侯爵閣下と契約結婚
「これは契約だ、と捉えてもらいたい」
——それが、顔合わせの際に私、セシリア・デ・フェールが言われた言葉だった。
若き侯爵エルンスト・イェフ・デ・ラウテル閣下。見目麗しく、背が高く、地位も権力も財力もお持ちでいらっしゃる彼は女嫌いとして有名で——そして現在、とんでもない醜聞で時の人となっている。
平民とおぼしき身重の女性が彼の屋敷を訪れ、数ヶ月の後に身一つで追い出されたのだと。赤子を置いて。
悪質な噂だ、と切って捨てるには目撃証言が多すぎた。数多くの人間が、貴族街を堂々と歩く身重の女性を目撃している。その女性がラウテル家の屋敷に入っていく姿も、身一つで貴族街から立ち去る姿まで。私の耳にまで届いているのだから、社交界はこの噂で持ちきりなのだろう。
ラウテル閣下のご両親は亡くなられている。お姉様がいらっしゃったそうだが病弱で、公の場に姿を現すこともないまま若くして亡くなられたそうだ。他にご兄弟もいらっしゃらず、現在ラウテル家におわすのは閣下おひとりなのだ。——使用人の『お相手』が易々と屋敷の門をくぐれるわけがない。滞在を許されることも、赤子が取り上げられることも。
つまりは、閣下の私生児ということだろう。身元不明の女性に産ませて、その上生後間もなく母親から取り上げた私生児。——女嫌いなのに私生児とはこれいかに。そう思わないでもないけれど、まあ、なんだか色々と、想像の難しい何かしらがあるのだろう……私はため息をかみ殺し、そっと閣下に視線を向けた。
「閣下、たいへん心苦しいのですが、その、私としても決断をするためにですね、その契約、について具体的にお聞かせいただけるとありがたく思うのですが……」
「それは全くその通りだ、フェール伯爵令嬢」
閣下は重々しく頷き、まるで職務説明のように硬い口調で語り始める。
「まず、当家はあなたを正しく私の妻として迎えたいと考えている。だが、あなたにはどう過ごしていただいても構わない。女主人として采配してくれるなら補佐を付けるし、煩わしければ何もしなくても構わない。必要な場には私の妻として同席していただきたいが、少し顔を貸していただければ後は私がどうとでもしよう。当然私の妻には予算が付く。どう使っていただいても結構だ」
そして、と少し口ごもって、閣下は覚悟を決めたように私を見据える。
「あなたには、ある赤子の母になってもらいたい」
ああ……っ本人の口から存在が語られてしまった……! 本当にいるんだ、私生児……私はなんとか笑顔に見えるよう口角を上げながら、目を細めた。
「その赤子を後継ぎにするつもりはない。面倒をみる必要もない。あなたにはただ、『母親』という立場に立っていただきたいのだ」
「後継ぎになさらない?」
「その通りだ。あくまで後継ぎは正式な夫婦——あなたと私の間に、将来的に、追々、いつか授かることがあれば、その子こそが後継ぎであるべきだ、と考えている。現在当家で抱えている赤子はあなたの立場を脅かす存在ではない。女児であるため、嫁に出すなり、その……子の資質に合わせ、より良い道を示してやれれば、と思っている」
予想外なことに、閣下は本当に私を『妻として迎える』おつもりでいらっしゃるらしい。赤子を不当に扱ったり虐げたりするおつもりなら人として疑うし夫婦になれる気もしないけれど、『より良い道』とおっしゃるなら、まあ……いや、本当に女性を追い出したのかと考えると心情的にちょっと厳しいものがあるけれど、私は噂以外事情を何も知らないのだし……最大限好意的に想像して……侯爵が平民の女性を妻に迎えることはできないのだから、話し合って双方納得の上別れたのかもしれないとか、女性の今後の生活のため閣下が赤子を引き取ったのかもしれないとか…………そもそも知らぬ存ぜぬで母子共に切り捨てるような人よりはまあ、まあ……! なんとか……!
ぐぬ……と現状の咀嚼に難儀する私の向かいで、閣下は重々しく言葉を続ける。
「あなたのお父上にも話したが、当家がこの婚姻で提示できる利点はふたつ。まず、フェール家への援助。それから、あなたの兄上の後ろ盾となることだ」
——そう。それこそが私がこの席に着いた理由。そして、当主同士で決めて当然のところを、閣下から私が了承するのであればと言って席を設けてくださったのだ。
我が家は『伯爵家』とは名ばかりの没落貴族だ。何代も前に領地を手放し、更にその後にはタウンハウスも手放した。貴族街の集合住宅に居を構え、細々と……細々と暮らしている、没落貴族。
お父様は王宮に勤め、日々頑張ってくださっているのだ。ただちょっと出世に遠く、その、暮らしがなかなか上向かないだけで。誓って詐欺に引っかかったり、怪しい投資話に乗って財産を溶かしたりもしていない! 借金もこしらえていない、誠実な父で……本当にちょっと、代々没落し続けているだけで。
そんな中、奇跡のように、兄はとても優秀だった。うちに生まれたのがもったいないと両親が泣くくらいに。兄ならば出世できるかもしれない。フェール家を立て直せるかもしれない。そんな希望が芽生えたが……悲しいことに、現実は厳しかった。我が家は、微塵も持ち合わせていないのだ。コネと金を。
世知辛い……! 結局優秀でも、コネと金がなければ便利に扱き使われるだけなのだ……! 成果を奪われて……! 私はぎゅっと目をつぶり、荒くなりかけた息を整え考える。今、そのコネと金が手の届くところまで降りてきている。醜聞と赤子を引っさげて。
……元々、嫁ぐあてはない。ちょっと先立つものが足りなくて、交流の場にさえろくに行けていないのだから。せめて家に金を引っ張ってこれるような、貴族との縁を欲している商家でも探して欲しいとお父様に頼もうか、と考えていたところなのだ。それならこれはまたとない、良いお話だ。閣下は私を正当に遇してくださるとおっしゃるし、それに何より、兄を見出し、惜しいと思ってくださったからこそ私に白羽の矢が立ったのだから。私は腹を決めて、閣下を真っ直ぐ見つめた。
「……その旨一筆書いていただいてもよろしいでしょうか」
「勿論だ。あなたが納得のいく契約書を作成しよう」








