3.あなたのせいです。
ごくり、と固唾を飲む。
メルティから、はっきりとした敵意が滲んでいた。
切れ長の濃い紫の目が、俺を凄んでいる。
冷や汗が、頬へ伝った。
メルティの口が、歪んだ弧を描く。
「貴方のことは知っていますよ、ルーク=フィーレント。
魔力量の高さから、十歳にして王宮魔導士に就任。
国の最高位魔導士であるアッシュ様に認められ、十八の若さで高位王宮魔導士に選任。
けれど、まさか選任されてすぐにダリア様との婚約を申し出るなんて……予想外すぎて阻止さえできませんでした」
嫌味のこもった低い声色は、執念さえ感じさせる。
「俺のこと、調べたのか」
「当然です。ダリア様にとって、あなたは二度目の婚約者なので」
そう。
俺が婚約を申し出る二年前。ダリア様には親の決めた婚約者がいた。
大公爵の子息、エドガー。
俺が婚約を申し出られたのは、エドガーとダリア様の婚約が白紙になったおかげだ。
「クレイトン公爵は、俺とダリア様の婚約を認めてくれてる。
そんなに敵視する必要ないだろ」
ため息交じりに吐き出すと、メルティが信じられないとばりに口を覆う。
「よくもまあ、そんなことが言えますね。
ダリア様が婚約破棄されたのは、あなたのせいだというのに」
「………え?」
俺のせい?
そう聞きたいのに、喉が張り付いて声が出ない。
狼狽する俺に、メルティが目を見ひらく。
「まさか、知らなかったのですか?
三年前の、あの日ですよ」
「三年前……?」
嫌な予感がした。
暖かい湯の中に浸かっているのに、指先が冷えていく。
「きっかけは、クレイトン様が開催したパーティーでした。
エドガー様と、護衛の王宮魔導士の間でトラブルが起きたのです。
エドガー様の怒りは酷いもので、見かねた優しいダリア様は、その護衛を庇われた。
あの時の護衛――あなたですよね。ルークさん」
「…………」
忘れたとは言わせないと、紫の瞳が暗い怒りで揺れている。
忘れるわけがなかった。
あの日。俺はアッシュ師匠の命によってエドガー様の護衛につき、なぜか目をつけられた。
罵られ、飲み物をかけられ、しまいには落ちた物を食べるように命じられた。
周囲で嘲笑が起きる中、俺の前に立ちはだかった、水色のドレス。華奢な背中。
――『謝りなさい! 彼は貴方を守ってくれている護衛なのよ! このパワハラ野郎!』
凛とした声。大勢の前で、エドガーに毅然と言い放ったダリア様の姿に、俺は目が離せなくなった。
「エドガー様から婚約破棄の要望があったのは、それからすぐのことでした。
根も葉もないダリア様の悪評が流れるようになり、クレイトン公爵も、そんなダリア様を避けるようになりました。
ダリア様のお顔が俯いていくのを、わたしはずっと傍で見ていた。
すべて、貴方が原因です。
わたしは、貴方を許しません」
「っ………」
メルティの言葉が、重くのしかかる。
知らなかった。
エドガーとダリア様の婚約破棄について、ダリア様に対する心ない噂は耳にしていた。
ダリア様の態度が酷かったとか、ダリア様が裏切ったとか。
ダリア様がそんな人じゃないことは分かっていた。だから、理由は他にあるのだろうと、思ってはいた。
とはいえ――それが俺を庇ったせいだったなんて。
あれは、そんなに代償を背負うほどのものだったのか?
大体、よく分からない理由で急に蹴りつけてきたのはエドガーだったろ。
胸の奥が、熱くなる。
自己嫌悪と、罪悪感。そして、ダリア様への恩義と、敬意。
「……ダリア様の人生を狂わせた犯人が、真実も知らずにダリア様へ婚約を申し込んだとあっては、そりゃあお前も腹が立つだろうな」
メルティが、ぎろりと俺を見る。
「でも、俺はダリア様を手放せない。
ここで引けるくらいなら、高位王宮魔導士になんてなってないんだ。
大体、大公爵の子息とはいえエドガーって最低野郎じゃねえか。
あんなのと結婚しても、お前良かったのかよ」
「それは……
ただ、エドガー様はダリア様にはお優しかったのですよ。
それに、ダリア様はあなたとの結婚だって望んでいません」
そもそも婚約者のことなんて知りたくもない様子だしな、と独り言ちる。
「………とりあえず、何か誤解があるみたいだから、それを解くとこから始めるよ」
「それでも望まなかったら?」
「その時は、婚約の申し出は断ったらいい。
でも、例えそうなっても、俺は一生かけてダリア様に恩を返す。それは変わらない」
「あなたに返しきれるとお思いですか?」
「俺は高位王宮魔導士だ。利用できるところなんてアホ程あるだろ。
それでもダリア様の下へ置けないと思うなら、その時は追い出せばいい」
「一介の侍女に、そんなことができると?」
「お前はダリア様からの信頼が厚い。そんなの、造作もないだろ」
「…………」
メルティが、考え込むように瞳を伏せる。
「……………分かりました。貴方を許しはしませんけど、もう少し様子を見て差し上げます。
ちなみに、エドガー様はどうして貴方を罵っていたのですか?」
そんなの俺が知りたいよ。
俺が首を横に振ると、メルティは「そうですか」とため息をつく。
「では、お時間を取らせました」
浅く礼をして、メルティが静かに去っていく。
最後に交わしたその瞳はやはり鋭かったが、凄むような殺気は消えている気がした。
◆◆◆
「はぁあああああ……」
お風呂ですっかりのぼせた俺は、自室に戻るとベッドへ倒れこんだ。
メルティとの会話が頭をよぎり、つい溜息が出る。
――ダリア様が婚約破棄されたのは、あなたのせいだというのに。
メルティの言った言葉が、何度も脳内を巡る。
偉そうに『恩を返す』と豪語したが、自分にとってはかけがえのない大切な出来事が、ダリア様にとっては悲しい連鎖を生むきっかけになったのだと思うと胸が軋んだ。
エドガーは最低野郎だと今でも断言できる。
でも、もし、それでもダリア様にとって大切な人だったら――?
「……落ち込んでたって仕方ないけどな」
言い聞かせるように呟く。
長風呂になってしまったからか、喉が異様に乾いていた。
大体、あんなところで話す内容でもなかっただろうと首を傾げずにいられない。
「……水……」
食堂に行ってみるかと、部屋のドアを開ける。
「あ」
「ルーク!」
ドアを開けると、ダリア様がちょうどそこに立っていた。
「どうしたんですか、こんな夜に」
「お風呂の後、いるかなって思って」
見ると、ダリア様の持つトレイに、ティーセットが乗っていた。
「そんな、気を使っていただいてありがとうございます」
「わたしも、お茶一緒にしていい?」
「えっ、はい。もちろん! じゃあ食堂に行きますか?」
いさんでダリア様からトレイを受け取ると、彼女は不思議そうに小首を傾げる。
「どうして? ルークの部屋でいいよ」
「え」
思わず彼女の服を見る。
白一色の、ゆったりしたロングドレス。
質が良く、柔らかそうな素材のそれは寝心地が良さそうだ。大きく開いた胸元に、色気より無防備さを感じる。
「お、俺の部屋はちょっ……」
「お邪魔しまーす」
答えに窮している隙に、ふわりと金髪が胸元を通り過ぎる。
甘く柔らかい石鹸の香りが鼻孔を擽り、彼女も風呂上りなのだろうと連想させる。
更に進みゆく連想を慌ててかなぐり捨てて、俺はダリア様の背を追った。




