32 ■ヒーローみたい■
「はぁ……」
目の前には真っ白の紙の山が二つ。右には合格をもらえたデザイン。左には不合格と言われたデザイン。もちろん、圧倒的に左の山の方が高い。
コユキちゃんとサユキちゃんにデザインを教えてもらうようになってからしばらく経つけれど、全然上達しないし正直嫌になっちゃうこともある。
「ツムギッ! またボーッとしてるよー」
「ほんとほんと。ため息ばっかりしてどうしちゃったの、一体」
二人の声で我にかえり、とっさに笑みを浮かべて曖昧にごまかす。
「ごめんごめん! なんでもないよ。で、次はどうやるんだっけ」
「だからー……」
コユキちゃんの丁寧な説明とサユキちゃんの綺麗な絵が私に様々なことを教えてくれる。
いつもコユキちゃんがアイデアを出して、サユキちゃんが絵にするのだそうだ。反対にすることもあるけど、そっちの方がいいものが出来ることが多いらしい。見本ひとつとっても、素敵なものばかりだ。
でもコユキちゃんの声とサユキちゃんが描き出す線を眺めながら、私の意識は半分、違うところに飛んでいた。
「また……」
"下手くそ"
"rainbowの恥"
"服作るのやめろ"
あれから毎日毎日、そんなことが書かれた手紙が届くようになった。私が出掛けている間にポストに入れられているのだ。
ばば様はそんなに外出する方じゃないから、まだ知らないはず。
知られたら、困る。私のせいで店の名前に傷がついてるんだから。
本当にずっとお世話になりっぱなしで、それだけでも申し訳ないのに、これ以上迷惑かけるだなんて。
もちろん相談なんて出来るわけがない。
だから……
「……で、こっちの線は右から丸くひいた方がひきやすいよっ」
「ツムギ! もーう、聞いてるのっ?」
「きっ聞いてるよ! ありがと!」
お店の名前を傷つけないためにも、ばば様を悲しませないためにも、教えてくれる二人のためにも、もっと頑張らなきゃ。文句なんて、悪口なんて言われることのないように。
店の周りの柵の前にひとりの子供がいる。体つきから見るとたぶん男の子でかぶっている帽子からちょこっとのぞく髪の毛は陽の民っぽい。
小柄でおしゃれな感じがするひとだけど、ちらちらと周りを見回していてなんだかひどく自信なさげに見えてしまう。
お客さんかな。初めてだったら入りにくいよね、一人だし。案内してあげないと。
「あの、お客さ……」
喉から出てきた声が途中で消える。彼がポケットから取り出したのは、あの手紙。見間違えるはずがない。ずっと同じ紙だったんだから。
彼が、あの手紙の送り主……
私の視線に気づいたのか、少年は一瞬振り返ると一目散に逃げ出そうとした。
「待って!」
私の叫びと同時に強い風が吹いて、少年が一瞬脚をもつれさせた。
たまたまだし、背中を向けたままではあるけれど、止まってくれたみたいだ。ちゃんと聞かなきゃ……
「なんでそんなことするの?」
思ったよりヒステリックな声が出た。握りしめた拳も勝手に震えている。落ち着いてるつもりだったのに、身体は本当に正直だ。全身が震えてるけど、怒りなのか哀しみなのかすら私には分からない。
私、このひとのこと何も知らない。見たことも聞いたことも。だから恨まれる覚えもないし、どうしてこんなことをされなきゃいけないのか、本当に分からないのだ。
だから余計に、怖い。
「……お前のせいなんだよ!」
しばらくの沈黙のあと、ばっと振り返って少年は叫んだ。
だから、一体何が?
そう言おうとしたとき、その男の子も肩を震わせているのに気づいた。
「師匠が……」
「師匠?」
「俺の師匠が倒れたんだよ! せっかくあの服が完成したのにっ」
え……?
「どういうこと?」
聞けば、彼は隣町の服屋さんで見習いをやってるらしい。隣町と言えど、温度差は激しくシエルアとは全く違う町だ。
彼の師匠はどれだけ着込んでも寒いというお客さんのために暖かい服を作ろうとしたらしい。
ここでは和服のようなものが主流だから、冬に寒いのは当たり前だ。着込まなくてもそれ一枚で暖かい魔法のような服を作ろう。そう言い出したのが二年前だった。
しかし高度な技を使いこなせないとそんな服を作るのは不可能に近く、あっという間に歳月が過ぎた。
それでも彼の師匠は、自分の全てを注ぎ込んでその服を完成させたらしい。
「せっかく今から売るぞって時だったのに。お前がこの店で働き始めるから」
これからだ、と気を引き締め直した途端、客足が遠退いた。町の人々に聞いてみると、なんとシエルアのrainbowという店が売上を伸ばしているとのこと。
rainbowなんて昔風の店。常連客はいるが、流行りとは程遠く、売れるなんてもってのほか。
そんなイメージだったのに、スカイみたいな風貌をもつ少女が働きはじめて、少しずつ雰囲気が変わり、新たな客がつきはじめたのだという。
やっと売り始めた傑作はもちろん売れず、師匠は自信をなくして寝込み、店は休業になってしまった。
「だから、お前がやめちまえばって思ったんだ!」
この前ばば様に見せてもらったrainbowの売上。こんなところで、苦しんでる人がいたなんて……
「同情しろよ! そんで、店やめろよ! お前みたいな見た目なら、どうせ踊り子でもなんでもできるだろ!」
そんな。
「夏に暖かい服が売れるわけないだろ。お前頭悪いのか?」
「……ハヤテ」
「あ、間違えた。お前の師匠もか」
背後から近づいてきたのはハヤテだった。気だるそうに頭をかきながら、近づいてくる。
どうしてこの人は、いつもこんなタイミングでやって来るんだろう。まるで、ヒーローみたいに。
「ハヤテ……? ってあんた、もしかして……」
「ん?」
「カザネさんの息子の」
「だったらなんだ」
「え……と、ご、ごめんなさ……」
相手がハヤテだと分かった瞬間、さっきまで私を刺そうとしていた鋭い目付きは弱々しくなった。
この国に悪いことがないわけじゃない。もちろん警察みたいなひとたちだっているし、威厳ある長たちが見張っているから少ないだけ。
でも少ないからこそ、秩序を乱した者たちは厳しい罰を受ける。そう聞いたことがある。
今までやってきたことがばれると罰されると思って恐ろしくのだろう。怯えの色が見てとれる。
そんな少年を見てため息をつくと、ハヤテはさらに少年に近づいて言った。
「いいか。俺はお前らの商売については興味もないし関係ない。こいつの肩を持つ気もさらさらない」
「だったら……」
「でも、そのやり方は気に食わねえ。なんだ、俺が来たってだけでころっと態度変えやがって。いじめるなら最後までいじめ抜けよ馬鹿野郎」
少年はほんの少しほっとした表情を浮かべたが、ハヤテが冷たい声でそう言ったのを聞いて再び首を縮めた。
ていうか、いくらなんでもひどくない? いじめぬけってどういう……
しかし、ハヤテはそれに、とわずかに優しさをにじませた声で続けた。
「お前も服好きなんだろ。こいつみたいに。お前、今みたいなこと続けて店が繁盛して、嬉しいのか」
「それは……」
「真冬でも暖かい魔法のような服、だったか? いいと思うぜ、きっと売れる」
「……っ」
「ちゃんと師匠の看病して、お前が店の準備手伝って、冬にはその新しい服売れるように頑張ってみろよ。な?」
「はい……っあの、ありがとうございます」
「俺に礼言うより、謝らなきゃなんねえだろ、お前」
ハヤテがちらりと私のことを見る。
「……悪かった」
「……うん」
「謝っても、意味ないかもしれねえけど……ほんとに、ごめん」
「……うん」
やっぱり簡単になんて許せない、と思う。せっかくハヤテがこんな機会をくれたのに、申し訳ないけど。
なにもしてないのに、辛い思いをさせられて。
「……ねえ。またいつか、服見せてね」
「え?」
でも、また今度なら。
少し肩を落として立ち去ろうとした彼に声をかける。
「……あぁ。きっとな!」
輝くような笑顔を残して、彼は去っていった。
「ったく、どうせこんなことだろうと思った。お前、分かりやすすぎるんだよバカ」
はぁ、と大袈裟にため息をついて近づいてきたハヤテが見下ろしてくる。
いつもなら腹が立つところだ。
「……ありがと」
「はっ?」
「本当に辛かったの。助けてくれて、嬉しかった」
突然の感謝の言葉に本気で困惑しているようで、少し横を向くと太陽の影にその表情を隠してしまった。
「……たまたまだ。修行付き合うために来たらお前らが勝手にもめてたんだろうが」
でも、それでも……
「っちょ、なに泣いて……」
とめどなく溢れる涙に、私自身も驚く。
「今日は修行はやめだ。店入れよ」
いつも憎まれ口ばっか叩いてるくせに、気遣いはしっかり出来ちゃうらしい。
店に入ってやっと落ち着いたところで、ハヤテが口を開いた。
「お前、さっき風使ったか」
「え? 使ってないよ」
「さっきのやつ、すっころんでなかったか」
そんなところから見てたんだ。
「あれはたまたまタイミングよく風が吹いてきただけ。そのおかげであの子転びかけちゃったみたいだけど」
自分から聞いたくせに、ハヤテは眉をしかめながらふーんと生返事だ。
「まあ、今まで修行頑張ってきたし、風の神様が味方してくれたのかなーって」
「……なんだそれ」
からん
「……!」
「やっと会えたね、ツムギ」
戸口で笑みを浮かべていたのはカザネさんだった。ウィンヴィレッドから帰ってきたっていう噂は耳にしていたけど……
「何回も店来たのに全然会えないし、避けられてるのかと思ったよ」
「まさか! ただ私、忙しくて……」
三人で顔を合わせるのは久しぶりだ。
「あ、服探しに来たんですよね! 全力で似合うもの探します!」
ハヤテもいるけど、カザネさんが優先。
もちろんさっきの恩は忘れてないけど、カザネさんがうちの店の服が好きだって言ってくれてたこと、忘れてない。
「あー……今日はいいよ」
「え?」
「ちょっと用事があってね」
用事……? じゃあわざわざ私に挨拶するために店まで寄ってくれたってこと?
「母さん、今日は……」
「ちょいと急ぎなんだ。今日じゃなくちゃいけない」
意気込んだところに突然水をさされて、私は間抜けな表情をしていることだろう。
「あるところに、あんたを連れてかなきゃいけないんだ」
泣いて帰ってきた私をちらりと見ただけでスルーしたばば様が、その言葉を耳にして初めて顔をあげた。




