回想四 案外順調の交際期間。
一体どういう理屈で君は私と付き合いたいと言うのだ。
わけが分からん。
そう言いながら、日向ちゃんは大学の紫色のロゴマークがついた名刺に、携帯電話のメールアドレスを書いてくれた。
一応緊張して言ったことだったから、あ、満更じゃないんだって思って、ほっとした。
日向ちゃんは意外と付き合いがよかった。デートに誘えば、待ち合わせ時間きっちりに来る。メールをすれば、何時になってもちゃんと返してくれる。店の場所を教えたら、遊びに来てくれた。
最初のうちは、本当に僕と付き合ってくれるのだろうか、デートにちゃんと来てもらえるだろうか、メールを返信してもらえるだろうかとドキドキしたけれど、そのうちそんなことも忘れて安心してやりとり出来るようになった。マイペースだけど、きちんと人付き合いしようとするのだ。
デートはよく街をぶらぶらした。日向ちゃんの本務校や僕のお店の周りは学生街でもあって、見るところはたくさんあった。彼女と行く場所を決める際は少しの議論が必要だったけれど、お互いの合意があって、一緒に行くと決めた場所には、文句も言わない。冷徹そうな雰囲気だけれど、実は人見知りなだけで、中身はそれほど他人をぶった切るような発言をするタイプではないと、すぐに分かった。
いつもデートのときは、苦いのか笑いたいのかよく分からない変な顔をして待っていて、少し遠くでそれを眺めてから声をかけた。僕と分かるといつもの凛とした顔になる。彼女のちょっとおかしくて、可愛いところだ。
すごいと思ったのが、どんな場所でも、面白いと思うところを必ずひとつは見つけること。
例えば、不味かったイタリア料理屋。不味いイタリア料理屋なんて初めて入ったし、僕が案内したところだったから、かなりがっかりしたけれど、口直しに入ったケーキ屋で彼女はこう言った。
「きみ」
「なんでしょう」
「さっきの料理屋は確かに不味かった」
「すいませんでした」
「しかし私には気になることがある」
「何ですか」
「厨房に昆布茶が置いてあったのだ。あれは一体何でだ」
「・・・厨房の人が休憩のときに飲むのかな?」
「調味料と同じ棚に置いておくか?唐辛子とお茶だと思って間違えたらどうする」
思わず吹いた。
携帯電話でインターネットを繋いで検索してみると、ペペロンチーノなどに昆布茶を入れると美味しくなるというレシピを掲載しているホームページがあった。
「これ・・・ってことでしょうか」
「なるほど」
彼女の表情に哀愁が漂った。
「あの店も、努力をしているのだ」
確かに。
また、例えば、抽選やイベントがあって、人混みが酷かったショッピングモール。僕は途中でうんざりしてしまったが、ショッピングモールを出て喫茶店に入った後、彼女は遠くを見るような目をして、言った。
「きみ」
「何ですか」
「さっきのショッピングモールで〝フラフープ・ダンス・ショー〟副題に〝情熱のリンボーダンス〟とついている出し物があったのは気付いたか」
「気付かなかった。ていうか、何それ」
「道すがら真っ赤な横断幕が貼ってあった、あれだよ」
「あー・・・そんなのあったかも。あ、思い出しました、そういえばアナウンスでそんなこと言っていた。結局、何なんでしょうね?」
「フラフープ・ダンスというジャンルのショーなのか?それの中で、リンボーダンスをしてみせるのか?」
思わず笑ってしまった僕に、にやりと彼女は笑いかける。
「私は気になって仕方がなかった」
そうして、その場で僕が携帯電話で調べてみて詳細が分かると、新しいことが分かった、と喜ぶのだ。
「日向ちゃんほどの方でも知らないことがあるんですね」
「世の中、知らないことの方が多いものだよ」
なるほど、そりゃそうだ。
珈琲を飲みながら言った、シンプルで当たり前な言葉に、僕はますます好きになってしまった。
大学の講義の合間に遊びに来ても良いと言われて、大学は確かに自由に出入りできるけれど大丈夫かしらと思いながら、よく通った。
研究室で一緒に珈琲を飲んでいるところを、早々に例の日向ちゃんの教え子たちに見られて、すぐ付き合っていることが知れた。あの彼女たちは、どうやら「桐島先生格好良い」と、追いかけている節があるらしい。
大学に行ってみてよく分かったけれど、日向ちゃんは学部の人間に相当人気があるようで、僕と日向ちゃんが話していると、通りすがりを装って何度も教授が見に来る(そのため、僕は日向ちゃんの恩師と顔見知りになった)。
日向ちゃんの同僚も同様だし、例の学生たち以外にも決まった人が見に来たりする。中には僕と日向ちゃんを見て、ハンカチを握って駆けて行ってしまう男子女子もいる。何故だ女子。日向ちゃんの何が一体そうさせるんだ。
そんな、ひっきりなしに研究室の中を覗きつつ人が通り過ぎていく環境なのに、日向ちゃんは全く気にせず涼しい表情で受け流しているのだ。凄い。
僕らはよく一緒に食事にも行った。日向ちゃんはご飯やお菓子が大好きな人なのだ。その会話は、偶に物理の式や法則が飛び出す事もあるし、博識な面が見れる事もあるし、極端だったり、一見とんちんかんに聞こえるが実はそうではない受け答えをする事もあって、それはこちらの想像の範疇を越えてしまう彼女の思考が垣間見えて面白かった。
彼女が食べる専門という事もよく分かった。一番よく分かったのは、懐が広いというか、あまり気にしない性格だって事だ。僕がどんな事も気軽に話したり訊ねたりしても、平然として受け答えて、受け入れてくれる。逆にどんな事でもずいと突っ込んでくる所もある。凛として鋭利な雰囲気の彼女だけど、どっしり鷹揚に構えている。ご飯は矢張り、遠慮せずよく食べる。
会えば僕が積極的の、とりとめもない話くらいしかないこともあった。けれど、一緒にいるだけで良いか、というような、生温かい心地の良い空気で、僕らは空間を共有出来た。
桐島日向と付き合っている、と同級生ヨシオに言ったのは、合コンがあってもう半年が経ってからだった。
他の連中や、親も誰も、僕の知り合いには、それまで僕と日向ちゃんが付き合っていること、それ以前に僕が誰かと付き合っていることも知らせていなかった。
合コンのあの日はそのまま流れ解散みたいになって、僕も日向ちゃんも普通に別々に帰ったから、誰も気に留めていなかった。あの場だと、僕と日向ちゃんは隅にいた者同士だったし、目立ちもしなかった。
もっとも、誰かと付き合っていることを言い触らす性質ではなかったし、彼女は年上でもあるので、出来れば誰にも茶々入れられたくないな、と思ったのが一番の理由だった。
その日は久々に店に遊びに来たので、ヨシオに、日向ちゃんと付き合っていると告げただけである。
ヨシオは目をひん剥いた。
「えー!嘘だろあのすげー食ってたちっこい黒い子!」
まあ確かにそうだ。
ちょっとおかしくなって、笑う。
「間違ってはいないな」
「俺ら、高泰に合わなさそうだし、すーごいガード固い感じ子と一緒にしちゃって、悪いなーとか思ってたのに。実際どうなの?」
「何が?」
「性格とか」
「うーん、中身結構ぼうっとしてるよ」
平然とした表情で転びそうになった所を見たことがある。凛としているけれど、意外と気が緩んでいる瞬間もあるのだ。
今日お店に届いた燭台を箱から出して、布で拭く。三本蝋燭が立てられる、葡萄の実と蔓の複雑な細工がしてある金属製の重厚な燭台。僕が選んで仕入れた品だ。思ったより重いけれど、まあ良い感じ、店の雰囲気も壊さない。実際に使わなくても、こういうものをインテリアとして好む人もいる。好きだと思ったら、買う人がいるだろう。
「だけどあんなしゃきっとしてて、凛としてる子相手にしてると、疲れない?」
「彼女、僕の態度には自分と同じものを求めないもの」
「高泰と正反対に見えたのに・・・」
「まあ、見た目はそうかも」
「白黒はっきりしてそうで、敷居高そうで、俺だったらハラハラしちゃうよ」
「いや、そんなでもないよ。思い立ったら吉日な所はあるけど。即決即断即行動!ってね。彼女、買い物は決めるの早いよ」
ただし、即決即断即行動の弊害を僕が被ることがよくある。デート中、僕を待っていて貰っている間に、何も言わずにいなくなっていることがある。クレープが食べたくて買いに行ってたとか、酷いときには研究中のことでいい考えを思い付いたからその足で大学の研究室に行っちゃった、とか。
まぁ、日向ちゃんだからしょうがない、と最近はそう思うようになったけど。
付き合って二ヶ月くらい経ったときに喧嘩をした。
すごく悲しいからやめて、と言うと、すごくしょんぼりした顔をした。
折角いいことを思い付いたから、すぐ対処をしたいのだ。駄目だろうか。
と、言うのが、なんだかモヤモヤした怒りを晴らす効果があったようで。
結局、僕は彼女を可愛く思ってしまうから、仕方ない。と、僕が折れた。
テーブルに、燭台をどうディスプレイするか思案しながら、ふと思い出して笑みを漏らした。
ヨシオは複雑そうな顔をして、言った。
「なんだか幸せそうだな」
「まあね」
「渋ってたくせに」
「うじうじ言うなよ、男らしくねーな」
「でもさ、あの人って・・・何もかもキチっとしてそーっていうか・・・結婚とか考えそうな女じゃない?」
思わず仰け反って振り向いた。
「け、結婚?」
「ほら、ああいう感じの子って、なんか家とかキチっとしてそうじゃん。大学四年生くらいだと来年卒業だから、そういう事考えそうだし」
「えー・・・あ、そうか、ヨシオたち知らないか。日向ちゃんだけ大学四年生じゃなくて、大学の研究員だよ」
「っえー!!!」
ヨシオの驚きようがおかしくてつい笑う。良かったな、お前はフランスパン突っ込まれなくて。
「えっ、じゃあお前騙されたのか!」
「いや、騙されたわけじゃないけど」
「どーすんだよ、それじゃもっと年齢いってるって事だろ、益々結婚のこと考えてそうじゃん」
「婚期逃しちゃっても知らないよーなんて言ってたの誰だよ」
「そういえばそうだ」
自分が言った事を思い出してぽかんとするヨシオを見て、溜息をつく。自分こそ、あれこれ僕に恋だの結婚だのを仕向けておいて、何なんだよ。いろいろ考えて合コンしたわけじゃなかったんじゃないか。呆れつつ背を向けて、ディスプレイの位置を決めようと燭台を動かす。
だけど、どうなんだろう。ふと不安に思った。僕もそこまで考えて、日向ちゃんと付き合っているわけじゃない。確かに一緒にいたい。でも、今はのんびり一緒の時間を楽しめれば、と考えているだけだ。
日向ちゃんはどうなんだろう。そういえば彼女、二十八なのだ。結婚を考える年齢だ。
この先ずっと僕といたいと思う?一緒にいてくれるのだろうか?
僕はどう思う?日向ちゃんと一緒になれるくらいの、人間になれる?
考えると悶々としてくる。僕はどうしたいのだろう?
なんか新しい悩みが出来てしまったじゃないか。ヨシオめ。
「だけどなぁ・・・桐島さん、だっけ?素っ気無いし、愛嬌無いし、それどうよ?可愛くないんじゃない?」
おまぇぇぇ。いい加減、他人の彼女貶すのやめろ。
燭台のディスプレイをし終え、ちょっと離れて眺める。よし、完璧。
「良いんです。というかヨシオは知らないでしょ。日向ちゃんはね、研究室に置いてあるコーヒー用のマグカップはピンクのウサギさんのマグカップを愛用してるし、色がカフェオレ並みに変わるくらいミルクと砂糖入れないとコーヒー飲めないの!どうだ、可愛いだろ!」
「いや、それが可愛いかは人によるだろ」
「それに意外とスキありだ!キスをかすめとれるんだ!初めてキスしたときは不意打ちだったから殴られたけど今は全然大丈夫!」
「うわっ、むかつく、すげぇ惚気られた!!」
「何の暴露している?」
「うわっー!!」
突如、第三者が会話に入って来て、僕とヨシオは飛び上がった。
入り口に、いつも通り真っ黒の日向ちゃんが、何とも生ぬるい半笑いを浮かべてぽつんと立っていた。
「おおぅ」
なんか怖い。
「ひー・・・」
「こ、こんにちは」
「こんにちは」
ヨシオの挨拶にきりっと返す日向ちゃん。でも、何、その変な笑表情。まさか鉢合わせするとは思わなかった。
カーッと顔に熱が上る。慌てて訊ねた。
「いつからいたの?」
「ついさっき来たばかりだ」
「あ、遊びに来てくれたの?」
「私の愛用のマグカップが割れたんだ。新しいの、何かないか」
「えっ、割れちゃったの?!ちょっと待って、探すね」
僕らの話を聞いてないのか、聞いていたのか、どっちだ。分かんない、その科白、その表情、読めない。動揺して心臓がばくばく鳴る中、なるべく可愛らしいマグカップを探そうとお店の商品を物色する。ピンクのウサギさんのマグカップに匹敵するくらいのってあったかな。というか、このタイミングでマグカップ割れちゃう?普通。
日向ちゃんは、生ぬるい半笑いをしたまま、ヨシオを横目で見る。ヨシオは少し引き気味に「な、なんでしょう」と問う。すると、日向ちゃんはヨシオに言った。
「君、キタムラさんの相手をしていた男子だな。キタムラさんがまた会いたいと言っていたぞ」
「え、俺?!」
「よ、良かったじゃん、ヨシオ。ナイスナイス」
何がナイスなのかは自分でもよく分からない、いやナイスだ。とりあえず良かったな、ヨシオ。
取り繕いつつ、パニックを起こしながら、日向ちゃんの新しいマグカップを探す為に背を向けた。
店内には微妙な半笑いを浮かべた日向ちゃんと、「俺が?俺に?」と何度も呟いて呆然としているヨシオと、慌ててマグカップを選んでいる僕がいる。それぞれ噛み合わなくって、なんとも変な空気だ。
それにしても日向ちゃんがあんな生ぬるい半笑いしてるのを初めて見た。何それ、全然感情が読めない。怒ってるの?呆れてるの?面白いの?得体の知れなさが、怖い。
その日、僕は小さなピンクの薔薇の花の絵が描いてある、マグカップを探し出した。彼女はそれを購入して、そのままの表情で大学に帰っていった。
ヨシオは呆然としたまま帰ってしまって、僕はひとまず、変な雰囲気の騒動を乗り切った。
何だったんだ一体。脱力しつつ、彼女の表情を思い返した。
待ち合わせのときの、苦いのか笑いたいのか分からない表情も、何ともいえない生ぬるい笑顔も。
照れていたんだと知ったのは結婚した後だった。




