1話 - ロヴィとアイリーン
この世の人々は皆、動物の血を宿して生まれるという――
◇
とある小国、ナヴランド。
「――王女様!? 王女様!」
その首都にそびえる荘厳な城の、美しい草花の咲き誇る広い庭。
「ああ……もう……! どこ行ったんだ、あのウサギ姫……!」
そこにぽつんと立つ1人の騎士が、苦い顔で呟く。
「王女様…………アイリーン姫!」
その薄茶色の髪の騎士が、そう呼んだ瞬間――
がさっ! と茂みから小さな影が跳び出した。
「……――!?」
はっと目を見開く。
反射的に腕を伸ばした。
次の瞬間――
腕に、小柄なドレス姿の王女がすっぽりとおさまった。
「――アイリーン姫!?」
「ロヴィ!」
跳びかかられた勢いを止めようと、何とか抱き留める騎士――ロヴィを、アイリーンはきらきらと煌めく真っ赤な瞳で見下ろす。
「アイリーン姫! どこに行って――」
困ったような顔のロヴィに、嬉しそうに目を細めると、その腕からぴょん! と跳ぶアイリーン。
「だって、知識教育退屈なんですもの! 私、街をぶらつく方が好き!」
「え!?」
「さあ行きましょう!」
華麗に着地すると、白く美しい長髪をなびかせ、品のある笑みを浮かべながら走り出す。
「ちょ……姫俺より足速い……待ってください! アイリーン姫!!」
叫ぶと同時に、ロヴィはあっという間に遠くなるその背を追って、全力で駆け出した。
「まあ! 今日のアップルパイも絶品ね!」
「ありがとうございます、アイリーン様」
大量の荷物を抱えながら、追いついた……! と遅れて横に立つロヴィへ、アイリーンはもぐもぐとアップルパイを頬張りながら顔を向ける。
「ロヴィもいかが?」
「…………いや……今はパイより水が」
「そうなの? ロヴィ体力あるのに」
「それはまあ……はい」
全力で追いかけてきたにも関わらず、息をほとんど切らしていないロヴィの涼しい顔に、アイリーンはくすっと微笑む。
くるっとパン屋の店主に向き直った。
「ではカロリーナさん、お土産にアップルパイ6つお願いいたします」
「いつもありがとうねぇ」
「いいえ! 何か困っていることはありませんか?」
「ないよ。カーティス王太子殿下たちのお陰で、何不自由ないよ!」
はい、アップルパイ6つね! と店主がロヴィの荷物に積み上げる。
「ああ、ありがとうございます。お代――」
「ロヴィ、次は宝石商!」
「ええ!?」
行きますよ! とまた颯爽と行ってしまうアイリーンに、ああくそ……とロヴィは項垂れた。
パン屋の店主が眉を下げながら笑う。
「大変ねぇ、アイリーン様の騎士様は」
「!」
あー……、と一瞬考えて、ロヴィは弾けるように駆けるアイリーンへ視線を向ける。
「いえ」
街の人々に、きらきらとした笑顔で挨拶を交わすアイリーンの姿に、ふっと笑みを浮かべた。
「飽きませんから」
あらまあ、と店主は口に手を当てる。
よいしょ、と荷物を抱え直し、待ってくださいアイリーン姫! と追いかけるロヴィに、若いわねぇ……! と楽しそうに笑いながら微笑ましい目を向けた。
「アイリーン姫――」
ロヴィが再び追いつくと、アイリーンがひらひらと手を振っていた。
その視線の先では、王女様ー! と嬉々とした声を上げながら、子供たちが大きく手を振り返している。
ふと、アイリーンが小さな花を手にしていることに気がついた。
「今日も街は活気に溢れていますね。王家である私がこうして街を歩いていても、平和そのもの!」
さあ、ロヴィ早く! と腕を引き歩き出すアイリーンを、ロヴィはじっと見下ろす。
街をぶらつくと言いながらもきっちり視察するアイリーンを、そっと愛おしそうに見つめたのだった。
夕方。
城へ戻ってきたアイリーンとロヴィ。
部屋の前で、ロヴィはすっとアイリーンに向き直った。
「アイリーン姫」
「はい、ロヴィ」
「ちゃんと、知識教育も受けてくださいね」
「嫌です」
「…………」
ですよね、と苦笑いを浮かべる。
その表情に、アイリーンはくすっと笑うと、ぴょん、とロヴィに近づく。
「今日もありがとうございました、ロヴィ」
そう言うと、街で買ったクッキーを1枚、ロヴィの口にすっと入れた。
「……――!」
アイリーンの指が軽く唇に触れ、ロヴィの息が止まる。
「とても楽しいデートでした」
またデートしましょうね! と微笑むと、アイリーンは部屋へと入っていった。
「…………」
ばたん、と閉まる扉の前で、真っ赤な顔で立ち尽くすロヴィ。
次の瞬間、デートじゃなくて視察ですアイリーン姫……! と思いながら勢いよく崩れ落ちた。
「……っ…………ずっる……! かっわい……!!」
あああ……! と声にならない声を漏らすロヴィの背後から、笑い声が上がる。
「多分だけど、脳内と口に出た台詞逆だと思うぜ」
気づけば背後にいた友人ミックが、けらけらと笑いながら突っ込んだ。
ナヴランド国王家ハートフォード家に仕える王国騎士団には様々な部隊がある。
国王や殿下直近の護衛、城内警護や王国警護等々。
その中の1部隊。アイリーン王女の護衛部隊。
「……えっと……今日のアイリーン姫の予定は――」
「知識教育、知識教育、で、午後から知識教育」
「あーだめな日ですね」
「だめな日だね」
だるー……、と庭で木にもたれながら失笑する騎士たち。
「――あれ? ロヴィは?」
「いつも通りでしょ」
「あー……」
誰からともなく、皆は自然と広い庭へ目をやる。
ここのどこかにいるであろう仲間を想像し、皆顔を見合わせて笑みを漏らした。
あー今日も平和だねぇー、と暢気な声が微かに届く、城の1室。
アイリーンは、むすっとした顔で机に向かっていた。
机に開かれている字の小さい本を、じと……と恨めしそうに睨む。
メモを取るフリをして適当にペンを走らせている手前のノートには、ミミズのような線だけが増えていく。
あはは……! とところどころ響く笑い声に、何よみんなだけで楽しそうに……! と頬を膨らませた。
ふと窓際の一輪挿しに挿してある小さな花に視線が留まった。
そのベージュに近い花は、一番直近の騎士を彷彿とさせた。
昨日別れ際、クッキーを口に放った瞬間の彼の表情を思い出し、くすっと無意識に笑みが漏れる。
すると、その花につられて来たのか、大きく開いた窓からピッ、と小鳥が机に留まった。
わあ……! と赤い瞳を輝かせるアイリーン。
すると、その窓の先に一瞬、薄茶色の髪が揺れた。
はっ! と目を見開く。
小鳥をふわ、と手におさめ、飛び立つように大きく宙に放った。
飛び立つ小鳥を追うふりをして、ばっ! と窓からバルコニーへ跳ぶ。
そして真下の騎士目がけて、アイリーンは迷わず2階のバルコニーの手すりを跳び越えた。
「ええええ!!?」
そう叫びながら、ロヴィは上空から突如降ってきたウサギ姫を咄嗟に抱き抱える。
あまりの勢いにさすがに支えきれず、背後の茂みに倒れ込んだ。
驚いて、思わず顔を見合わせるロヴィとアイリーン。
間に合った安堵か、ロヴィの口から小さく息が漏れた。
「……いや……毎度毎度、何で跳び下りるんですか……」
「ロヴィが見えたからです」
「理由になってない――」
そう文句を言いかけて、ふわ、と嬉しそうに目を細めるアイリーンに、ロヴィは言葉を詰まらせた。
「アイリーン様! アイリーン様!?」
教育係のモリーの声に、アイリーンははっと顔を上げると、ぱし! とロヴィの手を掴む。
「逃げますよロヴィ! 次モリーに掴まったら椅子に縛りつけられます!」
そう言って、笑いながら手を引くアイリーンに、困ったように頬を染めるロヴィ。
次の瞬間――気づかれないよう、ふっと微笑んだ。
……って速い速い速いですからぁぁあ! ロヴィ遅いですよ! と掛け合いながら走る2人に気づく部隊の皆。
あーやっぱりね……! といつものように、笑いながら眺めていたのだった。
その一方――。
国王執務室。
そこに、国王、カーティス王太子、クライヴ第2王子、王妃が顔をそろえる。
国王はすっと顔を上げると、ゆっくりと皆を一瞥した。
「そろそろ、アイリーンの婚約者を決めねばならん」
国王の一言に、はっと息を呑む皆。
カツン……! とカーティスの手からペンが滑り落ちた。




