弾まぬ会話の行く先は
淑女としての勉強も始まった。カルラ様はとても上品な老婦人でいらっしゃって、あの方を前にすると気恥ずかしく、つい浮足立ってしまう。そんな至らない私を、カルラ様は温かく導いてくれる。こうなりたいと憧れる師との出会いに、私は深く感謝している。
空いた時間は勿論アルベルティナの部屋を訪ねる。癒しのひとときだ。伸ばした膝にアルベルティナを座らせ足を動かす。ちいさくて軽いアルベルティナはぽんぽんと上下に弾む。喜んでキャッキャと笑うアルベルティナがあまりにかわいくて、後ろから抱きしめて後頭部に顔をうずめた。ハア香ばしい……くせになる……疲れが癒える……
しみじみと後頭部の匂いを嗅いでいると、アルベルティナが突然のけ反り、私の顔に向かって手を伸ばしてきた。
「どうしたのかしら?」
アルベルティナは、面白いものを見つけた! と言わんばかりにぐいぐい私の顔を触ってくる。すごい、すごい容赦がない。
「ティナちゃん、それはお母様の鼻で、わあだめよ、鼻の穴はだめっ」
ぐいぐい指を入れようとしてくる。無法……っ! 急ぎ手で鼻を隠せば、アルベルティナは次に私の目に興味を示す。私は伸びてきたかわゆい指に慌てて瞼を閉じた。
「おめめもだめなのよ、それは取っちゃだめなのアアッぐいぐいくるっ」
閉じた瞼をこじ開けようとする手を捕まえる。ちいちゃくて、ぷくぷくしていて、指の付け根の関節部分が凹んでいる。かわいすぎる。
「そんないたずらなおてては食べてしまいますよ〜!」
「あきゃーぁ、きゃ!」
「てってくちゃーい、かわい〜!」
はむっと手の甲に唇を押し当てれば、アルベルティナが楽しそうに笑う。なんでもかんでも触って口に入れる手が絶妙にくちゃくて、そんなところまで可愛くて仕方ない。全部かわいい。かわいくてちいさい。……ハッ!
「かわちい! かわちいちゃんですねえ!!」
私はアルベルティナを『かわちい』と呼びながら、夕食の支度が始まるまでの時間、存分にアルベルティナと戯れた。
§
「隣国の情勢が落ち着かない」
夕食の席で、旦那様が突然そんな話題を口にした。もしや、ラウテル侯爵家の夫人として、知っておかなければならない事情や心構えがあるのだろうか。私はカトラリーを置き、背筋を正した。
「……はい」
「現国王の治下となる頃より良い話は聞かなかったが、今後我が国の懸念として――」
「ンン゛ッ! ウォッホン!」
旦那様の後ろに控えているシモンが咳払いをした。そんな無作法を、どうして彼が。旦那様がシモンを振り返る。シモンはかすかに首を振った。
「……その、今日…………厩舎で馬が一頭産まれたらしい」
前を向いた旦那様が、唐突にまったく違う、のどかな話を始めた。何か話し続けようと旦那様は口を開き、口元を数度動かして――少し悄然とした様子で、食事を再開した。言葉が途切れる。……まさか。まさか旦那様は私と会話をしようと、懸命に話題を考えてくださったのだろうか。その結果世情をお話しに? それをシモンに止められた?
「……ふ、ふふっ」
どんな深刻な話が始まるのかと身構えた緊張が溶け、つい笑いがこみ上げる。落差が。厩舎の仔馬。
「し、失礼いたしました……っ、ふ」
声が震える。笑いが中々止められない。会話が弾まないと私も困り果てていたけれど、旦那様も同じように思ってくださっていたのだろうか。
せっかく旦那様が歩み寄ってくださったのだ。いつも学習の進捗報告のようになりがちだけれど、私からも何か。息を整え、旦那様のお顔を真っ直ぐ見つめる。
「あの、兄は旦那様の元でうまくやれておりますか?」
私が何とか絞り出した話題もそんなもので。それでも旦那様は少し驚いた様子で、会話に応じてくれる。
「あ、ああ……! ハンネスは非常によくやってくれている」
「突然旦那様にお取り立ていただいて、やっかみなどは受けておりませんでしょうか?」
「そのようなことは私が許さない。ハンネスに難癖をつけることは、私への背反であると周知徹底している。何よりハンネスは優秀だ。今や彼を引き入れるためにあなたと結婚したのではとささやかれるほどで――いや、これはあなたに失礼だったか」
「いいえ。兄がお役に立てているのだと知れてうれしく思います」
会話が続いた。とてもうれしい。兄の現状も。たまらず頬が緩んで、向かいでは旦那様も緊張を緩めた様子を見せてくださる。
「心配であればご実家に顔を見せるといい。もちろんこちらに呼んでも構わない。契約書に記載した通り、その一切について私が制限を課すことはない」
「はい。そのうちに顔を出そうと思います」
結婚して早々実家に出入りすると良からぬ噂が立つかもしれないと思って控えているけれど、皆きっと心配してくれているだろうから。まずは手紙を送ろうか。――アルベルティナがどんなに愛らしくぷゆぷゆのもちもちのすべすべでかわいくてたまらないかしたためなければ!!
「――隣国についても、情勢が落ち着けば良いと思います」
「……ああ、その通りだな。こちらから出来ることは少ないが、私も備えよう」
ぽつぽつとだけれど、話しかければ会話が続く。
「仔馬を見に行ってもよろしいですか?」
「もちろんだ。アルベルティナを連れて行くのであれば、事前に予定を周りの者に伝えるように」
「はい、かしこまりました」
遠目に見るくらいなら、アルベルティナも連れて行ってやれるだろうか。馬を見て喜ぶアルベルティナを想像すると胸が弾む。
旦那様はやはり、ちょっと不器用なだけで、優しいお方なのではないだろうか。……しかしアルベルティナの生母に対する仕打ちだけが印象とそぐわない。双方綺麗に遊んだだけのつもりだったのだろうか。
あれこれと想像を巡らせるのではなく、本人にきちんと聞かなければ、と思う。でもどう切り出せば。こうして会話を重ねていけば、気負いなく聞ける日が来るだろうか。
この家でいただく食事はいつも本当に美味しいのだけれど、今日は一層美味しく感じる。心なしか、シモンもうれしそうにしている気がする。
食事を終えて、部屋に戻る。いつもより足が軽い気がした。








