神に愛された世界の希望
王都の一等地にある、絢爛豪華な勇者邸。
しかし今のその邸宅は、華やかさとは程遠い、異常なまでの警戒態勢に包まれていた。
リリアとゼノンを失い、完全に正気を失った勇者トールは、全財産を叩いて国中から最高級の防衛魔道具を買い漁り、屋敷全体に何重もの『絶対防御結界』を張り巡らせていた。
「これなら……これなら誰も入ってこれないはずだ! 俺は勇者だぞ、神に選ばれた最強の男なんだ!」
寝室のベッドの上で、トールは愛剣を強く抱きしめ、血走った目で部屋の四隅を睨みつけていた。
パリン。
静寂を引き裂く、ガラスが割れるような乾いた音が響いた。
それは、トールが絶対の信頼を置いていた最高位の防御結界が、紙切れのように容易く消滅した音だった。
「ひっ……!」
部屋の扉が音もなく開き、月光を背に浴びた黒い影が侵入してくる。
――レンだった。
「お前……お前か! よくも俺の前に姿を現したなッ!」
トールは恐怖を打ち消すように叫び、ベッドから跳ね起きて愛剣を構えた。
トールが固有スキル【聖騎士の加護】を発動する。彼の肉体が黄金のオーラに包まれ、驚異的な身体能力が宿る。トールはその力を頼りに、レンへと一気に躍り出た。
「死ねぇえええ、レン!」
だが、トールがレンとの距離を縮め、その間合いが「3メートル」を切った瞬間。
フッ、と黄金のオーラが消え去った。
全身に漲っていた万能感、神から与えられた強大な力の感覚が、まるで最初から幻だったかのように完全に消失する。
「な……!? から、体が……重い……!?」
「気づくのが遅いな、トール」
レンは冷徹な眼差しのまま、腰の鋼鉄ナイフを抜くことすらせず、ただの物理的な剣を構えた。
「う、嘘だ! 【聖騎士の神眼】! 奴の弱点を見せろ! 【神の加護】よ、俺に力をッ!」
トールは必死に頭の中でスキルを連呼する。しかし、レンの領域内では世界の法則すら強制終了する。神の声も、チートのシステムも、何一つとしてトールに答えることはない。
「神だの加護だの、うるさい奴だ」
レンが一歩踏み込み、鋭い一太刀を放つ。
「がはっ……!?」
『自動回避』も『絶対防御』も発動せず、トールの胸元に深い一文字の傷が刻まれた。鮮血が舞い、トールは無様に床へと転がった。
「どうした、勇者。俺の事はいつでも消せるんじゃないのか?お前のアサシンスキルは地味だ、攻撃スキルもないお荷物だと、俺を追い出したのはどこの誰だったか」
レンはゆっくりとトールを見下ろしながら歩を進める。
トールが後ろずさりするたび、レンの「半径3メートル」がトールを追い詰め、あらゆる奇跡の可能性を完全に摘み取っていく。
「嫌だ、嫌だ! 助けてくれ、レン! 悪かった、俺が間違っていた! お前がこのパーティの、俺たちの本物の『中心』だったんだ……! だから命だけは!」
プライドをすべてかなぐり捨て、トールは床に額を擦り付けながら涙を流して命乞いをした。
「お前たちは魔法やスキルに溺れ、自分自身の肉体を鍛えることを忘れていた」
レンはトールの首元に、静かに刃を突き立てる。
「ここは神の加護すら届かない、ただの物理の世界だ。チートを奪われたお前は、地道に剣を振り続けてきた俺の足元にも及ばない。――ただの、非力な凡人だ」
「あ……ああ、あ……」
トールの『神眼』が、初めて本物の絶望を捉えた。
レンが持つのは神の祝福ではない。あらゆるチートを虚無に還す、文字通りの『神殺しの権能』だったのだと、死の間際になってようやく理解した。
「さようなら、かつての勇者」
ザクッ。
冷徹な物理の刃が、トールの首筋を正確に貫いた。
ドサリ、と重い音を立てて倒れたトールの顔には、最期まで恐怖と絶望が張り付いたままだった。
静まり返った寝室。
レンは返り血を拭い、窓から差し込む月光を見上げた。
「……悪くない気分だ」
レンは静かに剣を収めると、フードを深く被り直し、夜の街へと姿を消した。




