第八話「一人目と星振りの死都」
夜が明ける前だった。ふと、大山脈で呼び出された英雄――タンジェント・クラシマは遠くから響く遠雷のような音を聞いて目覚めた。その後に微かに感じる地響きが、ただ事ではないと予感させる。寝ぼけ眼で開いた目が、焚き火の燃えるオレンジ色にも似た光に一瞬眩む。
クラシマは軍の野戦迷彩服の上に羽織っていた白衣の上に、更に外套を着込むというスタイルで野宿していた。季節は春。それでも十分に暖は取れる。目を擦りながら身を起こす彼に、声をかける男が居た。
「起きたかジェント」
「ああ」
交代で仮眠を取っていた冒険者たちの一人だ。鎧の銀に炎の赤を反射させているその男は、この冒険者集団のリーダー『銀剣のハイドラー』である。
ジェントとは、クラシマがいつの間にか付けられた略称である。勝手に呼びやすいように渾名をつけるのは冒険者たちにとって挨拶のようなもので、悪意もないのでクラシマは好きに呼ばせていた。そう名づけた冒険者たちはというと、皆目を覚まして油断無く各々の武器に手を掛けている。なんとはなしにクラシマも懐に手を伸ばし、ホルスターに収まった自動式拳銃のセーフティーを解除する。
召喚されたこの世界『レグレンシア』は、危険動物だけでなく魔物なる存在が生息しているファンタジー世界。身を守る術をそれしか持たないクラシマにとっては、警戒する彼らに倣うより他に取るべき行動がなかった。同時に、思い出したかのように肩からベルトで下げている二丁のアサルトライフルのセーフティーも解除する。残弾が心もとないが、背に腹は変えられない。油断無く周囲を見据え、自分を護衛している冒険者たちの頭である男に訪ねる。
「ハイドラー。なんだ今のは」
「分からない。帝都の方角から聞こえたようにも感じたが……地震か? 珍しいな」
帝都まであと半日も掛からない位置で夜営していた一行は、それぞれに顔を見合わせる。その時、見張りをしていただろう男が手を上げた。
「ちょっといいか。気のせいかもしれねぇがさっき空に妙な光を見たんだ」
「おいおい、正気か」
「流れ星が帝都に落ちたとでもいうつもりかよ」
冒険者が口々に茶化すように言う。
「隕石でも落ちたってか」
ファンタジー世界でもあるのか、などと呟きながらクラシマは肩を竦める。
「隕石? なんだそれは」
「俺の居たとこだと流れ星が落ちてくることがあったんだよ。そういうのを隕石って呼ぶのさ」
宇宙の概念さえ無い相手だ。分かりやすいように噛み砕いていうと、ハイドラーたちがギョッとした。茶化した者もそうだ。まさかそんな、という顔でクラシマを見てくる。それが面白くて、クラシマも少しばかり大仰に語る。
「大きさにもよるんだが、それこそ山ぐらいに馬鹿でかいのになると街なんて簡単にぶっ壊せるぜ。場合によっては世界が終る」
「なんだとっ、そんなものが帝都に落ちたかもしれんのかっ!?」
「HAHAHA。落ち着けって。まだそうと決まったわけじゃない」
街道から東にあるという方角に目を凝らし、クラシマは業とらしく笑ってみせる。そうすると、さすがに冗談とでも理解したのか皆が揃って安堵の表情を浮かべた。
「おいジェント。あんまり脅かすなっての。ハイドラーが気にしすぎてハゲちまうぞ」
「兜をつける奴や、真面目な奴は真っ先にハゲる。冒険者の間じゃ有名なジンクスだぜ」
茶化していた男が真っ先に噛み付いてくる。旅の間にそれなりに打ち解けたこともあって、気の良い奴だった。
「悪い悪い。でも嘘は言ってないぜ。ただそんなでかいのが落ちてきたら今頃こうやってのんきに話すなんて不可――」
そう呟いた瞬間、一同の頭上を眩く光る何かが飛んでいった。数秒後、またも響く遠雷のような地響き。そして感じる微かな大地の振動。これには笑っていたクラシマも、さすがに口をポカンと開けたまま光が落下しただろう方角を見るしかなかった。
「お、おい。向こうってこれから俺たち向かう先だよな」
「……そうだ。この街道の先に帝都がある」
夜風によるものではないではない震えが、全員の体を襲っていく。頬をヒクつかせたクラシマは、まさかという顔でその光が飛んできた方角へと目をやる。すると、またも流星のような光が飛んでくるのを見つけた。
(ま、まさか隕石群がこの星を掠めてるってことはない……よなぁさすがに)
レグレンシアには天体望遠鏡もなければ宇宙開発機構も存在しない。衛星の打ち上げはおろかロケットでの大気圏脱出さえ達成してはいないのだ。魔法などという科学に喧嘩を売るようなファンタジーな存在は確かにある。だがもし、本当に隕石がこの星に飛来しているのだとしたら? なまじ知識がある分、クラシマは今度は笑えなかった。
尾のように伸びる軌跡を残しながら、光はまたも音と振動でその存在をアピール。彼らの眠気を完全に駆逐してみせる。こうなると確かめたくなるのが人間の性である。
「全員移動準備! 急いで帝都に向かう!」
脱いでいた兜を被り、休めていた馬の方へと駆け寄りながらハイドラーが号令をかける。皆も気にはなっているのだろう。反対意見がでずに可決された。夜道は暗いが、頭上に浮かべたライトの魔法が周囲を照らせば十分に駆けることができる。ライフルと拳銃にそれぞれ安全装置をかけてクラシマも後を追った。
初めからクラシマを召喚し、帝都に迎えるつもりだったので馬や装備もしっかりと準備されていた。途中の町や村でも足りない物資を補給し、冒険に手馴れた彼らは出来うる限りの速度で帝都に急いでいた。召喚ではアクシデントもあったが、まさかこんなことに出会うなどとは誰も思っては居なかった。
「あーくそっ。ヴァンパイア・クイーンとか言う奴だけでなく今度は帝都に流れ星かよっ!」
愚痴る冒険者の言葉が、他の者たちの気持ちを代弁しているのは間違いなかった。クラシマとしては安全が確認されるまでは近づきたくなかったが、ついていかないわけにも行かない。
「すまんな皆。何ができるというわけではないが気になってしょうがないのだ」
「いいさ。俺帝都に嫁さんいるしさ」
「気になってるのは皆同じだ」
リーダーのハイドラーは真面目な男だった。だが、硬い頭を持っていながらもそれなりに話しは通じる奴だった。それは、魔物と戦う上で仲間をないがしろにしては生きていけないという事実から形成された人格か。そのことは知らずとも、仲間の冒険者からの確かな信頼があることはクラシマにも既に分かっていた。
「何も無いことを祈りたいねぇ。なぁ、ジェントもそう思うだろ」
「勿論だ。俺は是非とも綺麗なままの都を拝みたいんでね。賑やかなところなんだろ」
「余裕があれば案内してやりたいほどに、な」
ハイドラーが頷く。貴族にしては平民にも寛大で、同じ釜の飯さえ喜んで食うような男であり、腕っ節も確か。クラシマが戦士ではないと知ると、残念がりながらも殊勝な顔で謝罪してきた。武器である銃をとりあげようともせず、生活の保障までしようと馬鹿正直に言う男だ。なんなら仲間として迎え入れるとも言ってくれていた。クラシマは魔物などという化け物と戦わせられるのは御免だったが、今はそれを言ってもどうしようもない。
クラシマは八つ当たりをするよりも先に頭を回転させ、前向きに考えるよう努力してきた。元々『ヴァンパイア・ウィルス』さえ撲滅できればよかった。そのために彼はとある作戦にオブザーバーとして加わったのだ。
射撃が趣味であったから、銃で戦うことぐらいはできた。それが最後の最後でクイーン共々召喚されてしまった。その危険性は少なくともハイドラーには通じた。だから結論からいえば、今更隕石への対応で振り回されたところでどうということはない。
(守りたいものがあるのは、異世界人だか異星人でも同じってことか。ギターでもあったらラブ&ピースがテーマの曲でも歌ってみるかね)
そう思う彼の頭上を、四発目の流星が通過した。
「どうだった」
夜明け前のゼルドルバッハに転移したシュルトが、観測ポイントに指定したギルドの屋上でシスターマリカと合流する。なにやら人々の喧騒が煩い。夜中にいきなり騒音と地震で叩き起こされれば当然の反応だろう。口々に何が起きたかの確認に大慌てだった。
「見ての通りです。残念ながら効果なしですよ吸血鬼」
「具体的には?」
「三女の時点で少し亀裂を走らせたように見えましたが、それだけですね。本命の末っ子は表面で炸裂しておしまいです」
「うちではポピュラーな多段負荷方式の攻城魔法だったのだが……そうか。効果無しか」
通称、『流星の四姉妹<メテオシスターズ>』。ラークでは戦略魔法がすでに完備されており、対戦略魔法用の緊急防御結界が重要な施設や都市部に配備されていた。建物も高級な対魔法処理がされている場合もあり、それらを貫くために様々なアプローチの魔法が開発されてきた。流星の四姉妹もその一つだった。
前三発の魔力弾を結界破壊を成す破城槌として放って結界に穴を空け、本命である末っ子を破壊弾頭として結界内部に叩き込む。その際、ピンポイントに打ち抜かれた敵の結界が内部と外部を限定的に遮断する効果を発揮することになる。完全に結界が修復する前に破壊力を穴から逃がすことで、攻撃目標だけに的を絞って局所的に破壊することができる。
当たり前だがシュルトは別にゼルドルバッハという都市を完全に破壊したいわけではない。戦争を行うであろう中枢部、引いてはバノスと英雄を潰せればそれで良かったのでこの魔法を採用した。
「凝ったことなどせずに一点集中型にした方がよろしかったのでは」
「それでは破壊力が膨れ上がり無駄な被害が出る。この世界は魔法防御という観点では備えなど皆無だ。結界さえ抜ければピンポイントで城だけを攻撃できると踏んだのだが……結界の強度が前に抜いた物よりも確実に上がっているようだな。とんだ誤算だ」
「では大山脈の結界も出力が上がっている可能性がありますね。貴方たちに逃げられた教訓ということでしょうか。相手は対策を講じるぐらいの頭は持っているようですね」
「マリカは私と似たようなことはできるか」
「可能です。死都を焼き払うためにそういう『方術』も用意されておりますので」
マリカは当然のような顔で頷く。
「ならば本番たる大山脈では撃てる全員で、被害度外視で叩き込もう。今回の砲撃はそういう意味で良いデータが取れたと思うより他に無い。それで、だ。帝都のパワースポットに変化はあったか」
「そちらも確認できました。確かに魔力の急激な減少が観測されています。長女のファーストアタックから始まり、今ではもう落ち着いています」
四姉妹に負荷をかけられた瞬間など、目に見えて消費したことをマリカの感覚は愚か槍でも観測できていた。その対応速度と、瞬時の強度強化には彼女をして些か目を見張るものがあった。
「やはり私の槍が魔力を気に変換するように、何か別の力に変換されて行使されたようですね。このようなエネルギーはエルネスカでも観測されておりません。槍のデータベースにも該当するものはなし。興味深いことです」
「この世界の精霊さえも理解できていないものだ。これもまた異世界の技法と考えるべきだな」
「それでいいと思います。夕方に見たゾンビもどきもですが、正直理解に苦しむというのが正直な私の感想ですし」
シュルトの話したことが本当かどうかその目で確かめさせろ。それがマリカが出した条件だった。サキを一先ずダンジョンに送り、二人は夕方に帝都を下見した。その時点でマリカの知っている不死者ではないことが確定。同時にシュルトが嘘を言っていないこともまた一応は証明されていた。
「どうしたものかな」
「こうなると正攻法しかないでしょう」
「昼間、結界が開いている間に侵入して宰相と英雄を暗殺か。まさにテロリストの所業だな」
「それもいいとは思いますが、どうでしょうか。何やら夕方探った様子でいけば中に誰も居ないような気もしますが」
「単純に感知妨害<ジャマー>系を使って隠れている可能性はあるぞ。或いは、既に全員ゾンビもどきになっている可能性もある。人間であることを捨てることで手に入る力もある」
「その可能性はありますね」
魔力と気という二つの感知方法が通じない以上は、外から確実に判別することはできない。シュルトが今現在理解している宰相側の英雄は一人と一羽。マリカと不死鳥だけだ。最低限一人はゾンビの関係者がいるわけだから、マリカを戦力と換算すれば二対二に持っていける。ここまでくれば後は数の上では不利ではないように思える。しかし、問題が一つあった。帝都城はパワースポットの真上にあり、敵がそこを抑えているという事実だ。
個人の力を地脈の魔力で補えるというのであれば、魔法戦闘の分野においてはこれを越えるほどのアドバンテージはあまりにも少ない。直接戦わずに始末することができなかった以上は、そのリスクを考えないわけにはいかない。無論そのリスクを回避する方法もある。ただしそれには少しばかり手間がかかる。
「吸血鬼シュレイダー。最終的に城に乗り込む必要はあるでしょうが、先にゾンビもどきを調査しませんか」
「こちらの動きを悟られる心配があるぞ」
「すでに先ほどの魔法で宣戦布告は済んでいるはず。向こうがいつまでも守勢に回るとも思えません。私と貴方たちが合流した事までは露見しているはずです。敵には考える頭がある。帝都の住民を全員ゾンビもどきにされると厄介です。後手に回るよりも先手を打ちましょう。リスクの先にリターンがある。よくあることで……あら、どうしました」
苦虫を噛み潰したような顔をシュルトがするので、シスターは不審に思い尋ねてみる。しばらく沈黙したシュルトだったが、頭を振って答えた。
「最近、仲間の竜に似たようなことを言われたのを思い出してな」
見解の相違に過ぎないが、自分が限定的に保守的であるという自覚は彼にもあった。
「その方とは気が合いそうですね。会えるのが楽しみです」
「精々気をつけろ。あいつは美味そうだという理由で戯れに齧ったり舐めたりするからな。しかも変わった奴が好きだから、君など特に美味そうに思うかもしれん。丸呑みにされないように気をつけろよ」
「その時はお腹を開いて出てきましょう。ですが恐竜ではなく竜ですか。エルネスカで遭遇できるファンタジーモンスターは基本的にホラー系でしたから、どうもしっくりきませんね」
魔物もそうだが、マリカにとっては貧弱な魔法と原始的な武器だけで生き延びているレグレンシアの現地住民たちには驚きしかない。その癖、妙に歪なほどに進化している分野もある。例えばそれは夕方に視察ついでに必要物資として買い込ませた服などがそれに当たる。
中でも下着や水着を見つけたときには、頭痛を感じたものである。その素材が明らかに科学繊維系の物が混じっているように見えたのだ。ミシンなど使われずに手縫いのようではあるが、どうやらミスリルとかいう特殊感応金属とあわせてドワーフが一枚噛んでいるらしいのである。
(そもそもドワーフとはなんですか。いえ、人類の進化の形の一つと思えば受け止められないことはありません。しかし他にもエルフや獣人、翼人なども居るようですしここではこれが普通なのかもしれませんが……多様すぎて違和感しかありません。その癖吸血鬼や不死者がまだいないのは……魔法系統の発達が遅れていることが原因ですか。大気中の魔力も妙に希薄ですし、これでは向こうのような全力が出せない。難儀なことです)
吸血鬼を不死者と定義する星『エルネスカ』においては、その発祥は魔法科学を抜きには語れない。時の学者によって発見された魔力なる特異なエネルギー。エネルギー資源を巡る戦いにおいて、旧来のそれを陳腐な物にしてしまった魔力は、次世代のエネルギーとして開発され人々の生活を潤した。だが、同時にそれまでに存在しなかった不死者を世に生み出した猛毒でもあった。
魔力は人の精神に感応するばかりでなく、思念を焼き付ける。魔力炉によって一定以上に生み出された魔力は生活の中で飽和し、それにより死者がゾンビやゴーストになる事例が多発。エルネスカではその対策として宗教が目覚しい発展を遂げた。
宗教とはつまり拠り所であり、精神を救済するための発明である。不死者の基本は死への恐怖、或いは果たせなかった望みを憂う強烈な未練などが原因だ。それらを軽減するためには宗教の力が多いに役立った。おかげで科学の発展とともに廃れてきた旧来の宗教活動が息を吹き返し、また新しいカルト教団なども乱立した。
全てはゾンビやゴーストになる自分を想像し、それを恐れるが故に宗教に逃げ込んだ人々の弱さが原因である。救いを希求する人々の需要に対する供給は、そしてついには念神を生み出し新たな秩序を構築するかに見えていた。しかし念神は同時に神の優劣を作り出し、他の宗教との対立を加速させ、宗教戦争にまで発展した。そして良き神の具現は対立概念――神の敵――の誕生を促し、その果てに伝承やファンタジーの向こうにしかいなかった吸血鬼までもついには生み出した。
魔法が――真に旧い土着の魔法である精霊魔法を除いて――賢人によって広められたことで、あるいはそんな未来が到来する可能性をレグレンシアが手にいれたかのように彼女には見えていた。とはいえ、召喚魔法によって本来は飽和してくるはずの魔力が消費されている現状において、不死者も吸血鬼も生まれえるにはまだ遠いとも推察できる。だが本当にそうだろうか? その疑念を彼女は捨てられない。
マリカ・ルルグランドには今はまだ関係が無いし憂う意味さえ存在しない。しかし、魔力を変質させて展開されているだろう結界のエネルギーはどうか。魔力の代わりになんらかの悪影響をこの世界にもたらしやしないのか。それがゾンビもどきと関係している可能性はどれだけあるのか。魔力の危険性を知るが故に、彼女は考察せざるを得なかった。
「……杞憂であればいいのですが」
「どうした。何か考え込んでいたようだが……結界について何か思い当たることでもあったか」
「いえ。別のことを考えておりました。それよりも方針を決めましょう吸血鬼」
放置するという選択肢は存在しない。ならば行動するより他に無い。結界から想像するに、召喚されし者がもし召喚を広めている何者かと繋がっているのであれば、これと事を構えるということは本番である大山脈戦での試金石になりうる。シュルトにとってはリリムの安全のためにも動かないわけにはいかない。
「君の案でいこう。先にゾンビもどきと接触する」
「では、決行は日が登ってからで」
「うむ」
フードを用い、日の光を避けるように行動しているのだから日中は何がしかの不都合があろうのだろう。より安全に戦うためにも、それに反論するべき材料はない。吸血鬼はその提案に頷き、ひとまずシスターを連れてダンジョンへと転移した。
――賢人暦114年4月25日。
馬を駆り続けたハイドラーたちが帝都に到着した頃にはすっかり日が昇っていた。早朝の帝都は、その物々しくも巨大な外壁でクラシマたちを迎えた。
「これが帝都か。外壁が想像より遙かにでかいな」
果たして、これだけの巨大な外壁を構築した城があっただろうか。自らの住んでいた惑星『エイデン』。その中でも旅行で訪れたこともある観光地の城跡と比べながら、クラシマは感嘆の吐息を自然に零した。
「良かった。隕石とやらが命中したわけではなさそうだな」
「ほらみろ。考えすぎだってハイドラーよぉ」
「さっさと城に報告して報酬貰おうぜ。んで、酒だ」
「ジェントにもここの酒を教えてやらんといかんしな」
「そいつは嬉しい提案だ」
安堵の吐息を洩らす彼らとともに皆が西門を潜っていく。朝も早いことから、出るではなく入ることになる一行は、特に検問で待たされること無く帝都に迎えられた。
帝都は四方にそれぞれ門がある。本来であれば、冒険者ギルドがある南側から回り込む方が人ごみを進むより速いが、一応中の様子が気になっていたこともあって彼らは西門から入っていった。
既に帝都は目覚めている。クラシマの耳にもその証拠となる喧騒がすぐに届いていた。朝も早くから賑やかなことである。だが、それでも懐かしい故郷のそれとは比べ物にならない。自動車が走り、電車が走り、自転車が走る。そんな世界とファンタジー世界ではどうにも規模が違った。
自動車の代わりに馬車が走り、自転車の代わりに馬が走る。今時の先進国ではまず考えられない情緒だ。変わらないのは徒歩の者がいるぐらい。警察の代わりにフードを被った騎士だか巡回の兵だか分からない者たちが通るし、高層ビルのような高すぎる建物はない。理解してはいたが、やはりここは異世界なのだ。古き町並みが並ぶ古都でさえない異界にして惑星。それがこの世界『レグレンシア』。
(ホームシック……か。まぁ、異世界だしな)
帰りたいと願う心が無いわけではない。去来する郷愁の念を忘れるようにしながら、自分を誤魔化して彼は冒険者たちの背中を追っていく。そもそも、心の内を簡単に曝け出して甘えられる相手さえこの世界には居ない。今はまだ居ないのだ。
ビールを飲みながら部屋でスポーツ中継を眺めることも、同郷の友人と語らうことももうできない。せめて良かったと思うのは、まだ独り身であったことぐらい。これで守るべき家族が居たならば、クラシマは召喚されたあの日に彼らを撃ち殺していたかもしれない。引き金を引く理由はある。あるが、しかし……今はもうそんなことはできそうにない。
(こいつらは必死だった。俺じゃあ力にはなれねぇだろうが、それだけはまぁ、分からぁなぁ)
或いは、趣味である銃でもこの世界で再現することができればと思わないでもない。魔物に対抗するための力を生み出すことができるならば、それは確かに裏方の英雄となって彼らの願いを現実のものにできるかもしれない。クラシマからすれば、魔法はともかく剣というのは既に時代遅れの武器である。既に手元のアサルトライフルで山で遭遇した魔物を一匹狩った。魔力障壁とやらは確かに強固ではあるが、数発も食らわせれば銃でも殺せることは確認済みだ。
(だが俺はガンスミスじゃねぇし、分解掃除ぐらいしかできねぇ。それにすぐ形にできるわけじゃねーし成功させられるかだって分からない。だいたい、金も時間だって掛かる)
無論彼の心配事はそれだけではない。武器の進化は戦争を変える。弓と剣の時代。銃の時代。化学兵器や機械兵器、航空機やミサイルの時代などに変化したように、戦争のやり方を変えてしまう。ファンタジー世界に銃を持ちこむなんてことは、きっとそういうことを促進するということでもある。
それがもたらす恩恵は確かにあるかもしれない。けれど同時に付きまとう疑念がどうしても頭から離れない。はたして、それは部外者がありもしない物と共に関わってどうにかして良いものなのか。分からない。クラシマにはまだそれが。
タンジェント・クラシマは間違っても兵士ではない。銃を撃つのが趣味の、ただのウィルス研究者でしかなかった。本来なら人を襲う病原菌から身を守るワクチンを開発するのが彼の仕事だったのだ。
たまたま隕石の破片から採取されたウィルスを、あの忌まわしきヴァンパイア・ウィルスの調査を任されただけのオッサンにしか過ぎないのだ。安易な気持ちで兵器開発に協力し、異世界に名を残すような野心など持って居ない。そんなことをするぐらいなら帰還を望む。例えそれが、敵わぬ夢なのだとしても。
(……でもよ、本当にそれでいいのか)
クラシマは馬に乗って城に向かう冒険者の一団の背中を見る。彼らは力を欲していた。ハイドラーなどは魔物に奪われた領地を取り戻したいのだと熱心に語っていた。そう、彼は故郷を奪われたのだ。
剣と魔法で戦うファンタジーの住人が、その武器で持ってして敗れたという事実はありえるかもしれない未来への疑念よりも、今この世界での死活問題として処理すべきものなのではないのかという考えを想起させる。そう考えてしまう自分が居ることもまた、彼は認めてもいた。
(参ったな。本当、こういうのはガラじゃないんだが……な。とにかく見極めて決めるしかないよな)
まだまだ知らないことが多すぎる。ハイドラーたちが嘘を言っているのかさえまだ知らない。異世界人であるから、情報など持っているわけがない。だからクラシマは知ろうと考えていた。この帝都で、異世界人の召喚なんてはた迷惑なことをした連中の頭の中を。
「マリカ、おいそろそろ起きろ。……しょうがないな。入るぞ」
数度のノックの音が終れば、ドアを開く音が響いた。寝息を立てていた意識は即座に覚醒。まるで戦場で寝込みを襲われたかの速度でベッドのすぐ側に立てかけてある槍を手に起き上がる。
毛布が虚空に飛び上がり、室内に広がる。その後ろに見えるのは眩い輝きに満ちた気<オーラ>の光。輝く光に混じって、浮き上がった影が家の壁に人型の像を映す。瞬間、エプロン姿のシュルトはいつも展開する魔法障壁ではなく、咄嗟に指を弾いて足元の影からシャドウブレイドを幾重にも生み出した。
毛布を突き抜ける一条の閃光。光の点が盾のように生み出された刃の間をすり抜け、シュルトを狙う。だが、その鋭き鋼の切っ先は胸元から数十センチと離れない位置で静止する。その槍は確かに魔力を吸うのかもしれない。だが、擬似物質化した魔力の刃をすぐにどうこうできるわけでもないようだった。吸われないわけではないが、一撃受け止められれば十分。影の刃と削った骨刃とがギチギチと触れ合い、不快な音を演出するその中で声をかけようとしたシュルトを制するかのように、シスターの声が室内に響く。
「返事をする前に女性の寝室に入るのはマナー違反でしょう吸血鬼。それとも寝込みでも襲うつもりでしたか」
「では、居候の癖に時間通りに起きてこないのはマナー違反ではないのだな。ましてや狸寝入りとは呆れてものも言えんぞ」
「ごほん。聖職者とはいっても、寝起きには弱いのですよ。ここは朝日の昇らぬ洞窟ですし、いつが朝が分からないではないですか」
「百歩譲ってそうだとしよう。しかし他人の家を破壊する勢いで槍を振るうのは止めろ。この家は私の嫁の家だ。壊したらお前を連れてきた私が怒られる」
どこか呆れた様子で返すシュルトは更に言う。
「加えて、その毛布も嫁のものだ。しかも普段はサキが借りているものだぞ。こんな穴など開けてどうするつもりだ」
ここはサキが普段借りている元リリムの部屋である。吸血鬼と同じ部屋で寝るのは論外だと言うマリカのために、サキが一時的に譲ったのだ。
「形勢は不利なようですね。素直に私から謝っておきましょう」
「そうしてくれ」
シャドウブレイドを影に仕舞いこむシュルトにあわせて、マリカもまた槍を下ろす。その際、下ろされた毛布の向こうに白い下着姿の彼女が見えた。モデルのような高長身にグラマラスな肢体がよく映える。普段は修道服に隠されたそれは、発展途上のまま秘術により止まっているリリムや空元サイズのサキと比べれば随分と発達していた。
「見事なものだな。生命力に満ち溢れているという証拠か、それともただの体質か」
「何がですか」
「分からないならいい。それよりさっさと服を着て来い」
素直に感嘆としたシュルトは、踵を返し去っていく。寝起きが弱いというのはどうやら本当のことらしいと、彼が納得した十秒後には意外と可愛らしいマリカの悲鳴が轟いた。
「慌しいですがどうかしたんですか」
「さぁな。聖職者の頭の中など私には分からん。しかし、見目麗しいシスターはもはや存在が目の毒だと私は思う。きっとああやって、無意識に男を骨抜きにしていくのだろう。けしからん。実にけしからんな。兄や友人が餌食になるわけだ。私が後二百九十五年程若ければ金蔓にされたかもしれん」
「はぁ……」
いつものように淡々と返す魔法先生は、「シスター恐るべし」などと呟いて食卓に着く。ハートバーグは既に全滅しており、食べ飽きたそれの代わりにシュルトが用意したサンドイッチとスープがテーブルの上に鎮座している。シュルトが食べ始めると、サキも食べ始める。と、そこへ顔を真っ赤にさせたシスターが修道服姿で参上。何かを言おうとして眉根を寄せた。
「きゅ、吸血鬼シュレイダー。それは一体どういうつもりですか」
「何がだ」
理解できないという顔で、シュルトは向かい側に座ったシスターに尋ねる。だがそれはこっちの台詞だという顔でマリカがサキを見た。どうやら味方を欲しているようだったが、サキは小首を傾げるだけである。
「やはり貴方は私の知っている吸血鬼とは完全に乖離しているようですね」
「何が言いたいのかやはり分からんが、どうやら褒めているらしいな」
「先生ですからね。きっと、佇まいから察したのでしょう」
「そうか、もう三百歳を越えたしな。私もついに男の貫禄というのが身についたのかもしれん。合宿を経て漢を上げたということか。ふっ。これでリリムもメロメロだな」
「そのハイカラな表現も只者ではないと思います。MEROMERO……ですか。何やらその響きには強い言霊を感じます。察するに、男女の仲を祝福する類の専門的な大陸言語ですか?」
「そんなようなものだ。ちなみに、私はもうリリムにメロメロなどという段階を通り越してラブラブだ」
「なるほど。朝から勉強になります。『羅武羅武』ですか」
生徒は神妙に言葉を反芻し、教師は真顔で頷く。まるでテストに出るから注意しろと言っているかのようだった。
「貴方たち、もしかして似た物同士ですか」
何故疑問に持たないのかが、まったくマリカには分からなかった。敬愛の念は嫌なぐらいに伝わってくるが、逆に洗脳されているのではないかと心配になったほどである。
「まぁ、いいです。突っ込むのも疲れました。ですがこれだけは答えなさい」
「なんだやぶからぼうに」
「そのピンクのハートマーク入りヒラヒラエプロンはなんですか。似合わないどころか目の毒です。正に神を冒涜する所業と言えましょう」
「これは嫁が着たら可愛いだろうと思って買ってきた奴だ。実にラブリーだろう」
「……何故、それを貴方が着ているのですか。先ほどから気になってしょうがありません。まさか、貴方は嫁の衣類を着て悦に浸るような変態的趣味でもお持ちなのですか」
世の中には女性用下着を盗む変質者から、自分で着用する挑戦的変質者まで実に多様な変態が生息している。異世界の吸血鬼だろうと相手は男。違う意味で危険人物かを見極めるためにも彼女は問いかけておかねばならなかった。
「そういうわけではない。だがこんなにも素晴らしい品なのに、何故か嫁が着てくれないのだ。代わりに私用に買って来た方を気に入ってな。買いなおすのももったいないと思ってこちらは私が使っている。もしかしたら、いつかこっそり嫁が着るかもしれんしな」
「いえ、それならばサキにプレゼントするとか、色々とその決断に行き着く前に取りうる選択肢があるでしょう。何も貴方が着る必要はないではないですか」
「貴様なんということを考え付く!? 天才か!?」
椅子から立ち上がり、直ぐに脱ぎ去るとサキに無言で差し出すシュルトである。サキはよく分からないがくれるものだと判断。師匠が期待するような目で見てくるので、なんとはなしに装着してみせる。
「おお! 大陸で生まれたものだから大陸の女性に似合うかと思っていたが、サキでも十分に映えるな。これは盲点だった。大陸と空元の文化的、視覚的融合美か。これはアリだな!」
「えと、ありがとうございます」
「うむ。どこからどう見ても一端の新妻風家事戦士だ。一分の隙も無い」
はにかむサキに満足そうに頷き、吸血鬼は着席する。何故かその顔はやりきったという男の顔だった。
「しかし、リリムに悪くないでしょうか」
「構わんさ。使われないことの方がきっと、そのエプロンも悲しむ。リリムもサキが貰うなら文句を言わんだろう」
「ならいいのですが」
「センスまで同じですか。やはり貴方たちは似たもの同士です」
パワハラになりそうなところを寧ろ喜んでいる節がある。マリカはもう、この二人に突っ込むのを諦めた。好きにしてくれというのが正直な感想である。そうして、彼女は知らず知らずのうちに吸血鬼が作った料理を摂取した。
「ほう、中々こちらの味付けもイケますね。サキが用意したのですか」
「いえ先生です。先生は偶に腕を振るわれますしよくリリムの……先生の嫁の手伝いをマメにしていますので家事力は私より上です」
「……は?」
「ちなみに普段の洗濯物の取り込みと風呂掃除も基本私だ。他は交代だな。一人食うだけでサボる奴がいるが……奴ははなから戦力外だ。まぁ食材を狩って来るから狩り担当か。お前には期待しているぞ。「働かぬもの食うべからず鞭打ちの刑」とは、私の嫁の言葉だ。ただし学生は除く」
「サキ、この家のヒエラルキーはどうなっているのですか。激しく疑問が湧きました。まさか嫁とやらがトップなのですか」
「微妙なところですね。先生が一番に見えますが、その先生に足を舐めさせて裏で君臨しているのがリリムです。ちなみによく竜に拳骨をしたり鞭を入れたり、鱗を毟ったりして泣かすのも彼女です」
「……何者ですかその嫁とやらは。大魔王か何かですか」
吸血鬼と竜を越える何か。そんな存在は邪神か魔王ぐらいだろう。シスターはもはやリリムという存在が何なのか想像さえできなかった。
途中、レンタルしていた馬を店で返却した一向は徒歩で城にたどり着いた。
大きな堀と城壁に囲まれた帝都城。ゼルドルバッハの中心にしてグリーズ帝国の皇帝が座す国の中枢は、その威容でもってクラシマを迎えた。城門の前には外套のフードを目深に被った兵士が槍を手に番をしている。
「何用か!」
「宰相バノス閣下から依頼を受けたハイドラーだ」
懐から羊皮紙を取り出し、律儀にも門番に確認させるハイドラー。顔パスではないのは、本来ならロスベル領で過ごしているからだろう。また、彼は自ら志願して魔物の勢力圏となった領地へと冒険者として間引きに向かうか、ロスベル領への最終防衛線での防衛任務についていた。言うなればほとんど戦場に居たと言っても良かった。現当主ならいざしらず、ハイドラーの顔を覚えている門番など少数だった。
「確かに。お話しは伺っておりますハイドラー殿。どうぞ中へ」
「うむ」
返却された依頼書を受け取り、皆を引き連れて城門を潜る。その堂々とした足並みは、おっかなびっくり後に続く冒険者たちとは対照的であった。
「やっぱ、何度来ても尻が痒くなる場所だ」
ベテランの男が本当に尻をかきながら茶化してみせる。
「おっさん見栄はるなよ。そう何度も来た事なんて無いくせに」
「がはは。それを言うなっての」
人の目が無いと知れば、必要以上に畏まる気もない。冒険者たちに混じってクラシマは軽く忍び笑いを浮かべる。と、そんな彼らの背後で大きな音がした。城門だ。開け放たれていた城門が閉門したのである。
「ありゃ? 閉まっちまったぞ」
「変だな。いつもは開けっ放しだよな」
冒険者たちが振り返り、仕切りに首を傾げる。場所にもよるが、防犯のために一々開閉する城が無いでもない。だが帝都城はそういったことはなかった。単純に手間だからであり、見張りもいる。白昼堂々と城に攻め込むなど不可能である。当然ハイドラーも首を傾げた。が、すぐに彼は思いなおした。
「今はジェントが居る。まだ人目に着かせたくないということだろう。宰相閣下は慎重なお方だからな」
「ああ、なるほどな」
召喚されし英雄だ。まだ召喚について城から触れが出されたわけでもない。人目につかせたくないということかもしれない。
「或いは、何をどうやっても俺を逃がさないためか」
「ジェント?」
「いや、まさかな」
小さく呟いた囁きを、ベテラン冒険者が拾う。愛想笑いを浮かべながら頭を振ると、クラシマは何とはなしに懐に手を伸ばし拳銃のセーフティーを解除する。アサルトライフルはそのままだ。だが、それに気づかなくても顔が少し強張ったのをハイドラーは見逃さなかったようだ。
「心配しなくてもいい。最悪、私がなんとかしよう」
「ハイドラー……」
「英雄を召喚できなかった。そして、召喚した者を目の前でクイーンとやらに食われた。これは私の落ち度だ。君が何か言われたとしても、黙ってみている気はない」
「だ、そうだぞジェント」
「ああ見えてハイドラーの家は帝国防衛で貢献してきた家だ。向こうも融通ぐらいは利かせるだろうさ」
「……ああ。期待してるぜ」
クラシマを外した六人の冒険者たちが頷く。それに後押しされるように彼は歩を進めていく。どうやら城門の中は防衛用に扉が二重になっているようだ。最悪一枚破られても時間を稼げるように工夫されているのだろう。門番の詰め所らしき施設まで見える。
そうして、ついに城門の中を通り過ぎ庭園へと足を進めた。本来なら、その先に広がる光景は見る者を感嘆とさせる光景が広がっていたに違いない。だが、一同が目にしたのはそんな光景ではなかった。
「な、なんだぁ。兵士たち総出で出迎えか?」
冒険者たちは揃って顔を見渡す。槍や剣で武装した兵士や騎士たちが慌しく集まってきたかと思えば、庭に次々と集結してくる。まるで歓迎のセレモニーでも行おうかという有様である。
「待て」
ハイドラーが一同を止め、歩みを止める。冒険者たちに囲まれて最後尾を歩いていたクラシマは、無言でアサルトライフルのセーフティーを解除。庭園内に眼をやる。兵士や騎士たちはまるで道でも作ろうというのかそれぞれ手にしていた槍や剣を交差させ、城への路を形作る。ただそれだけであったなら大掛かりな歓待のパフォーマンスで済んだだろう。だが、そうして形成された道の向こう。城の入り口に立つブランドの女を見つければ話しは違った。
「――んな馬鹿な。こっちは馬で走ってきたんだぞ」
こんな場所には似つかわしくないほどの軽装。血だらけで、穴空きの手術着のような術衣を纏ったブランドの女が立っていた。城の影の中に浮かび上がるそのシルエットをクラシマが見間違えるわけがない。
「お、おいハイドラー。こりゃ何かの冗談か」
「……」
「おい、俺は悪い夢でも見てるのか? ええおい!」
「全員抜剣! 詠唱しつつ城門に引き返せ!」
怒鳴るクラシマを他所に、ハイドラーはすぐに決断した。冒険者たちは一斉に剣を抜くや否や、反転して城門へと走り出す。同時に、騎士や兵士たちが全員人ならぬ奇声を上げながら手にした獲物を打ち合わせる。
「HIHYAA!」
「GURUOO!」
「Kisyaaaa!」
想像を絶する人数による唱和が庭園を揺るがし鼓膜を揺さぶる。同時に、武器を打ち合わせて響く耳障りで不快な音がコラボレーション。地獄の蓋を開けたかのような絶望感を演出した。
「くそったれがぁぁっ」
歯軋りしながらクラシマが冒険者たちの後へと続く。彼には訳が分からなかった。今はただ、ハイドラーに従うしかない。怒りで顔を朱に染めながらも生き残るためにただ走る。
「邪魔する門番は全て切り捨てろ! ジェントの言うとおりならこの城はもう――」
「Kisyaera――」
兵たちの中、クイーンが一際甲高い咆哮を上げる。同時に立ち上る闇光が、動き出した彼女を不倶戴天の天敵――太陽の下へと誘った。
駆ける。ただ駆ける。脳内のリミッターを無視し、人を超えた脚力で獣の如き速度を得る。その久方ぶりの獲物を見つけたような動きは、まるで腹を空かせた餓鬼のようだ。歓喜の如き白煙が、吐息となって疾走の後に残って消える。
普段人間は生きる上で自らの肉体が壊れないようにリミッターが掛かっている。スポーツ選手や武道の求道者たちならば、訓練でそのリミッターを少しずつ外していく。だがそれでも完全にリミッターが外れることは普通はない。極限の状態で火事場の馬鹿力を必要とされる場面でもなければそんなことにはならない。だが彼女<クイーン>は違う。脳のリミッター解除による肉体へのダメージを、急速に治癒することでその状態を維持し続けることを可能にしている。正にそれは人外の所業だった。
「GUOOO!」
「邪魔だ!」
ハイドラーが奇声を上げながら向かってくる門番たちにファイアを放つ。それに仲間たちも次次と倣った。炎に炙られて燃えていく門番。肉の焦げる異臭が、怪物と化した元人間を焼き尽くす。
「KISYAA!」
そこへ、詰め所の中で待機していた交代の門番たちが姿を現す。魔法の詠唱に入る冒険者たちの横から、クラシマがアサルトライフルで門番を撃つ。
銃撃の威力は鎧を貫き、その下の胸を打つ。衝撃で門番が体を仰け反らせた。だが、彼らは常人なら致命傷になりかねない一撃をまともに受けても動じない。しばらくして体勢を立て直すと、当たり前のように獲物へと向かおうとする。
「第二波放て!」
「「「ファイア!」」」
白煙を上げながら動く影たちを一掃するべく、ファイアの炎が全てを燃やす。煙に咽る暇はない。それらが動きを止めると、ハイドラーは冒険者に目配せして城側の扉を閉めさせる。その間、銃を構えて振り返ったクラシマは、凄まじい速度で駆けてくるクイーンを発見。その眼を大きく見開いた。
「ふざけんな! 日光を浴びるとウィルスは休眠するはずだろうがっ!!」
悪態を吐きながらそれでもライフルの一丁を構え、時間稼ぎの銃撃を開始する。距離はまだある。フルオートで射撃したい欲求をなんとか理性で押さえつけ、弾薬を温存するためにもゆっくりと狙いをつけ引き金を引く。
銃声が奇声を凌駕し、瞬間的に大音声を上げた。火薬の力で銃身を通過した弾丸は、ライフリングを刻まれて回転。ジャイロ効果を得てより安定した軌道で大気を抉る。その果てに、当たり前のようにヴァンパイア・クイーンへと喰らい付く――寸前で黒い闇に弾き飛ばされた。
「……んだそりゃ。バリアか。ファンタジー世界でSFバリアかっ!」
驚きながらも次々と引き金を引く指は止まらない。続けて弾丸を撃ち込むがこれも一向に効果がない。その時クラシマは、道中で撃った魔物のことを思い出した。
数発は撃ち込まなければ銃でも貫け抜けない魔力障壁。それと同一か或いは強力なものだとしたら火力が足りないだけなのか。歯噛みしながらフルオート射撃に代えようか迷ったところで、冒険者たちの声が聞こえた。
「閉めるぞジェント!」
冒険者たちが急いで門を閉め、閂を通す。その寸前、跳躍して踊りかかろうとしたクイーンの唇が、裂けるのではないかと思えるほどの歓喜の顔になっていた。その人外の笑みがクラシマの網膜に焼きつき背筋をただただ凍らせる。次の瞬間、腹から響くような衝撃が門に走った。
「うぉっ!? ぶつかりやがったか」
「アレ、本当に余命いくばくもなかった女だってのか」
「異世界の女はアグレッシブだな」
「まったくだ。あんな元気そうな奴と付き合う男は大変だぜ。命がいくつあっても足りねぇよ」
クラシマが説明したクイーンの話しを思い出し、頭上にライトの明りを灯していた冒険者たちがジョークを飛ばす。だが皆一様に顔は青い。大きく呼吸をすると、冷や汗を拭いながらリーダーへと視線を向けた。クラシマもそうだった。
「……城は落ちたと思った方がいいな。先ずは城門を開けて外へ出よう。二人は念のために詠唱し、警戒してくれ。残りは開けるのを手伝ってくれ。ジェントは警戒のほうで頼む」
「お、おう――」
ドゴォンッと、城側の門が悲鳴を上げた。冒険者たちは顔を見合わせ、すぐに行動を開始。街側の門を大急ぎで開ける。その間も断続的に続く打撃音は、まるで破城槌のように激震を生み、彼らの精神を削りに掛かる。
「急げ急げ! でないとあのおっかない女が出てくるぜ」
「閂オーケーだ!」
「よっしゃ。引け引けぇ!」
門を左右から四人がかりで引き出すその向こう、門番らしき騎士たちが開いた門へと飛び込んできた。クラシマがそれをライフルで迎え撃ち、詠唱していた二人が止めとばかりに燃やす。炎に炙られた体は発火。体内のウィルスごと焼却される。そこへ、焼かれた外套の上から止めとばかりに差し込む朝日が止めを刺した。
「ずらかるぜ!」
直ぐにでもこんな地獄から解き放たれたい一身で男たちが外に出る。だが、一人ハイドラーだけは門を閉めにかかった。
「お、おいハイドラー!?」
「閉めないわけにはいかない。あんなのが街に解き放たれたら帝都は全滅だ」
「ちっ、このお坊ちゃんはまったく」
「全員でやりゃ早く済むだろ」
「お前ら……すまん」
全員でその鋼鉄の扉を閉め、外側にある左右の引き手――金属の輪にナイフを鞘ごと数本突っ込こんだ上でローブでグルグル巻きにする。これで早々簡単には出てこれまい。一同が安堵のため息を零すさなか、作業の邪魔にならないように控えていたクラシマがふと妙な影が出来たのを見つけた。
「お、おいハイドラー。城門の上にも見張りっている……よな」
「ん? ああ。それは当然……不味い離れろ!!」
「KISYAAA!!」
「ぐわぁっ!?」
真上から、咆哮が聞こえた。同時に、降り立った影がベテラン冒険者の男を強襲。飛び掛って地面におしつけるや否やすぐに男に噛み付いた。
「ライゼル!?」
「ぐわぁぁ!」
「どけっ――」
咄嗟にクラシマが銃撃。食いつこうとした兵士の頭部に弾丸を撃ち込む。弾丸は即座に兵士に喰らいついて頭部を貫通。頭蓋を割り脳をかき乱す。しかし、その兵士は咀嚼するのを止めず、白煙を撃たれた場所から挙げながら獰猛にも首筋に噛み付いた。肉が引きちぎられ、その下の血管が血を吹く。冒険者たちが一斉に怒号を飛ばした。
「ハ、ハイドラァーッ、俺ごと燃やせ! は、はひゃく……ぐが……嗚呼…Aaa……」
ライゼルの体が不自然に跳ね、その首筋から白煙が上り始めた。感染の兆候だ。血流に混じった唾液から感染。顔色が悪くなり、抵抗の力が見る見る失われていく。その恐るべき感染速度は、知らぬ者たちの心を恐怖で抉る。
「Tano……mu……Tasuケ……」
「ライ――おのれ、おのれ、おのれぇぇぇぇ!! 今助けてやる!」
ハイドラーはすぐさま食われる仲間ごとファイアで燃やした。燃やすしかなかった。クラシマを除く冒険者たちは門から距離を取りながらもそれに参加。業火で仲間を地獄ではなく天国へと誘う。
硬く引き結ばれた口元に、剣を握り締めて震える拳が彼らの怒りを代弁していた。
彼はパーティーの中では親父のような男だった。駆け出しの頃から世話になっていたハイドラーはもとより、仲間からの信頼も熱かった。そんな彼の急な喪失を前に、彼らは怒りで持って心に誓う。そんな周囲では、様子を伺っていた通行人たちが彼らの白昼堂々の殺人撃に悲鳴を上げた。
「済まんライゼル。後で絶対に迎えに来る。必ずだ!」
完全に焼死体になった遺体をそのままに、ハイドラーは気丈にも皆を奮い立たせる。その間にも、城門の上から木霊する叫びが次々と近づいてくるのが分かった。
「いかん……奴らには城門など檻ではないのだ。聞けお前たち! 城の中は今人を食う化け物で埋め尽くされている! 食われた人間は化け物の仲間になる! いいか、奴らを見つけたら焼き殺せ! 戦えない者は一刻も早く城から離れろ!」
周囲の通行人たちに叫ぶと、自らも城から離れながらとにかく先を駆けるハイドラー。聞いていた群衆たちは戸惑うが、ストリートを走り出す彼らの集団の真実が分からずに右往左往し始める。だが城から聞こえてくる奇声がそれを後押しした。ただならぬ気配は感じていたのだろう。すぐにそれに思い至や否や我先にと逃げ出し始める。
「おい。これからどうするんだ!」
クラシマが街の喧騒に混じって問いかける。
「あの様子では城は堕ちていると考えた方がいい。ならば奴らが街に出てくるのも時間の問題だ。警備隊や巡回の兵士たちと共に住民を避難させ、この都を封鎖するしかない。然る後、地方の諸侯たちに知らしめて帝都ごと焼き払うしか方法は……いや、そもそも何故クイーンは城に居た?」
誰もが思う疑問に答えられる者はいない。帝都と大山脈では距離がある。馬で飛ばしてきた彼らでさえ今日ようやく到着したのだ。辻褄が合わない。
「それも問題だが他にも妙なことがある」
「どうして城に辿りつくまでの間の人間が食われていないか、だな」
「そうだ。城は中心にある。なら、それ以外の場所に感染者が居なきゃおかしい。奴には知能は無いはずなんだ。有るのは個体維持のための食欲と感染欲だけだ」
「ジェント。私は君を疑いたくない。だから教えてくれ。君の知識は絶対か?」
説明したことが正しい部分もある。しかしそうでない部分もあった。そうと確信したハイドラーは根本的な部分を指摘した。冒険者たちの視線がクラシマに集う。彼は静かに首を横に振るう。
「絶対とはいえない。そもそも研究段階だったところを一部培養された研究サンプルが強奪された代物だ。その後でアレは不老不死を現実の者にする手段として……『ヴァンパイア・ウィルス』として研究されていたらしいんだ。軍に同行した俺は取り返しに向かい、制圧がてら研究者たちのレポートを見た。俺はそれと、自分で研究して理解した部分までしか知らない」
クイーンはそもそも病で死ぬことが確定していた娘を母体としている。莫大な治療費の負担と、完治の可能性を対価に被験者になり最悪両親に金を残そうとした。本人は物静かで良い娘だったと彼はレポートで見ただけに過ぎなかった。
飛来した隕石に付着していた未知のウィルス。研究コードは『ヴァンパイア・ウィルス』。ウィルスは感染者の体内で繁殖し、脳細胞を食って成り代わり、自らの宿主の体を乗っ取る。その際、親とされ他の感染者を支配するのがクイーンだ。どういうわけか猿科の哺乳類にしか感染せず、空気感染はしない。感染は感染者の体液を経由した場合であり、太陽の光――主に紫外線で休眠する。また他の菌を喰らいつくすことや宿主に凄まじいまでの細胞分裂を促すことも分かっている。その際、どうやらヘイフリック限界が無視する特異な性質を持っていることも分かっている。だが欠点として細胞分裂のためのエネルギーを貪欲に欲することまではクラシマは掴んでいた。
それらの知識とあわせて盗んだ外国のエージェントが、とある企業に培養研究させた結果クイーンが生まれた。それが彼が知る全て。それ以上は何も知らない。
実際問題としてレポートが完璧であったかどうかは定かではない。改竄されていた可能性、単純に研究者が発見できていなかった可能性、培養の過程で突然変異が生まれた可能性など考慮するときりがない。
「信じてくれとは言わない。だが、俺が今分かっている対処法は太陽の光を当てて休眠させるか、燃やし尽くすこと。そして奴らは体を維持するためによく食うってことだけだ」
クラシマはそう告白し、ハイドラーたちの目を見た。彼らはクラシマのその眼に何かを感じたのか頷きあった。
「俺たちはライゼルのおっさんの仇を取りたい」
「駆け出しの頃から随分と世話になったしな」
「ああ。あのおっさんは最後まで死なないと思ってたんだが……呆気なかったな」
「冒険者の末路なんてそんなもんだってよく言ってた癖に。引退際を誤りやがってよぉ。何があと十年は現役だよあのおっさん。ちくしょう……俺たちの仲間をよくも!」
「やろうぜ皆。弔い合戦だ。骨もあそこにほっとくわけにゃいかねぇよ」
「お前も付き合ってくれるか。ジェントの知識は絶対に役に立つはずだ」
「勿論だ。そもそも俺はクイーンもろともウィルスを皆殺しにするつもりだった。こうなったら最後まで一緒に戦わせてくれ。だが俺はあんたたちみたいにその魔法とかいう奴が使えねぇ。暇があったら教えてくれると助かる」
「その煩い音がする武器じゃダメなのか」
「これは強い矢みたいなもんだ。矢玉が無くなったら俺は戦えなくなる。そもそもこれじゃ奴らを殺しきれねぇ」
精々できるのが時間稼ぎ。クラシマにとっては悔しいが、ヴァンパイア・ウィルス感染者には物足りない。弾丸が無限にあるならば回復しなくなるまで傷つけ、エネルギーの枯渇で倒すことは可能かもしれない。だが生憎と銃という武器は弾薬がなくなればそこで終わり。そしてここは異世界『レグレンシア』である。弾丸の補給の当てなど当然ない。代替の武器が必要だった。
「よし。皆の意思は分かった。協力してことに当たろう。ジェント、君はこれから私たちの仲間だ。よろしく頼む」
「ああ! こちらこそよろしく頼むぜ冒険者!」
クラシマは頷き、見失わないように必死に人ごみを駆けていく。と、その後ろで耳障りな奇声が喧騒に混じって聞こえ出した。振り返った彼が見たのは、フードを被った兵士が住人に襲い掛かっている姿だった。
いや、よく見ればそれだけではない。フードを被った身なりの悪い者たちもまた襲い掛かっていた。十数人は軽く越えているだろうか。ここにきて都市内に潜伏していた感染者までもが動き始めたようである。
「ありえねぇ……」
まるで、クラシマの到着を持って始められたのではないかとさえ思えるほどのタイミングだ。そもそも奴らには知性はない。そのはずだったのだ。組織だった行動を取ることはある。どうやって意思疎通をしているかなど分からなかったが、試した猿たちが集団で檻を破壊しようとしたことなどが発見されている。
(ヤバイぜ。この都市に何万人居るかは知らないがこのままじゃ――)
城門を封鎖しても飛び降りてくる。足の骨が砕けても奴らは直ぐに体を修復して動き出すだろう。そこから広がれば国中が危険だ。加えて、クイーンの移動方法が不明な点から考えても最悪の結末しかクラシマには浮かばない。必死に対処方法を考える。そのせいでハイドラーが立ち止まったことに気づかずにその背にぶつかった。
「お、おい。ハイドラー。急に止まるんじゃ――」
「――ジェント。奴らは基本的に日光に弱いんだったな」
「あ、ああそうだ。少なくともさっき見たクイーン以外はそうみたいだったように見えた。全員外套を被っていたからアレで遮っているんだろう」
「ではあいつらはどうだ」
巡回の兵らしき者たちが前方の通りから歩いてくる。まだ人を襲ってはいないが、目深に被ったフードがその存在を疑わせる。
「……分からねぇ」
「そうか。そうだな。そういえば私たちが城の中で見た感染した兵士たち……やけに少なかったな」
「少ない? いやかなり居ただろう」
「少なすぎるよ。私が知っている頃でさえもあんな程度ではなかった。そもそもバノス宰相は英雄召喚が済めば東の政敵レンドール公爵と戦うつもりで秘密裏に兵たちをこちらに移動させていた」
「……つまり?」
「可能性は二つだジェント。街中に巡回兵となって仲間を増やしていたか、或いはどこかへ移動したかだ」
「移動……その、公爵を攻めるためにか」
「そうだ。ここで更に可能性は分岐する」
ミスリルソードを構え、仲間に詠唱させながら彼は続ける。その間にも巡回の者たちとの距離は少しずつ詰まっていく。
「――まさか!?」
「そう、移動しただろう宰相閣下と兵士たちが感染しているか感染していないかの二択だ。そうだったなら、事態は一刻の猶予も無い」
「「KISYALALA!」」
「死にたくない者は散れ! 皆放て!」
パーティーの冒険者たちは戸惑わなかった。剣を振り上げて邪魔な群衆をハイドラーが遠ざけるのに合わせ、奇声を上げた兵士たちに一斉にファイアを見舞う。
「燃えろ燃えろ化け物め!」
「ライゼルの仇だっ!」
四人一組の感染者たちが、もがきながら燃えていく。その凄惨な焼死に周囲が混乱するよりも先にハイドラーが声を張り上げて対処方法と見極め方をただ伝えた。
「聞け、奴らは人を食う化け物で食った奴を仲間に変える! 城は奴らに占領された。奴らの弱点は日光か火だ。日中はフードを被って動く。フードを被った奴と奇声を上げる奴は化け物だ。食われたら仲間にされるからそのつもりで対処しろ! 戦えない者は逃げろ! 戦える者は弱い者たちを守れ!」
知識は武器だ。知らないからこそ誰もが奇襲されて訳も分からず食われていく。生活のために幼少の頃から魔法を親から習うグリーズ帝国の民衆は、中には攻撃用の魔法を覚えている者も居る。その対処能力に期待するしかハイドラーには手がない。
「おい、民衆がパニックになるぞ」
「知らないよりはいい。対処法と敵を選別できさえすれば一方的な増殖は避けられる。それより急ぐぞ。予想よりも状況はただ酷い」
もはや兵士も騎士も信用はできない。ならば帝都の民は自分の力でどうにかしなければならないのだ。動揺した者たちを尻目に、ハイドラーは二転三転する状況にあわせて考える。とにかく人手が足りない。それをどうにかしなければ戦うことさえおぼつかない。
劣勢の中それでも魔物と戦い続けた冒険者として、ハイドラーは集団を率いて行動する。兜の下の素顔は、他の誰よりも青い。だが臨機応変が基本の魔物との戦いで培ってきた経験と義務感が彼を支えた。
パニックを起こし、やけくそになっても魔物一人倒せない。そうなれば死ぬのは味方であり自分自身。ライゼルの死も、結局は見慣れたものでしかない。だがそれに怒りを感じないほどに彼の感情は死んではいない。慣れはしても心は痛む。燃え盛る憎悪がより冷徹な報復を彼に望み、不必要な感情も何もかもを凍てつかせていく。
「ハイドラーよぉ。俺たちゃ馬鹿ばっかりだ。だからお前の指示が必要だ」
「俺らの命、良いように使え」
「その上で勝とうぜ。生き残ってればどうにかなる」
「ははっ。ライゼルのおっさんがよく言ってたなそれ」
パーティーメンバーたちは拳を振るわせる彼を見てただただ頷く。強い信頼関係に結ばれた冒険者の一団が結束する。クラシマはその姿に、ウィルス奪還作戦に参加した軍人たちを思い出す。
(勝つしかない。そうだ。なんとしても、なんとしてもだ――)
「行くぞ皆。まずは冒険者ギルドだ。冒険者たちは全員魔物対策でファイアを覚えている。少しでも多く戦える人員を確保して人々を避難させるんだ! 反撃はその後だ!」
「「「「おう!」」」」
朝食を終えたシュルトとたちがゼルドルバッハに到着した。その中にサキの姿はない。サキは合宿の疲れを癒すためにもお留守番である。本人はついてきたそうにしていたが、最悪のことを考慮して待機である。だがその判断は悪くなかったようだった。
いつも転移で現れる裏通りだが、今日はいつにも増して通りが騒々しい。そればかりか周囲では悲鳴と怒号が錯綜していた。
「なんだ? 妙に街がざわついているな」
「例の内乱でも勃発しましたか」
「いや、それにしては雰囲気が可笑しい」
「ふむ……おや? 吸血鬼シュレイダー。どうやら城の結界が消えているようですよ」
「なんだと」
城の結界はシュルトにとっては極めて感知し辛い。裏通りから顔を出し、メインストリートの彼方に見える城に眼を凝らす。彼の魔眼で薄っすらと見える程度のそれは、確かにもう見えない。
「そのようだな。しかし、なんだこれは」
群衆が逃げ惑っている。一目散に向かう先はゼルドルバッハの外に向かう門である。ここからならば南門が近いからだろう。それに混じって兵士たちに群衆が魔法を行使。燃やしながら逃げていく。
「ゾンビもどきが動き出したようですね。これは酷い……」
帝都はグリーズ帝国最大の都市である。その住人たちが一斉に右往左往しているのだ。酷いものだった。一度倒れでもした者は、逃げ去る者たちの波に飲み込まれて踏み荒らされていく。皆恐慌に陥ってそれらをほとんど意に返さない。親とはぐれた子供が泣き叫んでも、足の遅い老人が突き飛ばされて倒れてもそうだった。皆、ただただ生き残るために必死の形相で善性をかなぐり捨てている。
「ファイアを使える奴はいつでも放てるように詠唱しながら逃げろ! フードを被った化け物に効果的だ。見かけたら一人でも多く焼き殺せ! 食われた奴も化け物になるから始末しろ!!」
二人の耳に、冒険者の男が声を張り上げながら先導していくのが聞こえた。避難誘導に慣れていないのだろう。どこかドスの聞いた声が余計に恐怖を助長するが、今はそれが効いていた。混乱しながらも声に導かれるようにして群衆が動いている。もはやただそれだけで救いのような有様だ。
「冒険者が避難誘導か。無理も無い。城は落とされているはずだからな。いや、それどころか兵士が敵だ」
「ここだと詳しい情報が不明です。連中に訊ねましょうか」
「いや、冒険者ギルドに行こう。彼らを総括する者がいるとしたら、きっとまだ逃げてはいないはずだ」
転移ではなく、そのままシュルトは地面を蹴り付近の民家へと跳躍。マリカもそれに倣って屋根を飛ぶ。
すぐ下でメインストリートに駆け込む人々の顔には恐怖しかない。異世界の住人とはいえ、不死者もどきを見過ごすことは彼女にとっては気持ちの良いものではない。苦々しい顔のまま屋根の上を駆けていく。すると、途中でシュルトが路地に降り立った。
彼女が眼で追うと、裏路地から逃げてくる孤児たちがブラウンの髪の女に導かれるように避難している様が伺えた。その後ろからは、フードを目深に被った浮浪者らしきものたちが続いている。
「寄り道ですか」
「知った顔がある。ついでに奴らと交戦しておこう」
シュルトは不死者対策にと全身を内気の輝きで満たしながら、先頭を走る女に声をかける。
「ルアンダそのまま私の後ろに駆けろ!」
「あんたは……あの時の甘ちゃん――」
忘れたわけではなかったのだろう。元スリ女ルアンダは頷くとシュルトの脇を抜けて居く。そこへ、浮浪者たちが殺到。シュルトは軽く右手を引くと、内気を集束。すぐにバーストショットを先頭の浮浪者に叩き込む。
放たれた命の光が先頭の浮浪者に炸裂し爆音を奏でる。光が拡散する。着弾した者を中心に集団が飲み込んだ光が、容赦なく肉片を周囲に散らした。威力を考えれば当たり前と言えば当たり前の結果だったが、その様を視ていたシュルトが眉根を寄せた。
「やはり不死者ではないのか」
摂理を逸脱した不死者が、光の攻撃を受けるときの末路は塵に還ると相場は決まっている。なのにその気配は微塵も無く、それどころか肉片が白煙を上げながら蠢いていた。散らばった肉や骨はやがて一つに戻ろうと路地裏の上で不気味に蠢く。だが、それも何故かすぐに止んだ。
そのグロテクスな光景は、振り返ったルアンダは愚か孤児たちにとっては十分に許容範囲を超えている。当たり前のように悲鳴を上げ、仲間たち同士でしがみ付きあっていた。
「もしかしたら、アレは極めて魔法科学からは遠い存在なのかもしれませんね」
追いついたマリカはただただ語る。
「純粋な科学についての造詣はあるほうですか」
「さて、私は魔法には詳しいがその『科学』なる概念はよく知らないからな」
「では貴方は完全なファンタジー世界の概念しか持ち得ないのですね」
魔法が魔力を用いた法則に乗っ取り行使される技法であれば、科学は自然界の法則を探求して利用した技法である。その両方に通じるが故に、マリカはゾンビもどきに一つの結論を出す
「断定はできませんが、アレは魔法や魔力は関係ないのでしょう。そういった概念がまったく関与しないものに見えます。言うなれば……病気が近いでしょうか」
「人をゾンビもどきにする病気だと? そんな不可思議なモノは初めて見たぞ」
「私もです。あんなのはホラー映画だけだと思っていましたが中々どうして世界は広いようですね」
言うなり、マリカは手にしていた槍を覆う布を解き放つ。その視線の先には、更に路地裏から姿を現すゾンビもどきの姿があった。
「病気ならば病原菌<ウィルス>を視野から外せないでしょう。試しに一度完全に浄化します。――意識接続<アクセス>。第一奇跡代行システム開放。代理行使開始――」
瞬間、シュルトと同じくオーラを纏ったシスターがその場で異形の槍を地面に突き刺す。するとリリムの奇跡と同じ純白の光が槍から生じ、物質を透過して周囲を照らした。光は清浄なる空気で路地裏を駆ける。それは新手のゾンビもどきも例外ではない。奇声を上げながら向かってくる彼らは、その光を浴びると糸の切れたマリオネットのように地面に倒れ動かなくなる。
それを見届けたシュルトはその光景に一瞬だけ眼を見張ったが、すぐに頭を振って動揺を消す。
「……何をした」
「付近に存在する病気の元となる存在だけを奇跡で死滅させました」
「さっき話したウィルスとか言う奴か?」
「はい。ウィルスは目に見えないほど小さな生物です。これが体内に入り増殖すると人も動物も病気になることがあります。どうやら当たりのようですね」
「ならば有効に対処できるのはお前とリリムだけか」
倒れた人間は動かない。熱はまだあったが、試しにシュルトは脈を計ってみるが存在しない。呼吸もしていないようだ。完全に普通の死体に戻っていた。
「……吸血鬼。触るのは危険ですよ。病気がうつる危険性があります」
「お前が浄化したのだろう」
「次からは気をつけてくださいという忠告です。感染に気づかずに放置すると手遅れになる可能性がありますよ。感染経路が不明ですから接触は厳禁です。空気感染なども危険ですから同じ空間にはできるだけ居ない方が良いでしょう。つまり、接触しての肉弾戦は言語道断というわけです」
「つまり魔法で近づかずに倒せと」
「魔法で焼き尽くすのがまだリスクは低いと思われます。私には関係ありませんが」
「何故だ?」
「この身には神の祝福がありますので」
「なるほど。神の加護ならしょうがないな」
納得するように呟く彼に、後ろから様子を伺っていたルアンダが声をかけてくる。
「ねぇその浄化って奴、体を洗うときに使う生活魔法のアレじゃだめなのかい。部屋の掃除とかで使ってる奴も浄化だよ」
「……吸血鬼。ここではそんな風に魔法が使われているのですか」
「ああ。所帯じみているが便利だから私も良く風呂掃除で使うぞ。頑固な汚れやカビも綺麗に消えるから一度覚えると忘れる気にはなれん。この世界の魔法は基本生活密着型だ」
「除菌もできる浄化魔法ですか。なんと不条理な」
お掃除業界や洗濯業界が震撼する魔法であることは間違いない。当然、そんな魔法は諸般の事情でエルネスカでは研究されることさえなかった。研究していた者がいなかったわけではないが、彼女の居た世界においてはエネルギー分野や武器関係での発達。そして家電ならぬ魔電製品に貢献していた。畑が違うといっても過言ではない。
「ちなみに体の垢や口臭、体臭も消える。歯磨きもいらんから、この世界の人間は風呂に入らなくても清潔極まりない。髪なんてしっとりさらさらだ」
おかげでこの世界では虫歯などよほどのものぐさしかならない。得ていた現地人の記憶を検索し、その事実を理解するや否やシスターは感嘆の吐息を吐き出す。奇跡での浄化ではなく魔法での浄化。それも極めて簡単なそれには彼女も驚くしかなかった。
「……なるほど。賢人魔法とやらは便利そうですね」
「KISYAAA!!」
「吸血鬼シュレイダー。早速それを試してみましょう」
「うむ。丁度良い具合に現れたしな」
いつものようにシュルトが指を弾き、新手に見舞う。すると、光に包まれた浮浪者のゾンビもどきは、もがき苦しみながらいとも簡単に事切れた。
「……効果抜群だな」
「まさかとは思いましたが、呆れるしかありませんね」
「なんだい、これなら私でもこの子たちでもどうにかなりそうじゃないか」
ルアンダがしがみ付いていた一人の少女の頭を撫でながら呟く。拍子抜けしたとでも言いたげな顔であるのは間違いない。それはシュルトやマリカも同じだ。逆に、子供でも倒せるということで呆れ果てていた。
「疑問に思うのですが、先ほどの浄化魔法が普通のゾンビや不死者にも有効な可能性は?」
「それはさすがにないと思うが……分からんな。今度見かけたら試してみよう。にしてもルアンダ、お手柄だな。これは金になる情報だぞ」
「そ、そうかい? あ、でも気づいたんだけどさ。そのウィルスとか言う奴が原因の病気全部に効くかもしれないんだよね浄化魔法」
「理屈の上ではそうなりますね。もっとも、末期患者やウィルスが原因以外の病気は治せないでしょう。しかし極めて不可思議です。この場合、体に良い効果をもたらす菌はどうなるのでしょうか?」
「私に聞かれても分からんぞ」
「人体に悪影響なんて無いんだから問題ないんじゃないかい。浄化魔法で死んだ奴なんて、聞いたこともないからねぇ」
「そう……ですか。なんて理不尽な魔法……」
害あるものだけを殺傷するのか、まとめて殺傷するのかがマリカとしては気になって仕方が無い。だがよくよく考えてみれば、日常的に身を清めるためにも使っているのだから害など無いのだろう。どうやって作り上げたのかが彼女には皆目検討もつかない。製作者はきっと極めて変質的に術式を吟味し作り上げたのだろう。こだわりを通り越して変態的な仕様である。
「それにしても、知ってたらあんな高い薬なんて買わなかったのにね。知らなかったからこの子のためにあんたから貰った大金をほとんど使っちまったよ」
「まぁそれはしょうがないさ。そうだ、孤児たちと一緒についてこいルアンダ。これも何かの縁だ。ちょっとばかし楽をさせてやろう」
シュルトはそう言うと、何かを企むような顔で笑って見せた。
「北区の住民の避難状況は? 少しは進んだか」
「ダメです、手が足りません! それに中央に奴らが居るせいで、遠まわしにしか伝令が回せないんです!」
「ええい、ジリ貧だなっ」
次々と入ってくる報告を前にして、帝国の冒険者ギルド長ジンブルは声を張り上げる。本来なら逃げ出したいのは山々だったが、相手が貴族のハイドラーであるせいでそうも言っていられない。城が落ちたと聞かされた頃には、金目の物を纏めて避難する真っ最中であった。
Aランク冒険者のダックスたちがいたのも大きい。すぐに逃げようとしたところへハイドラーたちがやってきた。祖国存亡の危機という触れ込みで、だ。これにはさすがにジンブルたちも逃げ出すわけにはいかなかった。
職員も右往左往していたが、ジンブルだとて若いときはそれなりに名を馳せた元冒険者。有事の際の判断を誤ることはせずに、普段は金の亡者として嫌われる姿を一新するほどの動きをみせる。そこには確かな貫禄と経験があり、人を使うことに長けた男の底力を垣間見せた。
彼はギルド長権限で冒険者を強制招集。ひたすらに避難誘導とクイーンの兵隊たちの足止めの指示を出しながら、住民の避難のために地図を睨まざるを得なかった。一階ロビーは現在、指揮所もかくやというばかりに活発だった。加えて、一部先行させた冒険者たちが東西南北にある外壁の門に巣食う兵士たちの討伐を完了し、その維持に努めていた。しかし、それでもやはり人手が圧倒的に足りないのが現状である。
「不味い。このままでは城から本格的に溢れ出てきたらどうにもならんぞ」
必死に冒険者たちを扱き使いながら、ジンブルはぼやく。
「分かっている。だが、出来うる限り民を逃がさなければならないのだ」
ハイドラーとジンブル。二人して水際で支えるが焼け石に水だ。ハイドラーのパーティーやクラシマも伝令に走っているが、そもそも本来は城がどうこうしなければならないのだ。それが機能しないのでは中央集権の意味がない。
「くそっ。城の奴ら普段アレだけ税金を取っていく癖に役に立たんな!」
「ちょっとギルド長! ハイドラー卿も居るんですからそういうことは……」
「構わん! 愚痴る程度でいい案が浮かぶなら好きなだけ詰ればいい。貴族も城の連中も有事の際に義務を果たせないのでは意味がない!」
止めに入ろうとした職員に、ハイドラーが擁護する。彼は冒険者特有の軽口に慣れた男である。冒険者には寛容であり、愚痴りたい気持ちも分からないでもなかった。その貴族の言葉とも思えない態度に、職員も諦めてすぐに順応した。
「ちくしょう税金値下げしろ! 今度子供生まれるんだよ無能中央!」
ドサクサ紛れの叫び上げて、どこかすっきりした表情で職務に取って返す。と、そこへ慌しい女子供を連れた一団が入ってきた。ジンブルは咄嗟に避難箇所を間違えたのではないかと罵声を飛ばしそうになる。しかし、すぐにシュルトの姿を見つけるとギリギリで止めた。
「おおフリーランサー。丁度いいところに!」
「苦労しているようだな」
「見ての通りだ。すまんが状況は切迫している。手を貸してくれ」
「その前に商談をしたい。ギルド長、あのゾンビもどきたちに有効な魔法の情報を私が握っているとして、どのくらいの値をつける」
「貴様、こんなときに――」
職員は愚か、ハイドラーまでもがシュルトを睨みつける。
「どうした、時間が無いのだろうギルド長」
「ええい、いくらだ! いくら欲しいんだ!」
シュルト相手に物理的に抗議しても無駄だ。非常時に司令部が壊滅するなど論外。ジンブルはしかめっ面で尋ねる。
「ここに居る孤児や女子供が生活でき、職に就けるまでの支援を望む」
「分かった。ならば私が責任を持つ! その代わり、本当に有効なんだろうな!」
「お前は?」
「ロスベル家の長男ハイドラーだ」
「ロスベル……ならば西の貴族か」
「そうだ」
「ならば用はない。私の嫁がレンドール公爵派でな」
「なっにぃ!?」
「そもそもこの事態を招いたのはバノス宰相だろう。それに組する輩に用は無い」
「そういう問題ではないだろう!?」
「そういう問題だ。バノスは責任は取るのか?」
「そ、それは……」
「皇族殺しをするような奴だ。もみ消すだろうさ」
「な、なにを言っている。それは根も葉もない噂であろう!」
市井の噂だ。暗殺などという手段を用いて皇族を殺した犯人こそ捕まっていないが、宰相がそうだという確証は誰も持ってなど居ない。
「公爵はどうやら先代皇帝の娘を助け匿っているようだ。彼女が公爵に付き、そうと説明したことが私にとっては何よりの証拠だ」
「そんなまさか!? レイチェル様が生きておられるのか!?」
ハイドラーが眼を剥く。彼だとて知らないわけではない。少年時代には父親と共に帝都を訪れた折、そのたおやかな笑みに絆されたこともあったのだ。
「そうらしいぞ。本物かを判断することは私にできないが、接触してきた時にそう説明した」
そもそもレブレが反応した。それだけでシュルトには本物だと判断する材料には足りるし、そもそも虚言だったとしても関係がない。
「なんでも、今の若い皇帝は元は影武者だったらしい。宰相は皇族を殺し、その事実を摩り替えたそうだ。その件ででそろそろ公爵から宣戦布告が届く頃だと思うがな」
「……ハイドラー卿、彼は本当のことを言っている」
「ジンブル殿!?」
「私も実は公爵派でな。公爵派の古株は皆知っていることだよ。実際に確認した諸侯も居て本人だと判断されている」
「なっ――」
「フリーランサー、私が責任を持つことで勘弁してくれないか。どうせ公爵が勝つ」
「信じているのだな」
「ああ。私に端金しか渡さない宰相よりも、高く買ってくれた公爵の方が気前はいい。ついでに言えば公爵の方がまともだ。両方を知るが故に私はそう断じる。ハイドラー卿、ここは抑えてくれないかね」
いきり立とうとした若者の肩を押さえながら、ジンブルは言う。その落ち着いた言葉に毒気を抜かれたハイドラーは大きく深呼吸して堪える。本当は確認したい。だが、彼は優先順位を違えるような男ではなかった。
「……今は非常時だ。聞かなかったことにしよう」
「だそうだフリーランサー。商談を続けよう。条件を飲む。口約束だがこれでどうかね」
「契約成立だな」
「それでどんな魔法だ。正直、よほど効果があるものでなければ買えんぞ。疑っているわけではないが、どうなんだね」
「既に試したから問題ない。ルアンダ教えてやれ」
「浄化魔法さ。風呂掃除や身支度に使うアレだよ。それでそこのフリーランサーが一発で奴らを倒した」
「「「「浄化魔法だと!?」」」
職員はおろか、ハイドラーまで絶句する。
「なんでも、奴らを化け物にしているウィルスとやらをそれで殺せるらしいのだ」
「ウィルス……貴様どうやってそれを知った!? それはジェントか我々しか知らないはずだぞ!」
「なんだ、知っているということはお前がばら撒いたのか宰相派」
「ち、違う! いや、違わないか。英雄召喚を行い、山脈で召喚された一般人のジェントと共に奴が現れた。戦闘になったが闇夜に逃げた奴は姿を消した。その責任が私にないわけではない……」
「潔いな。詳しく教えろ」
「それは機密――」
「元凶を叩くためだ」
「……行方を眩ませた奴は、何故か馬で帝都を目指した我々よりも先に到着し城に居た。異世界で、そのウィルスとやらに感染し化け物になった女だ。ジェントが『ヴァンパイア・クイーン』と呼ぶ、闇を纏うプラチナブランドの女で、奴は他の連中とは違って魔力障壁のような黒い膜に包まれている。おかげで日光の下でも活動できるらしい」
「日光が弱点……それに吸血鬼<ヴァンパイア>……ちっ。名前からして見逃すわけにはいかんな」
生まれたその瞬間から吸血鬼である神祖に、魔法で吸血鬼と化した真祖。それだけなら分かりやすかったが、ここにきてシュルトにとっては既知の埒外にある吸血鬼の登場。敢えて言えば、ウィルスで人外の化け物と化した菌祖とでも呼ぶべき第三の吸血鬼だろうか。血を吸うのではなく肉を喰らうので食人鬼とでも呼べるが、どちらにせよ困惑しないわけではなかった。シュルトは顎に手を沿えしばし黙考する。
だが、結論は考えるまでもなかった。自分以外の吸血鬼が基本的にリリムにとって危険だと判断する彼は、淡々と呟きながらも紅眼に殺意の光を宿す。その明確な闘争の意思は、周囲の冒険者たちはおろか職員にも伝わった。
「城に行くぞマリカ。予定とは少々流れが違うが、これはある意味チャンスだ」
「確かに。結界が無い上に弱点まで露呈しています。ここで行かない理由はありませんね」
「待て、今すぐに城に行くのか!? 帝都中心部はもう奴らの手に堕ちたも同然だ! せめて体勢を立て直すまで待っても――」
「必要ない。それより雑魚はお前たちに任せる。住人たちに今の情報を周知しろ」
「それと、噛まれた場合も即座に浄化魔法を試してみてください。対処が早ければ助かるかもしれません」
早期発見、早期治療は病気対策の基本である。マリカが補足すると、職員たちは愚かハイドラーたちも目の色を変えた。
「ほ、本当かシスター!? それが本当ならこの戦いは――」
「そうだ。今日中にも終わるだろうな」
市民と兵士たちでは明らかに数が違う。基本金食い虫でしかないのが軍人であるから、養うために市民の方が当たり前のように多いのだ。しかも魔法が生活のツールとして浸透している帝国においては浄化魔法を習得していない人間の方が珍しい。消費魔力も微々たるものだ。もたらされた情報は正に、この戦闘を終らせるだけの値千金の価値があった。ジンブルとハイドラーが頷き合い、すぐに指示を飛ばし始める。
「ギルド長、そこの孤児たちとルアンダは任せるぞ」
「分かった。こちらも収拾がつき次第増援を向かわせる」
頷き、すぐに外套を翻して彼はマリカと共にギルドを出て行った。その歩みには恐れなどまったく見当たらない。ジンブルはその淡々とした様子に苦笑しながら、静かにその背中を見送った。
「どうやら、もうしばらくここで金儲けができそうだな」
「ギルド長」
「どうかしたかねハイドラー卿」
「彼は、信頼に足る男ですか」
「いや、胡散臭いことこの上ない男だよ彼は」
「なっ、そんな男に――」
今からでも止めるべきだと言いかけた青年を手で制し、ジンブルはニヒルに口元を歪める。
「だが腕は立つ。あのダックスが素手でやられた。君ならこの意味が分かるだろう」
「『大剣のダックス』を素手で? 本当かそれは!?」
「何せ奴は帝都最強の金蔓だからな」
「は?」
「そんなことより気になるのはそこの孤児たちだ。彼と何の関係があるのだ?」
ルアンダに問いかけるように尋ねるギルド長だったが、それに関しては彼女も肩を竦めるしかない。だから正直に彼女は言った。
「ただの顔見知りさ。まぁあいつは私らにとっては通りすがりの、お節介な甘ちゃんさね」




