第68話 元俺Tueeee系勇者イザークと愉快な仲間達
「今の言葉...ヨハネによる福音書、3章16節か!」
―スクールを卒業して以来、一度も耳にしなかったフレーズ
まさか異世界の片隅で響くとは、フレッドは夢にも思わなかっただろう。
フレッドは弾かれたようにソファーから立ち上がると、書棚に並ぶインデックスを指先でなぞった。
("Iō"はないか。 ならば...H、I、J...3-16!)
―指が止まったのは"J3-16"と印字された背表紙
それを引き抜くと、壁の奥底で重厚な歯車が噛み合う、低い振動が指先に伝わってきた。
「入りますよ、"サー"」
―現れたのは、冷たいレンガ造りの通路だった。
湿った壁に声が反響し、虚しく戻ってくる。
「返事はない...とにかく進めということか。」
―天井から滴る水滴がフレッドの肩を叩く。
不気味な湿気が支配する通路の終着点には、一筋縄ではいかない風格を漂わせる鉄の扉が鎮座していた。
(禁酒法時代の隠れ酒場にでも迷い込んだ気分だ...)
―場違いな比喩を脳裏に浮かべつつ、フレッドは扉をノックした。
「"サー"、入室の許可を。」
「扉は自分で開けなさい...私はそう言ったはずだ。」
「そうでしたね。 では、失礼します。」
―扉を開く。
その単純な動作1つに、フレッドは抗いがたい運命の重みを感じていた。
「さぁ、座りなさい。」
―室内に響いたイザークの声は、先ほどまでの銀行家のそれではない。
厳格な戒律に生きる聖職者のものへと変貌していた。
白い法衣の襟元には鷲の襟章、そこを走る3本の金筋が、彼の地位を無言で物語っている。
(ウーシア教の鷲は司教の証...そして3本の筋は"席"を示す。 ということは...)
「この部屋は、どのような目的で用意されたのでしょうか...第3席司教閣下?」
「私が教徒であることは妻にも伏せていてね...口外は禁ずる。」
「承知いたしました。」
「質問に答えよう...ここは"キメラ"に酔った羊を導くための場所である。」
「そうですか。」
―フレッドは短い返事を返す
「私から君に話すべきことは、大きく分けて3つある。」
(項数の提示...銀行家の合理性か、あるいは聖職者の几帳面さ、か。)
「まず第1項、君の身分証についてだ。」
「うっ...」
「持っていないことを責めはしない。 君がここへ辿り着いたことこそが、かつて別の世界を生きていた証なのだからな。」
「......感謝いたします。」
「案ずるな。 私も、同じ道を辿った1人だ。」
(やはり...この人も転生者か。)
「君はどこの出身だね?」
「僕は......過去を振り返るつもりはありませんので。」
「そうか。 それも賢明な判断だろう...」
―フレッドのどこか頑なな意志を汲み取ってか、イザークは深く追及することなく、1冊の手帳を差し出した。
「閣下、これは?」
「入国管理局の知人に少しばかり無理を言ってね。 さぁ、開けてみなさい。」
―恐る恐るめくった手帳には、彼が"おおよそ、この世界に存在する"という根拠が刻まれていた。
「アルフレッド・エドワード・スミス、イングランディア、ブリッジストール出身...」
「おめでとう。 これで君は、初めてこの世界に降り立ったことになる。」
「ありがとうございます。 ですが閣下も同じように身分証を?」
「私の場合は少し特殊でね。 教会ではなく、大賢者の威光を借りた。」
「大賢者...ジーニア=スコバヤシサンのことですか?」
「いかにも。 彼は私の古い友人でね。 彼もまた、我らと同じ"道"を辿った男だ。」
―イザークは重々しく頷くと、席を立った。
壁に飾られていた鉄の勲章を手に取り、ケースごとフレッドの前に置く。
「これは鉄星勲章...かつての武功を称えられ、国王から賜ったものだよ。」
「武功...そういえば、まだそのお話を聞いていませんでした。」
「では第2項だ。
かつて、強大な存在の討伐を志した3人の若者がいた。
1人は紅茶商の娘ベアトリクス、もう1人は大陸の相場師スコバヤシ...そして最後は彼女の守護者であった私だ。」
「随分と...個性的なパーティですね。」
「今思えば、そうかもしれないな。」
―そう言うイザークの表情は、懐かしさと険しさを孕んでいた。
「当時は大陸鉄道もなければ、蒸気自動車もなかったからね、その旅は過酷を極めた。」
「では、何を使って移動なさったのでしょうか?」
「簡単な話だ。 我々はただ、徒歩で険しい峰々を越えたのだよ。」
―イザークのバーコードはイザークの気分に応じたのか、"はらり"と垂れる。
「私はターゲットを求めて各地を放浪した。
結局、討伐こそ叶わなかったが、その過程で描き上げた測量図が評価されたのだ。」
「それが、何らかのきっかけに?」
「うむ。 バート迎賓館での晩餐会にて、宰相にそれを献上する機会を得た。 だがその時、1人が突如として錯乱した。」
(まさか...)
「バート迎賓館襲撃事件、ですか?」
「ほう、知っていたか。」
「以前、ローズマリアがその名に過剰な反応を見せたことがあったので。」
「無理もない。 その場に現れたのが、私の...転生者全ての標的である邪神であったからな。」
「邪神...」
「娘はまだ生まれていなかったが、妻から恐ろしさを聞かされていたのだろう。
君はどう聞いている?」
「"窓"から割り入った邪神が宰相ら要人を次々と葬る。 滅びの禁呪が発動される寸前、王の"腹心"がその心臓を突き、阻止したと。」
「世間体ではそうなっているな。 だが実態は、私が招待した私の義理の弟が、邪神の依り代として"窓"にされ、それを当時ただの市民であった私が討ったのだよ。」
―フレッドは言葉を失った。
「皮肉なことに、私達は事件の原因と収拾を同時に作ってしまった。
ゆえに、爵位なき貴族という形で、監視下に置かれることになったのだ。」
「そのような事があったとは...」
「悲痛に暮れた私を救ってくれたのがベアトリクスとウーシア教だった。 もっとも、あの頃の彼女は実に清楚で物腰柔らかな少女だったのだがな...」
「それは...心中お察しします。」
「はぁ...まぁ良い。 私はその後、"腹心"という立場を利用して貸金業を始めた。
元の世界なら蔑まれるかも知れぬが、この世界ではそうでもないのでね。 大きな力となったよ。」
「商魂逞しい、と言うべきでしょうか?」
「言ってくれるものだ。 最初こそ上手く行かなかったが、ジーニアの大型計画に乗り、徐々に勢力を拡大させていったものだなぁ...」
―驚きの連続だった。まさか、そんな繋がりがあったとは。
「さて...思い出話も終わり、最後の第3項だ。
今回の情報流出に関しての"罰"、および処分である!」
―それまで穏やかであったイザークが怒気を見せる。
フレッドの背筋に、忘れていた恐怖が冷たく走り抜けた。
「まず、君が神より与えられた責務を果たすまで、ローズマリアとの正式な婚約は認めない。」
「......はい。」
「あくまで届け出上の問題だ。 それ以上の干渉はしないでやろう。」
「承知いたしました。」
「だが、それだけでは罰が足りない...故に、今後一週間の自宅謹慎、および監視役の設置を命じる。」
「自宅、ですか?」
―戸惑うフレッドへ、イザークが無造作に鍵を放り投げた。
「エール市居住区2A-21...私が用意した邸宅だ。 話は以上、受け取りなさい。」
「感謝いたします。 しかし閣下、最後に一つよろしいでしょうか?」
「何かね?」
「何故、私が転生者だと?」
「初めの違和感は経験則による勘だ。 確信は茶、そして最終確認は先ほどの聖句だよ。」
「大変参考になります。 ありがとうございました、閣下。」
―対話は終わり、2人の男は出口へと向き直る。
隠し部屋から漏れ出す気流が、静かに過去の埃を運んでいった。
―同刻、ベアトリクスの部屋にて...
「この"知性を殺すランジェリー"、どこで買ったのですか、お母様?」
「何と言ったか...シンサカエで買った筈だが、店は忘れてしまったな。
代わりに、まだ使ってない"ネコミミ"と"ネコのカギ尻尾"をやろうか?」
「ありがとうございます、お母様!」




