し飛ばせってことね。これはいよいよシュレイダーに頼るしかなさそう。――っていうか、この前のだらっちはほっといたら消えたじゃない。こいつ全然そんな気配がないんだけど」


「どうやら勘違いだったみたいだね。だらっちは供物にされて、ジャンを呼び出す生贄にされた。でも、普通の魔物たちと違ってだらっちは桁違いの力を持っていたから消費する様がそう視えたのかも」


「ならこいつに時間切れはないわけね。悪い報告意外は無いけど、一旦引きましょ」


「了解――」


 野営地に戻した公爵たちと合流するべく、リリムとレブレは引き返した。











 虚空から投げ出されるように、二人の少女が公爵邸の庭に現れた。尻餅を着いた二人の前には、ドルフシュテインにあるはずの見知った屋敷が見えていた。


「ここは屋敷……ですの?」


「くっ。公爵め。それは私の役目だったはずだろうが!?」


 歯噛みするレイチェルが、地面を殴る。ノルメリアは数秒の間、初めての転移に呆然としていた。だが、すぐさま状況を理解して掌で顔を覆った。


「お父様。貴方まで先に……」


 ノルメリアは素直に勝てるわけがないと思った。

 味方の緑竜よりも更に巨大な、山のような相手だ。そんな相手に剣や弓や賢人魔法でどうやって倒すというのだろう。それは考えるまでもなく不可能にしか思えない。


 まだ、初めの人を喰らう化け物の方が良かった。それならば勝負になっていた。けれど、アレはもうきっと戦争でさえない。山と戦える人などいないように、邪悪な神と言われた方がしっくりとくる相手なのだ。


「あんな化け物を、一体どうすれば倒せるというのですか!?」


 天を罵るように問いかける。その問いに答えてくれる者は誰も居ない。普段は頼りになる従姉妹でさえも、無言で肩を震わすばかり。


 あの耳に残る程におぞましい咆哮を、恐ろしい姿を、ノルメリアはまだ鮮明に覚えている。きっと、今日からそれを忘れる日はないのだろう。


(酷い。また、また母のときのように何も分からない内に終わってしまうのですか?)


 零れ落ちる涙が地面を濡らす。それほどまでに、ノルメリアは無力だった。公爵令嬢ではあってもレイリーのように剣を習っていたわけでもなく、賢人魔法こそ熱心に学んだが実戦を積んだことさえなかった。


(あの娘は、リリムはアレと戦うのね)


 竜に乗って、シュルト・レイセン・ハウダーの魔法とあの不思議な光で戦うのだろう。でも、それでもやはりノルメリアは勝てる姿が想像できなかった。


(だって、あんなのいくらなんでも大きすぎますわ)


 だというのに、それでも何故か彼女の脳裏に何故か少女が挑むような光景が頭を過ぎた。それを皮切りにして、次々とライバルの顔が浮かんでは消えていく。


 初めて会ったときの、公爵令嬢相手に気にもしない顔。滞在していた間の面倒くさそうな顔や、泥臭い訓練を真剣に取り組む顔。そしてあの夜に、一人天幕でケインがどうにかできない相手と真正面から戦った勇敢な顔。どれもこれもが浮かんでは消えていく。だが、それもあの化け物に食われて失ってしまうのだろうか? また、自分が知らない間に。


「生き残ったところで、アレをどうこうできる術がない。公爵、私にどうしろというのだ。ただの人間があんなもの一体どうやって倒せという……」


 ドレス姿のまま、呻くその声を聞きながら少女はふと視界に過ぎった剣を見た。


(そう……ですわ。ただの人間には無理でも、あの方なら――)


 ドルフシュテインを救った銀髪の魔法使い。この世界に召喚された、異世界の魔法使いならどうだろうか。


「お姉様! あの方なら、シュルト・レイセン・ハウダー様ならば!!」


「……無理だ。彼が動くとは思えん」


「そんなの、頼んで見なければ分かりませんわ!」


「彼は、そもそも我々のために戦う気が無い」


 リリムを守るために引っ張り出すことはできるかもしれない。けれど、彼には戦うべき理由がない。そこで終わり。転移魔法で逃げたらそれで終る。


 レイチェルはそこまでシュルトを信じても居なければ、頼れるとも思ってはいない。そもそもレブレより強かろうともあんなものをどうにかできるとも思えなかった。


「だからって、このままではリリムが、父が――」


「分かっている! 分かってはいるが……だが、間に合わん。ここからもう一度あの山に向かったとして、私はどうすればあの場所にたどり着けるのかを知らないんだ」


「そんな、だってたどり着けたからこそ会えたのでしょう!?」


「レブレだ。あの子が偶々私たちのところに来たから転移で移動した。探すとなると、一からになる。名誉顧問が転移を使えたとしても言葉を届けるだけで相当に時間がかかる。だが、公爵は残って足止めするだろう。どうやっても、間に合わん」


「そんな……そんなことって……」


 がっくりと項垂れるレイチェルには分かっていた。ただ、それでも何もしないことには彼女も耐えられなかった。よろめきながら、それでもしっかりと立ち上がり屋敷に向かう。


「ここで愚痴っていても何もならん。執事のアデルが居るはずだ。何か、何か手を打たねば……」


「ッ――」


 ノルメリアは駆け出した。屋敷に、ではない。最後に残った拠り所に縋るかのように庭に突き刺さった剣の場所まで走っていった。


「これよ。これを抜きさえすれば――」


 どうなるというものではないと、もう既に知っている。けれど、もうそれしか縋るものがノルメリアにはなかった。柄を握り締める。瞬間、暴風のようなものが庭に吹き込みノルメリアの体を容易く吹き飛ばした。


「くぅっ――」


「ノルメリア? 何をしている!」


「なんで、ですの!」


 庭に転がされたせいで、戦闘服が土に塗れる。それでも立ち上がって柄に飛びつく。二度目は落雷が落ちた。まるで、剣が彼女を拒絶するかのようだった。


「ノルメリア!?」


 駆け寄ったレイチェルが、雷の直撃を受けて倒れたノルメリアを抱き起こす。その頃になって、庭の異変に気づいた兵士が出てくる。その中には、職務を代行していた老執事アデルの姿もあった。


「レイリー様? それにノルメリア様まで何故ここに!?」


「竜の魔法で送られた。向こうで不味いことがあってな」


 説明しながら、彼女は痙攣をするノルメリアを介抱する。


「う……」


「馬鹿者。無茶をするなノルメリア。お前は生きることを公爵に望まれたのだぞ」


「……だったら、ねぇ。お姉様。いつになったら無茶をすることが許されるのですか。リリムが、父が死んだ後ですか? そんなの、遅すぎますでしょう! ねぇ!?」


「だからといって、そんな剣に何の意味がある!」


「意味なら、あるはずですわ。だって、お姉様も見たでしょう」


 リリムにしか抜けない剣。リリム以外を拒絶する、雷や風を吹かせる不可思議な剣。だが、逆を言えばそれは普通ではないことの証明だった。


「あの剣は、ただの剣じゃないですわ。なら、もしかしたら、あの化け物にだって通じるかもしれない。そうじゃありませんか」


「だが、お前には剣など使えないだろう」


「いいのです。なら、使える者に使わせれば良いのです。リリムでもお姉様でもケインでも父でもあの方でも。でも、でも、このままじゃわたくしはどこに居たって何も出来ませんわ! 屋敷で私がすることなんてないんですもの! ならせめて、ここにある剣の一本ぐらいは……誰かの役に立つために抜いたっていいじゃありませんかっ!」


 痙攣する手を地面について、無理やりに体を起こす。その体を、後ろからレイチェルがそっと抱きしめる。


「もういいんだ。何も出来ないことが悪いことなのではない。人間にはできることとできないことがある。お前はやろうとする意思があった。それだけで十分過ぎる」


「でも、だから何もしなければ何もできないままだと教えてくださったのはお姉様でしょう?」 


 ノルメリアは知っている。昔のレイチェルを知っている。剣など使えなかったお姫様である従姉妹が、屋敷の者たちに恐れられる程にたった数年で強くなったことを。


「剣なんて触れなかったでしょう。それが、今じゃあどうですか。屋敷の男たちが恐れるぐらいじゃあありませんか」


「偶々才能があったんだ」


「いいえ。望んで手に入れようと手を伸ばされたからではないですか」


 何もしなければ、レイチェルはきっと剣など握れないままだった。そうと確信できるのは、ノルメリアが何もしてこなかったからだ。


 リリムの訓練を見ることはあっても、教えろと言ったことはない。レイチェルが訓練するのを遠目に見ているだけで自分から触ろうとしたこともない。だから今だって何も出来ない。知識はあっても生かす術を知らず、齧った知識は嗜みの域さえ出ない。そんな自分になってしまったのは、レイチェルのように行動しなかったからだ。


「なら、このまま何もしないままであれば、わたくしはこれからもずっと何もできないままですわ!!」


 震える手で、剣に手を伸ばす。何もできないままが嫌で、三度その手を剣に伸ばす。と、その手が届く前に剣に伸ばされた手があった。


「あっ――」


 見たこともない男だった。銀髪紅眼の、外套を被った若い男がノルメリアよりも先に柄を握る。途端、その男に容赦なく雷が落ちた。目が眩むほどの閃光。だが、至近距離で炸裂したその雷光は、ノルメリアやレイチェル。そして周囲に居た誰にも被害をもたらすことはなかった。よくみれば雷は、不可思議な淡い光に遮られ遮断されていた。断続的に落ちる雷に、その男の低い声が耳に滑り込んでくる。 


「これを抜けばいいのか」


「な、何者だ!?」


 アデルや兵士たちがいきなり現れたその見知らぬ男に問う。だが、不思議とノルメリアは確信していた。見れば、抱きとめてくれている従姉妹の横顔に驚きがあった。


「シュルト……レイセン・ハウダー!?」


 驚くレイチェルを無視し、紅眼の主はただ真っ直ぐにノルメリアを見下ろす。何故ここに居るのかと問うよりも先に、彼女は頷いた。


「――はい!」


「そうか。だがいいのか。君が抜かなくても」


「え?」


「リリムの力になりたいのだろう」


「で、でもわたくしでは……」


「私が手伝おう。手を出せノルメリア某よ」


「な、何故……わたくしの名前を……」


「君はリリムの友達なのだろう。ならば私があの子の友達に手を貸したところで不思議ではあるまい。それとも、お友達とやらではなかったのか」


「――いいえ……いいえ! リリムはわたくしのお友達<ライバル>ですわ!」


 シュルトが指を弾く。すると、ノルメリアの体が淡い輝きに包まれた。治癒魔法と同時に、浄化とブーストエンチャントが連続してかけられる。痛みと共に、転げたときについた土が消えた。


「あ……」


「さぁ、剣を抜け」


 痛みが消えた体を起こし、呆気に取られている周囲を置き去りにして剣に手を触れる。落雷はまだ、相変わらず煩いほどに頭上から落ちてくる。だが、もう恐ろしくもなかった。


 膝を付いたシュルトの上から手を載せ、二人して無理やりに抜く。歯を食いしばりながら少しずつ。拒絶する刃に挑みに掛かる。果たして、その純白の刃は今一度ノルメリアの眼前に刀身を現した。


「抜け……た?」


「ああ。君が抜いたのだ」 


 いつの間にか、雷は止んでいた。もう、剣に拒絶されることはなかった。ノルメリアは目から涙を零しながら、一度柄を離したシュルトに差し出す。


「お願いします。わたくしのお友達を助けてください」


「うむ。そのために私はここに来た。この場所に出入りするが構わんな」


「はい!」


 彼女は力いっぱい頷いた。シュルトはそれに少しだけ優しげに微笑し、剣を持ったまま踵を返す。


「少し準備をしてくる。そちらもそちらで出来ることをしておけ。アレは大物だ」


 転移で消えたシュルトを見送りながら、ノルメリアが涙を拭ってレイチェルを見る。


「お姉様。わたくし、ちゃんとできましたわよね」


「ああ。よくやったぞ。さぁ、こちらも準備しておこう」


 レイチェルは優しく微笑みながら、ノルメリアと共に屋敷に向かった。











「ちょっとー!? 帰ってきたら家が増えてるんだけど!?」


 レブレの転移で戻ってきたリリムは、何故かダンジョンの一角に家が増えていたことに驚いた。民家というよりは教会然としたその建物は、少しばかり古めかしいがそれでも堅牢そうな作りをして家の隣に立っていた。


「しかも誰か増えてるよ」


「あ、ほんとだ。サキと一緒にオーラ纏って訓練してる……え?」


「ついにサキも開眼したんだね。でも、うわぁ。あの人洒落にならないぐらいオーラ持ってるよぉ」


 二本の短剣で斬りかかるサキを、槍で受け止め平然と捌くシスターが居る。目まぐるしく立ち居地を変えての攻防。一瞬、言葉を失ったリリムの前で、二人もこちらに気づいたようで訓練を取りやめて歩いてくる。


「戻ったのですねリリム」


「え、ええ。ところでサキ。その人は?」


「始めまして。マリカ・ルルグランドです。少し前からここでお世話になっています」


「リリムよ。こっちはレブレ」


「よろしくー」


 物腰も柔らかく微笑むと、そのシスターは会釈する。


「これからよろしくお願いします。それにしても、イメージよりもその……随分と違うようですね」


「なぬ?」


「貴方がこのダンジョンの支配者だと聞きました。サキやあの吸血鬼からも色々と話しを伺っています。見た所普通の少女……にしてはオーラ量が多いように見受けれますが……貴女も人外なのですか?」


「……えーと、一応は元人間よ。シュレイダーの花嫁にはされちゃってるけど」


「花嫁?」


「ええ。翼とか生えるようになったわ」


 住まわせるということは、シュルトが信用しているということだと考えて目の前で翼を広げてみせる。すると、相手がギョッとして飛びずさった。


「むぅ……どこからどう見ても翼以外は普通の人間にしかみえません。センサーは故障していない……不可思議を極まっています」


「なんだか知らないけど、私で驚いてたらこいつの正体知ったら気絶しちゃうわよ」


「ほう? ちなみに、その少年はなんなのですか。竜が居るとは聞いていますがどうも違うようですし」


「んー、見たいなら見せてあげるね」


 少しだけ離れ、レブレが竜の姿を取る。


「な、な、な……」


 これにはさしものシスターも仰け反るを通り越して頭を抱えた。


「し、質量保存の法則は!? いえ、そもそもどうやったのでしょう。魔法? いえ、しかしそんな不可思議な術式をどうやって構築すれば……作った者は天才を通り越してド変態です。浄化魔法といい……異世界魔法はどこかが可笑しい!」


 ブツブツと呟くその顔は、何故か信じられないものを見たかのようだった。レブレが笑いながら少年姿に戻る。


「わははー。竜魔法は割と感覚系だから術式化は無理だよぉ」


「なんですかその汎用性に欠けた仕様は!?」


「はいはい。自己紹介ついでに色々話したいところだけど、ちょっと急いでるのよ。シュレイダーは?」


「先生なら少し前に出かけられましたよ」


「え? ちょ、どこ行ったか分からないの!?」


「はい。あ、でもリリムが来たら手伝うようにと言われています。ただ、レブレはきっと終った後が大変です」


「……僕?」


「先生、絶対に竜皮を剥いでリリムと私の防具を作ってやると、それはもう怖い顔で呟いてましたから」


「うわーん! やっぱり怒ってたー!? どうしよ。ねぇ、リリムどうしよっ! また影の刃で刺されちゃうよぉ」


「レブレ。貴方の犠牲は忘れないわ」


 半泣きで助けを求めるレブレは、冷たく突きつけられたドSな言葉に震え上がる。


「それで、私たちは一体何をすれば良いのですか」


 サキの問いかけにリリムは説明した。初めはまたゾンビもどき相手かと楽観していたマリカも、さすがに今度の相手がレブレよりも遙かに大きい竜だと聞いて頬を引きつらせた。


「山のように大きな三つ首の竜ですか」


「しかも傷つけると中から害獣を出し、更に魔物に守られているとは。これは、帝都はもうおしまいですね」


 少し前に守ってきた場所だけでに、マリカとしては微妙な顔をせざるを得ない。しかも聞けば念神であるという。彼女の住んでいた世界にも念神は居た。信仰の優劣でピンきりの力を持つ神たちだ。


「念神殺しは基本信仰する神がやりますから、人が普通に対峙することは滅多にないのですが……今のままだと厳しいどころではありませんね。決戦場はどこになります?」


「帝都に近づかれる前がいいけど……公爵軍は後ろだし、それにあの数を全部こっちでどうにかするなんて無理だと思う」


「随分な大事のようですね。この際です。打って出るにしろ守るにしろとりあえず軍を帝都に送りましょう」


「どうやって?」


「勿論力づくで、です」


 そうして、リリムたちも動き出した。









「……その、すまん。もう一度言ってくれないかねフリーランサー」


「山のように巨大な三つ首の竜と大量の魔物がこの帝都を襲いに来る。だから気をつけろ」


「ちょっと待ってくれ。理解が追いつかないのだが」


 帝都のギルド長室である。いきなり訪れた凄腕冒険者は、ジンブルにハイドラーを呼ばせると端的に説明した。その、あまりにも現実味のないことを淡々と言われるので、二人して冗談かとまず疑った。


 しかし、シュルトはそんな二人を放置して公爵軍とバノス軍の戦いの結末を話し、召喚が異世界人の逆鱗に触れたことさえ話す。


 吸血鬼の花嫁の目と耳は術者と繋げることができる。何か在ればすぐにリリムの助けに入るつもりだったシュルトとしては、リリムが見聞きした全てを理解していた。

 故に、他の誰よりも事情に通じていたのである。当然、話しを詳しく聞くにつれて二人は顔を青ざめさせた。


「住民を逃がすなり、戦う準備をするなり動き出しておけ。確認するような時間的余裕はないと思ったほうがいい。夜通し動くなら三日も掛からずにここに来るはずだ」


「……き、君はどうするのだね?」


「出来る限り手を打ち、どうにもならないなら嫁を連れてこの大陸から離脱する」


 徹頭徹尾最優先はリリムである。そこだけは揺るがないのだから、シュルトとしては当たり前のように行動に迷うことがない。


「ああ、それと王都に公爵軍が来るようだ。……今、東の外壁の向こうに出た。総大将の公爵はまだ生きているから、上手く連携して動くと良い。それと、一応は念を押しておくが帝都が無事で済むとは思うなよ」


 それだけ言うと、外套を翻してシュルトは消えた。残されたジンブルとハイドラーは、連日の後始末で疲れきった顔に更に疲れを滲ませた。無理もなかった。内乱の行方もそうだったが、西側の諸侯が全員感染させられていたことが発覚したのだ。浄化魔法で徹底的にウィルス感染者をどうにかすれば、当たり前のように政治空白地が膨れ上がった。国としての機能をなんとか維持しようと手を回す日々。もう猫の手を借りたいほどに忙しかったのである。


「どうするかね。ハイドラー卿」


 うんざりした顔にはもう、乾いた笑みしか浮かんでいない。ハイドラーもそうだった。だが、すぐに笑みを消し、当たり前のように言った。


「言ったことが本当なら公爵軍が来ているということです。ならば話し合い、行動するしかないでしょう」


「もう何もかも投げ出して逃げたい。なぁ、ハイドラー卿。夜逃げするから見逃してくれないかね」


「まさか。一蓮托生ですよ我々は」


 がっしりと腕をつかまれたジンブルは、がっくりと肩を落とす。そこへ、職員が血相を変えた顔で飛び込んで来た。ノックも忘れたその男性職員は、公爵軍がいきなり現れたことを報告。ジンブルを情け容赦なしに地獄へと叩き落した。


「さぁ、行きましょうかギルド長。隠れ公爵派としての貴方が交渉には必要だ」


「なんてことだ。金にもならない仕事だけがまた増えるなんて……」


 ハイドラーに引きずられながら、ギルド長は呻いた。










 翌日早朝。帝都の中心帝都城にて公式的に内乱の終わりが告げられた。


 西側には東と戦う余力などなく、そもそも中心であったバノスも皇帝も居ない。昨夜の内に東と西は可及的速やかに話しをつけ、既にこの未曾有の危機に対して動き出していた。


 まだ修繕でも出来ていない帝都城ではあったが、無事だった会議室では朝早くからジンブルやハイドラー、東側の諸侯たちやリリムたちが集まっていた。一応は最大勢力としてレンドールがまとめ役として立っているが、現状説明だけで会議は重苦しい雰囲気に包まれていた。


「推定十万を越えそうな魔物の大軍に、山のように強大な竜……か」


「正気の沙汰ではないが、これは現実なのでしょうか」


「現実だよ。現実だからこうして話し合っている。西も東も関係ない。アレをどうにかしない限り帝国に未来はない」


「それは分かっているさ。だが、何をどうすればいいのだ……」


 口々に愚痴が上る。会議は進まない。


「とにかく時間がありません。やらなければならないことから決めていきましょう」


 ベイリックが発言する。若いだけに、迷いがない。居並ぶ東軍は彼の勇猛さと冷静さを知っているからこそ、苦笑だけで済ませた。今は巧遅ではなく拙速が必要。若者の勢いが、周囲に熱を運びこむ。


「帝都住民の避難。同時に西の最終防衛線から最低限の兵の抽出。そして、どうやってあの化け物と戦うか。最低限きめなくてはならないのはこの三つでしょう」


「ベイリック君の言うとおりだな。全て同時に話し合うことは不可能だから三つに分散しよう。ジンブルギルド長は冒険者を通して住民の避難計画を、ハイドラー君は最終防衛ラインからの兵力の抽出で進めてくれ。私は迎撃作戦を練る。武等派はこちらに集まってもらいたい。後方支援が得意な方々は半々に分かれて協議しよう。皆、自分の得意分野の方向で会議に参加してくれ。必要があれば三者間で連携だ。さぁ、時間は待ってはくれないぞ」


 暫定的な指導者としてレンドールが押し通し、会議を三つに分散。そうして、武闘派を集める。だが他の二組と違って迎撃組みだけはやはり中々進まなかった。大量の魔物に巨大な竜。対処するために何をどうしろというのだろうか。


 こればかりはさすがにベイリックもレンドールも悩んだ。そして他の諸侯もそうだった。中々に言葉が出てこない。見かねたマリカは、ため息を一つ零しながら発言する。


「黙っていても進みませんしまず大前提として、防衛戦にするのか攻めるのかを決めてはどうでしょうか」


 ダンジョン組みは平民やらの集まりであったが、東軍からすれば最後の希望だ。リリムとサキをに挟まれているシスターがどういう人物かを知るものはいないが、リリムが連れてきたので期待されていた。その声に引かれ、ポツポツと意見が出てくる。


「……攻めるのは、得策ではないでしょうな」


「そう、なるな」


「魔物相手ならまともには平地で当たらないのが常識だ」


「では防衛戦ですね。外壁で魔物を押さえ込みながら戦うのがこの世界でのポピュラーな戦闘だと聞いています。基本はその戦術を踏襲するのが良いでしょう」


「……この世界? もしや君も……」


「はい。バノス派に呼ばれた者です。もっとも、組する前にこちらと合流しましたので私のことはリリム派と考えてくださって構いません」


「ちょっと、私派って何よ」


「この中での派閥を端的に表せばそうなります。そして私たちはオフェンス組です。その竜とやらを狩るのが今回の仕事になりますね」


 淡々と言うマリカに、諸侯たちの顔が少しだけ綻ぶ。しかし、次のマリカの言葉で全員が顔を引きつらせることになった。


「もっとも、勝てるかどうかなど分かりませんし無理だと思えば離脱しますが」


((((おい、それはないだろう!!))))


 聞いている者たちの心が一つになったが、そんな空気などシスターは気にしない。


「攻める私たちは前だけを見ていればいいのである意味では楽です。しかし、ディフェンス側は相当に危険です。下手をすると一撃で帝都ごと吹き飛ばされるか、踏み潰されますからね」


「帝都ごととは。穏やかじゃないね」


 想像も出来ないという顔でベイリックが呟く。


「相手の力が未知数ですが、それが出来て然るべき相手だと私は竜の子供から伺っています。はっきり言いますが、それはもう地獄さえ生ぬるい戦いになるでしょう」


「ちょっと、マリカ。あんまりはっきり言うと士気に関わると思うんだけど」


 リリムが嗜める。付き合いなど無いに等しいだけに、はっきりと貴族たち相手にものを言うマリカにちょっと困っていた。


「隠して露見したときの方が危険です。こちらは大軍の突破と大物相手で雑魚に構う余裕はない。しかも相手は傷つければ害獣を吐き出すそうではないですか。それらと戦うのはきっと彼らの役目になります。これは生半可な覚悟では出来ません」


「一度囲まれたら逃げ場はない。帝都に残るということは、最後まで戦える意思が問われるということだねシスター」


「その通りです。正に残った者の愛国心が問われる戦いだと言ってもいいでしょう」


 勝てなければ国が蹂躙され、逃げ出せばもう二度と戦えることはないだろう。今現存する帝国のほとんどの兵力がここにあるのだ。二度目など無いと考えて望まなければならない。そして、その重い役割を背負いながらオフェンス側は戦わなければならない。転移が使えれば逃げられるが、それはディフェンス側を見捨てるということ。必然的に重責を担わされることになる。


(な、なんか最悪逃げるっていうのがどんどんし辛くなりそうな空気……)


 ズシリとのしかかるプレッシャーに、リリムとしては胃が痛くなってくる。と、そこで会議室に緑の髪の少年と仲良く手を繋いだ見慣れない黒髪の女性が入ってきた。


 執事服を着た少年はともかく、その女性は見慣れない衣装を纏っている。それが空元の着物だと気づいたのはサキと一部の者だけだ。中には場違いな乱入者として怪訝そうな眼を向けてくる者たちがいた。けれどそんな空気に怯えるような子竜ではない。気にもせずにズカズカと押し入り、リリムが居る場所までやってくる。


「助っ人連れてきたよー」


「ま、まさか――」


 口元を押さえ、サキが眼を見開く。


「!”#$%&’」


「!”$%」


 空元の言語でレブレと話すその少女は、マリカとリリムを指差し、そして頷くとリリムにいきなり抱きついてきた。何故か、感極まっている様子であり、頬っぺたをグリグリとくっつけて頬擦りしてくる。レイチェルとは違い、邪な気配が無いことだけがせめてもの救いだろうか。数秒呆然としたリリムはレブレに問うた。

 

「ちょ、これ、これはどういうことなの!?」


「いやぁ、リリムと会いたがってたんだよね。天帝の夜光お姉さん」


「てっ!? あ、あわわわ……」


 サキが直ぐに椅子から立ち上がり、席を譲る。その様子に気づいた天帝は、サキの頭を撫でてから、展開についていけない貴族たちを見る。そうして、軽く一礼してから席に座った。その膝の上にレブレを乗せて。


「あー、レブレ君。その女性、天帝と言ったかね。つまり空元の国主かい」


「そうだよ。敵が強過ぎるぐらいに強いからね、ちょっと手を貸して欲しいってお願いしてきてもらったんだよ」


「……国主をいきなり連れ出してくるとか君、何者かね」


「僕? 知っての通り竜だよー」


 無邪気にそう言うと、天帝が何かを発言。レブレが通訳する。


「僕が公爵と約束した同盟の件、楽しみにしているってさ」


「は、ははは。気が早いなぁ」


 乾いた笑みを浮かべながら、レンドールが冷や汗を流す。他の諸侯はといえば、まったく知らない同盟という言葉の意味を問いたそうにしていた。


「でもこれで帝都防衛にちょっと現実味が出てきたと思う。後はどうやってアレを倒すかだけど……進展あった?」


「こちらがオフェンスで、残りはディフェンスという所までです」


「そっか。んー、ならサキは天帝の護衛に回してくれない? さすがにちょっときついと思うし、天帝は攻撃より防御が得意なんだよね」


「それは勿論構いませんが……」


「そっちの方が天帝も勅命を出せるから僕も安心だよぉ」


 立ったままのサキが、いきなりの大役に顔を真っ青にさせた。天帝の勅命とは空元人にとってはそれほどまでに重いのだ。さらりとそんな言葉が出てくるところが、子竜の恐ろしいところである。


「で、魔法卿は何してるの?」


「まだ音信不通よ。書置き置いてきたけど、一回も顔出してないわ」


「うー。リリムを危ない目に合わせたからやっぱりへそ曲げてるのかなぁ」


「居ない者の話しをしてもしょうがないでしょう。それより、時間が惜しいです。最も大きなパワースポット。不死山とやらへ私を案内してください。決戦まで力を蓄えます」


「話してた奴だね。じゃ、一度天帝も戻すからお願い。あっ、でも言葉どうしようか……」


「サキ、少し記憶を読ませてもらって良いですか? 言葉の知識だけを複写させて貰いたいのですが」


「え、ええ」


 立ち上がり、サキの額に手を当てたマリカが空元の言葉を得る。数秒で準備は済んだ。


「!”$%」


「!”#$%&っと。こんなところですか」


「おー。凄いねそれ。今度教えてー」


「勝って終ることができればそうしましょう。その代わり、そちらは変身するアレを教えてください」


「人間が真似するのは無理だと思うけどなぁ。ま、いいや。じゃあ送るね」


 マリカと天帝が転移で離脱。マリカの席にサキが座り、レンドールたちはリリム組みに完全にオフェンスを任せる決意を固めた。というか、分かっていて押し付けた。


「あー、おほん。それでは諸君。防衛組みとしてはいつもどおり対魔物戦のセオリーでいくとしよう。部隊配置や物資の確保もあるが基本外壁の上から攻撃だ。そのつもりで動く。ただ、守る箇所が広大だ。そのつもりで意見を出してくれ」


「そうだ公爵。もし各地で必要な物資とかあったりしたら言ってね。僕が行ったことある場所の近くなら転移でこっちにすぐに運べるからさ」


「おお。それはありがたい」


「東西の境目に残してきた防衛兵力もありますからな」


「この際、物資も兵力も出来る限り投入するしかない」


「正に総力戦か」


 防衛以外にできることもない。停滞していた議論が加速する。事ここに至ってはもはや利益も損益も無い。国が生きるか死ぬかの瀬戸際であるために必死に進めた。そしてそれは他の組も同じだった。


「東から来るのだから、やはり民は南北、あるいは西に逃がすしかないでしょう」


「港街まで移動させることまで考えた方が良いだろうか?」


「西の防衛線の砦はどうだ? 勝てば戻すことも考えなければならないし、物資を運ぶにしても近い方が負担も少ない」


「だが、最悪負けたときのことを考えれば分散させたほうがよくはないか」


「移動の護衛はランクの低い冒険者に当たらせよう。高ランカーは迎撃に混ぜた方がいい。全員はダメだが、攻撃のためにはそうするべきだ」


 ジンブルの避難組みが民の逃げ場所を模索し、更に別の組ではハイドラーたちが防衛線から兵力の抽出をギリギリまで模索する。敵の数が数だ。防衛拠点があるとはいえ、いくら兵力があっても心もとない。夜の内にある程度草案を考えていたのも効いていた。昼になる前には皆が会議室を飛び出し、帝都中を駆けずり回った。









「まだ余裕はある! 落ち着いて移動してくれ!」


「持っていくのは貴重品と食料や衣類にしろよ。嵩張るものや、移動の邪魔になるものは極力もっていかないように。それと、戦いに志願する者は城に向かうんだ!」


 民衆の中には、新たな化け物の襲来を冗談と考える者も多かった。だが、前回化け物と戦ってくれていた冒険者たち。それに公爵軍が連れてきた兵士たちが血相変えて走り回っていることで、異常性を理解しすぐに避難に応じた。


 民間人の中には志願兵として残るという者まで現れ、攻撃魔法が使えるだけの火力兵として採用されていった。他にも、炊き出しに残るという気の強いご婦人がたも残り、少しずつ帝都が戦場の空気へと染まっていく。


 そんな中、リリムとサキは帝都の城に一旦集められた武器や矢にひたすらにエンチャントを施していた。


「提案しといてなんだけど、これずっとやると中々疲れるわね」


「なんだか肩が凝ります」


「でもやっとかないと後で辛くなるって分かってるしさぁ。二人じゃさすがに数が用意できないかも」


 転移で忙しそうにしているレブレは、偶に戻ってきて城のパワースポットから魔力を拝借。サキとリリム、そして自分の魔力を回復させながらひたすらに動いていた。


 エルフ店長はご婦人方と共に炊き出しの準備を推し進め、ケインは冒険者組みに混じって避難誘導に動く。


 忙しくももどかしい時間が過ぎ去っていった。けれど、昼を過ぎてもリリムの前にシュルトは現れない。


「もう。このクソ忙しいときにあいつ一体何やってんのよ」


「先生ですか?」


「そうよ。あいつが居たらこんな作業きっと一瞬で終っちゃうわ」


 シュルトなら広範囲のエンチャントなどもできるはずだ。何でもできるわけでもないが、その程度ならできるだろうとリリムは信じていた。魔法に関してはリリム組の中で最も造詣がある彼ならば、その程度はなんとかなるだろうと。でなければ魔法卿などとレブレに呼ばれるその通り名を返上するべきだ。


「リリムの力ではダメなのでしょうか」


「そういうやり方、できるのかなぁ」


 基本は教わったとおりの内気魔法的な使い方、或いは治癒系にしか使ったことがない。上手く使えれば確かに一瞬で済むだろうが、どうにもイメージが上手く湧かなかった。


「基本的には私のイメージに左右されるのよねこれ」


 単純に消えろとか消し飛べ、或いは完治しろならイメージはしやすい。しかしエンチャントに使うとして、オーラが同じ効果を生むかで懐疑的だった。


「バーストショットの要領でいけばどうでしょう」


「んー、アレか。たしかにそれならいけるかな」


 リリムは実験のために軽く矢筒から一本取り出して鏃に纏わせてみる。すると、ぼんやりと白い光が消えずに鏃に残っていた。


「これでオッケー。試す必要があるけど、ここでやったら不味いわよね」


「そうですね。いきなり庭で爆音が響いたら皆困るかと」


 ついでに射手に意見を聞いておきたいところだったが、適当に兵士を捕まえても明らかに少女然とした彼女の言うことを効いてくれるとも思えない。

 忙しく走り回っている貴族連中の邪魔をするのも憚られるため、誰か知り合いが来るのを素直に待つことにする。それまでは延々とエンチャントだ。


 少女たちは慌しくも騒がしい中、作業を再開する。と、そろそろ夕方になる頃だっただろうか。用意された大鍋をかき混ぜるご婦人たちの方からスープの良い匂いが漂い始めたところに、ケインが白銀色の鎧を纏った男と共にやってきた。


「よう、嬢ちゃんたち。ちょっとこいつの剣にもエンチャントしてくれねぇか」


「いいわよ。あ、丁度良いわ。あんた弓って使える? ちょっとこれの実験して欲しいんだけど」


「ああ、矢に付与するとかって言ってた奴か。丁度良い。この真面目馬鹿にやらせりゃいい。お前、確か槍や弓もイケただろ。なぁ、ハイドラー」


「それは構わないが……しかし、やはり信じられんな。そんなに劇的に変わるのだろうか?」


「いいから、騙されたと思って任せてみろって」


 懐疑的な眼で剣を預けるその男のために、リリムが剣にエンチャントを施す。


「ついでに試し切りすればいい。ほら、どっかにあるだろ。兵の訓練所みたいな場所」


「錬兵場のことか? それは、城だから有るには有るが」


「はい。とりあえず、一本試してみただけだからちゃんと命中した後に爆発するか確認してきて」


「分かった。そこまで言うなら試してみよう」


 ハイドラーは頷くと、剣と矢を受け取ってケインと共に消えていく。


「あいつも顔が広いのねぇ。今の人、確か会議室に居た貴族様よ」


「やはり冒険者だからでしょうか」


「そんなもんかしらね。私たちはダンジョンに引きこもってるから交友関係が増えることは基本ないけど」


 数分後、二度ほど爆音が轟いた。


「あっ、どうやら成功みたい」


「これで数をそろえる目処が立ちましたね」


「同時に今までの努力も無駄になったけどねー」


 と、呟いていると血相変えた様子で鎧男が走ってきた。ケインも居ることから、報告なのだろう。


「おい嬢ちゃん。さっきの矢なんだあれ。威力あり過ぎだぞ!」


「れ、錬兵場の壁まで吹き飛んだのだが……」


「魔物相手に使うんだから威力あってもいいでしょ。近くで使わなきゃいいだけなんだから」


「それはそうなのだが……」


「くぁー! 嬢ちゃんたちと居ると、俺たちの常識がぶち壊されまくってたまらないぜ!」


「じゃ、無いほうが良いわけ?」


「むしろじゃんじゃん頼む。矢でこれだけ破壊力が出るのはスゲェありがてぇ」


「了解。それと、その剣の奴だけど光が消えたら効果なくなるから気をつけてよ」


「大事に使わせてもらおう。ケインはいいのか」


「ああ。俺のは爆発はしないが、自分の魔力通すと切れ味増す奴を別の奴にかけてもらってるからな。しかも魔力切れても注げば何度も使える。そしてここだけの話しだが、実はこいつ障壁も張れる。良い剣だろこれ」


「な、に!? そんな馬鹿げた剣どこで手に入れた!?」


「まぁ、なんつーかな。高難度依頼の報酬? そんなもんだな。やっぱ、武器は自分の腕前に合った奴が欲しいもんなぁ。いやぁ、俺は運が良かったぜ」

 

 ニヤニヤと意地悪く笑うケインは、そういうと剣を抜いて刀身に指を這わせる。途端、魔力を纏ったせいで淡い光に包まれた。鎧男ことハイドラーは、それを見て何故か悔しがる。


「やっぱ、男なんてどいつもこいつも子供よね」


 いい歳の男が、手に入れた武器を見せ付けて自慢している図である。数日もすれば化け物の大群と戦うというのに大した余裕だ。するとそこへ今度はベイリックがやってきた。


「やぁ。誰かと思えばハイドじゃないか。こんなところで油を売ってどうしたんだい」


「むっ、ベイか。見ろあの剣を」


「ふむ? 何故か光ってるね」


「なにやらあの剣、障壁を張れるらしいのだ」


「……それはちょっと聞き捨てならないね」


「しかもだ。ああして光ると切れ味が増すらしい」


「素晴らしい。どこの名工が作ったんだい冒険者君。是非とも教えてくれないかい」


 ちょっと毒気のあるベイリックまで参戦した。ハイドラーはケインに笑顔で近寄りながら凄むベイリックの後ろで聞き耳を立てている。以外にチャッカリしているらしかった。


「ちょ、てめぇハイドラー! 貴族様を巻き込むなんて卑怯だろ!」


「そう言うなケイン。私も正直欲しいのだ」


 貴族二人に詰め寄られたケインが、ベイリックの圧力に落とされそうになったところで、またも新しい客が現れる。


「リリム某、ここに居ましたのね!」


「……なんでよ」 


「なんでって、それはシュルト様が領に残っていた兵や物資と一緒にここへ送ってくださったからに決まってますわ!」


「なぬ!? あいつがなんであんたを送ってくるのよ!」


「ふふふ。やっぱり、あの方は私を見ていてくださったのですわ!」

 

「それ本当?」


 一緒に来たレイチェルに向かってリリムが尋ねる。すると、ドレス姿の皇女様はふてぶてしい顔で頷いた。


「うむ。ついでに公爵邸に現れたり消えたりしながら庭で何かしていたぞ」


 魔法の準備だろうか。それとも、単純にパワースポット目当てか。どちらにしても自分の前に姿を現さずにコソコソとしていることがリリムには妙に気に入らない。


「レ、レイチェル様!?」


「む? こいつは誰だベイ」


「あー、ハイドですよレイチェル様。覚えてませんか」


「ハイド? ロスベル辺境伯のところのハイドラーか?」


「はっ! お久しぶりです姫様。ご無事と知らず、あろうことか家が西側に着いたこと、誠に申し訳なく……」


 いそいそと兜を脱ぎ、以外なイケメン顔を晒すその男は当たり前のようにレイチェルの前で跪いた。


「ここに居るということは参戦していなかったということだろう。ならば良いさ。これから頼むぞ」


「はっ! 寛大なお言葉をありがとうございます! そのお言葉に報いれるよう、この身この剣。必ずや姫様のために奉げさせていただきます!」


 何やら、貴族然としたやり取りが繰り広げられる。


「なんだろ。一気に人間関係がドロっとしてきたわね」


「そうなのですか」


「ほら、見なさいよサキ。あのハイドラーって人、顔真っ赤にしてるでしょ。恋ね、アレは恋だわ」


「なるほど。言われてみれば……」


「ロスベル辺境伯のところのハイドラー様といえば、昔はお姉様と仲がよろしかったそうですわ」


「嘘、それほんと!? なんだ、あの駄メイドもやるじゃないの。アレはポイント高そうよ」


「まぁ、でも昔は知らねぇが今のレイリーは男ダメだけどな」


 何故か、隙を見て追求から逃げ出したケインが女子トークに混ざってくる。またこれが嫌らしい笑みであり、ハイドラーとかいう貴族をからかうための材料を手に入れたことを純粋に楽しがっているような顔であった。


「お姉様、何故か女好きになってしまわれましたし……嗚呼、ハイドラー様の純朴な恋! これからどうなってしまわれるのでしょうか。わたくし、あの二人から眼が離せませんわ」


「つーか、あいつの本性知ったらハイドラーだってさすがに百年の恋も冷めるって」


「おい。そこにいる冒険者の男。私にあんなことやこんなことをしながらも助けて恩を売ったせいで不問にされているケイン・セクハランクお前だ。ノルメリアと一緒に公爵に会いに行くから付いて来い」


「ぐへっ」


 軽装鎧の後ろを引っ張られたせいで、潰れたカエルのような声を出したケインが笑顔のレイチェルにしょっ引かれていく。その後ろで、護衛をかって出たハイドラーがケインを睨みながらも案内を始める。それに続くのはノルメリアだ。


「嗚呼、ライバルはどこの馬の骨とも知れぬ冒険者! ハイドラー様の恋や如何に――」


 一人、一連の流れに取り残されたベイリックは、苦笑しながらもその場に留まった。その足は、自然とリリムの方へと向かっていた。


「まさか黒騎士の正体が君のような可憐な少女だったとはね。行軍中は随分と失礼なことをしてしまったね。本当に申し訳ない」


「あ、いえ……」


 するりと頭を垂れ、謝罪してから当たり前のように跪くベイリック。その顔は妙に嬉しそうだった。そして何故か、いつもの毒気が無かった。


「私は強い者が好きだ」


「は、はぁ……」


 優しく手を取られ、流れる動作で手の甲にキスを落とされる。その変わりように呆然としたリリムに、彼は言う。


「拳で剣を折られるなど初めての経験だった。まだあの時の衝撃は私の胸に残っているよ。また、良ければ試合をして欲しい。では、また会おう。竜騎士リリム――」


 立ち上がり、ベイリックもまた消えていく。


「……やっぱり、貴族って変な奴ばっかりね」


「そうなのですか」


「ええ。難癖つけられて絡まれたから、戦って剣を一回折ったんだけど……なんだろ。今、寒気がするほど眼が澄んでたわよ。腹黒そうだし、また何か考えてるのかも」


「いや違うな。あれは純粋にリリムの魅力に中てられたのだろう。だが、二度は許さんぞ若造め。リリムの手に触れるなど三百年は早い。触れて良いのは私だけだ!」


「……シュレイダー?」


「先生?」


 背後から、声が聞こえたような気がした。少女たちが振り返れば、しかし彼の姿はそこになかった。


「今、絶対あいつ居たわよね」


「そんなような気がしましたが……居ませんね」


 振り返っても武器の在庫があるだけだ。いつの間にか作業が中断していたことを思い出した二人は顔を見合わせて笑うと、奇跡で一気に作業を終らせた。完了した武器を兵士たちが運び去っていく。が、そこに更に大量の武器が入れ替わるように持ち込まれてきた。それは、真面目なハイドラーが手を回した分であった。


「これ追加分です。ここ置いてきますね」


「まだまだありますんで、よろしくお願いしまさぁ竜騎士様!」


 どうせなら、全部纏めて持ってこいと言いたいリリムだった。












――空元の霊峰『不死山』。


 グリーズ帝国の東の海を越えた先にある国空元。その丁度中心に存在する、レブレが知る限りレグレンシア最大級のパワースポット。周囲を樹海で囲まれたその場所は、空元の支配者であり現神でもある天帝が住まう場所である。


 麓の本殿から上ればその中腹に屋敷がある。だが、広大なパワースポットのその中心はやはり不死山の火口だ。真の意味で天帝を神にするというその場所の直上で、虚空に立ったままひたすら瞑想する異界のシスターが居た。その手に握られた異形の槍は、既に封印の布を取り払われて地脈から無尽蔵に吐き出されている魔力を吸っていた。


『ねぇお姉ちゃん。ここ、色々と洒落にならないと思う。絶対に私を落とさないでね』


「落とすわけないでしょう。さすがに私もマグマの中に突入して無事で済むとは思えませんし」


『そういう意味じゃないよぉ。多分だけどね、ここに落ちたら私の骨は跡形も残らないと思うんだ』


 泣きごとを言う槍の切実な声に、瞑想を中断したマリカは眼を開けた。


「おかしなことを言いますね。理論値では太陽に放り込んでも不壊のはずでしょう」


『でも絶対ここは無理。山自体がなんていうか、念神に近いんだもん』


「自然崇拝系の信仰で生まれた不動なる念神……だとでもいうのですか」


『多分ね。対神、対魔、対不死系の力の匂いがプンプンするよぉ』


「やはり異世界は奇天烈です。うちの学者たちが知れば、不死者殲滅の武器を開発するために狂喜するでしょう」


 人間がコスプレしているのでないかと思わせるような程無害な吸血鬼に、ウィルス性のゾンビのような何か。更には高度すぎて奇怪な魔法、人間に化ける竜に、念神そっくりな山。召喚されてから見た物が、あまりにも故郷のそれとは違いすぎるせいでシスターとしても異世界の理不尽さには辟易していた。


『私たちの星の魔法科学的な常識とはもうなんていうか、価値感が違いすぎるよね。進化の方向性が斜め上って感じ。特にあの天帝って人なんてその極致だと思うんだ。人の癖に念神ってもう訳分かんないー!』


「ほーう。そうなのかえ」


『うわっ、でたー!?』


 着物の上にどてらを羽織った黒髪の少女が、酒瓶と枡を片手に空を歩いてやってきた。 


「……夜光ですか。背後を取って忍び寄るのはあまり褒められた趣味ではありませんよ」


「そういうな。ワシだって、そこな童が言うとおりお前さんらを不可思議に思っているのじゃからなぁ。ほれ、どうせ夜は暇じゃろう。二人とも相手をしてやろう」 


『げ、私の声聞こえてる!?』


「ああ。元気そうな女子の声じゃな。槍にくっついて大変そうじゃの」


「夜光。聞こえる上に、視えているのですか?」


「うむ。骨に重なるようにうっすらと可愛らしい顔が見えるよ。恐らく、リリムとやらもあの布さえ取れば視えるんじゃろうな」


「嬉しそうですね」


「同類に二人も会ったのは今日が初めてじゃからな」


 くつくつと笑いながら枡の一つ投げる。受け取ったマリカは、空中で胡坐をかいた夜光を見てため息を吐く。


「虚空走破をそのような風に使うとは。やはり只者ではありませんね」


「そっちの小さいのに出来ることなら、多分大抵はできそうじゃよ。まぁ、向き不向きはあるようじゃし、レブレに内気魔法を習っていなければ真似できんかったかもしれんがな」


 手酌で酒を枡に注ぎ、ついでにマリカのそれにも注ぐと夜光は酒を呷った。見た目はティーンの少女にしか見えないその少女は、中々の飲みっぷりだ。マリカはどこか呆れながら、注がれたそれに口を着ける。


「レブレはワシを人の願いの集束点とも呼びおった。マリカのその槍の童も、人の希望を担って来たものかえ」


「希望と言われれば確かにそうですが……願いの集束点? マリアルがですか」


「ほう、マリアルというのかその女子<おなご>は。顔つきが似ておるが姉妹かえ?」


『うん。お姉ちゃんの妹だよ』


「そうかそうか。お互い、人の身に過ぎた力を持つと大変じゃのう」


「……夜光。貴女は聖人について詳しいのですか」


「さて、レブレが言っていたことぐらいしか知らん。じゃが、ワシの力が空元の住民の願いの産物であり、その総力だということは知っておるよ。一部例外もおるがの」


「つまり、人の願いが聖人の力の源なのですか?」


 マリカの世界では、まだ聖人の力は完全に解明されてはいない。そのせいでどうしても半信半疑の目で夜光を見てしまう。


「ワシなんてのは典型的じゃ。空元の神として望まれたからこうして力を授かっておる。多分、マリアルもそうじゃろう。ただワシの場合は継承式じゃが、普通はどうも力の集束点となるのは偶然の方が多いそうじゃ。リリムやその子はきっと偶然ではないかな」


「聖人信仰系の信仰もありましたが、それらの人間が力を得たことはないのですが」


「心の底から信じきれておらんのじゃろう。この空元では、ワシは神様同然まで信仰されておる。それこそ、心の底からじゃ。レブレは信仰の質が異常に高いと言っておった。たが、数が少ないから力の方向性が限定されても居るそうじゃ」


「質……なるほど。過去の方が聖人が多いのはそのせいですか。私の居た世界では、現代で聖人などと呼ばれる人間はほとんどいませんでした」


 それどころかエルネスカにおいて、現代的な意味においては聖人は特別な力を持った人間の呼称だ。過去の偉人ならともかく、現代では信仰上で現れないので、今では同列視する者はいなかった。それが偶然の産物ともなれば、最新の不純なら信仰では発現し難いという話しには納得できた。


 或いは、居るかもしれないとしてもそれを身近な誰かとして受け入れることができないだけか。


 聖人は精神性はともかくその特殊能力が普通の人間を越えている。けれど、普通の人間は他人を普通だと思いたがる。違いを容認することができない脆弱な精神性が、明らかな超常的優劣を心の底から他人に与えることができるだろうか? そう考えれば、知っている誰か以外が偶々その集束点になる方が理に適う。


 それは、ある種の超人幻想<ツゥアラトゥストラ>の出口でもあったのかもしれない。人の中に人を超える何かが居て、超常的な力で人々を救うという荒唐無稽な幻想の。


 だったら、聖人が何故聖なる力を授かるのかもその人類の心の弱さが原因なのかもしれない。恐ろしい闇ではなく、理不尽に対抗するための暖かい光なのは、その超人があくまでも邪悪なる精神を持った悪者ではなくて、善に属する良き者でなくては都合が悪いからだろう。


「だとすれば妙な話しですね。聖人に対応する正反対の存在がいません。これは道理に反することです」


 念神ならば敵対者がセットで現れるのが常である。しかし、聖人には同じ人間の敵が居ない。例えば悪魔の子、などという者がエルネスカでは現れたことが無い。


「別に不思議ではあるまい。我々人間にとっては、脅威などそこら中に転がっておる。それを対としてみればほれ、十分に帳尻は合うじゃろう」


『それはちょっと狡い気がするかも』


「あるいは、人類にとっては悪人がさして珍しくないからかもしれんな。そうやって悪人を量産し、聖人並の力を与えないように無意識レベルで信仰を薄めさせておるのかもしれん」


「つまりは犯罪者が聖人の逆に立つ者だと? ふむ。中々面白い解釈ですね。聖人が力を集束させたことで生じるなら、悪人は分散させて無害化したというわけですか。世の中から犯罪者が居なくならないのがそのせいだとしたら、なんというか度し難い気もしますね」


「はっはっは。これはさすがに勝手な推論じゃから信じないでおくれ。ただ、これはそうであっても不思議ではないというだけの与太話じゃからな。酒の席の馬鹿話として笑い飛ばしてくれや」


「ふふ。中々興味深く、そして寒気のする話ではありますがね」


 その推論が正しいのならば、永劫に人は悪から逃れられないということである。それを否定する聖職者としては、その与太話が現実ではないことを祈るしかない。聖なる世界を信仰するからこそ、同時に悪徳に塗れた世界が顕現するなど、それこそ救いようの無い話しで、だからこそ逆に聖が際立つこの矛盾。考えれば考えるだけ苦しくなるだけの謎掛けは、なるほど酒の席だからこそ楽しめる胡散臭さを纏っている。


「シラフでされると困る話題ですが、実に面白い解釈だと思います」


「そうかえ。なら、話した甲斐があるというものよ。ただ、ここで一つ気になることがあるのじゃ」


「ほう? それは勿論、この胡散臭い話しを更に楽しませるものですね」


「気に入るかどうかは分からんよ。ただ、少し知りたいと思うことがあるのじゃよ。言うなればワシの好奇心よなぁ」


 マリカに酌をし、自らの枡の中身に口をつける天帝。もったいぶるようなその話し振りが、中々にシスターの興味をくすぐって来る。


「これは別に隠すことでもないから言うのじゃが、どうもワシの力は守護天帝という通り名通り守護に特化しているきらいがある。では、そこのマリアルはどうじゃ」


『私? 私はどうだろ。んー、特化してるのかな? 他の聖人さんの骨も大体私みたいな破邪系とか治癒系とか満遍なく使えるし』


「ふーむ。つまり、戦闘特化なのかのう。そうでなければ救えないという状況かえ」


「かもしれません。基本は人に仇を成す不死者を殲滅するための兵器ですからね」


『お姉ちゃんも助けるより悪い奴を殴りに奔るタイプだもんね。だってイノシスターだし』


「マリアル。そういうことを言うと手が滑りますよ」


『冗談でもやめてよぉ。この山すっごく怖いんだからねっ』


「ほっほっほ。不死山は天帝が真なる神になるための場所じゃからのう。ワシを殺せるのじゃから、当然その子も殺せるじゃろうなぁ」


「神殺しの山なのですか。では、ここに此度の敵を叩き落せば……」


「妙案じゃが、落とせるかえ? 相手は山のように大きいのじゃろ」


「選択肢の一つとしてはアリかと」


 無理やりに転移させ、火口に落とせるかが問題となる。不可能とは思わないが、相手も当然抵抗する。実物を見ていないマリカからすれば、覚えておくべき情報の一つだった。


「まぁいい。それは当日に決めたらええ。で、じゃ。話は戻るが……だからこそ気になるのじゃよ。あのリリムとかいう娘がな」


「つまりは、力の方向性が知りたいのですね」


「というよりは託された願いかの。ワシの力。つまりは天帝の力は空元を守るための力。支配するための力。導くための力じゃ。では、ワシのような方向性を確固とした上で集束した力の出口ではなく、有象無象の者たちの力の集束点であるあの娘は一体何に対応しておるのか? 異世界から来たというお主は気にならないかえ」


「……彼女は聖女なのですよね? ならば、マリアルのような戦闘系なのではないでしょうか。生前に力が発現している聖人のデータはほとんどありませんので、イマイチ私にもわかりません。しかし彼女は戦争にも参加していたようですからその方向だと思われますが」


「それならそれでいいのじゃがな。ただ、一つ気になる話しがレブレから出ておる」


「ふむ」


「あの娘はどうも、この世界の者共だけでなく、異世界とやらから呼び出されたレブレとも繋がっているそうなのじゃ」


「それは、道理に合いませんね」


「ちなみに、レブレ自身はもうその理由が分かったらしいのじゃが聞いても教えてくれんのじゃ。まだまだ秘密とか言ったり、会えば分かるの一点張りでな」


「私は昨日初めて彼女と会ったので分かりません。ですが、気になる言い様ですね。異世界間で繋がる幻想など無いように思われますが」


「そういえば、こうも言うておったな。昔、ワシの感じた不吉に対応する者だとも」


「不吉に対応する、ですか。その言い回しであればやはり敵対者への破邪性でしょうか」


「やはりそう思うかえ。であれば……その敵対者はこの世界、そして異世界に居たというレブレにまで影響するレベルの存在ということになるのかや? なんぞ、とんでもなく規模が膨れ上がりおったな。ワシが恐れる不吉とやらは」


 やはり、そんな相手は夜光でも想像できない。


「とはいえ、貴女や私と比べるとあの少女はそれほどには見えませんでした。それもまた引っかかるところではありますよ」


「そうよなぁ。ワシが全力で殴ると空元から大陸まで飛んでしまいそうじゃったしなぁ……なんぞ、思い違いでもあるのかもしれん。もしかしたら、今回の戦いでその片鱗が見られるのやもしれぬと勝手に期待しておるよ」


『んー、でも相手をみてどうにもらないと思ったからお姉ちゃんが借り出されたんだよ? じつはあの竜の子の勘違いかもしれないよぉ』


「それはなさそうじゃぞ」


「ですね」


『うぇっ。どうしてそう思うのよぉ。あの子が竜だっていってもお子様じゃない』


 何故か今日会ったばかりの二人はそこだけは自信満々に同意する。


「「乙女の直感だ(です)」」


『……乙女? 九十過ぎて四捨五入すると百歳のお姉ちゃんが?』


「おや。どうやらマリカ、ワシの方がお姉ちゃんらしいぞ。ワシ、百歳越えておるし」


「ほう? ちなみに込み入った事を聞きますが独身ですか」


「勿論じゃ。ワシ、空元だとモテモテのババアじゃがそれでも未婚を貫く未婚女希望の星じゃよ」


「まさかのアラハンドレットオーバー!? これは心強い。貴女と飲む酒が嫌に美味しいのもそのせいでしょうか!!」


「まぁ、今はちょっと柄にもなく恋なんぞしておるがのう」


 ポッと頬を赤らめ、天帝が空中にのの字を書く。


「それは素晴らしい。夜光の目に留まるということは、素晴らしい男性なのでしょう。どうにも、最近の男共は軟弱者が多すぎていけない。今日はその辺も語りつくしましょう」


「おう、それは楽しそうじゃな。こうなったら、出番が来るまで二人で語り合おうぞ。酒は腐るほど届けられるでな」


 そうして、二人は山の上で意気投合した。ついていけないマリアルは、勘弁してくれとばかりに沈黙。酔いもせずに酒を飲む超人二人の話しを聞かされ続ける苦行を味合わされた。


「――で、意中の相手はというのは? どんな方ですか」


「そうよなぁ。無邪気で、実はちょっと大きくて、でも鋭い。年の差以前に種族が違うんじゃよ。これが中々難儀でのう。しかもあやつ、遠くに住んでおるからいきなり現れたり消えたりして、ワシのいたいけな心を弄ぶ悪戯っ子みたいな奴なんじゃ」


「ほうほう! さすが異世界。愛は距離も種族も年齢も当たり前のように超えるのですね。うちの世界では外国人同士でもまだまだ色々と柵も多くて大変なのですよ。特に信仰する宗教の違いが致命的だったりしたら、同じ国の者同士でも本当に大変で――」


『ううー、勘弁してよぉぉ』


 決戦兵器娘の苦行は続く。












「ふぅ――」


 リリムに与えられた城の部屋は、平民出の少女にしては少しばかり広すぎた。天蓋付きのベッドなど、一体どうしろというのだろうか。同じく個室を与えられたサキなども、妙なVIP待遇に困惑顔だった。


 城はボロボロでも、使える部屋はそれなりに多い。城を囲む城壁は破損が無いわけではないが健在。外壁の守りを抜かれた後の、最後の拠点として急ピッチで修繕が進んでいた。元々はハイドラーがそのままにするべきではないとして進めていたことも少なからず良い方向へと働いていたのだ。


 物資や武具の運搬、糧食の集積、兵たちの最低限の寝床としての天幕も庭に設営されたグリーズ帝国最後の防衛拠点。


 東軍の持ち込んだ天幕などの一部は、民の避難先へ護衛たちと共に送られたが、家がある者や義勇兵は家で、寝床が足りないものたちは適当な民家を間借りしていた。


 アジ・ダハーカが召喚されてから二日目の夜である。皆がきっと、不安に駆られていることだけは間違いなかった。中には民に紛れて脱走兵が出ることさえあったという話しを苦笑交じりの晩餐で彼女は聞いた。勝てるわけが無いと、そう言って逃げ出した者を追える兵士はいなかったらしい。その報告を受けた諸侯でさえ止めなかった程に、誰も彼もが同じ不安を抱えていたのだろう。


 アレを見た東の諸侯たち自身も、心の底では勝てるなどとは思っていないのかもしれない。それでも残ったのはただのやせ我慢やプライド、貴族としての義務感か。心の底では逃げ出した者や民を羨ましく思っているのかもしれない。ただ、それでも無理やりにも恐怖と戦いながら残った者たちが帝都には居た。


「有る意味、逃げても意味が無いって残った人たちは悟ったのかもね」


 逃げて、それで一時助かってもその後は? その日からずっと、大量の魔物を従えた巨大な三つ首の竜に怯えて暮らす日々を過ごして、何時教われるかもしれない不安を抱えたまま、死ぬときまで生きようと足掻くのか。その切実な生への渇望を否定する気持ちこそ湧かない。でも、リリムにとってはただただ残念だった。

 

 愛国心など、無かったはずなのだ。それでも今、少女はそこに居る。公爵の頼みは有る意味で異世界人がアジ・ダハーカを召喚した瞬間に終っていたはずだ。なのに、そのときに終った一つの戦いの熱を消せぬまま、あの少年の願いの被害を軽減するために城に居る。それはきっと、聖女としての力があるからではなかった。


――あの時、リリムは一人の少年に心の底からの絶望を与えたのだ。


 それは後悔となって彼女の中に残っている。そして異世界人の恨みと憎悪と命を糧に、あの化け物は顕現した。その最後の引き金を引いたのは間違いなく彼女自身。見捨てて一顧だにせずに切り捨てた、この世界の住人側に当たり前のように立った彼女の行動の結果が今に繋がっている。なら、どこかで選択を誤ってしまったのだろう。


 切り捨てるのではなくて、耳を傾け説得するべきだったのかは分からない。現地住民の一人として、彼の暴走を許すという選択肢は無かったと今でも彼女は思う。けれど、なまじ力を持ってしまっていたからこその後悔があった。


「きっとまた、戦いが始まれば大勢死んじゃうんだわ」


 確定的な未来がすぐそこにある。誰も傷つかずに死なないような戦いがあるというのなら、それを人は戦いとは呼ばないだろう。ゲームとでもスポーツとでも言ってしまえばいい。


 生存競争だろうと、ただの蹂躙だろうと、無残に凄惨になるのが戦いの本質だ。味方になくても敵に生じるならば、それはきっと重く受け止めるべき物である。では、この次の戦いはどうだろう。考える余地などないと知っていても、無かったことにしてしまいたいぐらいにはきっと重いのだ。


――私は一体、どうすればいいの。


 かつて一度、シュルトに尋ねたその問いが、今再び胸中に込みあがってくる。答えは決まっていて、当たり前のようにそれを誰も彼もに求められている。背を向けることは容易い。事実、最悪はそうするだろう。けれど、それでも。何もしないまま初めから背を向けることだけはできない。


 力に付随する義務など、誰もリリムには与えられない。聖女の力を行使でできるのは彼女自身だけであり、力を振るうのは彼女の意思だ。ならば、できるのは押し付けることだけ。なのにそれを押し付けることができる者はこの帝都のどこにもいない。存在したとしても、それは結局彼女だけのまま。だから、その意思を確固たるものにした彼女は、なんだかんだで文句を言うのだ。


「もう。本当にあいつはデリカシーがないわ。こういうときこそ、あんたは私の側に居てくれなくちゃいけないんじゃないの?」


 無駄に金だけはかかっていそうなベッドの上に寝転び、枕を抱えて悪態をつく。この局面。この状況。それを打破できるかもしれない男はいっこうに姿を現さない。それを考えると、なんだか悔しいぐらいに頼りにしているのだと少女は改めて思い知らされる。


 切なさを押し殺すように、リリムはギュッとただ枕を抱く。


 半月程度会ってないだけでこの様だ。ドルフシュテインでは頼りっぱなしは嫌だとまで言ったのに、それでも最後は頼ろうとしている。それは、もうそこまで心を許したという証明か。最後に頼れるのが自分自身ではなく彼だということが、どうにも恨めしげな感慨を誘発する。


「こんなに私は不安なのよ。なのに放置プレイって何? 夫失格よシュレイダー」


「……酷いぞリリム。私を心配させ続けている君がそういうことを言うのは」


「……なぬ?」


 いつの間にか、ベッドの側にシュルトが居た。出てくるタイミングを伺っていたのではないかと思わせるほどのそれには、リリムとしても頬を膨らませるしかない。同時に、知らずに洩らした独り言を聞いたせいか、なんだか嬉しそうな顔をしているところも許せない。


「もう馬鹿! どこをほっつき歩いてたのよ!」


 微笑を浮かべた相手に、照れ隠しで枕を投げつけた。


「勿論、君の望みを果たすために駆けずり回っていたのだ」


 胸元に飛来した枕をキャッチしながらシュルトは言った。むくりと体を起こしたリリムは、眼を少しだけ吊り上げたままベッドの脇に座る。無言で、右手でベッドを叩くと、シュルトが承知したとばかりに頷いて隣に座った。


 久しぶりの二人だけの時間。二人してベッドの隅に並んで座ると、シュルトが当然のように肩を抱いてきた。抵抗する事無く成すがままになった少女は、その肩に寄り添いながら身を任す。ついさっきまで怒っていたのに、そうしているとなんだかそんな気も失せてくる。数秒の沈黙の後、彼女は尋ねた。


「ねぇ。私の望みを叶えてくれるために動いてたんだったら、アレをどうにかすることができるってことなのよね」


「さて、やってみないと分からんよ。だが、君の望みがそれならば、私はその願いを叶えるために全力を尽くすしかないな。三度目の念神殺し。君が望むなら私は挑むことを躊躇しないぞ」


「三度目?」


「いや、四度目か。一度は戦争で、二度目はその時の報復で。三度目はこの前のドルフシュテインで君と合流する前にやった。もっとも、あれは向こうが手加減していたからこそ成せたから、カウントするべきではないかもしれんがな」


「だから四度目なのね。でも、そんなこと言われたら期待しちゃうわよ」


 少女の紅眼が彼を見上げる。けれど、今度ばかりは彼は首を横に振るった。


「いや、期待はしないでくれ」


「えっ――」


「正直に言えば、私が今までに相手にしたことのないレベルの念神だ。信じがたいが、アレを生み出した想念はよほど信心深い者たちに支えられているのだろう。古い神話に出てくる神獣か、それとも念神の敵対者としての対立存在か。どちらにせよアレは規格外に過ぎる」


「じゃ、じゃあもうどうすることもできないの!?」


 勝てないと確定しているのであれば、挑むことにきっと意味は無い。けれど皆が今必死になっているそれが無駄だなんてリリムは信じたくはなかった。ましてや諦めろなんて言えやしない。もう、希望を背負ってしまっていた。計らずとも、無責任にも。なのに、ここにきてそんな残酷な言葉なんて紡げない。


「せめて人型ならまだやりようはあったが、アレは大きすぎる。あのサイズを一撃で消し飛ばすのは相当に骨だ。自ずと打つ手が限られるし、何よりあの少年だ」


「あいつ? でも、あいつもう死んでるわよ。中身がなんか変わっちゃったみたいなんだもの。多分、中身は私を一回殺しかけた奴よ」


 そこまでは視えた。嫌にはっきりと彼女の劣化魔眼でさえも。それ以前に、一度中に降りてきたせいで、あの不快極まる存在を彼女が見誤るわけが無かった。


「その中身もきっと念神だ」


「えっ」


「勿論ただの想念神ではない。アレはどちらかといえば概念神かもしれんな。私の知る魔法理論では机上の空論として語られた代物だ」


「概念神?」


「念神は人々が共通して持つ幻想が想念に触れ魔力で実体化した神だ。だから、イメージを共有する者が多ければ多いほど、信じられれば信じられるほどに強くなる。だが、概念神は別だ。何故なら、幻想ではなくもっと原始的な概念から生まれたものなのだ。例えば、怒りや憎しみといった感情そのものとかな」


 知的生命体がその知性で幻想を作り出した。その想念が魔力に焼き付けられて生まれたのが念神。けれど、概念神は人格さえ持たずに信仰――というよりは存在が当たり前のように認知されている実体無き幻想である。


「普通は、それが擬人化されたり実体化することなどない。生まれ出るはずのない存在だ。ましてやそれは、純粋な力にはなりえても一個の存在として各個たる自我をもって振舞えるはずがない……と、されてきた」


「でも、あいつは自我を持って動いている感じよ」 


「そうだ。だからこそ私はアレを恐れている。アレは殺しきれん。念神もそうだが、彼らは幻想の源が居なくならない限りは絶対に滅びん。殺してもそのうち復活する」


「じゃあ、あの竜も?」


「そうだ。だがあいつは元の世界で蘇る。しかし概念神は別だ。こいつはさっきも言ったが共通の幻想でなければならないというルールの中に居ながら、その外に居るような反則存在だ。もし、アレが怒りから生まれた存在なのだとしたら、それは怒りの存在するどこの世界にも現れることができるということを意味しているのだ」


「そんな、じゃあ……事実上絶対に倒せない? 倒せはしてもすぐに蘇るんじゃ勝てないじゃない!?」


「そうなるな。何せ、怒りなら異世界間さえ超越する概念として我々は認知し、信仰している。奴を滅ぼし、二度と存在せしめないようにするにはその怒りを認知した全ての存在を抹消するしかない。だが――」


「どこにも、そんなのが成立する場所なんてあるわけがない」


 意思有る生き物がいる限り、その概念を認め続ける限り、絶対に滅ぼせない不滅なる神。それが概念神。その信仰は世界間さえ超越し、異世界からでも当たり前ように人々と繋がっている。ならば、当たり前のようにその力は念神を上回る。そんな存在に今、あの暗黒竜は使役され使われているのだ。


 いや、暗黒竜だけではない。この世界に居る魔物のほとんど全てがその存在の支配下にある。この事実を改めて理解したとき、シュルトでさえ恐怖した。


「気づくのが遅すぎたよ。レブレやだらっちが抗えないわけだ。アレは、抗うことができないほどに凶悪な力を持っている。力の規模それそのものの次元が違うのだ。そう。だから、アレをどうにかできるのは私ではなく君だけだ」


「わ、私? でも、そんな凄そうな奴に私の力なんて通用するの?」


「君の奇跡の光はあの闇を凌駕している。影が光に最終的には勝てないように、あの闇は君の輝きの前では無力だ。君の戦いぶりを見て、私はそういう結論に達した。そしてその上で君は、今より上へと行くことを運命に望まれているようだ」


 シュルトが足元の影の中から一振りの剣を取り出す。それはリリムを貫いた剣であり、公爵邸のパワースポットに突き刺さった白刃の剣。その色と、貫かれたときの恐怖は今でも彼女は忘れていない。


「それ、ドルフシュテインの……」


「君が語ったことが確かなら、これは君の聖なる血を浴びて聖剣になり、そして地脈に突き刺さることで星のエネルギーさえも得て星剣化した。真実君のための武器だ。リリム、これは決戦の日が来るまで出来る限り強化するために預かっておくが、覚えておいてくれ。この戦いの切り札は君とこの剣だ。私ではなく君たちなのだ」


「……なによそれ。酷い、酷いわよシュレイダァァ……」


 頼りにしていたのに、頼らせてくれない。この局面で、そんな残酷な言葉があっていいのだろうか。リリムは嗚咽する。シュルトが言うほどに自分の力など彼女は信じられない。なのに今度の戦いの勝敗をその小さな背に完全に背負わされてしまった。


 それが、聖女としての当たり前の業だった。偶然にも押し付けられた力によって脆弱な人に求められる、それ以外からの圧力であり、実体無き希望の重み。


「なんでよぉ……他の奴で、いいじゃない。貴方でもレブレでも公爵のおじさんだって、あの変態皇女でもいいじゃない。なんで? どうしてよりにもよって私なの? 皆どうかしているわ!」


「そうだな。私もそう思うが、どうにもそれ以外に活路が見出せんのだ」


 申し訳なさそうな声で、現実に押しつぶされそうな少女をシュルトは優しく抱きしめる。今度ばかりは、重荷を分かち合うことができない。それは、彼としても痛恨の出来事であった。


「どうしてレブレが君を担ぎ出したのかようやく分かった。奴は、戦争に出すことで君の認知度を上げようとしたのだ。黒幕との戦いを越えるために。人々の願いを君に集め、君を救世主にするために」


「救、世主……?」


「世を救う者。星を救う者。呼び方は色々ある。聖女も所詮はその別名でしかないが、あいつは君がこうなることを理解していたのだろうな。甚だ許せんことだが」


 剣の柄をリリムに差し出す。少女が躊躇するも、押し付ける。すると、剣から一瞬莫大なエネルギーがリリムに流れ込んできた。一度抜いたときには無かった反応だ。

 それは当然かもしれない。今のリリムは敵を明確にしている。それは星の魔力を食い散らかす召喚者と、それに使役された化け物。なら、それを敵と定めた今星の意思に完全に沿う形になったと言っても過言ではない。だから向こうから使われることを望んでいた。


「なに、これ。暖かいのが流れ込んでくる?」


「この星もアレを認めていないということだ。召喚者を含め、どうにかしなければならないと、この星そのものが君に頼んできているのだよ」


 剣を影に仕舞い、シュルトは呆然とする少女の頬に右手で撫でた。恐怖に呼応した雫が、親指で拭われる。


「勿論、嫌なら何もしなければ良い。見捨てるならそれでもいい。君の怒りはきっと、理不尽なものではないだろうから。その時は私も一緒に見捨ててどこまでも逃げてよう。ハネムーン兼逃避行だ。君を求める奴らの目の前で君を掻っ攫ってやる」


「……何それ。そんなんで慰めてるつもりなわけ?」


 そんな慰め方で、どうにかなるほどの重みではない。これで逃げられる程に、リリムは弱くはなかった。いや、決して強くも無かったが、それでももう決めていたのだ。


 眼を閉じて、呆れるほどに希薄だろうペルソナを探していく。聖女だって身に余るのに、今度は救世主と来た。成りきることができるかさえ少女にも分からない。けれど、無いなら無いで零から構築するだけだった。


「いいわ。つまり、これはアレよねシュレイダー」


「ん?」


「これをちゃんとやりきっちゃえば、どいつもこいつもこの星さえも私に頭が上がらなくなっちゃうってことよね!」


「ふむ。難題を押し付けるわけだからな。対価はあってしかるべきだとは思うが、期待しないほうがいいぞ。こいつらは押し付けるだけ押し付けてその後は知らんという薄情さと厚顔無恥さを持っている。救世主はその典型的な犠牲者だ。用が済めば背後からグサリが相場だぞ」


 だから表に出したくは無かったのに、もはやそれさえもままらなない。そして何より、もう少女自身が隠すことを放棄している。だったら、シュルト・レイセン・ハウダーに出来るのは出来うる限り守ることだけ。


「なんて助け甲斐がない奴ら! ちょっと私に甘え過ぎてんじゃないの!?」


「そうなったら今度は私がこの星を潰すさ。安心してくれ。仇は取る」


「余計に安心できないっての! ううー! こうなったら、この星諸共調教して私の足元に跪かせてやるぅぅぅ!」 


 この星の救星主殿は、救世主にしてミニ女王様である。言うことを聞かない奴には容赦などしないのだ。


「奉仕よ。奉仕の心が足りないわ。どいつもこいつも私から一方的に労力を搾取するなんて! そんな理不尽、私は絶対に許さないわよ。そんなのが罷り通るんなら、絶対にあの鬱陶しい奴ら共々まとめてシバき倒してやるんだから!」


「世界に対しての決意表明か。まぁ、宣言しておくに越したことは無い……のか?」


 ある意味世界に対する脅迫ではあったが、シュルトはこの期に及んで息巻く彼女の強さに思わず肩を震わせた。なにやら、この世界レグレンシアはとんでもない相手に借りを作ることになりそうだった。


「勿論、貴方がその第一号よシュレイダー!」


「むう? 私はもうこれ以上無いほど君に奉仕しているつもりだぞ」


「あんな程度じゃ足りないっての!」


 今もまだ心細い。その恐怖を取り払わず、安心させもせず、何が奉仕だというのだろう。少女は子竜を躾けるときのような据わった眼でシュルトの右手を退けると、全身に聖浄気を纏いながらシュルトをベッドに引きずり込んだ。


「リ、リリム?」


「まずはいつもの忠誠心チェッーーック!」


 困惑するシュルト前に、ずいっとおみ足が晒される。


「久しぶりの食事か? しかし、血が流れていないが……」


「食事なわけ無いでしょうが。無事に終るまでお預けよっ!」


「なっ!?」


 死の宣告の如き言葉がシュルトを襲う。とても残念そうな顔をするその男に、ミニ女王様は艶のある顔で続ける。


「その代わり、私をその気にさせてみなさいよ」


「いまいちよく分からん。もっと具体的に言ってくれないだろうか」 


「だから、その、アレよ」


「アレとはなんだ」


「もう! シュレイダーは私の言うとおりにしてたらいいの! やるの? やらないの?」


「君がしろというなら勿論するが……」 


「じゃあしなさい」


「うーむ」


 浄化魔法で清め、言われるがままに舌を這わせる。血の味のしない柔肌は、当たり前のように吸血鬼の腹を膨らませることは無い。上手いとか不味いとかそういう次元の問題でさえない。


 けれどシュルトは求めに応じた。それができない精神ではなく、それを拒絶する意思もない。困惑しながら、ただ少女への愛故に応えた。


「――ん。もういいわ。やっぱり、躊躇しないシュレイダーは変態よ。十分に分かったわ」


「変態の基準が分からん。何故これを強要した君ではなく私がそう呼ばれるのだ」


「それでいいの。その代わり、時間あるんでしょ。私が寝るまで付き合いなさい」


「リリ――」


 問いかけようとした唇が塞がれる。そのまま押し倒されるようにベッドに倒れこみ、シュルトが眼を白黒させる。だが、すぐに察したように少女の背を抱きしめ、その求めに応じた。否という感情は、当たり前のように湧いてこなかった。


「怖いの。ねぇシュレイダー。だからお願い。ちょっとでいいの。少しぐらい、またあのときみたいに全部忘れさせて――」


「……ああ」


 珍しくはっきりと甘えさせろという少女の言葉を、シュルトは当然のように受け入れる。それは、救世主でもなければ聖女でもない一人の少女の、当たり前のような弱さであり心の底からのお願いだった。












「もう……行っちゃうのね」


 名残惜しげに、少女が呟いた。


 月明かりだけが部屋を照らす暗い夜。隣から消える熱の喪失を残念に思いながら、リリムはシュルトを止めなかった。


「名残惜しいのは私もだ。だが、やることをやらないと君の決意も頑張りも無駄になるかもしれない。それだけは、私は絶対に看過することができん。それに、この機会に過去を清算してこようと思うのだ」


「過去を?」


「夜が明けたらリングルベルに行く」


 脱ぎ捨てた服を纏う吸血鬼は、苦味のある顔で少女に言った。


「……いいの? あんた、絶対に足を踏み入れたくないって言ってたじゃない」


「本当は行きたくない。だが、やりたくないことをやろうという君の前で、必死に強がる君の前で私が駄々を捏ねるわけにもいくまい。魔法淑女隊の火力があれば、雑魚は任せて大物に集中できる。協力を取り付けることさえできれば戦いが楽になるはずだ。代償はあるかもしれんが、交渉する価値はある」


「……間に合うの?」


「間に合わせるさ」


 力強く言い切って、シュルトはリリムの額にキスをする。


「やっぱり、一回吸っていって」


「いいのか」


「その代わり約束よ。ちゃんとここに帰ってきて。シュレイダーはもう私のなんだからね。昔の学生だろうと国だろうと、貴方は私以外に篭絡されちゃダメなんだからね」


「当たり前だ」


 愁いを帯びながらも傾けられた顔の向こう。晒された首筋に牙を落とす。嚥下する血が、久しぶりに彼の心身を掌握する。このまま永遠に吸い付いて居たい幸福感を振り切って、シュルトは自分の首筋を差し出す。


 それに、当たり前のように少女が噛み付いた。小さな牙の跡が、シュルトの肌に刻まれる。互いにそれを塞ぐことなく、今日の約束を忘れさせない証としてそのままにし、二人は分かれた。


「行ってらっしゃいシュレイダー」


「行ってくる。戻るまで、なんとか凌いでくれ。リリム」


 転移で消えたシュルト。その転移光が消えてからも、しばらく少女はその場所を見てから瞳を閉じた。少しだけ、安心したような寝顔のままで。


――聖女リリムの最後の夜が、こうして更けていった。


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