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44 ■流れ星の下で■

 乾燥しすぎ。湿りすぎ。軽すぎ。強すぎ。これなら……いや、念のためにもうちょっと待とう。軽すぎ。湿りすぎ。強すぎ。――


 丁寧に丁寧に、ひとつひとつ風を読んで風に乗っていく。

 柱をのぼるのは想像以上に大変だった。もし少しでも気を抜けば大惨事になるだろう。


 高いところから国を見渡せるせっかくのチャンスだったけど、そんな余裕もない。

 初めてここへ来たときといい、今といい、柱辺りで冷静に、のんびりできた試しがない。きっと素晴らしい景色が見られたんだろうけど。


 やっと一番高い柱、天地の柱にたどり着いたときには、常に全力で動いてきたためか息が切れていた。


 ハヤテはこんなところまで軽々と来られるだなんて。

 なんだか悔しいけど、改めてハヤテはすごいなあなんて思ってしまう。


 目の前にあるのはわずかな草原と古の樹と呼ばれているらしい大きな樹。

 陽はすでに暮れていて、空にはひとつふたつ、星が光る。人の気配はしなくて、ただ静かに風が吹いていた。


 のぼってきたのはいいけど、ハヤテがいないなんて。きっとここにいると思ったんだけどな……


 息を整えながら柱の中心へと一歩踏みだすと、樹の向こう側に三角座りをして俯いている人影が見えた。


 よかった、やっぱりここにいたんだ。


 そっと近づくと私が声をかけるよりわずかに早くハヤテが振り返る。


「ハヤテ」


「……ツムギ、なんで」


 振り向いたハヤテは大きく目を見開いていて、すごく驚いているのがよくわかる。


 その表情をさせられただけ、頑張ってのぼってよかったかな。

 しんどかったとはいえ、のぼれるようになったのは成長だ。自分で言っちゃうのも変だけど。


「すごいでしょ、私自力でここまで来たんだよ」


「……答えになってねえし」


 ふっと呆れたように笑うとハヤテは地に寝転んだ。


「久しぶりだよな、ここ」


 私が隣に座ると、ハヤテがそうこぼした。


 昔から悪いことをして叱られたときにむくれてよくここへ来ていたりしたことはカザネさんやヒナタさんから聞いたことがある。


 ここ最近、色々あったし全然来れてなかったんだろうな。


「うん、初めて会った場所だよね」


 旅行中に竜巻に遭遇して、飛ばされて。気がついたらここにいた。


 ハヤテと、出会った。

 みんなと、出会った。


「あのときはまじで変なやつだと思った。こんなとこから落ちそうになってるし、風読めないし、風使えないし」


 変なのは変わんないけどな、とため息をつきながら苦笑いをする。

 でも意地悪な感じは全然しない。


「カザネさん、心配してたよ」


「それでここまで来たのか?」


 まあ、それもあるけど。それだけじゃない。


「本当はね、……一人で、いられなくて」


 私は静かに首を振ると、そう答えた。

 どうしてもハヤテと話したくて、家に行こうとした。その途中でカザネさんに会っただけだ。


 確かに心配はしたけど、ハヤテだから大丈夫だって思ってたし。

 自分が、ハヤテと話したかっただけ。自分のためだ。


「ヒナタさん、呼んでくれてありがとね」


「や、別に」


 ちらりと横目で私を見ている。その瞳が何を聞きたいと言っているか、それくらいはわかる。


「ちゃんと、聞いたよ。全部、聞いた」


「お前の母さんも、お前みたいに飛ばされてきてたのか」


「ううん、元々この世界の人なんだって」


 ハヤテがわずかに身体を起こしたのが見える。


 ハヤテにとったら、混乱だらけだろう。

 王女なんだからこの世界の人間で当たり前。でも私のお母さんなんだから違う世界の人間でもおかしくない。


「空の国の王族には特別な力があるんだってね?」


「ああ、聞いたことならある」


「スカイとはどう違うの?」


「…………」


 ハヤテが突然黙りこみ、目を泳がせる。そして――


 首を横に振った。


「スカイと王族はたぶん同じだ。スカイなんて伝説上のもの。でもツムギが王族には特別な力があるって言うなら、きっと……」


「そっ、か。……うん、そうだよ」


 王族には特別な力がある。お母さんは確かにそう言っていた。


 なら、やっぱり私もスカイなんだね。


「お母さんの力はどんな風でも乗ることのできる力。その力で私がいた世界に来て、私のことを産んだの」


 私がみんなの言葉を聞き取れるのも、難なく読み書きが出来るのも、だからなんだって。元はと言えばこの世界の人間だから、自動的にってことらしい。

 学校で英語とか国語とか勉強する意味、余計わかんなくなっちゃうよ、まったく。


「……ふうん」


 長の息子ですら知らない話を私はしていて、ハヤテは困惑しているようだった。


 なんとか理解しようとしているのか、黙って考え込んでいるハヤテの横で私は静かに座り続ける。


 三角座りをしているからか、ただでさえ動きやすいようにと短く作られた着物はさらに短くなっていて、足下を冷たい風が通っていく。





 しばらく経って肌寒くなってきたところで着物の縫い目からわずかに糸がほつれているのが目に入った。脳裏に浮かぶのは――


「ばば様ね、私の本当のおばあちゃんだった」


「……え」


「王女さまがお母さんなのは分かってるでしょ? お母さんのお母さん、ばば様なんだって」


 言葉も出ない、まさにそんな感じで口を小さくぱくぱくさせている。

 そりゃそうだよ。きっと誰も知らない。町外れの服屋さんのおばあちゃんが、王女さまの母親だなんて、誰が思うの。


「私をここに呼ぼうって言ったのも、ばば様。ハヤテにありがとうって、言ってたよ」


「……なにが」


「天地の柱までのぼるのが辛いからどうしようかと思っていたところだったから、本当にありがたかったって」


「……どういたしまして?」


 いきなり様々な事実を告げられて、訳がわからない、と顔をしかめているハヤテににこっと笑って私はそう言った。


「あのね、魔法使いなんだって」


 難しい顔のハヤテとは反対に、今の私はずいぶんいたずらっぽい顔をしていることだろう。


「私魔法使いとのクォーターってことだよ。ひょっとして魔法使えるかも!」


「っふ、んなわけあるか」


 そうそう、難しい顔してたってしょうがないよ。

 頬をゆるめたハヤテを見て私も笑うと、空を見上げるとたくさんの光の線が走っていた。


「ハヤテ、ハヤテ! ほらすごいよ、流れ星だらけ!」


「ん、ああ……ほんとだ」


 お願い事しなきゃ。そう呟いて手を合わせ、目を閉じようとする。


 ――ふわっ


 ハヤテが起き上がるのが視界に入ったが、次の瞬間にはハヤテの姿は見えなくなっていた。


 なぜか肩にはハヤテの頭があって、やさしいぬくもりをもった腕が背中に回されているのを感じる。力強く包み込まれるような感覚だ。


「ハヤテ?」


「俺さ……」


 抱きしめられている。

 そう理解して困惑していると、ハヤテの声がすぐ近くで聞こえた。


「戦に、出る」


「――え?」


 身体の芯がすっと冷たくなって、うまく呼吸ができない。


「母さんと一緒に、前線で戦うことになった。当たり前だよな、風の民の長の息子で、将来長を継ぐために修行だってしてきたんだから」


 ハヤテが大きく息を吸い込んで、吐き出す。


「国の非常事態に、戦うなんて当たり前だ」


 しっかりと、そう言い切ったけど……わかる。こんなに近くにいるんだもん、わかるよ。


 ハヤテ、震えてる。


「ハヤテ……」


 ヒナタさんが言ってたのはハヤテが戦に出るってことだったんだ。戦の準備が必要だから、先に帰ったんだね。


 それに――


 だから、ここに来てたんだね。家を抜け出して、ここに。天地の柱に。



 俯いたのか頷いたのかわからないくらいかすかにハヤテは首を動かした。


「本当に情けないけど……俺、死にたく、ない」


 ハヤテらしくない。いつもみたいなぶっきらぼうな言葉じゃなくて、一語ずつ絞り出すような、そんな話し方。しかもその声は今にも消えてしまいそうだ。


 また、ぎゅっと力が強くなる。


「大丈、夫?」


「今は、何も言うな。……言わないでくれ」


 思わず問いかけると、ハヤテが掠れた声でそう言った。


 空ではまだ、いくつもの流れ星が流れていた。



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