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4 事実無根の夫婦喧嘩。

 違うんだ。

 と、言いたくても、ままならぬのが、親の邪推。


 雑貨店「Calm」の忙しさのピークは、平日の午後だ。学生や買い物帰りの主婦が寄り、夕方になると通勤帰りの人々の足が向く。夜の七時まで開けているので、急いでプレゼントを買いに来る人などが飛び込みでやって来る。

 土・日も午後の方がお客さんは来るけれど、平日よりは空いているので、昔から親父とお袋は、十六時には店を閉めるようにしている。

 今日は土曜日。

 そこを見込んで、僕は親父に願い出た。


「日向ちゃんの実家に行く?」


 ぽかんとした親父。

 生暖かい笑みで、僕はなるべく余裕があるような声色で、言った。


「かくかくしかじかで昨日の夜、日向ちゃんが実家帰ってしまいまして」

「かくかくしかじか?かくかくしかじか、じゃ、分からないだろ」


 駄目か。言い方間違えたか。僕は口の中に渋いものが広がる心地がした。

 案の定、親父はにんまりした。


「分かった、喧嘩したんだろう」

「違う」


 げっそりして否定するも、聞かないのがジェントルメン親父である。


「恥ずかしがるな、昔は父さんも母さんと喧嘩して、実家に帰ります!なんて言われて困ったことがあったもんだ」


 そうなんだ。初めて知った。

 でも本当に違うんだ、親父。



 昼に義母から電話を貰って、僕は昨晩の仔細を話した。

 一部始終を聞いたお義母さんは、受話器の向こうで溜息をついた。


『そう、そういうことなら良いんだけど』

「い、良いですか」

『いいえ、良くないわね』


 お義母さんで呆れ返った声できっぱり言う。


『本当に日向の頭の中が鰤大根の味付けのことしかないって、分かったから』


 流石お義母様、日向ちゃんのことがよく分かっていらっしゃる。

 困ったように、お義母さんは続ける。


『本気だわあの子。帰って来るなり鰤大根の味付けを今すぐ教えて欲しいって言うのよ。流石に遅いから止めて貰ったけど』


 あの日向ちゃんを止めるとは、流石お義母様。

 日向ちゃんは思い立ったら吉日、という性格で、伴侶である僕ですら未だにその暴走を食い止めたことがない。付き合っているときからそうだったので、もう慣れてしまったけれど、何かコツがあるのだろうかと思う。


「すいません、一応止めたんですけど」

『大丈夫よ、今に始まったことじゃないもの。気にしないで。・・・でもね、母親の勘というか経験で言うと、一回教えても、引き下がらないような気がするのよねぇ・・・』

「はい?」

『そのまま味の研究に熱中して、帰らせるタイミング外したら、うちに長期滞在するかも』

「あ、いやそんな」


 いや、有り得なくもない。夜中睡眠中に、突発的に「ひらめいた!」って起床して、そのまま研究室に行っちゃって一週間帰って来なかったってことがあった。あのときは大学に問い合わせ、その後大学に通い、一段落したところを見計らって、帰るように誘導したのだ。急だったから僕のことを嫌いになってしまったのかと心配したからそこまでしたのだけれど。

 だけど。首を傾げた。日向ちゃんは大学どうしたのだろう。今日行かなくて良いの?土曜日は授業があるはずなのに。准教授がいないと、学生が困るんじゃないの?

 困ったようなお義母さんの声が受話器から聞こえた。


『うちの中は一応私が仕切ってるから、止めさせることは一応出来るけど。帰らせるのはちょっと私にも難しいのよねぇ。一応実家でもあるから。高泰君悪いけど、日向のこと、迎えに来てくれない?』

「え」

『高泰君も、お店があって忙しいのは分かっているの。でもお願い、長い間、日向をこっちにいさせるの、あんまり良くないと思うから』

「でも、僕が行ったからって帰って来るかどうか」

『高泰君が来れば、自然に帰ろうって気持ちになると思うわ。何しろ母親だし』


 母親だしって、お義母さんが言うことなら、ってことだろうか。

 まあ、お義母さんが言うことなら、そうなのかなぁって思える。何しろ、あの冷静沈着な暴走研究者の日向ちゃんを産み、育て上げた女性だ。論理的でなくとも、なんとなくであっても、その発言には説得力がある。

 太鼓判押されたと思って、無碍に期待を裏切れないな、と思ってじゃあ行きます、と答えた。


 

 僕は両親が健在で、実家稼業を手伝っているから、ちょっとは融通が利く。

 親父に早めに上がりたい旨を伝えれば、正当な理由さえあるなら早めに上がるのは可能だ。

 ただし、早めに上がりたい理由を言えば、あらぬ誤解を招くだろうことは残念ながら大体予想がついていた。


「いや、本当に違うんだ。実は昨日の夜、鰤大根の味が気に入らなかったみたいで、実家に教わりに行くって遅くに帰っちゃったんだ」


 親父は軽快に笑う。


「日向ちゃんみたいに頭の良い人が、そんな意味の分からない理由で実家に帰ったりしないだろ」


 いやぁぁぁぁぁ、帰るんです。その辺、親父が分かってないだけだって。頭の良い人ほど変わり者っていうじゃない。

 親父は女性がどんなに変わり者でも、基本的に常識の範疇で動く可愛いものだと思っている。彼女みたいに自分の疑念や納得いかないことがあったら突飛で突発的であろうとすぐ作業に取り掛かってしまう人に、おそらく会ったことがないのだ。


「夫婦喧嘩は、しといた方が良いぞ。そうやって近付いて行くってものだ。連理の枝っていうだろ。やすと日向ちゃんを見てると、どうも雰囲気が緩くて仲が良過ぎるんだよ。許し合っているのも良いかも知れないけど、偶には本気で喧嘩でもした方が良いぞ」

「そりゃどうも。お陰様で口喧嘩程でいつも治まってます」

「なるほど、原因は口喧嘩か」

「だから違うって」


 失言した。失言じゃないのに、失言した!

 親父はおかしそうに笑いながら言った。


「まあ良いや、そういう事にしといてやるよ。とっとと誤解を解いて来なさい」


 だから違うんだって。

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