43 □天地の柱□
ここは空が見えるから好きだ。
陽は暮れかけていて、羽ばたく鳥たちのシルエットがオレンジ色の空に黒く見える。
囲むようにそびえる柱はいつも変わらずそこにあって、静かに見上げればなぜか落ち着くんだ。
コンターレのテラス席はこの季節確かに寒いが、それだけの価値はある。
最近、上まであがってないな、なんて思っていると、ずいぶんと香ばしい匂いが腹の虫を刺激してきた。
「やっと来てくれたんだね、ハヤテ」
「ああ」
ハルトが腕にいくつもの皿をのせてテーブルまでやってくる。
この時間の仕事にハルトが入ってたのかと少し驚く。
「仕事は昼までなんだけどね、ハヤテが来たって聞いたから僕が作ったんだよ」
俺の表情のわずかな変化に気づいたのか、ハルトがにこっと笑ってそう言った。なるほど、それで妙に待たされたわけか。
「最近なかなか来てくんないから、ほんと寂しかったんだから」
皿を並べながら唇を尖らせてそう言うハルトに、まだまだ中身はガキかと思いながら視線を落とすと、机の上に並べられたものに唖然とした。
俺、今日のおすすめをくれって頼んだんだけどな。別に何皿もとは……
って、料理の数の話は後でいい。言葉も出ないとは、まさにこのことだ。
「……お前」
全ての料理を速やかに並べたハルトは腕を組んで得意気な顔をしている。
「へへ。肉料理、出させてもらえるようになったんだ」
出させてもらえるようになった、って。
かすかに焦げたような香ばしい匂い。まだ熱をもった油のはねる音。
やっと並べれる程度のもの、なんかじゃない。ここで食べるものの中でもトップクラスにうまそうな雰囲気を醸し出している。
…………で、うまい。
少し見ないうちに皿を何枚も腕にのせられるほど確実にたくましくなったハルトは、料理の腕も格段にあげているようだった。
あまりのうまさとその驚きに無言で食べ続けるが、ハルトはなにも言わず隣に腰を下ろした。
いままでのことを考えると味はどうだとか、聞いてくると思ったんだけどな。
「ねえ、ハヤテ。ハヤテは好きな人いる?」
「……は?」
コック帽やらエプロンやらをはずしながらおもむろに呟くようにそう言うと、少し顔を赤くして笑った。
「僕ね、リンちゃんのこと、好きなんだけどさ」
「リン?」
「踊り子さんやってる女の子。風の民だし、知ってるでしょ?」
風の民だから知ってるとか、そういう偏見やめろ。全部で何人いると思ってんだ。……知らん。そんなの俺も知らん。数えたくもない。
そう思いつつ、微かな心当たりを探る。
「あの、お前と一緒に迎えに来てくれたやつか」
地の国からの帰り、俺が風にのせた声を拾ってくれた女の子。
大人しそうな、でも負けん気が微かに見える、そんな瞳をしていた。
そう!と子犬のように目を輝かせて頷くと、今度は両手でコック帽をもてあそびながら恥ずかしそうにうつむいた。
荒れた手に懸命の修行のあとが見える。お前、頑張ってたんだな。
「でね、どうしたらいいと思う?」
「……どうしたら、って」
「だから、どうしたら、リンちゃんに、その……」
もじもじしやがって。女々しいな。何を言おうとしてるか全くわかんねえ。
たくましくなったと思ったらガキのまんまだし、男らしくなったと思ったら女々しいまんまだし。なんなんだ、お前。
「はっきり言えって。そのリンって子が何なんだよ?」
俺の問いかけに思いきり頬をふくらませ、目をつぶって小さく叫ぶ。
「どうしたらリンちゃんにも好きになってもらえるのかなって聞きたいんだってば!」
……えっと。
「……なに、お前照れてんの」
「っうるさい! こんなこと相談できるのハヤテしかいないんだって。からかわないでよ」
「なんでだよ、他にもいるだろ。一緒に働いてるやつとか」
「それはちょっと、無理かな」
さっきまで膨れっ面をしていたハルトが一瞬店内に目をやって少し苦笑する。
店内のフロアからはすかさず悲鳴が聞こえ、すいません、と何度も叫ぶ声がテラスまで響いてくる。
嫌でもツムギの歓迎会でガラスを粉々にした少女を思い出した。
「……そういや、そうだったな」
恐らくあの子がハルトのひとりしかいない同期生なのだろう。コンターレの従業員はそんなに多くはない。……って強面のくせにヘタレ二人もよく雇ったな、あのおっさん。
でもハルトがここまで化けたってことは、あのドジっ子も何かしら才能はあるってことなのだろうか。
もしそれを見抜いてるなら、マジですげえよ。
てか、からかうなとか言われても本当に俺もよくわかんねえんだけど。
「ハヤテはいないの?」
俺がつまらない考え事に没頭していると、ハルトはそう聞いてきた。
「俺は別に……」
仲良くしてる女がそもそもそんなにいないしな。
コユキとサユキみたいに人のペース乱しまくってなんて論外だし。
あとは、ツムギくらいしか。
「ツムギさんは? 最近会ってないなあ。元気?」
……ツムギ。
「ん、ああ、元気なんじゃね。普通に」
そっか、と言いながらきれいさっぱりなくなっている俺の皿を見てにっと笑う。
興味の対象は移ったようだ。
「やっぱハヤテって食べるの速いね。どう? うまく出来てた?」
「ああ。こんなにうまいんなら、もっと早くに食いに来ればよかった」
嬉しそうにぱっと顔を輝かせて、早く聞きたかったけど味わってもらえるように我慢してたんだという。今にも鼻唄を歌い出しそうな勢いだ。
お前、気配りも一流になってきたな。
なんて思っていたがハヤテはすぐに唇を尖らせた。
「ほんとだよ。おかげで最近太っちゃったし」
ふっ、と頬が緩む。
昔から、お前の居残り練習で出来た残飯は俺が食ってたんだよな。
そりゃ、こんな油たっぷりの肉料理練習してたら残りもん食うだけで太るに決まってるだろ。
「……俺はお前の残飯処理係かよ」
へへへ、とだらしなく笑うハルトは本当に幸せそうで、こいつにとって料理の仕事は天職なのだろうと思う。
「ハヤテの修行から卒業できるようにはなりたいけど、もし卒業してもハヤテはずっと食べに来てよ」
味に口出ししてずっと練習に付き合って。自分もそこまで出来る訳じゃないがとりあえずひとりで作るときに気づいたこととか教えてみて。
俺の修行、って言っても間違いじゃないな。
「わかってる」
俺好みに仕上がったお前の料理、食べに来なくなるなんてことあるわけないだろ。
ずっと――
その言葉に複雑な思いを抱きながら、軽く微笑んで頷いた。
「あんた、これ入れてないじゃない」
「え、ああ」
「ったく、しっかりしてよ」
母さんが大きなため息をつく。
目の前には様々な武具が並んでいて、小さなかばんと大きなかばんも隣に並ぶ。
自分が使う武具は揃えて手入れしなきゃならないし、食料の整理もしなきゃならない。
民の長であるうちは念のために他のやつらの分も整備しておかなければ。
これのために引きずって連れ帰られたようなものだ。もうすぐ、戦が始まる。本当に目の前に迫っているのだ。
母さんが大丈夫なの、と心配してるのが手に取るように分かる。
そういやあいつ、大丈夫なんだろうか。一応ヒナタとウレンに連絡をとって、ヒナタが帰り付き添ってくれるとは言ってたけど。
そろそろあいつにも、ツムギにも言わないと。結局まだ言えてないんだった。
「わかってるって」
分かってる、母さんが言いたいことは。
俺はそう言って家を出た。
普段より強い風が身体を吹き抜ける。しばらく感じていなかった懐かしさの残るその感覚をじっくりと味わった。
天地の柱。一番空に近い場所だ。
昔から何度も何度もここへ来た。吹き飛ばされそうなほど強い風に頑張って耐え、自分の存在を何度も確認した。
そんでここは、ツムギと初めて会った場所。
「……ちっ」
んだよ、あいつのことばっか。気持ち悪い。
思わず舌打ちをするが、なぜかは分かっている。
「命がかかってるのよ」
どうせ母さんはそう言いたかったのだろう。
分かってるんだよ、そんなことは。ちゃんと分かってる。
王女とこの国の民のため、命の限り戦う。
そう、誓った。後悔はない。
それでも、死にたくは、ない。
ウレンはどうしているだろうか。仕事が忙しいと言っていたが、俺のところと同じように準備に終われているのだろうか。慎重なウレンのことだから、念には念を、とか言ってさらに何かしているのかもしれない。
きっとコユキとサユキも連れていくだろう。ウレンの愛弟子なのだから。あいつらは何を考えているのだろうか。
ヒナタは俺のために動いてくれた。ウレンほどじゃないにしても仕事だって忙しいはずだ。
それでもいつだって兄弟のようによくしてくれる。
あいつらのために、この国のために、何が出来る?
守りたい。大切な存在を。
あいつらも、このシエルアの民も、ウィンヴィレッドの民も。
そして、ツムギ。あいつのことも。
月は思っているよりも白く辺りを照らし、冷たい風が頬を撫でる。
空を見上げると、数えきれないほどの星たちが輝いていた。
死ぬことを覚悟する、ということは離れることを覚悟するってことだ。
やっと近づいたのに、また、離れる。
それほど辛いことはない。
俺にはまだ、あの星みたいになって遠くから見守るなんて大人なこと、出来ねえよ。
そばに、いたい。
いつも意地はってるくせにこんな時になって素直になるなんて。ほんと、気持ち悪い。全部あいつのせいだ。
背後にわずかな気配を感じる。風が巻くような音がして、ふと振り返ると――
「ハヤテ……」
蒼い瞳が俺を見つめる。強い風になびく漆黒の髪は月の光で輝き、こいつ自身を輝かせているようだった。
「……ツムギ。なんで」
こんなとこに何しに来たんだよ。自分で来れたのか?
その程度の憎まれ口を叩くほどの余裕さえ、俺にはなかった。




