第七話「三人目とカルチャーショック」
夜のダンジョンは静かである。いつものように深夜に目覚めたシュルトは、すぐ隣で寝息を立てているリリムを起こさないように注意を払ってベッドから抜け出した。本来、夜は吸血鬼にとっての活動時間。偶々リングルベルで教職に着いていたせいで昼間に活動する癖がついたが、やはりシュルトにとって最も活動しやすいのは夜であった。リリムの血のおかげでかなり無理が利くようになっているため、体調を崩すようなこともない。それどころか、過剰なまでの栄養が彼の自力をジリジリと押し上げているぐらいだった。
「そろそろ頃合か」
服を着て外に出る。家の外では、ケインがバーベキュー用に使っている石の竈の側で横になっていた。ベッドは三つしかなく、いつもはサキが寝ているリリムの部屋にはレイリーが寝ている。一人あぶれた彼は気を使いたくないと言って外で寝ている。冒険者にとっては野宿などそう珍しいものではない。苦にならないわけではないが、魔物に襲われる可能性がないおかげでケインはいつもより快適に眠ることができていた。
「んあ?」
とはいえ、冒険者として培ってきた感覚までは眠ることは無かったようだ。シュルトの足音を感知して起きるや否や、傍らにおいてあった剣の柄を握ってすぐに周囲を一瞥した。
「起こしたか」
「ふぁぁぁ。いやまぁ、職業病みたいなもんさ」
大あくびをしながら、剣から手を離してケインが警戒態勢を解く。シュルトは頷き、側を通り過ぎて外にあるテーブル席に歩いていく。だが、ふと思い出したかのように振り返るとケインに尋ねた。
「お前は冒険者だったな」
「一応はこれでもAランクだぜ」
「ならば、使えないわけでもないわけだ。公爵の下へと戻った後、私からの依頼を受ける余裕はあるか」
「ああん?」
横になって眠り直そうとしたケインは、薄目を開けて居住まいを正す。相手が礼儀に拘る類ではないことは分かっているが、依頼者なら話しは別である。かまどを囲うように配置されている石作りの椅子に腰をかける。吸血鬼は当たり前のようにその横に腰掛けて話しを切り出す。
「依頼内容は二つ。あの子の護衛と浮気調査だ」
「……一つ目はまぁ、分からんでもないが二つ目はなんなんだ」
眠気が一気に消し飛んだ。何せ、冒険者に依頼するような内容ではない。偶に妙な依頼がギルドの掲示板に張られることは確かにある。しかし、そんなのは大抵金持ちの道楽の類だ。
そもそもこの大陸の冒険者というのは基本的には魔物を倒して何ぼの職業。護衛依頼や討伐依頼を受けるのは当然でも、そんな個人的な調査依頼を受けたことはケインにはない。基本的に重要なのは腕っ節であり戦闘能力。ケインが二十代でAランクに駆け上がれたのもそのおかげだ。言わばケインは戦闘系の武闘派冒険者。斥候系でもないので調査などは論外だった。そういうのは情報屋や何でも屋に依頼するのが筋である。
「公爵とやら、聞くところよればあの子と随分と仲が良いようだな」
「あー、そういうのはちょっと俺には分からねーんだが……」
教会事件では情報源として贔屓にしていたらしいというのは知っていても、ケインにとっては個人的な趣味にまでは詳しくない。実際、二人の関係がどの程度だったのかもそうだ。公爵と娼婦。一夜のお相手だけなのか、本気の付き合いだったのかなど心底どうでも良いのだ。
「忠告しておくがあの子はもう昔のあの子ではない。公爵が権力で無理やりにも迫るならば……いや、髪の毛一本分の怪我でもさせたなら攻撃対象にカテゴリーするぞ」
「うへぇ。嬢ちゃんに手を出さないように俺に牽制しろってか」
「そういうことだ。お互いに不幸なことにならないよう監視者を派遣しておきたい」
「不幸ねぇ。護衛は別に構わないがその前に忘れてないか。俺は公爵派なんだぜ」
それ以前にリリムはまだ決断もしていない。結局は明日まで保留にさせた。少しばかり悩んでいるようではあるが、吸血鬼はどうやら初めから行くと踏んでいるようだった。ケインからすれば、その方がありがたいと思う一方で嫌な予感しかしない。
ケインはレブレの存在を認識したとき、当たり前のように危険視した。魔物は理性が無いから単調な攻撃に終始する。それはそれで特攻のようで危険だが、複雑に考える必要はない。だが、レブレは違う。理性を保ったままあの大質量を武器に暴れることできる。魔物の攻撃を歯牙にもかけない頑強さでだ。アレを公爵の軍で打破しようと考えた場合、必要な兵力は一体どれだけのものになるだろう。竜は人間の限界を当たり前のように超越している。そこらの魔物とは当たり前のように違うのだ。
確かにシュルト・レイセン・ハウダーの力をケインはまだよく知らない。一応リリムに確認して彼が四人の中で一番強いということは聞いていた。そう、あの食いしん坊な子竜よりも上なのだ。こちらも相応の力を持っていると考えれば機嫌を損ねて敵に回したくなどない。
「そうだ。それでいいのだ。レブレはあの子に着いていくようだし、後で話しを聞いて齟齬があれば攻撃を開始すればいいだけだ。もう分かっていると思うが、私は攻撃材料が欲しいだけなのだ。今すぐにでも公爵の首を取りに行きたい程にな」
「……」
「良かったなケイン。召喚されたあの日、彼女が死ななくて……な」
紅眼の主がジロリと、ケインを流し見る。その横顔には嫌に不吉な笑顔しか存在しない。青年は悟った。こいつは、本気で言っているのだと。視線に込められた明確な殺意の迸り、更には全身から放たれている無形のプレッシャー。これはもはや依頼ではない。命令だ。それが自分越しに公爵に向けられていることを理解するには、その睨みは十分過ぎるほどの効果があった。
(勘弁してくれよ)
思わず剣の柄に手を掛けかける程度には、ケインの危機感は刺激された。断ればどうなるか、想像するには容易い状況だ。彼は当たり前のように顔を顰める。けれどそれでも彼にだとて矜持がある。
「悪いな。俺は今現在公爵の雇われだ。ついでにいえば、仕事中に次の仕事のことを考えるようなことは基本的にしない主義なんだ。終ってから声を掛けてくれや」
「それは良かった。なら、今から行くとしようか――」
もう用は無いとばかりにシュルトは席を立つ。だが、その不吉な言葉を聞かされたケインからすればたまったものではない。
「お、おい。行くってどこへだ? 散歩……だよな」
「何を言う。行くのは公爵の屋敷だ。そろそろ夜襲には持ってこいの時間帯だ。転移強襲し、一撃で蹴りをつける」
「……は?」
「お前は断った。それはつまり、公爵にその気があるからだろう? 優秀な冒険者は自分にできる依頼かどうかを選定するものだ。なら、断るということは依頼達成が難しいと考えたからだと簡単に推測できる。だとすればもはや私が躊躇する理由はないということだ」
「ちょ、待て。待てって! 深読みしすぎだって!」
早足にダンジョンを去ろうとするその男の背を、ケインは血相を変えて追う。なんとか肩に手を伸ばし、歩くのを止めさせる。しかし、それを見てシュルトは疑惑の篭った視線を彼に送る。
「ふっ。焦るところが益々怪しいな公爵派」
「誰だってこんなこと聞かされりゃ焦りもするさっ!」
「別にそこまで気にすることではあるまい。お前の仕事は交渉なのだろう? 公爵の護衛ではないのだから私など放っておけばいい。例え口実を与えたのがお前であっても、公爵は知らない。真実は私とお前の心の中にそっと仕舞えばいいだけの話しだ。どうせ魔法の一撃で屋敷は吹き飛ぶ。闇夜に紛れるから見つかる心配もないしな」
「そういう問題じゃねーだろ!」
「……ああ、報酬を心配しているのだな。それについては気の毒だなとしか言えん。だが、依頼の途中で依頼者が不慮の事故で死ぬなんてことはよくあることだ。そうだろう? Aランク冒険者」
したり顔で言うフリーランサーのその男は、肩に置かれた手をいとも簡単に引き剥がす。手を振り払われたケインは、すぐに背を向けて歩き出そうとするその男を止めるべく両手を挙げた。
「分かった、分かったよ依頼を受ける! これでいいだろ!」
「いや、別にもう攻撃材料は揃ったから依頼などどうでもいいぞ。よくよく考えるとお前に出す報酬が勿体無い。まぁ、どうしても依頼を受けたいというのなら特別にタダで雇ってやってもいいが」
「お、鬼かあんた!」
「その通り。私は人間ではない。血を吸う鬼、吸血鬼だ」
ニヤリと唇を吊り上げるその男に、ケインは当然のように頭を抱えた。公爵への夜襲がブラフである可能性はある。しかし、冗談か本気かの判断がつかない。ケインにとってはほとんど見ず知らずの相手である。殺意は本気そうだが、行動まで判別しろという方がどうかしている。
「それでケイン。結局どうする。私は別にどちらでも構わないぞ」
結局、ケインは折れるしかなかった。やけっぱちのように叫ぶ。
「くそったれ! 嬢ちゃんの護衛と浮気調査をタダで引き受ける。これでいいな!」
「『受けさせてください』ではないのが気になるが、いいだろう。そこまで言うなら仕事をやる。だがさすがにタダ働きは気が引けるな。そうだな……その剣、ちょっと貸してみろ」
「ああん?」
「付与魔法で簡易的な魔法剣にしてやる。良かったな。これでしっかりとリリムを守れるぞ」
「もう好きにしやがれってんだ!」
魔法剣がなんだか知らないケインだったが、背に腹は変えられない。鞘ごと、愛剣であるバスタードソードを鬼に向かって投げつけた。
翌日、悩んだ末に結論を出したリリムは準備を済ませると昼前にはもうレブレの転移でダンジョンを後にした。その間、恐る恐るシュルトの顔色を伺っていたことが、彼としてもよく印象に残っていた。
何も言わないシュルトに対する疑念と、付いて来て欲しい心細さがもしかしたらそこにはあったのかもしれない。その顔を見ても、シュルトは当たり前のように心を鬼にして素っ気無く見送った。彼としても色々と不満であった。一言、「一緒に付いて来て」とでも言ってくれればまた話しは違っていたのだ。けれど残念なことにそれさえもなかった。それはさすがの吸血鬼も寂しかった。
「我が花嫁は相変わらずガードが固い。ううむ。この前の一体感はどこへやらだ。いや、ここは前向きに過去を清算しに行ったと取るべきか」
昼食用に作り置きされたリリム特製のスープをかき混ぜながら、吸血鬼は呟く。その隣では、エプロン姿のサキがハンバーグ作りに精を出している。レブレの不在は肉の消費を大幅に低下させる。それをやっつけるためにミンチを作っては捏ねていく。後は適当に焼いて魔法で冷凍し、冷凍室にでも放り込んでおけばいい。
リリムが当分いなくなるので台所戦線は著しい戦力低下を余儀なくされる。少しでも楽をするべく、作っておくに越したことは無い。そんな単調な作業の中でのシュルトの呟きである。何とはなしに彼女は尋ねてみた。
「何の話ですか」
「リリムが私をあんなにも簡単に置いて行ってしまっただろう。それを考えると、少しばかり寂しく思ってな」
「でも好きにしろと言ったのは先生ですよ」
「そうなのだが、こうも予想通りに動かれると複雑なのだ」
この国はリリムの祖国。所詮は異世界の国の一つでしかないと考えるシュルトとは根本的に立脚点が違う。そこに、何やら知っている男が国の未来を賭けるような戦いに挑もうというのだ。リリムに欠片ほどの愛国心と優しさがあれば、別段この結果は不思議ではない。いや、そもそも無くても問題は無かった。今回は初めからレブレが居る。単独ではないのだ。レイリーは嫌っているようではあるが、公爵に対してはそれほどでもない様子だった。無謀ではあるがやる価値もある。ならば、理由には足る。
だが、ことが終ってからのことや組みしてからのことをどれだけ考えているのかが彼には心配である。そもそもリリムにはレブレのような望みがない。公爵に組して後で利用してやろうという気さえないだろう。そこまで分かっていながら、敢えてシュルトはそのことを忠告しなかった。それはリリムの自分への信頼を計るためでもあったが、こういう結果が出たことは素直に受け止めなければならなかった。
「私はもっとこう、あの子の方から色々と甘えられたいのだ。助けて欲しいなら言って欲しいし、必要ないなら必要ないとはっきりと言って欲しい。我が侭も言われたいし、喧嘩もしたい。もっともっとあの子の隅々まで知り尽くしたいのだ」
「そういうものでしょうか」
「好きな相手のことを知りたいと思うことは、それほど不思議なことではないさ。人も、吸血鬼も、竜でさえもそれはきっと変わらない」
他人の心はそう簡単には分からない。だからよく見て、話して、少しずつ知っていくしかない。その工程を積み重ねていく中で、当たり前のように苦楽を味わうことになる。だがそれでいいのだ。最上級の血だけではなくて、そんな心の贅沢さえもシュルトは享受したいのだ。
「今は分からなくてもいい。サキも何れ、そんな相手に出会うだろう。その時に好きなだけ悩めばいい。これは理性ある者たちだけが発症する病気――『恋の病』なのだから」
「……先生」
「ん?」
「言ってて恥ずかしくないですか」
お得意の無表情を、少しだけ紅く染めながらサキが尋ねる。さすがに料理する手が止まっていた。
「恥ずかしくないと言えば嘘になる。だがこれは教訓だよ。ならば私は教えねばなるまいて。気をつけろよサキ。私のように自分を制御できなくなる程にのめりこまないように、な」
答えると、シュルトは十分に煮立った鍋を暖めていた魔法の火を消してフライパンの準備に取り掛かる。そうして、今度は隣のかまどに魔法の火を展開すると、サキが作ったタネを焼き始める。それで会話は一度途切れるが、ふとサキは思い出した。昨日からどうも引っかかっていることがあることを。
「そんなに執心しているなら先生はどうしてリリムについて行かないんですか」
「んん、そうだな。いくつか理由がある」
「と言うと?」
「正直、この国の趨勢などどうでもいいというのが先ず一つ。これは君と同じだな」
空元の人間であるサキと同じように、異邦人であるシュルトはこの国の未来に興味などない。興味の中心はリリムだけなので、それも当然といえば当然だ。しかしそれでは何故そのリリムを放置するのかが分からない。いつも彼は過保護なくらいに立ち回ってきたのだから。
「次にレンドール公爵を私は既に見限っているからだよ」
「見限る……ですか」
シュルトは公爵と直接会ってはいない。サキはリリム召喚の時に少しばかり会話をしているが、伝え聞く風聞と会話したときの印象からすればそれほど悪い人物には見えなかった。それでも、やはり肩入れする理由にはなりはしなかったが。
「考えてもみろ。こいつは私とは違うのだ。国のためならリリムを容易に切り捨てるぞ。今回、ケインたちが来たことで私は確信した。特にあの女、レイリーは危険だ。奴のあの目は目的のためなら手段を選ばない目だった。彼女は全て分かっていてリリムに会いに来たのだろう。報酬の話しをしてもデメリットの話しをまったくしなかったのがその証拠だ。情に訴えるやり方が最も効果的だと理解したうえで立ち回っているように見えた。しかもいくらあの子が可愛らしいからといって、私の前で色目を使うのを隠そうともしない所が気に入らん。気に入らんぞ」
私情全開の上に妙なやきもちも理由のようだ。とはいえ、サキもレイリーに関しては余り良い印象を抱いてはいなかったのでそこは首肯した。
「確かにあの人は私も苦手です。あの胡散臭い態度が特に」
商人の笑み<営業スマイル>のようなものだ。立ち回りが作意に塗れているようで、素顔がまるで見えてこない。生い立ちを考えればそれは当然だが、それを隠そうともせずに堂々としているところが余計に鼻につく。それは、商人とは逆のあり方だ。腹芸は腹の中でやるものであって、見せ付けるようにしてやるものではない。大陸と空元の価値観の違いかもしれないが、その辺りがどうにもサキは駄目だった。
「それと、ついでに言っておくがバノス宰相に着くのは端から論外だ。あの子が公爵についたことで確実に敵になる。というか、部下が射った時点でこいつは駄目だ。昼から行う強化合宿が終り次第、城ごと潰すぞ」
「えっ!?」
その時、当たり前のようにサキは耳を疑った。
「城ごと潰すってまさか先生……文字通り、ですか?」
「うむ。レブレはリリムを担ぎ出して公爵に恩を売りたいらしいが知ったことではない。あの子の安全のために中に居る英雄共々城ごと潰して始末しよう。どうせ宰相ともなれば戦争には出ない。レイリーが言っていたようにバノス宰相とやらが要なら、それで大勢は決まる。そもそも軍で攻めるにしても諸侯から軍を集めるのに時間がかかる。その間に元凶を討ってしまえばあの子は安全だ。有象無象が一枚岩にならないなら公爵も各個撃破が用意になろう。この世界の通常の兵士や暗殺者なら、まぁレブレが死ぬ気で守るだろうからなんとでもなるが、連中はそうはいかんしな」
そんな気軽に言われても、サキとしては困る。そもそも昼から強化合宿を行うというのも初耳なのだ。数秒ほど当たり前のように言葉に詰まってしまう。それでも、聞かないわけにはいかないから恐る恐るエプロン姿の吸血鬼に尋ねる。
「その、城には山脈にある結界と同じものが張られているんですよね」
「そうだ。だからそれをぶち抜くために強化合宿の目的地を古城に設定した」
古城といえば、帝国内にあるパワースポットの一つである。山脈を源流とする川の、その途中に打ち捨てられた廃墟。そこでサキはレブレの言葉を思い出す。『パワースポットの魔力を使えば楽に戦える』と彼が言っていたことを。
「えと、あんな遠くから上級魔法を?」
「いや、さすがにあの距離ともなれば射程外だ。だから攻城級から戦略級の超長距離攻撃用の大魔法をいくつか考えている」
「それは教えてもらえますか」
「サキに教えるのはリングルベルの学園と同じで上級までだ。それ以上は通常の魔物との戦いでは必要ないから考えてはいないよ」
「そう……ですか。いきなり練習のために城を攻撃しろと言われるのかと思ってホッとしてます」
「ははは。アレは習ったからといってすぐに使えるような代物ではないよ」
さすがに魔法を習って一年足らずの人間に行使できるようなものではない。
「先生の住んでいた世界は怖いです。そんな聞くだけで恐ろしいと思うような魔法が使われているなんて……」
「しかし同時にそれを防ぐための魔法も開発されているし、今では周辺国との条約で使用が禁止されている。毎日飛び交っているわけではない。勿論、そんなもの知らんとばかりに撃って来る阿呆が隣国にはいるからその時は当然のように撃ち返すがな」
「……とんでもない世界ですね。もう想像もしたくないです」
シュルトやレブレみたいな存在が沢山集まって魔法を撃ち合っていると思えば、サキとしてはその時点でギブアップだった。
「おかげで今ではすっかり魔法使いは戦争の道具さ。本来、魔法使いというのは神の御業を再現するための存在であり、魔法とは真理探究の結果に過ぎない。それが偶々その威力と利便性から戦いのツールとして進化してしまった。生活方面に進化したこの世界土着の賢人魔法とはまるで間逆だな」
それの是非はともかくとして、本来の目的からかけ離れていることについてはシュルトも思うことがないわけではないのだ。ただ、シュルトも力を求めるためでもあった以上は、その進化を頭ごなしに否定することはできない。結局のところ、必要だから生まれたというだけの話しなのだ。後は制御する側の都合問題であり、それ以上でもそれ以下でもない。
「でも魔法は神の御業の再現……ですか。なら、先生もそれを目指していたのですか」
「初めは実益を兼ねた趣味みたいなものだったよ。今でも必死になって『神の如き者』に成ろうという気はあまりない」
「神の如き者? 到達者はそう呼ばれるんですね」
「到達した者の話しなど、とんと聞いたことはないがな」
所詮はそれも伝説の如き話でしかない。偶々魔法使いの始まりがそうだったということだけの話し。金を生み出すことを目的に錬金術が発達したように、魔法使いの目指すべき到達点が神の御業だったというだけのことに過ぎないのである。
(しかし、リリムを見ているとまた研究してみるのも悪くはないとは思うがな)
神の代行者とも呼ばれる聖女の力には、単純に興味が尽きない。どうせなら世の女性たち全員を聖女にする魔法でも編み出すことが出来れば、食料について心配する必要がなくなる。と、そんなことをシュルトはハンバーグをひっくり返しながら思った。だが、数秒後にはそんな考えもすぐにやめた。
量産された聖女が居たとしても、あの日に少女に語ったように餓死寸前にまで行ったところを助けてくれたのはリリムなのだ。ならばシュルト・レイセン・ハウダーにとっての聖女とは、唯一あの少女だけで良い。それ以上は必要ない。それが嘘偽りのない彼の気持ちだった。
「参ったな……」
「どうかしましたか」
「いやなに、ハート形に焼いてみたんだがリリムがいないことに気づいてな。改心の出来だというのに勿体無い」
「それ、前にやってリリムが困ってませんでしたっけ」
「照れてレブレと交換していたな。ふふふ。そのうち溢れんばかりの気持ちの篭ったハンバーグを食べさせてみせるさ」
形に照れていたというよりはその量に呆れていたような気がしたが、いつものようにサキは流した。だが、その時彼女は気づいていなかった。全てのハンバーグがボリューム満点のハート型で焼かれ、なおかつそれを強化合宿中に自分たちで消費することになろうとは。
調理と昼食を終え、シュルトとサキは帝都の裏路地へと転移した。今日も今日とて相変わらずの賑わいだ。すぐに耳に聞こえて来た人々の喧騒が春の陽気に混じって、ダンジョンの静寂とは違う世界を自然と演出してくる。
ゼルドルバッハの人々にとって、召喚の光や城から聞こえたという絶叫は、ここ最近でも噂話になるほどの話しの種だ。けれど、だからといってそれがどういうことなのかを知る者はいない。口々に自らの予想を口にし、うす気味悪がり、英雄の召喚が行われたとか城内で大粛清が行われたとか勝手に予想して盛り上がっている。
「城の結界の話しをしている者が居ませんね」
「私にも薄っすらと見える程度だ。直接触れでもしなければ誰も気づかないさ」
しかも昼間はどうやら城の出入り口は当たり前のように結界に穴が明けられており、気づくことを余計に困難にさせている。最近は夜にシュルトが監視していたが、特に動きがあるわけでもない。だから余計に不気味さだけを彼に提供していた。それも彼が城ごと潰そうなどと考えた理由の一つである。
「魔力感知もできず、見えない結界。でも山脈のアレと同じだとしたら先生が攻撃すれば人々も気づきますよね」
「大した問題ではないよ。どうせ公爵の決起でそれどころではなくなる」
シュルトと共に城に向かって真っ直ぐにメインストリートを抜けながら、サキはその言葉に納得した。不気味な城の光景よりも、生活に密接に関わる公爵の挙兵。訳の分からない事象よりもよりをその方が現実的な事実が忘れさせることになるのは想像に難くない。日々の安全なる生活こそが庶民がまず第一に守りたいものである以上は、戦争の方がよっぽど恐ろしいのが道理である。
まだ城の噂だけで公爵が起ったという噂話は聞こえてこないが、それも時間の問題に過ぎないだろう。空元で戦争が起こったときなどは、街中で不安の声がよく上がったものだった。有利不利を勘定し、逃げる者や残る者たちに分かれて右往左往する。帝都もすぐにそんな状況になると思うと、サキは案外どこの民衆も変わらないのだなという淡白な感想を胸に抱く。
と、そんな中シュルトが立ち止まり、地面に落ちていた小さな石をいくつか拾ったのを彼女は見た。それらは何の変哲も無い路傍の石だ。しかしシュルトが外套のポケットに仕舞ったところで奇妙な魔力反応を感知した。
「先生?」
「魔力マーキングだ。超長距離攻撃時にこれを目印に叩き込むのさ」
自信満々に言うと吸血鬼はそのままサキと共に城へと更に近づいていく。帝都城の周りには堀があり、堅牢な城壁がその後に続いている。城と街を繋ぐのは南側に唯一設けられている跳ね橋だ。対人は愚か、対魔物でもこれらは防衛拠点として機能するだろう。門の前には屈強な門番が外套のフードを被ったまま立ちふさがり、入城者をチェックしている。やはり、昼間は普通に人の出入りがあるようだった。
そのまま二人は観光客でも装うように堀の外周を回る。途中、シュルトは堀の四隅にマーキングした石を落とす。このマーキングは一月程度で消えるように簡易エンチャントされた程度のものだが、それで彼には十分だった。
(やっぱり、先生は本気のようですね)
当たり前のように着々と進んでいく攻撃準備には、サキとしてもドン引きだ。冷静に考えてみれば個人で城攻めをやろうというのである。それは空元の大名たちでさえも経験したことのない戦術であることは間違いないだろう。彼女の知り合いである次男坊などは、これを聞けば「ワハハ」などと面白そうに笑うに違いない。
本当ならバノス宰相とレンドール公爵の二大巨頭の戦いなのに、ポッと出の第三軍としてシュルトが居るようなものである。しかも気に食わないという理由だけで馬鹿みたいな猛威を振り回せる個人だ。こんなのが野放しにされていることは、きっと両軍にとって恐怖以外の何者でもない。
「思うんですが、先生だけでこの国を落とせるのではないですか」
「今現在に限定すれば物理的に困らせることぐらいはできると思うぞ。一年前ならいざ知らず、今の私は帝国の主要都市を転移強襲することができるからな。ただ、やはり破壊はできても制圧や占領ができん。そこが私の、個人としての限界だ。なんとも攻撃的な魔法使いらしいがな」
少しだけ自嘲気味にシュルトが笑う。
「何事も破壊することの方が簡単なのだ。それに比べて、守ることのなんと難しいことか。不器用な我が身には少しばかり荷が重い――っと、すまんな。私の愚痴などつまらんだろう」
「いえ……でも先生を見ていると、鬼という生き物がなんだか怖くなくなります」
傍から見ていると意中の少女のために全力で空回りしているようにしか見えない。鬼が人間に心を砕き、悩む姿はなんだか少し滑稽でさえある。それは、空元に伝えられる恐ろしい存在としての鬼のイメージとは余りにも遠すぎた。おまけにシュルトには角もないから人間のように見えてくる。
「言っておくが私を吸血鬼のスタンダードとは思うなよ」
「きっと先生以外の吸血鬼もそう言うのでしょうね」
「ははは。その通り。好き嫌いが無い彼らからすれば、私など圧倒的少数派だよ」
最初は冗談の一つも言わなかったというのに、最近では少しずつ肩の力が抜けたようである。シュルトはその変化を好ましく思い、なんとなく掌をサキの頭に乗せた。途端、サキはジト目で彼を見上げて抗議する。
「先生、私もそろそろ十五ですよ」
「私からすれば子供みたいなものだよ。こう見えてレブレより年上だぞ私は」
「では、これからはお爺ちゃん先生と呼びましょうか」
「それはそれでしっくりこない表現だ。しょうがない、ご機嫌を取るためにも強化合宿の前にハニードロップに寄ろうか」
「もしかして先生、私をリリムと同じだと思ってませんか」
お菓子に釣られると勘違いされるのは嫌だとでも言うように、やんわりとシュルトの手をどけるサキ。その様子に、気難しい年頃かと察した彼は頷いた。
「そうか。嫌なら止めるか」
「い、行きたくないとは言ってません」
シュルトの外套をちょこんっと掴み、そっぽを向いてサキは言った。どうやらハニードロップの魔の手は確実に女性陣の心を鷲掴みにしているようである。吸血鬼は多感な年頃の少女の心の機微に苦笑はしたものの、頷いてストリートを南下していった。
だが、店に辿り付いた二人はいつもと様子が違っていることに気がついた。店の入り口の扉には張り紙が張り出されており、しばらく休業にする旨が記載されていたのである。
「定休日……というわけではなさそうだな」
「休みならしょうがありませんね」
次の再開日時などは記載されておらず、何時から再開かも分からない。少しだけ不審に思ったものの、休みなら仕方がない。踵を返そうとしたところで二人は何やら家の中から移動してくる魔力反応を感知する。その人物は勢いよく入り口の扉の鍵を開けるや否や返事も聞かずにシュルトとサキを店内に引き釣りこんだ。
「どうした店長。今日は休みではないのか」
引き釣り込んだのは金髪のエルフでありこの店の看板娘でもあるエルフ店長、ライラ・ウル・レル・ミラだった。元冒険者であり、いつも軽装で武装した上でエプロンをつけていた。休みのはずの今日はエプロンこそつけていないが、どいういうわけか本気で武装しているように見受けられた。
それは別にレイピア以外の武装が増えたというわけではない。そのまま冒険者として仕事に出られそうな程に旅支度が整えられている意味で、である。腰元のポーチや、纏った外套などを見ればそれは一目両全だ。
「お願い、ちょっと助けて」
余裕の無い顔で懇願するエルフ店長に、二人は揃って顔を見合わせた。
「とにかく順を追って話してくれ」
落ち着くように言い、いつものようにカウンター席に座ったシュルトが用意されたお茶を嗜む。店長はいつものように動いていないと気が気ではないのか、頼んでいないのにも関わらず二人のためにパンケーキを焼き始めている。
「……六日ぐらい前に、城で召喚魔法が行使されたみたいなんだけど知ってるかしら」
「ああ。既に街でも噂になっているな」
「あんな不確かな噂なんてどうでもいいの。いえ、よくはないんだけど……その日を皮切りに変な人たちが増えたのよ」
「変?」
「可笑しく思わなかったかしら。今、街は異常に外套を纏った人が多いの」
「多い……でしょうか。それほど気にはなりませんでしたが」
旅に出る者にとっては、ある意味ポピュラーな装備だ。春半ばといえど夜から朝にかけてはまだ微妙に肌寒いせいでそれほど違和感はない。
「確かに、旅人が着るだけなら不思議ではないわ。でも、まず一番に増えたのは旅人ではなくて兵士や騎士なの。しかも見て頂戴。窓の向こうを」
言われて振り返ってみれば、巡回の兵士らしき人物たちが大きく外が見えるようにしてあるガラス窓の向こうを横切っていく。彼らは皆外套のフードを纏い、人ごみの中を歩いる。
「何か、おかしいでしょうか」
数人で班を作り巡回していることは不思議ではないし、別に兵士が外套を着ていてもやはり可笑しくは無いように思える。
「本当に? もっとよく見て。彼らは皆例外なく外套を着てフードを被っているでしょ。こんな暖かな昼間に全員が例外なく」
「……確かに」
「巡回の兵は各地に配置された詰め所で休むことはあるけれど、歩くと当たり前のように体温が上がる。春だから当然暖かくなったわ。なら、全員があんなにフードを被ってるわけがないの。それに貴方なら彼らの違和感に気づいているんじゃなくて?」
ライラの言葉がシュルトに向けられる。シュルトは軽く頷いた。魔法使いである彼は、当然それに気づいていないわけがなかった。
「サキ、お前なら彼らに共通する不自然さに気づけるはずだ」
「外套以外にですか? えーと……あっ――」
ジッと目を凝らしていたサキが、次に通りかかった兵士を見て言いたいことを理解した。
「魔力が……感知できない?」
「そういうことよ。魔力は生きている者は皆持っている。小さな虫となんかは、よっぽど集中しないと分からないけど微かに持っている。少なくとも、これが無い者で生きている生物を私たちエルフは知らない」
「ですが、動いてますよアレ」
「ちなみに、付け加えるならば奴らは生命力<オーラ>も無い。魔力を持っているだけでオーラが無いだけならただのゾンビだが、こいつは私も見たことが無いタイプの不死者だ」
「ねぇ、そのゾンビとか不死者って一体何なの」
「知らないのか。いや、大気中の魔力が希薄なこの世界はそもそも不死者<アンデット>が存在しないのだったな。知らなくて当然か」
窓の外を眺めながら、シュルトは説明する。
「端的に言えば、動く死体<ゾンビ>とか幽霊<ゴースト>だ」
「……意味が分からないわ。何故死体が動くのよ」
「どう説明したらいいかな。んー、魔法には魔力が必要だな?」
「ええ、それが常識よ」
「この魔力というエネルギーは私たちの精神に感応する性質がある。だから、私たちは魔力を制御できる。だが、その性質が時としては良くない結果を起こすのだ。店長、生物が最も精神を揺さぶられるタイミングが分かるか」
「……怒ったとき? いえ、追い詰められた時かしら」
「そうつまりは死ぬ寸前だ。その時放射される強力な念、思念が魔力に焼き付けられたときにある種の魔法効果を発揮する。それは死者に焼き付けられた念に従って強引に魔力で動かし、本能に導かれるままに動く死体へと変容させる。これがゾンビ。これとは違って魔力に焼きついた思念が、体を得ずに非実体の形で活動する状態をゴーストという。こっちは普通に殴ったり斬ることができない。魔法や気のエネルギーでその構成魔力ごと破壊するしか対処できん。どちらも死から遠のいた存在になったから不死者と呼ぶ。まぁ、単純に摂理に反した存在とでも思っておけばいい」
「ていうことはなに、あの兵士たちはもうとっくに死んでるってこと? でもその説明なら魔力反応が無いのはおかしいじゃない」
魔力に焼きついた念で動いているというのだから、魔力が無ければ動けるはずがない。シュルトの説明では矛盾することになる。
「そうだ。だからアレは私の知っているゾンビの定義から完全に外れている。故に、不死者<アンデット>と呼べるのかどうかは現段階では私も疑問だ。そもそも、生者を無差別に襲うこともしていないしな。行儀が良すぎるところも妙だ」
「あいつら、どうも普通に仕事をしてるみたいよ」
「それはそれで不気味ですね」
「ゾンビは基本的には生前の本能しか残っていないから、動くものを食おうとする。とはいえ食っても奴らは栄養など摂取できんから、仲間を増やすだけで終わるがな。例外は死霊術師<ネクロマンサー>に魔法で操られているときぐらいだ」
「操れるの? だったら、この状況も可笑しくはないってことね……」
「いやそういう魔法があるというだけの話しだ。ああいうのは基本的には下法であり禁術だ。先ほどにも触れたが、ゾンビは魔力に焼きついた思念で動いている。その魔力に魔法で働きかけて操るのがネクロマンサー。だが、今さっきみた兵士たちはそもそも操るための魔力が根本的に感じられない」
「なら結局、そのネクロマンサーとかいうのは犯人ではないわけですね」
「ああもう、頭がこんがらがってくるわ。訳分かんない!」
どれもこの世界『レグレンシア』には存在しない概念であるだけに、エルフ店長は頭を抱える。
「あいつらを見てると嫌な予感が止まらないのよ。だからいつ戦争が始まっても可笑しくないぐらいの気持ちで備えてるんだけど、おかげで商売上がったりだわ!」
八つ当たり気味に焼き上げたパンケーキを二人の前にドンッと置くと、店長がシュルトに涙目で訴える。
「だからいつ襲われてもいいように武装して店も閉じているわけか」
「どうせ被害受けるなら閉めといた方が損害は減るでしょ。儲けもなくなっちゃうけど、背に腹は変えられないわ。しかもちょっとずつ兵士以外も増えてるみたいなんだもの」
「ほう、一般人の中にもいるのを見たのか」
「だから余計に恐怖を感じるわ。ここは表通りだからそうでもないけど、裏通りとか人気の少ないところだとどうも少しずつ増えてるみたいなのよ。フード被った連中がわんさかいるわ。今思えば、全員妙に顔色が悪かったかも……」
いつ自分もそうなるかと思うと、気が気ではないのだとも店長は言う。しかも他の人間はそれに気づいていないのだ。多様な人類種が居るレムリング大陸ではあるが、グリーズ帝国は基本的には人間種が起こした国である。人間以外の種がいないわけではなかったが、その数は少ない。
特にエルフはもともと数が多い種族でもないから帝都でも滅多に見かけることはない。仲間に相談することはそう簡単なことではなく、魔力感知技能を持たない人間に話したところで説明に困るだけ。そうして困っていたところに現れたシュルトたちは、店長にとっては格好の愚痴り相手だった。
「うーむ。事がまた無駄に大きくなってきたな」
「しかも事の起こりが城からよ。もうどうしろって言うのよ」
彼女も召喚絡みだとほとんど断定はしているが、国がどうこうしたことに個人がどうこうするのは当たり前だが難しい。精霊と魔力の件だけでも頭が痛いというのにこれである。かといって通りを歩く兵士たちを調べるほどの勇気もなく、せめて被害を最小限にしようとして店を閉めているというわけであった。彼女が涙目になるのも無理はなかった。
「むっ、今日も美味いな」
「ありがとう……って、のんきにケーキ食べてる場合じゃないでしょう!」
「……焼いてくれたのは君だが」
もはやケーキ作りに自然と逃避するほどに追い込まれているということでもある。サキと二人してパンケーキをパクつきながら、シュルトは優雅にティーを楽しむ。
「店長さん、城が原因なら先生がきっと何とかしてくれますよ」
「ほ、本当に?」
一緒になんとなく食べていたサキとしては、顔色一つ変えないシュルトのマイペースさが頼もしい。ライラからすればその一言は希望だった。カウンター越しに期待する目でシュルトを見る。
「簡単に言ってくれるな。さすがにゾンビの対処方など浄化するか、完膚なきまでに体を破壊することぐらいしか私も知らんぞ」
「浄化はよくわからないけど、破壊? つまり……殺すってこと?」
「勝手に死体が動くから問題なのだ。なら、動かないように粉みじんにすればいいというだけのことだ。奴ら、死んでいるから腐るだけで治癒もしない。ただし中途半端に肉体を破壊しても動き続けるだろうから、この場合は全て焼き払うといい」
「……全員例外なく?」
「そうだ」
「城の中に居るだろう元凶も含めて?」
「その通り」
「どうやってよぉぉぉ!!」
ライラ一人では当たり前のように不可能である。彼女は調理台に勢いよく両手を叩き付けた。普段の客たちには見せられない実に感情的なお姿だ。
穏やかな年上のお姉さん目当てに密かに通いつめている常連の男たちが見れば、より身近な存在に格下げされることだろう。
「いつまでも店を閉めておくわけにもいかないし、かといっていきなり何か起こったら大変だし本当にどうしろっていうの!」
「怒ったり悩んだり大変だな店長も」
「そりゃこっちは死活問題なんですもの」
「いっそのこと帝都を出るという選択肢は……無いようだな」
「当たり前でしょ!」
冒険者時代の稼ぎの大半をつぎ込み、メインストリートに隣接する最高の土地を手に入れて立てた店である。それを捨てるなんて考えはライラにはない。声を荒げて肯定するその様子に、シュルトは仕方なく手を差し伸べることにした。
「しょうがない。なら埒を明けるのに最善の人物に手紙を書こう。ただし、君が自分の足で手紙を届けることが条件だ。少し遠いかもしれんが、それでどうだ」
「ほ、本当!? ありがとう。それで私はどこの誰に会いに行けばいいの」
「ドルフシュテインのレンドール公爵だ」
「悪いわね。移動用の馬代まで出してもらっちゃって……」
「構わんよ。また今度お菓子を食べさせてくれればな」
「その時は是非来て頂戴! うんとお礼するから」
ほとんど旅支度が出来ていたライラが、手を振って去っていく。帝都ゼルドルバッハから、東の街道を通ってドルフシュテインにたどり着くまで、馬に乗ってもそれなりに掛かる。だが店長に戸惑いはないようだった。颯爽と馬を駆る後ろ姿を見れば、いつでも現役に戻れそうな気迫さえ感じられる。
「先生、なんだかんだ言って公爵に押し付けましたね」
生徒が疑いの視線を向けてくるが、シュルトは頭を振って否定する。
「いいや。私はリリムとレブレに警戒させたかっただけだ。それに相手が本当にゾンビならリリムの力が最適だ。あの子に抗える不死者などよほど大物でなければいないはずだからな。まぁ、あの奇妙な奴らは普通のゾンビではないと思うが、その時はレブレがなんとかするだろう。――さて、そろそろ合宿を始めよう。まずはこの馬に乗るところからだ」
「はい」
強化合宿といっても今回は魔法の習得がメインではない。しばらくリリムがいないので、サキだけ魔法の授業を進めると教えるときに二度手間であるからである。かといってその間復習と実践訓練だけでは時間が勿体無い。
そこで、この機会にダンジョンではできない訓練をしようとシュルトは考えた。それはリングルベル王国で学生たちにも教えた馬上での魔法訓練。そして、魔法の効率的な運用力を高める耐久訓練である。
前者は当たり前のように馬に乗れなければ話しにならない。なので、まずは馬の扱いからサキは仕込まれていくことになる。運が良いことに、帝都で買った馬はそれほど気性の荒い馬ではなかった。
「よし、しっかり手綱を握っていろ」
サキの後ろからシュルトも馬に乗り込み、そのまま馬の繰り方を実践させながら街道を西に向かう。合宿の一日目は、そうして馬の扱いに費やされた。夜は転移魔法でダンジョンに戻りしっかりと休息を取る。
二日目からは馬上での魔法訓練と耐久訓練が開始された。午前中は軽く想定される運用を交える講義を馬を繰りながら聞き、実際にシュルトを仮想敵として魔法で狙いながら実践。そして、昼からは昼食と休憩を挟んでサキはひたすら西に向かって自分の足で走らされた。その隣には馬を駆って併走するシュルトの姿があった。
「いいかサキ。お前は人間だ。だから人間として持ちえる基礎能力が必ずお前の限界を産む」
「はぁ……はぁ……」
「その壁を越えるために強化魔法があると思え。魔力が切れたお前は歳相応の少女に戻る。だから魔法の力で人間の限界を越えていられる時間を少しでも伸ばせるようにしなくてはならない。お前はどうもどっしりと構えて火力で勝負するタイプの魔法使いではない。どちらかといえば、臨機応変に魔法と武器を使い分けて戦う魔法戦士タイプだ。ならその資質を生かすため、お前はギリギリまで効率的な魔力の運用方法を体で覚えなければならない」
己の中にある魔力は強化魔法を使っているだけでも当たり前のように消費されていく。燐光を宿した体は馬にも負けないほどの走りを彼女に与える。しかし、それも魔力が減れば減るほど衰えていく。
魔力は何もしなければ少しずつ回復するが、戦場でそれに頼るのは危険である。サキが望むのは魔物と戦う上でのノウハウでありそのめの魔法。数が多い魔物のとの戦いにおいては、長期戦を視野から外すことは絶対できない。加えて、シュルトの魔法は強力である分魔力の消費量は賢人魔法よりも当たり前のように多い。無論それは術者がある程度調整すればいいことだが、魔力が尽きた魔法使いなど戦場では後方に下がるしかない。彼としてはこの合宿を通して出来る限り改善しておきたいところだった。
普段からやらせるべきではあったが、あまり体力を減らしすぎると勉強にも差し支えると思ってシュルトはやらせなかった。物事には順序がある。使いこなすよりもまずは覚えることが先であり、運用効率や応用について考えるのはその後でいいのだ。
これはあくまでも魔法に関しての効率化であり、リリムの内気魔法については別である。彼女の場合はサキ以上に死活問題なので、こちらは気増演舞である程度改善するようにカリキュラムが組まれている。また、肉体面の脆弱性を魔法と気の強化で切り替えることで長期的に誤魔化せるリリムとは違って、サキはそれがまだできない。シュルトも俄然指導に力を入れた。
「疲労を味わい、魔力欠乏の苦しみを肌で感じるんだ。これは武器の素振りと同じようなものだ。繰り返し体に教え込むと体は最も疲れにくい振り方へと変えていく。それを効率的にやるには疲労困憊のときが最も効率よく訓練できるのだ。基礎体力をあげつつ、魔力の使用効率も上げろ。今は出力などいらん。出来うる限り小出しでいい。最低限の出力をどこまで長時間維持できるかを常に意識しろ」
「はいっ――」
強化合宿の訓練内容は地味を極めた。最終防衛ラインの城砦など二日も掛からずに通過し、山脈帰りの冒険者集団や逆に山脈に稼ぎに向かっている冒険者たちの首を捻らせた。
何せ薄い燐光を纏ったまま黙々とマラソンをする黒髪の少女と、それを馬で追う熱血コーチを魔物の勢力圏で目撃するのである。春の暖かな日差しのおかげで汗だくになるせいで、既にいつものジャケットは馬の鞍に仕舞われている。そのせいで上はほとんどシャツ一枚の軽装。サキが両腰のベルトに吊り下げている短剣が、ギリギリで同業者と判別させるが、それにしたって軽装を極めている。人の良い冒険者の中には勘違いしたものもいた。
シュルトを年端も行かぬ少女冒険者を追い回して甚振っている下種な盗賊と勘違いしたのである。おかげでサキは必死にその魔の手から逃げる新人冒険者と間違えられ、冒険者が実際に剣を抜いて助けに入ろうとしたことがあった。だが、それをまたシュルトが勘違いする。
「むっ、冒険者の振りをした盗賊かっ!?」
この魔物隆盛時代には盗賊など流行らない。だが、絶滅したわけでもない。帝国では珍しいが、冒険者に成りすまして奇襲をかけてくる賊がいることをシュルトは知っていたのだ。
「ええい、サキ。訓練の邪魔だ。やってしまえ!」
「はい!」
「ちょ、ちょっと待て! お前たちは一体なんなんだ!」
「はぁ……はぁ……。何と、言われても。通りすがりの……修行者ですが」
ランナーズハイに陥ってもサキは冷静だった。疲れているので一撃で戦闘不能にしようとした神速の一撃を、首筋寸前でギリギリ止める。そうして、顔を真っ青にさせた冒険者の一人から事情を聞きだしてみせる。当然、理由を知ったシュルトは素直に謝罪した。この男、妙に物分りはいいのである。
「そうか。私が盗賊に見えたのか。すまんな、明日からは分かりやすく旗でも掲げよう。勘違いさせて悪かったな」
実際、次の日からシュルトは『少女修行中』と書いた旗を掲げながらは馬を駆った。やがてより実戦的な負荷をかけるべく身体強化魔法だけではなく魔法障壁も薄っすらと張らせたサキを後ろから追い回して密度の濃い訓練へと移行。
訓練の基本は生かさず殺さずがベストであるから当然だろう。しかし、やはりというべきかそれに遭遇した周囲は首を捻るどころではない。二人の修行はその度に中断を余儀なくされた。
「一応周囲には配慮しているつもりだが、何故こうも邪魔が入るのだろうな」
「ですね。思ったよりも親切な人が多いのですし。大陸人の人情もそう捨てたものではないのかもしれません」
「大丈夫か嬢ちゃん!」、「安心しろ、今助けてやる!」などという声がよく聞こえてくるのである。獲物を横取りするのは冒険者たちにとってはルール違反だが、助け合うのはそうではない。いざというときに助けてもらうためにも、冒険者というのは意外に同業者を守るものだ。無論、当たり前のように見捨てる者もいるが。
「ううむ。善意は素晴らしいのだが、これではありがた迷惑だぞ。しかも私が盗賊に勘違いされるところが解せん。もしかして私は自分で思っているよりも悪人面なのだろうか?」
「大陸人の顔の造詣についてよくわかりませんから、私にはなんとも言えませんよ」
「私も異世界人だからその辺りがどうもよくわからんのだ。リリムは可愛らしく見えるが、それは私の価値観だしな。ちなみにサキはオリエンタルな感じだぞ」
「尾理縁田流……ですか。それは褒め言葉ですか?」
「うむ。悪くないぞ。エキゾチック空元だな」
当たり前のように価値観が違う。真面目に訓練しているだけの二人はしばし悩むも、結局は旗で周知する以上の対策を見出せずに訓練を継続した。次の日にはより目立つように『少女特訓中』の旗を増やした。結局、それでも改善されることはなく街道を外れるまで続いた。さすがに古城へと向かうために街道を逸れれば人間の邪魔は入らない。そう、人間の邪魔は。
「今度は魔物の大群ですか」
「ええい、どこまで邪魔が入るのだこの合宿は!」
道中、魔物にポツポツと遭遇することはあった。しかし、最終目的地<ゴール>である川沿いの古城は、下町の廃墟もあわせて夥しい数の魔物に囲まれている。まるで二人の行く手を阻んでいるかのようだ。中でなにやら誰かが戦っているような気配はあったが、これには中々順調に進まない訓練への苛立ちが爆発した。
二人とも我慢強い方であり、理性的であったからこれまでの冒険者たちは穏便に解決する方向で動いていた。しかし、今度の相手は魔物である。八つ当たりには持って来いの相手であったため、二人は短絡的な決断をした。
「先生、合宿の総仕上げを希望します」
「良かろう。馬に乗れサキ。魔力を譲渡して回復させるから修行の成果を見せてみろ。訓練の締めくくりはこいつらの殲滅だ。奴らをリリムと私の愛の巣建造貯金の礎にしてくれるわ!」
シュルトの目標は湖のすぐ近くに見える洒落た屋敷だ。月光の下、花嫁と穏やかに暮らせるそんな家が彼は欲しい。無論、リリムの家をリフォームするのでも良いが、とにかく土地は絶対に拘りたい。当然花が美しく咲き誇る庭も欲しいし、手入れを任せる使用人だって必要だ。リリムを麗しく飾り付けるための宝石や仕立ての良い服も欲しい。そのためにこっそりと貯金を始めているシュルトとしては、目の前の魔物の軍団は丁度良い金策対象だった。
「まずは古城に突入するぞ。サキは馬を操って群れを突破しろ。私が空から援護するが、気を抜くなよ」
「はい!」
疲弊していながらもやる気に満ちたサキを馬に乗せ、花嫁とのエレガントな生活を夢見る吸血鬼が背中に翼を展開。弟子と二人で急遽実戦訓練へと移行する。それは、午後のティーブレイクには丁度良い時間帯だった。
古城を囲む下町で、雄たけびと轟音が何度も木霊した。打ち捨てられた廃墟の中を黒髪の少女が単騎で駆け抜けていく。薄く纏った燐光は、まるで消え入りそうなほどに儚い。頬に流れる汗を鬱陶しげに拭いながら、少女は咄嗟に手綱を繰った。
瞬間、手綱から伝わった意思を汲み取って馬が反応。進路を微妙に変更し、上から墜落してきたワイバーンの巨体を右に避けた。背後に響く激震。風を切る勢いで駆け抜けていく人馬はそれさえも振り切っていく。
「上のことは気にせず進め!」
「はいっ――」
サキの頭上をやや先行して飛ぶシュルトが、翼をはためかせながら次々と空の魔物を撃ち落としていく。サキが見上げれば、魔法の矢<マジックアロー>の弾幕が情け容赦なく空を埋めていた。
更に地上ではシュルトに追走するように不自然に移動している影沼が、人馬の背後から貪欲に背後の敵を飲み込んでいる。相変わらず底無しだが、それだけでは足らぬとばかりに次々と真下からシャドウブレイドで串刺しにしていく。だが、今回はいつもとは動きが違っていた。影の刃は下から串刺しにした後すぐに山形に弧を描いたかと思えば、トビウオが海に潜るかのように影の中へとダイブして獲物ごと沼の中に押し込んでいく。
「GUUOOO!」
すぐ後ろでは、翼を打ち抜かれて墜落した翼竜が逃れようとするところを影の槍で顎下から貫かれて沈んだ。その直ぐ後で、サキの進む大通りを申し訳程度に魔法が降り注いだ。それは彼女が進むべき道を指し示している風穴だ。
「せやっ――」
サキのブーストエンチャントの恩恵を受けて薄く光る馬が、崩れ落ちたアイビーフの上を豪快に飛び越える。高くなった視界の中、前方を確認したサキの目に古城への道を塞ぐかのように集まってくる多種多様な魔物が見えた。特に見知らぬ魔物が居るというわけではないが、どうやら足が速い四足歩行系の魔物は少ないように感じられる。
着地と同時に視界の高さが元に戻る。再び高鳴る蹄の音を聞きながら、サキは慌てず騒がず馬を繰る。コースはシュルトが無理やりに魔法でこじ開けた魔物たちの間隙だ。当然その疾走を阻もうと陸の魔物が容赦なく襲い掛かってくる。
「ブレイドエンチャント――」
手綱から離していた右手が、背中のベルトから光を纏った短剣を抜くと同時に振るわれる。瞬間、十メートル以上伸縮した刃が槍よりも長く伸び、立ち塞がろうとしたオークの首を魔力障壁ごとはね飛ばす。役目を終えた魔力刃は、これまでの修行で覚えたとおりにすぐに出力へと押さえられた状態で短剣を覆う程度に収まる。
もんどり打って倒れる体躯に、邪魔だとばかりに横を通った馬が僅かにぶつかった。魔法障壁が一瞬だけ煌めくと同時に、疾走の勢いと強化魔法の恩恵がオークの体を勢いよく跳ね飛ばす。その拍子に隣に立っていたゴブリンの集団が、それによって将棋倒しになり後に続いた影に飲まれた。
「HIHI-NN!!」
戦闘によって馬も興奮しているのか、むせ返るような死臭の中でやけに強気だ。疾走に混じった嘶きが小気味良く耳朶に届く。サキはコントロールを失わないように気を配りながら、必死にシュルトの後を追っていく。
(――ふむ。大した度胸だ)
定期的にサキの様子を確認しながら、シュルトが心の中で独白した。眼下では、黒髪の少女が魔物を上手く切り抜けて追ってきているのが目に入る。
閃く短剣の切っ先と、覚えた魔法が次々と進路を塞ごうとする獲物を狩っていく。倒す魔物は最小限で良い。どうせその後に続く影が全てを飲み干していくからだ。無駄に必要以上の相手をすることなく、咄嗟に見極めて判断する様は見ていて安心できるほどである。訓練の総仕上げの課題としてはこれも悪くないと思うほどに。その様に少しだけシュルトは過去を思い出す。
リングルベルの王立魔法学園の淑女たちは貴族の子女ということもあって、魔法の授業以外にも様々な授業が執り行われていた。とりわけ嗜みの一つとして指導されていた授業に馬術がある。そこに着目したシュルトは、かつて教え子たちに一つの戦術を与えた。それは馬による高速機動戦術である。
普通の国の軍隊が魔物相手に行うのは拠点を利用した防衛戦術。しかし、重要な都市の間には当たり前のように城砦が築かれている。本来はそこで食い止めることができるわけだが、その間その城砦は当たり前のように魔物に囲まれ長期戦を強いられる。もし援軍を送るとするとして、平地でまともに戦うようなことがあればその数と魔法障壁によって不利な戦いを強いられ余計な被害を出す。
だがシュルトの魔法を覚えた生徒たちは魔法の射程は愚か火力の桁が違う。近づかれる前になぎ払うことが可能になったことで、一撃離脱を繰り返して機動強襲を行うことができる魔法騎兵となった。彼女たちにとっては砦の外壁に群がる魔物など良い的でしかなく、近づかれれば馬の足で逃げ、集団で連携しながら機動力を生かした戦いを展開した。それらは初めから上手くやれたわけではないが、それでも卒業までにはしっかりと形になっていた。戦術は今では更に効率的に昇華されているだろうが、その基本は機動力と攻撃力の融合である。
リングルベル王国は、山脈方向にだけ警戒すればいいグリーズ帝国とは違って魔物の大侵攻が起こった場合には戦力を一点に集中することができない。その点、騎馬ならば徒歩よりも当たり前のように移動力がある。通常の軍は防御に傾注し、駆けつけた彼女たちの到着と同時に攻勢に転じるという戦術を手に入れた。それまでは、増援の兵士たちの被害が馬鹿にならず、頭を抱えていたのだ。これはどこの国でも頭痛の種であった。
これが空元でも通じるかは別として、一つの戦術として確固たる結果を出したのだから魔物対策のノウハウを求めているサキに教えないという選択肢はシュルトにはない。問題はサキが馬に乗れなかったことだ。だが今回の合宿で最低限必要の経験は積むことができた。ならば、後は無事に切り抜けられれば成果有りとシュルトは判断する。
(本番は私はいないだろうが、それを言ったらそもそも魔物相手に単騎駆けする時点で論外だ。教えた趣旨と微妙に違うからな。だが、どう売り込むかはサキ次第、そして運用するかは指揮官次第。ここまでやれれば十分だろう)
学園の生徒たちには安全を考慮して魔物に敢えて接近して戦うようなやり方は教えていない。基本は火力重視の魔法使いしか育てていないからである。何人か女騎士に憧れているタイプは個人的に相談に乗り、魔法戦士タイプのあり方を教えはしたが実際にそちらに転向したしたかは今となっては彼にはあずかり知れぬ所である。
(サキは問題無いとして、だ。気になるのはこいつらか――)
ドルフシュテインを大侵攻の如き勢いで強襲した魔物は記憶に新しい。それはリリムという確固たる攻撃目標があったからだと推測される。しかし、だとしたら今ここを襲っている魔物たちの目的がシュルトには分からない。何せパワースポットであるとはいえここは廃墟だ。魔物が襲うべき人など満足にいないのだ。途中、騎士らしき者たちの亡骸があったがそれも少数。これほどの数が動くとは想像しづらい。
少数の人に対して魔物が動くのは同じく少数の魔物だ。それが今までのセオリー。これを偶然に数えることはシュルトにはできない。となれば、当たり前のように脳裏から外せない可能性が存在した。
(敵か味方か……おっと、いかんいかん。警戒するのはいいが、何事も物騒な方向で決めつけるのはよくないことだ。とりあえず攻撃してこなければ無視するか。土地代の方がよほど大事だし……な)
シンプルに考えると相手が取る行動などそう多くは無い。結局相手がどう出るかなどは邂逅してみなければ分からない。一瞬だけ遠目に捉えたその修道服姿の女を意識して、シュルトは指を弾いた。
巨大な鉄塊のごとき金棒が、地面と平行に振るわれる。黒光りする塊は剛風を生んで対峙する女の髪をかき乱す。それを成すのは巨人の如き体躯を持つ角付きの歩行生物。三メートルはある身長に赤銅色の肌。その丸太を思わせる手足の大きさは明らかに人類のそれを越えていた。それは通称『オーガ』とも呼ばれる人型の魔物である。
グリーズ帝国の兵士たちにとっては、竜の次に恐れる魔物だ。何せオーガはそれ自体が攻城兵器のようなものだ。外壁や城門に取り付かれた際には真っ先に魔法を集中して倒すことが戦場のルールとさえ認知されているほどであった。
竜と同じく数は少ないが、これと近接戦闘を行う者は皆死を覚悟する。何せ、体格が違いすぎた。子供と大人のように歴然とした差がそこにはあるのだ。この質量差は気合でどうにかなるものではない。
「まったく、気に入りませんね」
金棒の一撃を跳躍して避けた女が、手にした異形の槍を持ってオーガの腕を駆け上がる。鬱陶しげに左手で払おうとしたオーガの手が迫るも、女はそれさえも振り切って跳躍。両手で掲げた槍先をその額へと叩きつける。瞬間、魔力障壁と分厚い頭蓋で守られたはずの頭部が陥没した。
貫くというよりは、明らかに殴打を意識した一撃。打撃の圧力で脳漿ごとぶちまけさせたその剛撃に、オーガがたまらず絶命する。女は飛び散った脳髄の破片を気にもせずに身を翻す。そこへ、別のオーガの金棒が迫る。
ぐしゃりと、魔力障壁を失った同類の頭部が今度こそ原型そのものを失った。虚空を舞う女はどういうわけか空中で空を踏みしめ、右に左へと一足飛びに空を蹴って不規則な跳躍を繰り返す。
そのまま自分を追ってくるオーガの包囲網を飛び越えつつ、ふと一瞬だけ目を逸らした。普通の人間ならば、その遠く離れた人物を見つけることはできなかっただろう。だが、彼女は生憎と普通の人間ではない。廃墟からこちらに向かって飛翔してくる紅眼の持ち主と目を合わせた。
「あら――」
その交差は、重力に身を任せた体が城門の高さを下回ったことで終った。すぐに草臥れた庭園に着地すると、女が少しだけ眉を潜める。
誰かが古城の外を包囲している魔物を倒しながらこちらに近づいているのは彼女も感知してはいた。しかし、その相手が吸血鬼らしき何かだとすれば悠長に戦うのは得策ではない。判断は一瞬。次のチャレンジャーのために現行戦力の一掃を決意する。
「接続の準備が必要かしら、ね」
呟きながら門の外へと意識を向ける女に、オーガたちは構わず殺到。一人目が雄たけびを上げながら無骨な金棒を振り下ろす。女はそれを避けない。避ける気配さえない。ただ、余所見をしたまま無造作に手にした槍を掲げた。唸りを上げる金棒が、大質量と共に槍と接触。周囲へと甲高い音を響かせる。
「GULLO――」
「力不足です」
金棒の向こうから、声がした。オーガが唸りながら更に力を加えるも微動だにしない。その向こう、対峙した女は全身に白い燐光を纏ったまま金棒を無理やりにも押し返す。ほとんど無造作に行われたそれによって、オーガの金棒が跳ね上がった。これにはたまらずオーガもたたらを踏む。そこへ、女が槍を振り上げながら跳躍した。
「手抜きですいませんね。中の人――」
穏やかな微笑と共に、謝罪の言葉が槍に乗る。その魔物が最後に見たのは、子供の骨が絡みついたような異形の装飾から吐き出された白き刃だ。女が虚空で回転する。瞬間、白い刃が断罪のギロチンの如く槍の軌跡にあった全てを両断。廃墟となった城も城門は愚か、迫っていた他のオーガもあわせて射程圏内の全てに斬線を刻んだ。
オーガたちの首が血飛沫を撒き散らしながら地面に落ち、遅れて七体ほどの胴体が倒れ伏す。更に遠くで、城の一部が轟音を立てて崩れる。チャレンジャーを失ったせいで、庭園跡に静寂が戻る。だが、その静寂も一瞬しか保たない。
彼女が耳を済ませば薄気味悪い魔物たちの咆哮が聞こえてくる。それらは心なしか恐怖と怒号に満ちていて、優雅には程遠い。つい先ほどまで彼女が奏でさせられていたそれと同じだが、その中には聞きなれない違う音が混ざっていた。しばしの沈黙の後、シスターはマナーとでも言うかのように全身の返り血を白い光で浄化。槍の両手で抱くようにして持ちながらただただ次のチャレンジャーの登場を待つ。
やがて、それは遂に姿を現した。夥しい数の魔物の死骸が放置され、死臭と血臭に塗れた庭園という名の闘技場<コロシアム>へ。
「あら?」
だが、初めに飛び込んできたのは予想とは違っていた。何せ、出迎えようとしていた相手ではなく黒髪の少女が勇ましくも『特訓中』やら『修行中』の旗を掲げたまま馬を駆って入城してきたのである。少女は女を見つけるも、特に気にする事無く後ろを振りかえる。
「到着しました!」
「うむ。よくやった――」
その後ろから、やや遅れて本命の男が突入してくる。男は彼女など無視して城門へと振り返り影を繰り、追ってくる魔物と戦い始める。戦いというほどの物ではなかったが、城門に陣取って追ってくる魔物を影に沈め続ける。アレはもはや作業だ。馬に乗っていた少女も反転し、協力して撃ち洩らしを倒す作業を開始する。やはりこちらも、彼女などガン無視の構えである。寧ろ係わり合いにならない方がいいという気配さえ背中越しに感じられた。
こうなると、話しかけるタイミングというものがない。というよりも、流れに完全に乗り遅れた感さえあった。
「ふふ、ふふふ。しょ、少女はともかく吸血鬼風情も天敵たる私を空気扱いですか。さすが異世界。お約束というものをまるで分かっていない!」
敵対されるよりも、時には当たり前のように無視されることの方が心に痛いこともある。女は道理を無視する輩と異教徒は嫌いだったが、少しだけ寂しがり屋だった。
「先生、後ろの人が何か構って欲しそうにチラチラとこちらを見てますけど、このままでいいんですか」
「放っておけ。襲い掛かってこないのなら敵ではないだろう。それにあんな馬鹿に多い気を隠さず纏っているのだから動けばすぐに分かる。今はこいつらを確保する方が先だ。こんなにも入れ食いなのは久しぶりだぞ。この機会に根こそぎ金に変えるのだ。君やリリムの装備もそろそろ新調したいし、これはチャンスだ。だからあんなあからさまに怪しい女に関わっている暇はない!」
「新調……ですか。さ、最近実は色々ときつくなってきたので是非お願いします!」
成長期は馬鹿にできない。ちょっと小さいように感じていたこともあって、少女も気合を入れる。乗っている馬も応援するかの用にヒヒーンと嘶いた。どうやらご褒美のニンジンでも期待しているようである。
「どうやらこの子も希望があるようですね」
「うむ。合宿成功祝いに腹一杯好物を食わせてやろう」
何やら楽しげに談笑さえ始める二人と一頭。さすがにただ突っ立っていることに耐えかねたのか、女は槍を片手に二人の下へと歩いていく。
「先生、後ろの人が近づいてきますよ」
「問題ない。あの白い修道服から察するに、相手は宗教関係者だ。ならこちらから口実を与えない限りは何もしてこないはずだ。いいか、ああいうのは神を盾に難癖つけて寄付金をせびる輩が多い。気をつけるんだ。今にも儲けようとしている私たちから言質を取ろうとしてくるはずだからな」
「そ、そこの吸血鬼! 根も葉もない悪評を少女に植え付けるのはどういうつもりですか!? 喧嘩を売って下さるなら買いますのでこちらを向きやがりなさいな!」
「怒ってます。眩しいぐらいに光り輝きながら怒ってますよ!」
「駄目だ、目を合わせるなサキ。会話に持ち込まれたが最後、尻の毛まで毟り取られるぞ! 私は神などという幻想にのめり込んで破産した吸血鬼の貴族を何人も知っているのだ!」
「吸血鬼が神を信仰する訳が無いでしょう!」
「何を言う。人だろうと吸血鬼だろうと信仰信は持っているぞ。……さては貴様、神の愛を特定の種族だけのものだと偽り、他種族を虐げる理由にして悪行の限りを尽くす差別主義者か!? いや、そうか。融和派でもあるこの私を暗殺に来た刺客だな? そうなんだな!? こんな異世界くんだりまで私を追ってくるとは見上げた根性だが恥を知れ! 万物の霊長を気取り、世界が人間だけの物だと考えているのはお前たちぐらいだぞ! 貴様たちのせいで、どれ程多くの尊き血が流れたことか。融和派の人間たちが可哀想だ。絶え間ぬ努力をどれだけ積み重ねても、お前たちのようにそれらを台無しにするテロリストが居る。そのせいで彼らがどれだけ苦渋を舐めてきたか――」
「ち、違います! 何を勘違いしているのかは分かりませんが私は刺客などではありませんしテロリストでもありません!」
「ならば引っ込んでいてもらいたい。こちらは見ての通り魔物退治で忙しいのだ。君の相手をしている余裕は微塵もないのだ!」
「は、はい……」
何やら訳のわからない問答で押し切られ、女はすごすごと引き返す。
「……先生、今さっき目をあわせて会話してましたよね」
「大丈夫だ。今のは独り言だ。向こうもそうだったから空気を読んだ。しかし、命拾いしたな。彼女が本物なら隙を見て君を人質に取り、私に降伏を迫っていたはずだ」
「そんなまさか。普通に引いた姿を見ると話しの分かる女性に見えましたが」
「まだだ。居なくなるまで気を抜くな。ああやって引き下がった振りをして後ろからグサリとやるタイプかもしれん。奴らは人間の皮を被った悪魔だからな。特にシスターは危険極まりない。清純な振りをして近づき、吸血鬼やその仲間を一網打尽にするために笑顔で裏切ってくる輩が多いともっぱらの噂だ。私の下の方の兄も、結婚式当日に誓いのキスをする場面で胸に杭を打たれかけた」
以来、宗教関係者とは出来る限り会いたくなかった。
「惨かったぞアレは。親戚とかいう奴らは全員ヴァンパイアハンターで、それを合図に大乱闘だ。式場は当然無茶苦茶。来賓で招いた周辺の貴族たちは苦笑と怒号と失笑の嵐! 親族として出席していた私は思わず肩身が狭くなったよ。だが、私の味わった羞恥心など些細なことだ。当事者だった兄の、あの時のこの世の絶望を全て凝縮して飲み干したような悲痛な顔。そして、その苦しみを心底楽しむようなシスターの邪悪にして悪辣な横顔が今でも忘れられん!」
「そ、それは酷いですね」
「だろう? こんな話しは氷山の一角だ。私の友人Mなどは、交際を条件に入信させられ、彼の名義で方々に借金されて結局はトンズラ。彼は自己破産に追い込まれた!」
宗教関係者はもはや、吸血鬼の天敵であった。なおもエピソードを連ねるシュルトは、遂には自分が毒を盛られたことまで告白。サキを恐怖のどん底へと叩き込む。
「――故にだ。宗教関係者は気をつけろ。本当に聖人君子のように人が出来た者か、残念な奴の二極だ。これは見極めるのが非常に難しい」
「ではあの女性もまさか!?」
「そう、真実はいつだって50%だ。これは今日という日が終ってみるまでは分からん。決して油断はするなよ。後悔しないためにもな」
「ちょっと貴方! やはり先ほどから私の印象を意図的に最悪な方向に誘導してませんか!?」
「むっ、やはり後ろからズドンとやる気だったか!?」
女が振り返って戻ってくるのに合わせ、咄嗟にシュルトはサキを庇う位置に割って入る。手出しをさせんとばかりに立ちはだかり、眼光で睨みつけ女を威圧。引率の先生としての責務を果たそうと奮闘する。
「見たところ相当腕が立ちそうだな。私に手を出すのは構わん。しかし教え子に手を出すのは許さんぞ!」
「腕が立つ? 先生がそんな評価をするだなんて……足手まといなら見捨ててください。私は、先生にあの日命を救われた恩があるのです! それに先生には何に変えても守らなければいけない人がいるはずです!」
「馬鹿を言うな。か弱い生徒一人守れない私ではない。相手がいかに卑劣で下種な策を労そうともなんとかして見せるさ。この程度、去年味わった長期の禁血に比べれば可愛いものだ」
抗議したシスターの目の前で、妙に暑苦しいドラマが展開される。槍を構えていたシスターは当然のように困り果てた。仁王立ちする吸血鬼の背後から、悲壮感を漂わせた人間の少女が睨みつけてくるのである。心なしか馬までも彼女を睨みつけているような雰囲気だ。彼らにあるのは、明らかな信頼関係である。それは辛く苦しい合宿が培った確かな絆だった。
(や、やり辛い――)
シスターの知識の中には、こんな妙な性格の吸血鬼はいない。そもそも吸血鬼は人間を辞めた者の成れの果てであり捕食者だ。それが、なんだって人間そのものな少女に慕われ、自分から少女を守ろうと肉壁になろうとしているのか。
異世界だからか、それとも単純にこの個体が狂っているのかが彼女には判断できない。分かっていることといえば、なんだかよく分からないうちに悪者にされているという事実のみ。
「貴方、本当に吸血鬼ですか」
「失敬な奴だな。私は誇り高き神祖の吸血鬼だぞ。見ろ、ちゃんと牙もある」
「神祖? いえ、確かに人のそれよりも長いその牙は吸血鬼のそれそのもの。ならばやはり、その牙で何人もの女性たちを毒牙にかけてきたのでしょう。この私が神に変わって引導を渡してあげますからかかってきなさい!」
ようやく彼女の良く知る闘争の空気が戻ってきた。吸血鬼は人類の怨敵。その認識を持つ彼女にとっては、それだけで攻撃材料に足る。今まで感じたことの無い緩い空気に呑まれそうになってはいたが、険しい顔で槍を握り締める。だが、そんな彼女の心境などその吸血鬼には関係がない。
「初対面の紳士を捕まえて毒牙とは失敬な奴だ。私が吸った相手は今も昔もちゃんと賃金が払われていたはずだぞ。言うなれば雇用主と短期労働者の関係だ。例外は嫁ぐらいだし、最近はその嫁以外にはこの牙を使ってもいない。つまらん言いがかりはよしてもらおうか!」
「なんですかその社会制度が存在するみたいな言い方っ!?」
「吸血対価制度だ。吸いすぎたらボーナスを出さなければ裁判で訴えられるが、素晴らしい制度だぞ。考えた吸血鬼は世界史に名を残した一人だ。これで一気に吸血鬼と人間の仲が改善されたし、真祖の吸血鬼連中も違反を恐れて若干だが大人しくなった」
泣き寝入りする人間は減り、道理を弁えない者を間引けた。あのシュルトも絶賛する処女権制度――領主が領内の処女を好きにどうこうしてよいという前時代的な制度(意訳)――にさえ引けを取らぬ近代制度である。こちらはシュルトの住んでいた国では今現在では化石のような制度であり、実際に権利を行使すると領民が反発するのでやるような馬鹿は滅多に居ない、ある種の悪法だ。だが、シュルトはもはや時に埋もれた化石のようなそれを逆手に取り、自分の領地で権利を行使。未婚の処女率を引き上げる政策に摩り替えた。当然、周囲の諸侯は皆呆れた。
それはハウダー領にだけ存在する処女優遇法案である。これは結婚するまで処女であれば、一定規格の結婚式を無料で行えるという前代未聞の制度であり、強姦は死罪という単純明快な制度である。それは家臣たちの反対を押し切って制定された、シュルトならでは食料確保法案であった。当然、強姦魔や性犯罪者は命惜しさに領を去った。後に残ったのは愛のためなら性欲など二の次だと言い切れる猛者とプラトニックラブ信仰派、そして端から責任を取って結婚する気満々の普通の者たちぐらいある。
「吸血対価……制度? ま、まさかそれは実在する法案とでも!?」
「そうだ。私の住んでいた世界ラークの先進国では既に常識だ。グローバルスタンダードになりそうな気配さえ密かにある。おかげで吸血鬼を受けいれている国では、街を歩けばよく小遣い稼ぎ程度の感覚で吸血鬼に血を売る若い女性たちがいたものだ」
「……頭が痛くなってきました。私の住んでいた星『エルネスカ』では考えられないことです」
シスターにとっては、正にカルチャーショックな気分である。人と吸血鬼が共存というというところでも認めがたいというのに、望んで血を売ることが罷り通るなどとは正気の沙汰ではない。正に根本的に文化も価値観も違う相手だ。未開人相手に聖書一つで説法する宣教師の気分が分かるというものである。
「GYAGAYAL!」
「むっ――」
よそ見していたせいで、魔物たちの一部が城壁をよじ登ってくるのを許していた。シュルトは振り返りライトアローで叩き落そうとしたが、それよりも先に槍を敵に向けたシスターが槍先から内気魔法のオーラショットにも似た砲撃を繰り出して始末する。
「あっ」
サキに飛び掛ろうとしていたそのゴブリンが、その一撃で胴体ごと吹き飛ばされて事切れる。咄嗟に短剣を振ろうとしていたサキも、これには素直に驚いた。
「どういうつもりだ」
「今日のところは休戦でどうでしょうか。正直、貴方と話していると戦うのが馬鹿らしく思えました。私はこう見えても平和主義者なのですよ」
「……いいだろう。私も進んで争う気は無いからそれでいい。だが――」
シュルトは嫌に真剣な顔でシスターを見つめると、真っ直ぐに指を付きつけて宣言する。
「私たちは寄付金など一リズも払わんからな!!」
「結構です!」
「しかし分からんな。何故お前は魔物に狙われているのだ。まさかとは思うが、聖女ではあるまいな」
サキやシスターの足元以外、寂れた庭園をほとんど影で覆ったシュルトが尋ねる。面の城門以外からも魔物が侵入してくるせいで、既に眼に見える範囲は魔物だらけだ。残っていた二足歩行型の多くは、やはり相変わらず能無し。しかし、遅れて集まってきた空からの攻撃にはシュルトは辟易させられていた。サキと馬を守るべく魔法障壁を広めに展開しているが、倒しても倒しても飛んでくるのでいい加減面倒臭かった。
「勿論、私は聖女ではありません。ですがそれなりの力を行使することはできます。私は呼ばれて直ぐに召喚した者に取り憑いていた悪しき者を祓いました。恐らくはそのせいでしょう。逆に聞きたいのですが、何故聖女なら狙ってくるのですか」
「詳しくは分からんが、異世界から召喚している奴はどうも召喚者たちを解放されることを嫌っているようでな。知り合いが殺されかけたことがあるし、魔物に見つかると延々と攻撃される。君自身も妙な魔法を掛けられていただろう、覚えが無いか」
「……そういえば現地人と会話できる魔法が付与されておりましたか。オブゼッションが鬱陶しかったのでまとめて消し飛ばしましたが」
「オブゼッション<悪霊憑依>? ポゼッション<聖霊憑依>とは逆の奴か。憑依者に悪しき効果をもたらす技法だな。しかし、私にはその気配さえ観測できなかったのだが……」
「それは知りません。しかしよく知っていますね。この世界の魔法の概念にはないと思っていたのですが――っと、そういえば、ラークとかいう世界がどうのと言っていましたね。もしや貴方も無理やり呼び出された口ですか」
「その通りだ。ここグリーズ帝国で召喚されたわけではないがな。恐らく、君とは違う世界から呼ばれた」
「異世界の吸血鬼。なるほど、価値観も存在も私が知っているそれとは違いすぎるのはそのせいなのですね。私の住んでいた星――異世界『エルネスカ』の吸血鬼は人間を守るなどということは基本ありえませんから」
「ほう? まぁ、うちの世界も全員が全員私と同じ対応を取るわけではない。そういう前時代的で野蛮な吸血鬼もいるだろう」
力の有無が線引きをする。成熟した精神性と理性、そして何よりも理解が無ければそういうこともありうる。何せ単純に比較すれば人間よりも吸血鬼の方が強い。旧い時代においてはラークでも珍しくはなかった。
「吸血鬼は人間を止めた不死者にして、高度な魔法科学が生み出した人類の敵でした」
「つまり真祖か。そちらでもあるのだな」
「真祖?」
「魔法で吸血鬼となった人間たちのことだ。生まれつきの神祖とは違って、私のところでは不死者に分類される」
「やはり色々と違いがありそうですね」
興味深そうに頷き、シスターは思い出したかのように名乗った。
「そういえば自己紹介がまだでした。私の名はマリカ・ルルグランド。光の神に仕えるシスターにして槍<テイン>の称号を持つ者。不死者殲滅機関『ミストル』のエージェントです」
「私はシュルト・レイセン・ハウダー。さっきも言ったが異世界から呼ばれた吸血鬼の神祖だ。シュレイダーとでも呼んでくれ。この子はこの世界の、空元という国の少女だ。故あって私が魔法を教えている」
「サキ・トクナガです」
「そうですか。勉強熱心なのは良いことです。サキは修行のためにここへ?」
「はい。強化合宿中でした」
馬が掲げる旗を見て、ようやく二人の相関を理解したマリカは頷く。吸血鬼が人間に魔法を教えるというのも彼女からすればやはり理解できないものであったが、もはやそういうものとして受け止めるしかなかった。
それに魔物を倒しているという現実を鑑みても召喚したモノの手のものという線は薄そうである。平然と彼女に背を向けて魔物に魔法を打ち込み続けるシュルトの態度からみても、特に嘘を言っているようにも見えない。彼女の知っている吸血鬼との明確な違いも伺える。一先ずマリカは信じてみることにした。
「しかしそうなると厄介だな」
「何がでしょうか」
「この魔物たちはお前が死ぬまで延々と現れて攻撃してくるぞ」
「……打ち止めは?」
「ないと思った方がいい。とある場所で一晩中狩り続けたこともあるが、その度に召喚されているのか尽きる気配がなかった。集まってくるよりも先に殺し尽くせば一時的に振り切ることはできるが、また見つかれば襲い掛かってくるだろう。こいつらは君たちにとっては台所に現れる黒い虫のようなものだ」
「だから半月ばかり私をここに足止めできたわけですね。真に無尽蔵であれば理不尽な相手ですね」
「マリカは召喚されてからずっとここで戦っていたのですか」
「ええ。一度はドルフシュテインを目指そうと思ってここを出たのですが、彼らの大群に遭遇しまして。戦いやすいここまで誘い込みました。それからはずっとここで相手を。私はこの世界では特にやることもありませんし、殺し尽くすまでは気長にやろうかと悠長に構えておりました」
「そんな滅茶苦茶な」
「そうでもありませんよ。私はこう見えてある種の決戦存在です。彼らよりも圧倒的に性能が上ですから問題でさえありません」
呆れるサキに微笑するマリカの顔には苦痛の苦の字も見当たらない。サキは思わずシュルトに視線を向ける。
「彼女のオーラの量から考えればありえない話しではない。飲まず食わずで居られるのであれば、な」
「問題ありませんよ。この身は既に人を超えていますのでね」
「その槍だな」
「ご想像にお任せします」
マリカの握る異形の槍。シュルトの魔眼は刃のように削りこまれた白骨にビッシリと刻み込まれている文様に流れる魔力の流れが見えていた。それが周囲の魔力を取り込んでオーラに変換しているのも。同時に何かゴーストのようなモノまで見えた。不穏な気配を感じないことから、悪意あるものではないのだろう。寧ろ逆に誰かに似て清涼たる気配さえ漂っているように彼には思えた。
異世界の魔法技術で作られた高度な礼装。そう思えば魔法卿とも呼ばれるシュルトも興味を随分と刺激された。興味深げにジッと見つめながら、何か新しい魔法のヒントにでもならないかと心に刻む。
「魔力を気に変換する槍か。そういうのは初めて見るな」
「おや、分かりますか」
「不死者を殺すための槍にしては、君も含めて随分とえげつない代物のようだ」
「最新の魔法科学が生み出した最高傑作にして限定兵器。『キヒトシュレイン』シリーズの一振りです。貴方もそれなりにやるようですが、私なら殺しきれるでしょう。どうか不穏な動きはしないようにお願いします。その少女を悲しませないためにも……ね」
「肝に銘じておこう。お互い、邪魔だけはしないようにな」
「ええ。そう願いたいものです」
当たり前だがすぐに信用はできない。視線を絡め、眼だけで笑いあう。漂い始める空気の悪さを肌で感じながら、サキが話題を変えるべく尋ねた。
「先生、いつまでここに?」
「そうだな。殲滅して綺麗に合宿を締めくくろうと思っていたが、こうなると当てが外たな。適当に切り上げて帰るか。もうすぐ夕食の時間だし、短時間でもかなり十分稼げたと判断する。いつまでもここで話しているわけにもいかんしな」
「では、城への魔法攻撃も中断ですね」
「そうなるな。この女がパワースポットを既に掌握している」
パワースポットの魔力が使えないなら、予定していた超長距離の魔法攻撃が行えない。シュルトとしてはため息を禁じられない結果である。
「待ちなさい吸血鬼シュレイダー。城を攻撃とはどういうことですか。随分と不穏当な発言ではないですか」
「この国はもうすぐバノス宰相とレンドール公爵とが東西に分かれて内乱に入る。私の嫁がレンドール公爵側についたのでな。彼女の危険を減らすためにも、戦争になるまえに宰相が召喚しただろう英雄諸とも魔法を打ち込んで叩き潰そうと考えていたのだ。お前の存在のおかげで目論見は潰えたがな。さすがに大規模な魔法行使になる。魔物と戦いながらだと制御を誤るかもしれんから今日は諦めよう」
「呆れました。貴方、人のことをテロリスト呼ばわりした癖に自分はそれですか」
「既に嫁が弓で射られた。一発かましてやらんと気がすまん。言うなればこれは正当な報復だ」
「だからといって、城ごと潰すような魔法を使えばどうなるかっ!」
「問題ない。今あの城に居るのはゾンビもどきばかりだし、城だけを攻撃するように目印もつけてきた。問題があるとすれば城に張られた結界を私の手持ちの魔法でぶち抜けるかどうかだけだ」
マリカとしては基本的ににこの国の人間がどうなっても気にはしないが、超長距離攻撃魔法について造詣が無いわけでもない。行使される力の強大さを思えば平然と呟く吸血鬼には呆れるしかなかった。
「……百歩譲って被害が城だけに収められるとしましょう。そのゾンビもどきとはなんですか」
「それが分からんのだ。見たところ魔力も気も持っていない。その癖日中にフードをかぶって出歩いて仕事をしているようだ。しかも、知り合いのエルフが言うには城だけでなく民間人も密かに同じになっているらしい」
「それはまるで吸血鬼の餌場になって死都と化す前触れではないですか!? その者たちはグールなのではないですかっ!」
グールとは真祖の吸血鬼に血を吸われた人間の総称である。ほとんどゾンビと同じであり、場合によっては元に戻ることは一生ない。シスターが血相を変えるのも無理からぬことであった。
「いや、それなら魔力反応が残るだろう」
「それはそうですが……いえ、そういえばここは異世界。私たちの世界とはまた定義が違う新種のゾンビかもしれません」
可能性の話しだが、無いわけではない。シュルトも考えなかったでもないが、結局は関係ないと高を括っていた。どうせ戦争が始まる。その時に公爵たちががんばればいいだけのこと。シスターも関係ないはずだが、彼女のライフワークに抵触する相手なせいで妙い食い下がってくる。
「何か、それについて関係が有りそうな話しはないのですか」
「可能性として考えられるのは、バノス宰相が行ったはずの召喚魔法だろう。城でも召喚できたはずだしな。教えてくれたエルフも召喚が行使された日から変になったと言っていた」
「召喚魔法……元凶に心当たりは?」
「無いな。私もそいつは排除したいところだが生憎と情報がほとんどない。ただ、召喚魔法を行うには基本的にパワースポットの魔力を使っている節がある。だからパワースポットを封印していけば出会えるかもしれんとは思っているぞ。この国だと一番怪しいのは西の大山脈だ。あそこから基本的に魔物が現れているし妙な力の結界が張られた。調べる価値はあると思っている」
「そこまで分かっていながら何故手を打たないのです」
「単純に戦力が心もとない。行使されている召喚魔法は強制力が有りすぎる。念神や神獣クラスまで苦も無く従えているように思えた。そうでなくても世界中で大量の魔物を呼び出して今このときも操っているのだ。その力は正に想像を絶する。一応切り札はあるが、今は力を蓄えている最中だった」
「では私を仲間に加えなさい」
「……ほう? それは何故だ」
「元の世界に帰る方法は、この国には無いとばかり思って諦めかけていました。八つ当たりのために嫌がらせとしてそのレンドール公爵と手を組もうと思っていましたが、どうやら貴方と手を組む方が意味がありそうですので。それに――」
「それに?」
シスターの翡翠の視線が、シュルトからサキへと移動する。
「その子が、サキが本当に貴方の毒牙にかからないかどうか、見定めるのも良いかと思いました。不死者殲滅こそ我が使命。この槍もそのためのもの。例え相手が異世界の者であろうとも考えないわけには参りません」
「失礼な奴だな。私は紳士だぞ。無理やり吸血などするものか」
「口ではなんとでもいえましょう。私は不死者を基本的には危険視しておりますのでそう簡単には信用などできません。行動で信じさせていただけませんか」
「私は別に不死者ではないのだが……いいだろう。お前は腕が立ちそうだ。今更魔物に狙われる者が一人ぐらい増えても構わん。ただし、一つ条件がある」
「なんでしょうか」
「一時的にここのパワースポットの掌握権を私に差し出せ。明日の夜明け前に魔法をぶち込む」
その要求に、シスターは条件付きで頷いた。




